0001臼羅昆布 ★
2020/03/07(土) 14:43:24.45ID:FtdLMTnA9http://npn.co.jp/article/detail/200001786
今月いっぱいでジャニーズ事務所を退所する中居正広。
独立後の個人事務所「のんびりな会」を登記したのは、2月19日だ。
15年にガンでこの世を去った最愛の父・正志さんの命日に当たる。
家族思いで知られる中居だが、父は別格。大好きな野球と出会わせてくれた張本人だからだ。
「幼いころから大のジャイアンツファンだった中居さんは、小学生のときに草野球を始めました。
神奈川県内で引っ越した後も、自転車で30〜40分かけて練習に通った結果、キャプテンになれたほどです。
きっかけは、正志さん。物心がついたときから、正志さんが観ていた野球中継を一緒になって観ているうちに、虜(とりこ)に……。
毎朝6時に起床して、朝のニュースを見て、素振りして、朝食を食べて、また素振りという日々を送るようになりました。
そのフォームを見た正志さんが、『うん。今の球はいい』と言ってから出勤するのが、日課になっていました」(女性週刊誌の芸能記者)
小学校から帰宅後、18時からナイターをラジオで聴き、19時からテレビ中継で観戦。
21時から再びラジオを聴いて、その後は素振り。小学生のころは、そんな毎日だった。
将来は、大好きなジャイアンツの選手になることが夢だったが、小学5年生のときにヒジを負傷。
家庭には、手術を受ける金銭的余裕がなかったため、野球の道を断念した。
14歳でジャニーズアイドルになったが、この“就職先”も野球と妙縁があった。
「ジャニー喜多川さん(故人)も野球好きだったんです。そもそも、ジャニーさんのお父さんである喜多川諦道(たいどう)さんは若かりしころ、
プロ野球球団“ゴールドスター”(ロッテの前身)のマネジャーを務めていたそうです。息子のジャニーさんは、1950年代後半から
米大使館軍事顧問団に勤務しており、このときに住んでいた東京・代々木の進駐軍宿舎で、付近の少年たちと野球チーム“ジャニーズ”を結成。
ある雨の日、野球の練習ができなくなり、少年たちとミュージカル映画『ウエスト・サイド物語』を観て衝撃を受け、野球チームのメンバーを選出して、
男性アイドルグループ“初代ジャニーズ”を結成したのです」(先の芸能記者)