【追悼】志村けんさんが夕刊フジに遺した言葉集「オレもいつか、喜劇役者と呼ばれる、職人になりたい!」
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新型コロナウイルスによる肺炎のため、29日に70歳で急逝したコメディアン、志村けんさん。その存在の大きさが改めてクローズアップされているが、夕刊フジで2001年から約2年間にわたって連載した「志村けんの人生だいじょぶだぁ〜」でその思いを包み隠さず言葉にして残していた。
コメディアンとしてコントについてこう語る。
「サッカーと同じでチームワークなんですよ。とくにドリフターズは、基本的に誰が受けたということよりも、最終的にド〜ンと大きな笑いをとるために、みんなが平気で捨て石になった」(02年6月18日発行)
志村さんを語る言葉としてよく使われるのが『真摯』『謙虚』『まじめ』。芸に対する向き合い方については、尊敬する“喜劇役者”として三木のり平、伴淳三郎、由利徹の名前を挙げる。そこに感じているのは“職人”のにおい。
「オレもいつか、喜劇役者と呼ばれる、職人になりたい!」(02年6月25日発行)
志村さんの代名詞でもある数々のギャグ。それが生まれたきっかけについても語っている。
童謡「七つの子」の替え歌「カラスの勝手でしょ」は当時、PTAから苦情も寄せられたが、今でもしっかりと子供たちのなかに息づいている。
「元々は近所の子供が、『♪カ〜ラス、なぜ鳴くのぉ〜、カラスの勝手でしょ』って歌っていたのを、『ヘェ〜、こりゃ面白いな』と、すぐパクらせてもらったのが始まり」(02年7月30日発行)
志村さんのものまねといえば、必ず使われる「アイーン」の誕生秘話はこうだ。『8時だョ!全員集合』のコントで、いかりや長介に怒られたとき、「逆にこっちが『何だよぉ!』って、刃向かっていく時にやったり。ただ、オレその時、『アイ〜ン!』って言ったかどうか、ハッキリ覚えていねぇんだよなぁ」(01年7月10日発行)というのだ。
多くの女性と浮名を流しながら、最後まで独身を貫いた理由はこう明かす。3年間以上同棲した彼女に別れ間際、財産の半分を持っていかれるという手痛い体験をしたというのだ。
「だからオレ、やっぱり結婚できないよ」(01年7月31日発行)
「バカ殿」などで共演した田代まさし(63)についても義理堅い一面をのぞかせていた。
「あいつと、もしもう一度一緒にコントをやれる時期が来たら、そんときはオレ、『バカ殿』で、あいつのことをボロボロに言っちゃって、一回はそのコトを、オレの方で笑いにしちゃった方がいいんじゃないかと思ってるんだよね」(01年4月17日発行)
コント台本を書くストレスについて語ったときは、こうまとめていた。
「お笑いやってる人間が寿命を縮めちゃ、シャレにならないもんね」(01年4月24日発行)
コロナで寿命を縮めちゃ、もっとシャレにならないじゃないですか。
2020.4.2
https://www.zakzak.co.jp/smp/ent/news/200402/enn2004020006-s1.html
https://www.zakzak.co.jp/images/news/200402/enn2004020006-m1.jpg
真のコメディアンだった 飲み歩いて感染した志村
合コンして感染した藤浪
随分扱い違うよなw >>5
ずっと面白かったらお笑い番組レギュラー深夜1本なわけない
30年前に終わった人 志村が喜劇役者じゃなきゃ日本の芸能界で誰も喜劇役者になれない
ずっとコントやり続けてる内村とかですらもこの先一生喜劇役者とは名乗れまい >>5
お前の中ではそうだったんでしょうねwwwwwwwwwwwwwww 他の人は知らんけど
オレの中では立派な喜劇王だよ
ありがとう志村 >>2
晩年はコントにかこつけてセクハラしてた人というイメージ 志村けんの肩書きがお笑い芸人だと違和感あるが、コメディアンだとスッキリする >>10
・年に3(バカ殿)+1(だいじょぶだ)本のゴールデン丸2時間
・司会等でない純お笑い番組を週レギュラーでも持っている芸人が他にどれだけいるのか
さすが知恵遅れのバカニート様は違う >>8
カラスの勝手でしょーも最初はグーもそうだけど志村は使わせて貰ったと昔から言ってる >>19
つまんねーから週レギュラー持てなくなったんだろ
テレビで見なくなって死亡説も出たくらいだしな 本物のお笑い芸人と言えるのは
志村けんただ一人
さんまとかマジでくだらない 少なくともここで故人叩いていきがってる輩よりは遥かに偉大な人だと思うよ。 >>17
セクハラしても許された最後の変なおじさん >>1
なに言ってんだこいつ
2002年ならとっくになってんだろ >>20
さっきアイーンもしゃくれた芸者のマネしただけって記事読んだw 俺の中ではチャップリンとかキートンに匹敵するくらいの喜劇王だけどね お笑いして、酒飲んで、コロナでサヨナラ。
そんなに悲劇的じゃない気もする。
好きな事やって亡くなった。 >>18
お笑い芸人と言う言葉の持つイメージが「雛壇」とかそんなんになっちゃったもんねぇ
今大物芸人になってる人達のネタあんまわかんないな >>15
テレビだけの人
三木のり平、伴淳三郎、由利徹は舞台映画テレビで活躍した 今は喜劇役者も漫才師も舞台じゃないと見られない
テレビに出ているのは『芸人』と名乗る『タレント』
タレントという言葉に抵抗があるから芸人とかいうもっともらしい名を名乗っているだけ いかりやさんが逝った後は舞台もよくやったね
ありがとうございました 合掌 芸人が政治に口出したりご意見番化する中、この人は最期までそんなことはしなかった。
まさに職人で他の芸人とは一線を画す別格の存在だった。 合う合わないはある
自分は加藤茶の居ない志村には馴染めずフジの
だいじょうぶだあはあまり見なかった >>33
視聴率50%とかだからね
真のオバケ番組 >>39
志村はずっと舞台公演やってたんだが
その時に「座長が多めに持っていくのは当たり前だ」
といかりやと和解する気持ちになれた たけしでもまっつんでも芸人としては終わったなあと感じたことあるけど志村には最後までガッカリさせられなかった >>47
わかるわ。
今はたけしも松本もお笑いでクスリとも笑えなくなったけど、志村けんは全盛期から比べたら若干マンネリが入ったかなとは思ったが確実に笑えたからな。
コメディアンって堂々と名乗れる稀有な存在だったよな… 手元に夕刊フジ2015年正月特別号が置いてあるけど
「妖怪ウオッチ」で声優挑戦したときのインタビュー記事が載ってるな・・ >>49
たけしはさすがに年取ったと思うけど、
松本は面白いと思うけどな。 >>1
大先輩の植木等は入ってないんだな
幻の映画「本日ただいま誕生」見た後なら絶対入ってたろう
>>33
子供に大人気だったが当時のPTAが問題にするほどの
下品なコントのオンパレードだった
その分父親世代に受けてたのが荒井注 >>53
まぁでも志村に代わってなかったらドリフもクレージーキャッツみたいに急速に人気が衰えてたかもね。
志村けんが板からこそドリフは昭和で終わらず平成の子供たちにまで愛された。 お笑いBIG3とは別枠の、孤高で至高の人
テレビタレントのイメージが強いけど、舞台も務めていた 晩年はMCの仕事しかしてない大物達とは一線を画する本物の芸人 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています