【野球】 高校野球黄金時代を振り返る! 第1章 アイドルの系譜
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森本栄浩 | 毎日放送アナウンサー
4/15(水) 16:13
センバツ中止が決まって1か月余り。心機一転、夏に向けてスタートしようと選手たちは張り切っていたはずだ。しかし、「新型コロナウイルス」の勢いは、収まる気配すら見せない。6月には沖縄や南北北海道で夏の地方大会がスタートする。休校が続く高校現場では、野球部の活動もまったく見込めない状況で、夏の甲子園開催も懐疑的になってしまう。そんな時だからこそ、高校野球の歴史を振り返ってみたい。(文中敬称略)
「高校野球黄金時代」とは?
この言葉に定義はない。あるアンケートで、「あなたが思う最高の名勝負は?」という質問に、年齢層によって大きな差があったのと同じだ。それは、リアルタイムで見ていたかどうかにかかる。30代以下の若い読者にとっては、1979(昭和54)年の箕島(和歌山)−星稜(石川)の延長18回は、単なる「伝説」にすぎない。松坂世代を見た人なら真っ先に、横浜(東神奈川=当時)−PL学園(南大阪=同)の延長17回の死闘を挙げるだろう。
昨年の星稜−智弁和歌山を見て、高校野球に魅了されたファンもいるはずだ。したがって、現在が「黄金時代」と感じている人がいてもおかしくはない。100年を超える歴史を持つ高校野球にはさまざまな転機があり、多くの人がそれを「黄金時代」の起点と考える。
甲子園アイドル1号は太田投手
「黄金時代」を語る上で、切っても切り離せないのが甲子園の「アイドル」である。現在58歳の筆者は、アイドルの存在がファン層を広げる大きな要因だと思っている。筆者にとっては、アイドル誕生が、「黄金時代」の起点となる。その第1号が、1969(昭和44)年夏の三沢(北奥羽=青森)のエース太田幸司投手(近鉄ほか)だ。当時から高校野球は人気があり、甲子園は常に多くのファンで埋まっていた。それでもやはり野球ファンの中心は成人男性で、高校野球も例外ではなかった。
当時小2の筆者も、野球好きの祖父、父とプロ野球のナイターはよく見ていたが、それまでに高校野球を見た記憶はない。端正なマスクで、強豪と互角に渡り合った北国のエース太田は、たちまち女性ファンを虜にした。その三沢と松山商(北四国=愛媛)の延長18回引き分け、さらに再試合は、周囲が大騒ぎしていた記憶があり、幼心に「高校野球は面白いのか」と感じた。
箕島・島本に感じたドラマ性
その直後の大会は1970(昭和45)年のセンバツ。ちょうど50年前になる。この大会は、大阪万博の開催とも重なり、万博と甲子園をセットにして訪れる遠来のファンが多かったと聞く。箕島と北陽(現関大北陽=大阪)の近畿勢同士による決勝は、延長にもつれ込む大熱戦となり、箕島がサヨナラで初優勝した。サヨナラ打を放った島本講平(南海ほか)はエースでもあり、テレビは大写しで島本の表情をとらえていた。
色白で悲壮感を漂わせた太田とは対照的に、島本には子どもたちが憧れるようなたくましさがあった。優勝インタビューで涙する姿は、マウンド上とあまりにも対照的で、高校野球のドラマ性を初めて実感した。筆者が本格的に高校野球を見たのはこの大会からである。
「父子鷹」の原は定岡と死闘
この二人の「コーちゃん」に続くアイドルが、現巨人監督の原辰徳(東海大相模=神奈川)だ。1974(昭和49)年夏、名門の1年生5番打者としてデビューした原は、父の貢監督との「父子鷹」としても話題になった。筆者はこの大会の盈進(広島)との試合を甲子園で見ている。ただし、原が真のアイドルとして認知されるのは翌年のセンバツからで、この大会では1大会限定?のアイドルに惜敗する。準々決勝で当たった鹿児島実には、定岡正二(元巨人)という美男のエースがいた。
ナイター照明の中での死闘は語り草で、この試合を前に甲子園をあとにしていた筆者は、いまだに惜しいことをしたと後悔している。この時点では、定岡の人気が原を上回っていた。原監督は、5年前の夏、父・貢氏の育成功労表彰に代理で出席した際も、「定岡さんに負けたあとの帰りのバスで、絶対にまた来ようと思った」と懐かしそうに語っていた。
===== 話しが長いので省略 =====
全文は下記URLで
https://news.yahoo.co.jp/byline/morimotoshigehiro/20200415-00172558/ 美作騒擾(みまさかそうじょう)の地「岡山県美作市を歩く」( ´Д`)y━・~~
http://edokriko.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8304704 馬鹿やきうファンの洗脳が解けないように必死だな
所詮インチキ似非スポーツなんだから諦めろ ま〜た、、荒らしが暴れまくっているぞオ〜〜。
最近は特にひどい。
荒らし根絶のため事務局は即刻こいつらを遮断すべし。 野球偏重で健全たるべきスポーツ界が野球部的な上下関係・先輩尊重風に
染まりパワハラ・セクハラ風潮が学校スポーツ界から世間に蔓延してしまった。 高校サッカーも毎年甲子園に負けないくらい盛り上がってるのにメディアは相手にしてくれない差別がひどい >>13
高校サッカーの黄金時代は東海大一が優勝した頃 真のアイドルは横浜高のあいつじゃなく
愛甲さんです 怪物感のないアイドルといえば
太田幸司、バンビ坂本、定岡正二 80年代以降の甲子園の注目選手
【80】愛甲(横浜)
【81】荒木(早実2年)
【82】荒木(早実)
【83】水野(池田)
【84】桑田&清原(PL学園2年)
【85】桑田&清原(PL学園)
【86】近藤真(亨英)
【87】立浪(PL学園)
【88】前田幸&山之内(福岡第一)
【89】元木(上宮)
【90】内之倉(鹿実)
【91】上田(松商学園)
【92】森尾(西短)
【93】平井(宇和島東)
【94】嘉勢(北陽)
【95】福留(PL学園)
【96】今井(松山商)
【97】川口(平安)
【98】松坂(横浜)
【99】森田(岡山理大)
【00】香月(柳川)
【01】寺原(日南学園)
【02】森岡(明徳義塾)
【03】ダルビッシュ(東北2年)
【04】ダルビッシュ(東北)
【05】平田&辻内(大阪桐蔭)
【06】斎藤祐(早実)・田中(駒大苫小牧)
【07】中田(大阪桐蔭)・佐藤由(仙台育英)
【08】坂口(智弁和歌山)
【09】菊池(花巻東)
【10】島袋(興南)
【11】歳内(聖光学院)・松井裕(桐光学園2年)
【12】藤浪(大阪桐蔭)
【13】安楽(済美2年)
【14】岡本(智弁学園)
【15】清宮(早実1年)
【16】寺島(履正社)
【17】山本(広陵)
【18】吉田(金足農)・根尾&藤原(大阪桐蔭)
【19】奥川(星稜) >>26
【99】森田(岡山理大)
この年は試合あまり見てなかったので知らんかったが、甲子園で特大ホームラン打ったのか
調べたら現在は尼崎でたこ焼き屋やってるらしいな >>6
ろくな歴史のないクソ玉蹴りなんざ
ファンの思い入れも思い出も何もないもんなw >>26
ゴジラ松井がいないとかありえんやろwwww >>26
複数ありなのに2年1人とかあり得んやろ
歳内レベルがありなら
普通に金村工藤が入るに決まってるだろ >>26
99年は超軟投派三橋率いる水戸商が準優勝とか、
前年の松坂世代と比べたら急激にレベルが下がった印象 池田打線もストレートとカーブだけの桑田に通用せんかったな 温厚な父が怒鳴ったのは三沢の決勝戦の最中に店に客が来た時だけってナンシー関が言ってたような・・・ >>30
松井は確かに注目はされてたけど
春夏通じてホームラン打った相手なんて120km台の球速しかない有象無象の投手ばかりだったからな
唯一プロ注目投手だった堀越山本からも打ったのは120km程度の球
ボロが出る前に敗退出来た上に明徳が勝手に伝説にしてくれた感じ
はっきり言って対戦してたら森尾も平井も安達も打てんかったと思うわ >>37
松井の頃は投手受難の時代で森尾くらいしか好投手がいなかった
有名な広島スカウトは1988年の津久見川崎から、1998年の松坂登場までの10年間は、
川崎、松坂らに匹敵するような速球投手は一人もいなかった と語っていた >>38
本当そうなんだよな
松井の代の甲子園の選手って歴代最下位を争うんじゃないかというくらいの不作だった
ドラフト指名されて実績残せた投手がただの1人もいないという有様
そもそも指名自体がほぼ皆無の状態
上に挙げた堀越のドラフト4位くらいで指名されたけど
一軍登板なしのまま解雇 >>38
そう、89年から97年が
高校野球が国民的娯楽の座から滑り落ちた
下り坂、冬の時代
団塊ジュニアのピークから急激に崩れたのが凄い
つまり子供の数とレベルは必ずしも直結しないことが証明された
88年がギリギリセーフみたいな書き方だが
高校野球史上平均レベルの高さならダントツ歴代1位の87年と比べると
相当落ちた印象だった
ドラフト1位に高校生が多かったのは大学4年が丙午だからそこは多少考慮の余地はある 夏の甲子園組だけで考えたら
1位1987
2位1998
3位1983
かな
まあ1973とかはまた別ね
21世紀に入ってからは意外と黄金世代がない
逸材が世代に散らばってる反面プロのスター目白押し世代がない
あと1970年代後半は甲子園止まりが多くて美化されてる 56歳の俺が最初に見た甲子園のアイドルは原辰徳
甲子園がジャニーズのライブ会場みたいになった
普通甲子園の歓声は「ワーーッ!」て感じだが、原が出てくると「キャーーッ!」っていう黄色い歓声になった 荒木大輔って今見たらイケメンでも何でも
ないじゃん。 >>37
松井をネット裏の5列目くらいで見てたけど、スイングが早いのが素人にも分かった >>21
おー! 三浦を知ってるとは
足が長くて格好良かったが優勝には
縁が無かったね
池田PLと相手してたからなあ >>44
あ、報知新聞社刊の「高校野球」に出場校のエースの球速が毎年載ってたけど
当時の高校生のカーブの平均球速は115〜118kmあたりだったから120kmくらいと書いた。
紛らわしくて申し訳ない。
そしてその注目投手の1人とされてた山本のストレートはMAX135km・・
大不作。 全試合を全国ネットで生放送するようになったのは
荒木大輔から
その前は午前中はローカル枠で地元が出ないと見れなかった >>48
荒木大輔の少し前から見てるが、自分は大阪だけど
NHKは全試合、夏は朝日放送が昼のアフタヌーンショーと徹子の部屋以外中継
18時のニュースの時間まで遅くなると終了だったかな?
いつ頃からか朝日が中断する昼は、サンテレビがリレー中継するようになった
春は毎日放送が同じように昼以外中継だったが
済美が初出場初優勝した年から、準決勝と決勝しか中継しなくなった
この年の決勝は雨で試合時間が3時間ほど遅くなり、毎日は結局決勝の中継しなかった あの当時で白人ハーフで甲子園のヒーローだからそりゃ人気出るわ
周りはジャガイモみたいな球児しかいないんだから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています