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【音楽】新型コロナウィルスの影響で訪問客が激減している間に、アビイ・ロードの横断歩道で補修工事が完了
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0001湛然 ★
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2020/03/26(木) 22:55:08.04ID:gm00A4Jo9
新型コロナウィルスの影響で訪問客が激減している間に、アビイ・ロードの横断歩道で補修工事が完了
Published on 3月 26, 2020
https://www.udiscovermusic.jp/news/abbey-road-zebra-crossing-refresh
https://www.udiscovermusic.jp/wp-content/uploads/2020/03/Beatles-Abbey-Road-Crossing_1585206629331.jpg

Leon Neal
@tabascokid
https://pbs.twimg.com/media/ET5V-YOXYAYxJLd.jpg
https://pbs.twimg.com/media/ET5V-clXQAgw4fM.jpg
https://twitter.com/tabascokid/status/1242525090249682945


世界各地で自己隔離や社会距離戦略が実践されている中、ザ・ビートルズのアルバム『Abbey Road』のジャケット写真で知られるアイコニックな横断歩道をはじめ、ロンドンの多くの観光スポットから人影が消えている。

世界各地で自己隔離や社会距離戦略が実践されている中、ザ・ビートルズのアルバム『Abbey Road』のジャケット写真で知られるアイコニックな横断歩道をはじめ、ロンドンの多くの観光スポットから人影が消えている。

一方で、歩行者の通行量が激減したことにより、ロンドン市はようやくアビイ・ロードの横断歩道に補修工事を施し、新たに塗り直されたペイントによって美しく蘇らせることができた。

普段はビートルズ・ファンや世界中からの観光客で賑わいを見せているこの横断歩道だが、アビイ・ロードに設置されている定点カメラからもご覧いただけるように現在は驚くべき静寂に包まれている。

(以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0002名無しさん@恐縮です
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2020/03/26(木) 22:56:15.68ID:EdUvcCDs0
>>1
ビートルズってぶっちゃけ、どこが凄いバンドなの?実は過大評価じゃないの?
0005名無しさん@恐縮です
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2020/03/26(木) 22:59:28.37ID:2gZgDiOY0
if28
0008名無しさん@恐縮です
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2020/03/26(木) 23:09:50.79ID:VFAznYZk0
東京完全封鎖してその間に首都高改修工事したらいいんじゃないか
0009名無しさん@恐縮です
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2020/03/26(木) 23:35:20.28ID:MBmpzaJF0
ポール死亡説(ポールしぼうせつ、英語: Paul is dead)は、イギリスのロックバンド、ザ・ビートルズのポール・マッカートニーは1966年に死亡しており、ひそかにそっくりさんと入れ替わっているという都市伝説である。

1969年9月にアメリカの大学生がビートルズの楽曲中の歌詞やアルバムカバーに、ポール・マッカートニーが死んでいる( Paul is dead )ことを示す証拠がみつかると主張する新聞記事を執筆した。
熱狂的な証拠探しが広く行われ、数週間のうちにこの噂は国際的な現象となった。
1969年11月の「ライフ」誌にポール本人のインタビューが掲載されて以降は勢いも衰えたが、その後ポップカルチャーにおいて時折この伝説に言及した作品がみられるようになった。

自動車事故でポールが死んだという噂は、1967年1月に彼の車を巻き込んだ交通事故が起こって以降、ロンドンで流れていた。
この噂自体はファンジンである「ザ・ビートルズ・ブック」の1967年2月号で扱われ、反論されているが[1]、これが1969年の噂と関連があるかはわかっていない[2]。
アルバム『アビイ・ロード』を出した直後の1969年の秋、ビートルズは解散に向けた動きの最中にあった。
当時のポールは公の場での仕事が少なくなっており、来たるべきソロ活動を見据えてスコットランドで新妻であるリンダとの隠遁生活を過ごしていた[3][4]。

1969年9月17日に「ビートルズの一人ポール・マッカートニーは死んでいる?」と題した記事が、アイオワ州ドレイク大学の学生新聞に掲載される。
この記事では、キャンパスにポールが死んだという噂が出回っている、という表現がされていた。
この時点で噂にはビートルズの直近のアルバムからの無数の手がかりが含まれていた。例えばホワイトアルバムの曲「レボリューション9」がレコードを逆回転させると「 "turn me on, dead man" 」と聞こえる、といったものである[5]。
早くも10月11日に配信されたニュースの中で、ビートルズの広報だったデレク・テイラー(英語版)はこの噂について反応を示している。
「最近ポールが死んだという知らせについて山のような問い合わせを受けている。
もちろんその手の質問は今年に限ったことではないけれど、ここ数週間は昼夜を問わず家や事務所でも聞かれるんだ。アメリカのディスクジョッキーとかそんな人たちからも僕に電話がかかってきたりしている」[6]。

1969年10月12日、デトロイトのラジオ局WKNR-FMに電話をかけてきた人間が、ディスクジョッキーのラス・ギブにこの噂とその手がかりの話をしている。
そしてギブとそのほかの電話主たちは、1時間かけて本番中にこの話題で議論を戦わせ、番組の2日後には「ミシガン・デイリー」紙がミシガン大学の学生フレッド・レイバーによる風刺的な『アビイ・ロード』のレビューを掲載した。
その見出しも「マッカートニー死す。新たな証拠が明るみに」というものだった[7]。
この記事では、ビートルズのアルバムカバーにおける様々な「手がかり」がポールの死につながるものと認定されており、リリースされたばかりの『アビイ・ロード』のLP盤からも新たな手がかりは発見されていた。
こうして大量の手がかりを考案したレイバーだったが、全米の新聞にこの話が取りあげられることは予想していなかった [8]。
さらにWKNR-FMはこの問題に関する2時間の特別番組「The Beatle Plot」を組み、噂を加速させた。特番は1969年10月19日に放送された(その後デトロイトのラジオ局で数年にわたって放送されている)。

1969年10月21日の早朝に、ニューヨークのラジオ局WABCのディスクジョッキーであるロビー・ヤング(英語版)は、番組の進行上やむを得ず中断するまで1時間かけてこの噂について議論した。
当時のWABCは38の州にまたがる広い聴取可能エリアを誇っており、時に国外でも聞こえることがあった[9]。その日遅くに、ビートルズの広報担当は国内外のメディアに幅広く取りざたされた噂を否定する声明を発表した。
様々な「手がかり」を駆使して語られたのは、次のような筋書きだった。
遡ること3年前(1966年11月9日)、ビートルズのレコーディング中に口論を起こしたポール・マッカートニーは怒りにまかせて帰りの車を走らせた。そして自動車事故を起こし、結果的に命を落としてしまう。
世間を悲しませないようビートルズは、代役にポールのそっくりさんコンテストで優勝した「ウィリアム・キャンベル」を立てることにした[10]。
0010名無しさん@恐縮です
垢版 |
2020/03/27(金) 00:22:50.52ID:LNXyCnFv0
あら素敵
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