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 3月19日は、1995年に亡くなった俳優・声優の山田康雄氏の命日です。アニメ『ルパン三世』で主人公のルパン三世役を務めるなど俳優・声優・タレントとして活躍する傍ら、声優の安いギャラを問題視し、再放送利用時にもギャラが支払われるよう働きかけるなど待遇改善に大きな功績を残した山田氏を追悼します。
中略

 なぜ、声優という職業が定着し、人気を集めているのか。そこに山田康雄氏という人物が大きく関わっています。

 TV番組の再放送は以前よりも少なくなりましたが、昭和40年代から50年代にかけては頻繁に行われていました。しかし再放送時には新規アフレコは行われないので、声優に入るギャラはゼロでした。

 当時の声優のギャラはもともとそれほど高くはありません。新人は1回の収録で3000円からのスタートです。『無敵鋼人ダイターン3』で主人公の破嵐万丈を演じた故・鈴置洋孝氏も「収録が終わってからアルバイトに行った。そちらの方が収入は良かった」というエピソードを語っています。

 声優が食べていけるようにするためには再放送時にもギャラがもらえるようにしなければいけないと考えた山田氏は、TV局に対し働きかけを行います。

 紆余曲折の末にこの運動は成功し、声優は再放送時のギャラを得られるようになりました。現在では新人は収録1回で15000円、再放送時には27000円と1.8倍のギャラがもらえるようになっています。

 山田氏の活動は声優が声優の仕事だけで食べていけるようにするためには必要なことでした。しかしTVタレントとしても活動していた山田氏にとって、TV局に対して物申すことは多分にリスクのある行動だったのではないでしょうか。山田氏や、当時共に立ち上がってくれた方々のおかげで、声優は職業として成り立つようになり、多くの人をひきつけ、現代のような盛況へとつながっているのだとしたら、山田氏こそが声優業界の生みの親のひとりである、筆者にはそのように思えます。

 1995年、山田氏が亡くなったというニュースが流れた時、筆者は「山田康雄さんが亡くなったの!?」「声優が亡くなったニュースがTVで流れている!」というふたつの驚きに見舞われました。

 今は声優が亡くなれば、すぐにニュースとなってSNSを飛び交います。しかし昔は声優や俳優が亡くなったとしても、出演番組の放送時に「XX役のXXさんがX月X日に亡くなられました」と画面上にテロップが表示される程度の扱いでしかありません。そのような光景を何度か見ていた筆者にとって、山田氏の死がニュースとして流れたことは大きな衝撃でした。それだけ、「山田康雄」という人物は偉大だったということでしょう。

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