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2020/04/18(土) 01:00:34.19ID:WEP+S8k/9「あっという間だった。退院できないイコール死。それと向き合わないといけなかった」と振り返った。
2月28日から会議出席などのため英国やオランダ、米国に出張し3月8日に帰国。体に異変を感じたのは14日だった。16日に保健所に相談して向かったのは東京都内の感染症の指定病院のひっそりとした裏口。
完全防護の看護師に、診察室へ連れて行かれた。聴診で肺炎の兆候があり、X線撮影とCT検査を受けた。「肺炎と聞き衝撃を受けた」。陽性を覚悟した。PCR検査を行い、入院した。
翌日に陽性が判明。入院した部屋は陰圧室で、トイレとシャワーが備わり、窓は開けられない。入院後1週間はほぼ一日、点滴治療。退院まで打ったのは3種類で、薬は1日2回服用した。
医師からは「点滴、薬がきかなかったら、人工呼吸器でサポートするが『最後は自分の免疫で闘ってもらうしかない』と言われた」という。
入院生活は「不安だった」。入院してからの1週間は体温が上下。1週間経過すると会った人たちに症状が出ていないか心配だった。「周囲の方々、家族が感染しなかったのが一番良かった」
3月29日には、コメディアンの志村けんさんが亡くなった。「せつなさ、あっけなさを感じた。自分がそうなってしまうのではないかという気持ちもほんの少しかすめた。やるせなくて、身につまされた。
志村さんの家族の気持ちを思うと、人ごととは思えなかった」と話す。
家族の了解を得て、国内では初めて感染を公表した。「公表する難しさを感じている。ただ、私は公人。公表しなければいけないと思っていた。悔いもない」と言う。
4月2日に退院。17日ぶりに外の空気を吸った。「帰ってきたんだな」。スーツケースを引きながら、約30分間歩いて経過観察先へ向かった。今は窮迫する医療現場の危機、そして医療関係者への偏見を強く感じている。
「スポーツ界はいつも応援してもらっている。今度は医療の最前線で闘っている方々を私たちが応援する番だ」と語った。
4/17(金) 20:55配信 毎日新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200417-00000097-mai-socc
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