バブル直前の1980年代半ばに社会現象と言っていいほどのブームを巻き起こしたチェッカーズ。『NHK紅白歌合戦』に9年連続出演を果たし、TVの音楽番組『ザ・ベストテン』(1984年)にデビュー曲「ギザギザハートの子守唄」、「涙のリクエスト」、「哀しくてジェラシー」の3曲が同時にランクインしたことがあるほどだ。アイドルでありながら(本人たちも1992年の解散までアイドルというスタンスを貫いた)、ロックンロール育ちのルーツを感じさせ、ゴスペルから派生したドゥワップコーラスを取り入れたスタイルは当時のアイドルシーンにはない斬新なものだった。

昨年2019年には元チェッカーズの武内亨(ギター)、大土井裕二(ベース)、藤井尚之(サックス)が結成したバンド、アブラーズのライブに藤井フミヤがゲストで登場し、「涙のリクエスト」などを歌ったサプライズがファンを驚かせた。今回、全盛期のチェッカーズが出演した人気音楽番組「ザ・トップテン」、「歌のトップテン」がホームドラマチャンネルにて放送される。誰もが1曲は口ずさめたであろうチェッカーズが起こした現象とその実力とは?

■同性にも支持されたチェッカーズ

1983年にデビューしたチェッカーズは楽曲のみならず、ファッションも当時の10代、20代に大きな影響を与えた。チェックの衣装は初期の彼らのトレードマークでボーカルの藤井郁弥のテクノ風で前髪が長いヘアスタイルは、多くの男子が美容室に写真を持っていって「こんな感じにしてください」と真似したほどのモテカットだった。ちなみに当時のアイドルシーンといえば女子では松田聖子、中森明菜が大スター。松田聖子のブローが決め手の髪型も多くの女子たちが聖子ちゃんカットになるというほどの現象を巻き起こしたが、偶然ながら松田聖子も藤井郁弥も福岡県久留米市出身で同じ1962年生まれである。

藤井郁弥と藤井尚之は実の兄弟で今の時代ならイケメン兄弟と言われていたこと間違いなし。「かわいい!」「カッコいい!」と女子から騒がれながら、男子からもチェッカーズが人気だったのはどこか不良の匂いを放つ彼らの存在感と気どりのなさ、つまりストリートの魅力を感じさせるアイドルグループだったからかもしれない。

■バンド活動を経験したからこそのチェッカーズのポップで尖った魅力

そもそもチェッカーズがアイドルの型にハマっていなかったのは彼らのルーツにも関係がある。7人中、ほとんどのメンバーがバンド経験者。藤井郁弥が中学生の頃に矢沢永吉が組んでいたバンド、キャロルの解散コンサートを映像で見て衝撃を受けたのは有名な話だが、メンバーは歌謡曲以外にロカビリー、ロックンロール、モータウン、R&Bなどの洗礼を受けて、チェッカーズ結成に至ったのではないだろうか。彼らは日本人として初めて円形ステージ(大阪城ホール)でのライブを行ったグループでもある。

今回、オンエアされるヒット曲「ジュリアの傷心」(1984年)はロックバンドを数多く輩出した九州出身のバンドらしいビートのキレやギターのストローク、絶妙なところで入ってくるサックスなど彼らのバンド力を感じさせるナンバー。シングルとしては初めてメンバーの手によるオリジナルのA面曲となった「NANA」(1986年)は当時、郁弥の歌詞が刺激的すぎるという理由でNHKで放送禁止になったことがある曲。彼らの音楽ルーツが垣間見えることだろう。

8/21(金) 17:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f8b32411e497a454e2203c4d9db1444eb81ea43
https://i.imgur.com/fq2y6ro.jpg