【関西】 ヤンタン、ヤンリク、ぬかるみの世界…伝説の番組を生んだ法則 [朝一から閉店までφ★]
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2020.10.2 10:30産経WEST
テレビがお茶の間の主役だった時代、家族が寝静まった深夜、若者は部屋でラジオにかじりついた。朝日放送の「ABCヤングリクエスト」や毎日放送の「MBSヤングタウン」など、関西でも各局はこぞって看板番組を放送し、ラジオは若いリスナーをとりこにした。いまも“伝説”として語り継がれる番組は多い。無難な台本や前例踏襲を嫌ったパーソナリティー、ラジオマンたちがラジオを作ってきた。その伝統はネット時代の今も引き継がれている。
(上岡由美)
伝説的なラジオ番組
日曜日の深夜、デイヴ・グルーシンが演奏する「カタヴェント」の軽快なリズムとともに、その番組は始まった。落語家の笑福亭鶴瓶さんと放送作家の新野新さんがパーソナリティーを務める「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」だ。昭和53年4月から約10年間、ラジオ大阪で放送された。
当時、深夜ラジオの多くがリスナーのリクエストやコーナーで構成されていたのに対して「ぬかるみ−」は2人のうだ話(とりとめない話)が延々と続く。かかるレコードは少ないが、生放送ならではのハプニングは多い。それを「ぬかる民(みん)」と呼ばれる熱心なリスナーたちは「クックッ」と笑いながら待った。
企画した当時のディレクター、岩本重義さん(76)は「ありきたりの深夜番組にはしたくなかった。鶴瓶さんも『好きにさせてくれるなら』という条件付きで承諾してくれたので、台本もないし、自由奔放でしたね」と振り返る。
55年5月には「新世界ツアー」事件も起こった。女子高生の投書をきっかけに、番組で2人が「通天閣の下をぶらついてみませんか」と呼びかけたところ、約5千人ものリスナーが殺到し、機動隊まで出動する騒動に。翌日の新聞も大きく取り上げた。
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://www.sankei.com/west/news/201002/wst2010020004-n1.html ストロングゼロの氷結のストロングゼロのウォッカ入ってるんだけど、この氷結のチューハイ毎日ではないけどかなりのペースで飲むと2本
今も例えば月曜日とかだと氷結でストロングゼロ飲んでって感じで飲んでるから人気になるんだと思う
楽でいろんな味だしね あれ?サイキック青年団は?
原田知世、草刈民代はスカトロ愛好家とか
あれでブレンディ素直に飲めなくなったんよ 鶴光:ペンネーム、「お」と「め」と「こ」 続けて言うてみぃ
鶴光:(アシスタントに)続けて言うてみぃ ヤンリク派:わりと真面目な受験生ターゲット
ヤンタン派:真面目に受験する気がない奴ターゲット
後者でその通りの結果に終わったわw ぬかるみとかサイキックは
日曜深夜だからウケたのもあふ
当時日曜に朝までラジオやってたのは岐阜?のラジオぐらいだったから ヤンタンで嘉門達夫が太田貴子を泣かせた回は凄かったな。 ヤンタン→ヤンリク→オールナイトニッポン→走れ歌謡曲やったな、俺は >>10
この前の降板騒動もヤンタン引き継いだ番組だろ。 ぬかるみって、OBCなのか。
鶴瓶師匠も恩返しすれば良いんに。ヤンタンばっかやってないで。 最近FM放送でAM放送の番組が聞けるようになったんで聞いてみたけど、ビックリするぐらいつまらなかった
FMのクリアな音で聞くと、出演者やDJの喋りや会話と会話の“間”みたいなのが凄くスッカスカなように聞こえて、
それこそ深夜放送名物のダラダラトークも「こんなに冗長に喋ってたのか……」と凄くつまらなく感じてしまった
元々のFMの番組のDJが何故軽快に途切れなく喋ったりするのか、または多くの番組が何故常にバックで音楽を流し続けてたりするのか、の訳が分かったような気がした
やっぱりAMは雑音まみれで聞くのが一番だと思い知った 1980年のど深夜の新世界を何千人の素人と歩こうとか。
機動隊出るわな。(笑) サイキックは三才ブックス以外のメディアは
とても扱えない。
ぬかるみレベルでお茶を濁すので丁度よい。 ラジオで呼んだリスナーが途中で交通事故死
をしたというのは都市伝説なんか? ぬかるみ焼きメチャお得。もうこれしか注文しないもんね。となりの客が「?」みたいな顔をしてたりするけど。 >>10
聴いてたわ。下ネタ読んでたら文句言い始めて嘉門がブチ切れた。
あと、永井アナウンサーも嘉門らがからかってたら突然キレたよな〜
ぜんじろうの問題発言もあった
嘉門のヤンタン火曜日大好きだったわ
>>16
深夜じゃねーし。
日中だろ >>7
ヤンタン➡ANNで、俺も浪人に。
なんとか駅弁には引っ掛かったが。 ヤンタン聞いてるとオールナイトがつまらなく感じたな
今じゃ珍しくもないのかも知らんが数人でゆるくワチャワチャしてるあの感じが好きだった そういや大阪のやつにぬかるみの本貸したまま戻ってきてないわ
30年前の話だけど、思い出した ぬかるみの最初に聴いたのは全国縦断企画
こんなおもしろい番組があるんだと ただレイティングのときだけジャニーズ呼んだりするのはひどかったな ヤンタンのスペシャルウィークの特別企画で、ヤンタンクイズを出して正解者にプレゼントみたいなやつで
当時トップアイドルの松田聖子がクイズを出してくれるということになった
しかし録音で殴り書きの原稿を即席で読んだだけの松田聖子は
ヤンタンクイズを「センタンクイズ」と読んでしまって録り直すこともできずそのまま放送 ラジオに声優呼ぶ先駆けしたハイヤングとかおじさんしか知らんから伸びないよ >>25
平日の流れと進学が全く同じで笑った
日曜の夜はぬかるみ→ナゴヤフォークタウン→アメラジだったな ヤンタン一度辞めたけど戻ってきてまだやってるさんまはすげえな オレはホントに聞いたんだよ!!ヤンリクで『センのつく言葉』こんなお題で男女のアナ同士が掛け合ってる。
『千人針』、『千社札』、『千夜一夜』・・・・何を血迷ったかその一人が、『センズリ・・・』良くとおる澄んだ声でセンズリ・・・
数秒間沈黙の後、何事もなかったように次の曲を紹介したんだ。
当時、オレ以外のリスナーも聞いてたはずなんだが、周りの人はこの会話を誰も信じてくれない。
ほんとにほんとに聞いたんだよ!!! >>37
期間長すぎるとか、ヤンタンは曜日によってふいんきもだいぶ違うから、同窓会スレやおっさんホイホイスレにもなりにくいのかな >>25
駅弁やからまだましやん
こっちは浪人で国立にお祈りされ私学工学部 >>19
なげやり倶楽部って中島らもがシティボーイズとか竹中直人を呼んで作ってた関西ローカルバラエティがあったんだけど
顔が隠れて見えない新野新と鶴瓶が「鶴瓶くん」「先生」と言いながら
手と手を繋いで恋に落ちるってめちゃくちゃなコントしてたのを思い出した
新野新はマジにそうだったらしいけどよくやったよなあと未だに思う こないだカセットテープの整理してたらさんまのヤンタン最終回の
テープが出てきた。オープニングのフリートークで子供が生まれた話してた。
嬉しかったから長江に電話したら留守電で腹立ったという話。
またその留守電が「な!と言ったらメッセージをお願いします。なっ!」
だった話
さんまの話すスピードは今よりだいぶ速い 昔の深夜ラジオは、オールナイトニッポンも突然、外からロケしてたりしたなw
ザ・ベストテンでも新幹線ホームや街中から生中継していた
生放送は減ったよな >>51
東北の片田舎の本屋で買ったんだけど、平積みしといたとか書いてハガキ送ったら鶴瓶に読まれ深夜に小躍りした >>47
新野先生は物腰柔らかくてカマっぽいけど結婚したことあるし、ゲイではないと思うぞ ていうか、ラジオ大阪って10月から日曜が24時終了になるって聞いたが
ぬかるみを知ってる世代からじゃ信じられないんだよね >>59
ぬかるみが終わったあとの、クロージングの音楽がものすごく寂しくて
今でもハッキリ覚えてるわ
クロージングの音楽ってどの局も切ないもんだけど ヤンタン聞いてたけどオールナイトニッポンで東京を感じた
関西某県の者だけどね >>60
関西の場合、ダントツの802が聴取率を公開してるけど
OBCのシェアってその他のAM(京都と兵庫、もしかしたら和歌山も)の半分以下なんだよね ヤンタンもダウンタウンとかがやりだしてつまらなくなったんだよな >>39
ハイキョンっていう言い方はみんながしてたのではないのかな >>66
あれは時代では?
80年代いっぱいで寿命。 日曜深夜は地方でもかろうじて電波はいるからな
広島からサイキック聴いてたわ キン肉マンで見てヤン水聴きだした
人間カラオケ好きだったわ >>66
は?ダウンタウンめちゃめちゃ面白かっただろ
さんまのヤンタンより何億倍もな
ダウンタウン=鶴瓶=鶴光・角=谷村ばんば佐藤>>嘉門>>三枝>伸郎>>>
>>>イルカ・チャゲアス・のりお・ピーター・兵藤他>>>>さんま・紳助 ヤンタン、ぬかるみ、サイキックは、東北あたりでも聴けた。 初めて聞いた深夜ラジオ
鶴光のオールナイト(トリオザゴミが出てる頃) ヤンタン一番聴いてた頃は
月 さんま
火 嘉門
水 原田
木 紳助
金 谷村
土 鶴瓶
日 西川のりお
だったな >>1
高1ん時ヤンリクで3万とホロホロスプーン同時に当たったのは良い思い出 今でもさんま、鶴瓶、アリスでやってるもんな。
鶴光もやりゃいいのに。 当時谷村はセイヤング、鶴光はオールナイトニッポンやってたもんな。関東受けする何があったんやろな。鶴光はもう関東人やもんな。 そういや今日はこんちはコンちゃんが20周年の日だが、彼がヤンタンやってたのは聞いたことないな この時代は深夜ラジオのノベルティも羽振りが良かった。
ノベルティのテレホンカードで月々の電話代の支払いしてたわ。 ラジコで関西地区のラジオばっかり聞いてるけど、ラジオ大阪のテーマソングとラジオ関西のテーマソングはすごくイイね。
CDでフル音源あったら欲しい。 >>60
OBCブンブンリクエスト
サタデー・バチョン
は好きだった ABCヤングリクエストのテーマもキダタロー作曲だったな 今日発売の日経トレンディはラジオ特集。60ページぐらい組んでいる。
建前のメイン企画はキムタクのインタビューだけど、
実際のメインは伊集院光の4ページインタビュー。
伊集院の思考が出演者と言うよりプロデューサー兼営業化してる。
そろそろ深夜枠は返上しそうだなとも思わせる。 ダウンタウンは真夜中のなかの方が面白かったなあ
ヤンタンはコーナーをこなさないといけないし、後半はほとんどやる気がなかった笑 欽ちゃんのドンとやってみよう
えみこの長い付き合い
夜のドラマハウス
ヤンタンという流れで聴いてた ヤンリクは普通のリクエスト番組のイメージ。
ヤンタンがオールマイティーお笑い路線で、
ぬかるみは甲斐がキレて新野に灰皿投げるようなディープなイメージ。
千房のぬかるみ焼きは今でも健在。 ヤンタン、ぬかるみと並べるなら、ヤンリクじゃなくてばちょんやろ。
仁鶴、三枝、枝雀、春蝶、みんな若かった。
みんな健在で揉め事もなかったら、
笑福亭松鶴、桂文枝、桂米朝、桂春団治になってても不思議じゃない面子。 もうすぐ夜明けABCで朝を迎えた時は
大人になった気がした 歌うヘッドライトとかもわりと面白かったんだがどんどんダメになっていった 演歌歌手の宣伝番組みたいになって駄目になっていった >>85
三枝さんがどうとか言うてたなぁ、ホントの初期やったんやろ。コンちゃんの印象はないわ。
ただ伸朗がゲストの「大発見のコーナー」は何か記憶にあるかなぁ。程度。 月曜さんま
水曜のぶろう
木曜つるこう
金曜ちんぺい
土曜京都紳助
日曜ぬかるみ
って当たり前に寝不足 >>96
あぁ、バチョンな。浜村さんもいた気がするわ。 中1の頃何故か滋賀からノイズだらけなのに文化放送の吉田照美の番組聴いてたわ深夜になるにつれて音がクリアになってたな 浜村さん言うてたわ「あの頃のラジオ大阪はみんな若かったんです、ですから発想も豊かだったしそれを自由にできる雰囲気でした」
「今のラジオ大阪はもうダメですよ、残念です」
そんな事言うたらアカンのんちゃう?って思ったなぁ。 伸郎の幽霊騒動が怖かった
次の週もその騒動やったが
その次の週以降は一切話題にせず
なんかあったんやろか >>111
その頃は月曜鶴瓶だったような。
火曜がイルカとべかこ さんま長江健次の日に
日航機墜落して
トーク無しのずーと音楽 ぬかるみ聞いて
サイキック録音が
サイキック聞いて
ぬかるみ録音になった ぬかるみはやな
途中に30分
山本なんとかの音楽番組入ってたから
その間に用事してたは ヤンタン金曜日
思い込んだらのコーナー!
♪重いコンダーラ サタデーバチョン
アニメトピア
ラジオはアメリカン 新野先生最近見んけど体調相当悪いんかね
4〜5年前まで今宮戎の漫才コンクールで審査委員長してたけど最後の方は痴呆寸前みたいだった
そっから音沙汰なしなんで気になる 俺はABCミュージックパラダイス聴いてたな
発売前の新曲をカセットに録音して友達より先に覚えることに命賭けてた
いま思えばクソみたいな趣味だったなあれ・・・ >>39
関西で声優ラジオというとアニメトピアのイメージ 飴 コーヒー ライター
美絵の 飴 コーヒー ライター
笛 ラジオ スキー
美絵は 笛 ラジオ スキー ヤンタンの鶴瓶はいまいちだったけど、
ぬかるみとかつるべがおかずは面白かった 鶴瓶のヤンタンには今田耕司がバカみたいにたくさんハガキを書いてきてたな 鶴瓶と言えば、わいのわいの90が好きやった
ぬかるみみたいに話題になることは皆無だけど >>136
その今田知ってたけど、まったくの別人だぞ
字も違うし
>>137
感謝のコナーとかオモロかったよな|
死ぬほど笑ったことなんべんもあったわ
あの頃はよく鶴瓶は鶴光に間違われてたっけ(今でもあるみたいだが) ぬかるみ、バチョン、ドンドコドン、ダバダバダ
週末のOBCはコアで濃い番組が多くて好きだった な〜んだっか〜今日は〜
すってき〜な〜気分
今日もウッキウッキ〜♪ ベストテン北海道
うまいっしょクラブ
アタックヤング
オールナイトニッポン
という黄金のリレー 東京ではゴマスリお調子者キャラだった当時のさんまの、ヤンタンで長江健次らに対するときのキャラの違いに驚いたっけ >>145
若い奴はスレタイが意味不明だからそもそも来ないよ
来てる地点でお前もおっさんってことだ 月 鶴瓶おりん
火 きたむらけんありよしじゅん
水 のぶりんびわこ
木 ど鶴ど角佐々木美絵
金 チンペイバンバンさとうよしこ
土 ラジオ大阪サタデーバチョン >>11
土曜はサタデーバチョン→鶴光のANNサンデースペシャル(→)歌謡曲走らないで、雑音出るが聴ける他局 毎日ヤンタンからオールナイト聴いて学校行って部活してたけど
よくあの生活で平気だったとオッサンになったら思える ヤンタンフェス?みたいなのが三宮に当時あったジョイントであって見に行ったの思い出した
抽選できたむらけんのキャップが当たった記憶 ヤンタン聴いてた頃は中学までかな
月 鶴瓶
火 覚えてない
水 原田伸郎
木 鶴光
金 谷村ばんば
土曜はヤンタンなかったな オールナイトニッポンは中学から20歳ぐらいまで聴いてたっけな ぬかるみの世界って日曜深夜のほかのめぼしい局がやってない時間に唯一やってたから雑音交じりにきいてた記憶ある ヤンリクはリクエストランキングやってたが
やたら河合奈保子が強くて1位を続けてたのを覚えてる まあ業界自体が潤ってたんだろうな
車一台プレゼントなんてやってたし>ヤンリク >>118
そりゃさんま、喋る気にならない状況だろうに。
なにせ123便に搭乗する予定だったからな。
ちょっとした神様のボタンの掛け違いで助かったんだから。 ヤンタンで番組リレーの時に古田新太と亀井アナがバチバチにピリついてたのを子供ごごろに覚えてる よゐこのヤンタンはめちゃ面白かったな
TKO 、ますだおかだのヤンタンは糞つまらんかった チャゲアスの飛鳥がアシスタントに手を出し結婚したヤンタン
さんま、堀江美都子、浅見明夫時代にいつの間にかデキてた後者二人 >>153
土曜は三枝→さんま→鶴瓶 だろよ
千里丘から公開録音してた
ヤンタンの原点
無いわけがない。 >>163
ミッチィとあさみさんは鶴瓶さんとやってる時からデキてた
だから仲人は鶴瓶さんに頼んだ
この辺のことは色々懐かしいわ
当時シグナルのファンだったから
特別な思い出がある >>139
そういえば「南河内郡」だったかな、リスナーのイマダコウジ(タレントの方は大阪市なのね)
京都のハタナカマサヨシと並ぶ有名リスナー >>147
中村行延入れてやれよ
やっぱヤンタンでの鶴瓶の相方は行延だな 中村さんて今どうしてんの 愛してナイトの中村さんやろ そういえば西端弥生にファンレター書いたの思い出した >>163
えらい懐かしい話やな。
浅見さんがマネージャーになって、
ミッチはまだ現役なのが恐ろしい。
若手女性声優の曲をカバーして、
オリジナルの方がビックリ仰天したらしい。 >>23
約35年前、四天王寺付近でご本人とすれ違った思い出 >>168
ハタナカw懐かしい名前だな〜他に何人かいなかったっけ?
>>170
ヤンタン終わった後、京都の北大路で喫茶店のマスターやってた
すっげー無愛想なのが有名だった
その後、店も辞めて、きらきらアフロに呼んで貰ってたけどクビになった
もう10年以上名前を聞いてない
>>175
大国町に新野商店というタバコ屋があったっけ Oh A・B・C ヤングリークエースートー byキダ・タロー ラジオ聴くなら〜 ラジオ大阪〜
面白くって 楽しくて〜
ラジオ大阪OBC
ラジオ聴くなら〜 ラジオ大阪〜
いつ〜もみんなの人気者〜
ラジオ大阪OBC
お茶の間 寝室 おだいどこ〜〜
車の中でも ラジオ大阪〜
1314OBC ラ〜ジオ大阪OBC〜
1314OBC ラ〜ジオ大阪O〜B〜C〜〜 深夜ラジオのチューニングいじってたら時々何語かわからない言葉が流れてきて怖かった思い出 千房でぬかるみ焼きくださいっていうと
スペシャル焼きか何かが割引されるっていうの今もやってる? >>77
谷村新司とばんばひろふみ時代のヤン金の名物といえば18歳未満立ち入り禁止のコーナー
当時を振り返るとポコチンのハガキ職人が書くポルノ妄想を聞いてラジオで勃起してた人が多かったんやろなぁ >>181
北朝鮮からの、在日チョン工作員に指示をだす放送なんかも、あったんでしょね ヤンリクなんで終わったんだろう
その後のABCのあの枠はかなり迷走してたし 仁鶴(水)浜村淳(木)コメディーNo.1(土)の頃のバチョンはよく聴いてた
日曜に桂春之助がやってたのも好きだった
浜村淳が土曜に移って以降だったか、OA中に千日前デパート火災の一報が入り、現場からの悲惨な実況やスタジオとのやり取りを痛たましく聴いてた
コッキーポップのあとに文珍の「傘張り日記」という受験浪人生向け番組も好きだったわ >>184
ヤン金といえば、関東四文字発言で一時期干されてた松本明子が出てたな
あと、思い込んだら聞き込んだらのコーナーが好きやった
後にタモリが空耳アワーで同じようなことやってたけど、こっちのほうが元祖で、なおかつ下ネタ中心だった サイキックの終了は一生忘れられない
放送予定だったのに急に終了だったからな ハッピートゥデイのBGMで流れてた高中正義のMALIBU好き 谷村新司のセイヤングのネタ
一人暮らしをしている若い男性。暇を持てあました時に目についたのが乾電池。
「これ、お尻に入るかな?」
ズボンとパンツを脱いで実際にやってみると、なかなかにフィットする、と思った瞬間、シュッとお尻の中に入ってしまった。焦った青年は、手を変え品を変え電池を出そうとした。
そうこうするうちに、片足を机に乗せてリラックスすると電池が降りてくることが分かった。ただ手で掴もうとすると、スルリとお尻の中に逃げていく。
こうなれば持久戦だとばかりに、机に片足を乗せて目を閉じて全身脱力していると、ようやく電池がコロンと出てきた。ホッとした青年が目を開けると、そこには青ざめた彼女が立っていた。ドン引きした彼女に対し、青年は精一杯の言い訳。
「……今まで黙ってたけど、俺……、本当はロボットなんだ」 >>77
ヤンタン日曜日の西川のりおが出てくるってことはもしかしてS45〜S48の団塊ジュニア世代か? >>187
1980年代に入ってからはMBSのヤンタンほぼ一人勝ち状態だったから ヤンタンでパーソナリティやって、ヤンリクの歌歌った松原みき
オチはないけど思い出したんで書いてみた >>194
細かいけどS45は団塊ジュニア世代に含まれるの? >>190
サイキック終了の際は、
リスナーからの反発を恐れて、
ABCラジオのwebサイト全体を週末落としたからな。
(サイト上の番組表を閲覧させない為)
まあ当日の新聞のラジオ欄で薄々予想はしていたけど、
まさか1時間45分まるまるフィラーとアナウンスで埋めるとは
思わなかった。 松原みきとあと1人とで当時ニューミュージック三人娘なんて言われてた横山みゆきもヤンタンのレギュラーだったな
凄く普通の娘さんって感じの人で、弟が芸能界入りに大反対だったなんてエピソードを番組内で話していた
デビュー曲がアリスの「秋止符」で結構力入れられてたんだがブレイクには至らず、数年後にGOROかなんかでヌードになってるのを見たときは、弟さんのことを思い出して胸が痛んだ >>202
平成初期にさんまが「ヤンタンの灯を消える(何十年も続いた番組打ち切り)
のは嫌だ」と自身が復帰することで 番組存続させてから約30年
当時、番組継続のためにさんま自身が個人でラジオスポンサー
連れてきた。それがアップフロントで長年の太いスポンサー 正直ラジオ大阪って、俺が大阪にいた頃、(平成初期)から影薄かったけど、今はもっと醜い事になっているのか?
と >>204
ヤンタンとアップフロントは番組開始当初のヤングジャパンの時代からズブズブの関係でしょ >>152
アシの木村寿恵(江?)さん、美人だった印象が。
映画のエクソシストや色んなオカルト話、怖いけど聴いてしまってたな。
特撮やアニメソングのリクエストでレコードかける(!)時、スタート!→ 録音出来るように数秒間を空けてくれてた。 >>77
年代によって違うけど
水曜日の原田のぶりんだけは
ずっと変わらないんだよなあ >>206
大ナベさんMBS退職してアップフロントの役員になってたからな ヤンリクの おとど消しましょう の「おとど」がわかんなかったな。 スジャータ♪ スジャータ♪
はなてん中古車センタ〜♪
あなた元気?わたし近畿
モーリス持てばスーパースターも夢じゃない >>205
11月23日のイベントの時だけ存在感を発揮するラジオ局のイメージ
まだ平成初期はOBCブンブンリクエストとかサタデー・バチョンとかやってて
存在感はあったんだけど
あと近鉄バファローズ・ナイターのイメージだったが・・ >>215
ホットドッグプレス!
ってのが印象に残ってるなあ やーんたーんおぶえむびーえす!
やーんたーんやーんたーん ワシ(57歳)が初めて、深夜ラジオというモノに接したのが12歳の頃、朝日放送「ハ〜イ、浜村順です」でした。自然に「ヤンリク」を聞く事になる >>222
映画コーナーと怪談コーナーは思い出深い
浜村さんの破綻なく語る怪談は染み入るような怖さがあったなー >>224
岩崎宏美「万華鏡」のコーラスに、霊の声が入ってるという話は、この番組で聞いた記憶が‥ ヤンタン聞いた後で、ラジオ短波で大学受験ラジオ講座-> 百万人の英語-> ニュースオールナイト聞きながら就寝、が平日の日課だったな
塾もない田舎で進学校でもなかったので助かった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています