IN : 淵上本人も言ってましたが、まず人間として、素晴らしいパーソナリティを持ったジェントルマンでした。世界王者とはこうあって欲しい、と感心するような選手。物腰は柔らかく、本当に紳士的でした。ただ、公開練習でシャドーを見て、「やっぱり強い。淵上はどれだけやれるかな」とは思いました。リング上のゴロフキンからはオーラというより、圧を感じましたね。
ーー付け入る隙を見つけるのは難しいと思いましたか?
IN : 強さを感じた一方で、減量には苦労しているんじゃないかなとも思いました。ゴロフキンは「5回以内に終わらせる」とメディアには話していたんですが、僕たちは早く終わらせたいだけなんじゃないかと勝手に解釈してました。これは後でわかったことなんですけど、実際には淵上は「仮想セルヒオ・マルチネス」ではなく、この日に対戦する相手がなかなか見つからず、ぎりぎりになって選ばれた対戦者でした。決定から本番まで日がなかったので、ゴロフキンも調整不足なんじゃないかなと。一方、淵上は前の試合でほとんどノーダメージだったので、コンディションは上々。そんな背景もあって、「何かを起こせる」という期待感を持って臨んだんです。
IN : 淵上の初回の入りは良かったと思います。パンチも多少は当たっていましたが、5回以降が勝負だと思っていたので、まずは当てるよりもしのぐのが目的でした。ただ、初回の残り10秒くらいでフックをもらい、淵上は眉を切ってしまった。淵上がカットしたのはあれが初めてで、出血は目に入るくらい深いものでした。
ーーあの出血以降、戦況は一気に悪い方向に進んで行きました。
IN : 淵上のボクシングの長所は、くねくねと動けるところ。おかげで相手はパンチを打っても手応えがなくて、本人が思っている以上に消耗させられるんです。ゴロフキンもそのパターンで焦らせられればと思っていたんですが、目を切ったことでプランは吹き飛びました。血が流れ、その後もガンガン攻めてこられたので、淵上はこれまでで一番というくらい距離が取れませんでした。その結果、身体がほぐれる前にパンチを芯でもらってしまい、3ラウンドに力尽きたという感じです。
IN : 第1ラウンドもあと10秒くらいだったと思います。そこで目を切ったパンチさえもらわなければ、初回さえ乗り切れていれば、としばらくずっと思っていました。あと、カットマンを現地に連れていかなかったことを後悔もしました。優秀なカットマンの先生がいたんですが、予算がギリギリだったこともあって、同行してもらえなかったんです。そういった後悔がずっとあったんですが、その後、ニューヨークでゴロフキンがガブリエル・ロサド(アメリカ)と戦った試合で、ロサドが血塗れになっているのを見て、「ああ、そういうことか」と気持ちがすっと落ち着きました。ロサド戦を見て、「あの切れるパンチは偶然ではなかったんだ」と思ったんです。
ーーもともと勝機のないミスマッチだったという批判について、言っておきたいことはありますか?
IN : 日本に戻った後、記者さんたちに囲まれた時にも「ミスマッチだったんじゃないか」という質問はされました。その時に、僕は「言い訳だと思われるかもしれませんが、みんなに覚えておいて欲しいんです。淵上が戦った相手は想像以上の化け物でした」と話したんです。初めての世界戦ではあったんですけど、戦ってみて、ゴロフキンは普通のチャンピオンではなかったという確信はありました。その時点で、パウンド・フォー・パウンドでも上位に入っていたセルヒオ・マルチネスよりも確実に強いと思いました。だから、その後にゴロフキンがアメリカで旋風を起こしても驚きはありませんでした。以降、僕たちの中の“世界の基準”もゴロフキンという高いレベルになったんです。
IN : もともとうちの海外進出のきっかけは、スーパーフライ級で新人王になった野崎雅光が2011年4月にカネロ・プロモーションズと共同契約を結んだことでした。海外の会社との共同プロモーションは、日本人選手では野崎が初めての例だったんじゃないかなと思います。その後、メキシコでの野崎のキャンプには荒川も連れて行き、カネロがアルフォンソ・ゴメス(メキシコ)と対戦する際にはチャーリーがスパーリングパートナーを務めたりもしました。野崎、荒川、チャーリー、淵上という4選手の道のりはすべてが結びついていたような気もします。