【訃報】郷原洋行氏が死去 76歳 ダービー2勝などG1・10勝の名騎手
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G1級10勝を挙げるなど昭和から平成初期の競馬シーンを飾った元JRA騎手の郷原洋行(ごうはら・ひろゆき)氏が1月31日に病気のため亡くなったことが8日、分かった。76歳。鹿児島県出身。8日に近親者だけで葬儀を執り行った。
「剛腕」と呼ばれた往年の名手が天国に旅立った。騎手、調教師として一時代を築いた郷原氏は、11年の調教師引退後も評論活動などを通じて競馬と関わったが、最近は体調を崩して入退院を繰り返していた。
熊本から単身上京し、馬事公苑騎手養成課程を経て62年に騎手デビュー。67年には79勝を挙げて初の関東リーディングに輝くとともに皐月賞(リユウズキ)でクラシック初制覇を飾った。77年には菊花賞(プレストウコウ)、80、89年にはダービー(オペックホース、ウィナーズサークル)を制して3冠ジョッキーにも輝いた。「剛腕・郷原」と称された豪快な追い方で天皇賞は春秋合わせて4勝。91年には次男の洋司氏(47)がJRA騎手デビュー。父子鷹として注目を集めた。実直な人柄で競馬サークルでの信望も厚く、日本騎手クラブ会長を5年間務めた。歴代4位(当時)となる通算1515勝、G1級10勝の成績を残して93年、騎手引退後は調教師に転身。J―G1中山グランドジャンプを連覇したゴーカイなどを育てた。調教師引退後の14年には長年の功績から競馬の殿堂入りを果たした。
JRA調教助手を務めている長男の郷原正洋氏(48)は「父が偉大な騎手と言われるようになれたのも多くの人々の支えがあればこそです。大変感謝していますし、父も同じ気持ちだと思います。父の厩舎で調教助手として一緒に馬を育てられたことが何よりの思い出です」としのんだ。
◆郷原 洋行(ごうはら・ひろゆき)1944年(昭19)1月21日生まれ、鹿児島県出身。中学卒業後の59年、馬事公苑騎手養成長期課程へ入所。61年4月から中山・大久保房松厩舎の騎手候補生に。93年2月の引退までに通算11906戦1515勝(G1級10勝)。翌94年から厩舎を開業し11年に勇退、通算2748戦104勝。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200209-00000000-spnannex-horse 足癖悪かったことしか思い出せない ご冥福をお祈りします 何十年も騎手やってきてダービーたったの二回しか勝ってないのか オペックホース、ウィナーズサークルと実力が見合わない馬をダービー勝たせた点で フルゲート18頭制ならともかく
フルゲート28頭や30頭も走っていた時代に
ダービーで1つ勝つことすら凄い事やぞ ニッポーテイオーの名前もたまには思い出してあげてください ダービー2勝などG1 十勝した人って当時活躍していた
全騎手中どのあたりのポジションにいるん?
例えば重賞〇ポイント G1 〇ポイントとか重みづけして
そのうえで上位5%に入ってたら「名騎手」だとは思うけど ニッポーテイオーは主戦が郷原でなければキャリアに2、3勝上積みできていたような気がする。 >>21
よく分からんが、所属騎手時代で騎乗回数はどんなに優秀でも現在より少ないから
どうなんだろうね。 郷原も晩年、ちょこっとフリーでやってたかな?
全盛期のときにフリーやってればと思うが、当時は無かったし。 岡部の倍ダービーを勝ってるから、岡部の倍凄いジョッキー >>27
初代と全国版(どちらもファミコン版)なら選べた
II、III、96、PS版くらいまではライバル馬の騎手名で出てきた >>15
皐月賞でダンスダンスダンスに乗ってたのは弟弟子の的場とちゃうの あの時代に11906回騎乗できるなんて名騎手すぎるだろ >>10
まあ現役最年長で2000勝以上してるのに
ダービーどころかクラシック未勝利の騎手も居るし・・・ >>21
重賞グレード制が導入されたのは郷原の現役でも晩年の方だから記事でもあくまで「G1級」のレースと表現されてる。
関東リーディング5回、全国リーディング1回で通算勝率、連対率から見ると蛯名くらい 蛯名ですらダービー勝たずに引退しそうなのに2勝は凄いでしょ >>23
フレッシュボイスに負けた安田記念、スズパレードに負けた宝塚記念、タマモクロスに負けた宝塚記念
これらは全て2着だったがどれを取っても騎手が違っていたら勝ってたかもというかんじじゃなかった負け方だと思うよ >>21
今みたいに18頭立てじゃないからかなり凄いことなんだけどね 名騎手、名伯楽に非ず
鷹がトンビを生む事がある
南井「そやな」
的場「だよな」
小島太「危なかった」
柴田政「確かに。だから俺は息子を騎手にはしなかった」 ウィキ読むと、野平祐二の影響が大きかったらしいけど、意外だね。
スマートな野平に剛腕郷原と正反対のイメージだ。 http://jra.jp/gallery/dendo/
> 騎手
> 野平 祐二(平成16年選出)
> 保田 隆芳(平成16年選出)
> 福永 洋一(平成16年選出)
> 岡部 幸雄(平成26年選出)
> 河内 洋(平成26年選出)
> 郷原 洋行(平成26年選出)
> 柴田 政人(平成26年選出)
騎手の殿堂入りは流石に少ないな 30年前に競馬始めたんだけど
その頃もういなかったかな?
いても影が薄くなってた >>55
増沢あの実績で入ってないとか嫌われてんの? >>58
多分GI(旧8大競走)10勝とかの条件満たしてないんだと思う >>55
加賀武見が居ないね。
この顔ぶれだと、河内ですら格落ち感がある。 サンキョウセッツだ! 9番のサンキョウセ…
by 堺 正幸 >>44
日本の騎手業界なんて
年間、特に素質があるとは限らない10人ぐらい厩舎関係者や騎手の縁故中心に競馬学校入校して
後は親や兄弟の繋がりで馬乗せてもらって上位になる
トンビだらけでやってるんだから問題ない >>62
加賀は通算勝利数が1500勝の基準に届かなかったというのもあるらしい >>10
ダービーの最多勝利騎手である武豊でさえ5勝しかしてない。そしてデビュー直後から色んな
G1を勝ちまくっていたその豊でさえ、初めてダービーを勝つまでに11年かかった こいつの息子ぐらいからかな
関東ポンコツジュニア量産し始めたの >>27
Aランク
おたべ 逃げ差し自在 実力ナンバー1 自在 たき 大レースに強い天才ジョッキー 先行
しばたま 追って味ある ベテランジョッキー 差し かわうち 安定した強さで関西のエース 自在
ますお 逃げ馬ならおまかせの大ベテラン 逃げ
Bランク
よしとみ 若手ながらテクニックは一流 自在 みなみ ムチの連打で 直線一気 差し
よこのり 思い切った乗り方で派手な活躍 追込 まつみき 甘いマスクで 女性に人気 先行
てきば 積極プレイで ダートに強い 先行
すがはら 渋い魅力で ベテラン健在 自在
Cランク
たなかつ メキメキ頭角現し注目 差し
ごうわら 豪腕の異名を持つベテラン 差し ←←←
やすとみ 人気薄での一発が魅力 追込
なかたて 実力あるも プレッシャーに弱い 自在
Dランク
なたの 安定したフォームで 逃げ馬得意 逃げ
ぶとう スタートのセンスの良さはトップクラス 自在
ひがし 勝負強さでは 引けをとらない 差し
のもと 追込みの腕だけならばトップクラス 追込
Eランク
おがわ あっと驚く 大胆な騎乗 出遅 競馬知らないんだけど、プロレスで言うとどのくらい凄い人なの? >>1
ダビスタでよく使った お世話になりました剛腕郷原 隠れ名馬ニッポリテイオーを知る者は多くなさそうだなここは 息子は、カンファ―ベストを斜行させるような下手糞だったけど >>61
シンボリルドルフだけだな
2着ならビワハヤヒデとかエアダブリンとかシンボリクリスエスとかあるけど >>79
福永洋一、柴田政人、岡部幸雄は同い年で馬事公苑騎手養成所同期生 >>81
あとメジロアルダン、レオダーバン、ジェニュインでも2着 >>44
武邦彦「呼んだ?」
福永洋一「せやな、うちも・・・」 シャートストーンに乗ってたよな
俺が中学で競馬中継にハマった1年目だから滅茶苦茶覚えてる >>21
だいたい10番手以内かな
これがいわゆるダービーポジション(嘘 >>78
カブトヤマ記念。
その後の菊花賞でノーリーズンの落馬でサーバーが飛んだ。 >>11
実力に見あわないとか今だから言える話
オペックホースもウィナーズサークルも皐月賞2着でダービー時点では別に勝ってもなんの不思議もない存在だった >>89
たわら B だいたん かつ クール がんそてんさい 親父より息子が活躍した騎手の間違いだ。
武豊は別格として。 >>55
加賀、増沢、武邦彦あたりはその中に入ってもおかしくないと思うけどなあ >>96
「2世騎手の息子が親より活躍できなかった」なんてケースはゴロゴロあるやん? ダビスタ名で言ってくれないと わかんないや(・ω・`) 不謹慎だが蝶野正洋が逝ったのかと思った
亡くなられた貴方様を偲びます トウショウボーイを破ったダービーでの出し抜き
ああいう奇襲をやる騎手が少なくなったね
斜行がカメラでまるわかりだからやりにくくなってるんだろうけど
加賀先生や郷原さんみたいな強い馬をどうにか倒してやろうって気概の騎手っているのかな。今 ニッポーテイオーは増沢のような先行騎手の方が手が合っていただろうな
特に引退レースの宝塚記念では大逃げを打てばタマモクロスに差し込まれず勝てたかも知れない
距離もギリギリ持っていただろう プレストウコウで鞍ズレやらかした大チョンボしか思い出さんわ
ご冥福 >>11
ウイナーズサークルの年の出馬表見たら見合わないはないだろ
君みたいのがロングシンホニー買ったんだなたぶん 調教師なら伊藤修司とかもね
あと、国営競馬時代の名調教師も入れるべし あまりにもあれ過ぎて、騎手の1000勝以上の筆記試験免除がなくなった原因の人だっけ?
それは加賀武見? >>55
最近は外国人騎手ばかり勝ちまくってるから
日本人騎手で殿堂入りしそうなのが見当たらないな
武豊あたりが最後になってしまうのか ヒシマサルに騎乗したかすかな記憶たどって、ネットで調べたら
シンコウラブリイの勝った1992のNZTだった。懐かしい。 サンキョウセッツでオークスを勝ったのが、最後のG1勝利だったな >>116
現役騎手通算勝利数
武 豊 4150
横山典弘 2783
蛯名正義 2534
柴田善臣 2274
福永祐一 2271
田中勝春 1780
岩田康誠 1609
四位洋文 1585
幸 英明 1413
川田将雅 1405
北村宏司 1344
和田竜二 1287
内田博幸 1229
吉田 豊 1225
池添謙一 1184
C.ルメール 1140
戸崎圭太 1045
熊沢博文 1038
M.デムーロ 1028
浜中 俊 1008
今の騎手なら2000勝が目安かな? 昔だと郷原さん、南井さん
最近だとアンカツさん、岩田、内田さんのような
地方出身騎手って追い方が激しかったよね >>80
騎手って書いてあるやろがい
読めんのかツンボ 剛腕て言われてた人かな
今でいうと岩田みたいな感じか ダービー2勝してるけど史上最弱候補二頭でってのが凄い。 果敢な逃げ!捨て身の逃げを今日も打つのか?!
レジェンドテイオー郷原がいきました それよりカークダグラスが先日まで生きてたことに驚いた >>55
今の現役で豊以外で確実なのは誰になるんだろうな
典がそこに入っていいのか悩む うちの親父がオペックの馬券取りました
ご冥福をお祈りする >>109
バリバリの頃のタマモクロスに勝てるかよ
距離も無理 当時初の芦毛のダービー馬で話題になったなあ
このダービーで競馬を始めたド素人で翌年は父馬繋がりで馬券取らせてもらった思い出
ご冥福をお祈りします >>141
とはいってもロジユニヴァースは皐月賞始まる前まではスバ抜けた存在だったがな >>34
界正幸アナそれでも定年までフジでやってたからな >>131
なんだかんだで蛯名と福永祐一は入ると思う
善臣はGI勝利数がそれほどでもないので微妙 >>97
一個上のノリも二世。せがれは三世ということになる。
デットーリ親子も子供の方が活躍してるなあ 郷原洋行と言えば幻のオークス馬サンキョウセッツだな >>69
たきとおたべがSランクだったのは別作品かな? >>60>>62
なんか数的基準あるとすれば福永洋一はどっちも満たしてなくね?
現役10年くらいしか乗ってないからだけど 「豪腕、郷原ラストラン!」てのだけ覚えが あるんだけどなぁ。
ダンスダンスダンスが 人気で安田富男のホッカイセレス?に負けたレース。
安田富男が ガム噛んて非難轟々wてやつ。 >>152
ヨシトミはクラシック2着コンプリートしてるんだっけ? ベルベットグローブのフェブラリーHは今見てみてもいいわ 2016年に亡くなったウィナーズサークルは
現在でも
芦毛唯一の東京優駿馬 >>150
福永洋一は11年間で5086戦983勝リーディングジョッキー9回で
落馬事故で再起不能にならず騎手を続けてたらもっと凄い
記録を残してたという意味があったのとちゃうのかな
騎手養成所同期の岡部は洋一が無事で騎手を続けてたら
私の記録なんかどうでもいいぐらい大記録を残してたて言ってた つい最近まで東スポでまったく面白味のない予想連載やっていた気がするのだが。合掌。 >>33
将来死んだときにどう評価されるのかね?
勝利数で賞賛されるのか、大舞台で勝てないことでぼろくそ言われるのか
その頃の人には、ネタっぷりと謎の愛され方が伝わらんからなあ 息子のゴもヘタクソで叩かれまくってたけど、重賞2〜3勝程度してるから他の2世ジョッキーに比べれば割とマシだったな。騎手辞めてからは何してるんだか ウイニングポストでお世話になりました
ご冥福をお祈りします >>162
そうなんだよね
★親父が著名騎手で調教師、その息子の勝利数(美浦)
郷原洋司 281勝(重賞2勝)
的場勇人 174勝
吉永護 174勝
小島太一 44勝
加藤士津八 20勝 管理馬がゴーカイとマイネルユニバースとオープンガーデンしか
思い浮かばん
障害専門調教師のイメージだわ >>165
18年間で104勝ですからね…。展望もなかったか、定年より前に辞めてしまいました。 ウィナーズサークルは毛色と馬名からしてほぼヤオ勝ちだよな オペックホースとレジェンドテイオーに鉄拳制裁食らわしたイメージ 夏の札幌に遠征で来る時すすきのですごかったのは聞いてる。 剛腕
ファイター
仕事人
魔術師
90年代前半くらいまでにいた騎手ってみんな特徴的だったね 茨城産のダービー馬ってウィナーズサークルだけだったよね
そして翌年は
同じシーホーク産駒のアイネスフウジンがダービー勝った。 結構な競馬ファンのつもりだけどゴウワラだと思ってた… >>156
77年菊花賞馬のプレストウコウも芦毛初のクラシック馬だったし、
芦毛には縁があったな ニッポーとレジェンドが同じレースに出たときはすべてニッポーに騎乗したんだっけ? 俺が競馬始めた当時
ダービーの馬券を初めて買った時の勝ち馬が芦毛のウィナーズサークルだった
郷原のゴツい顔に似合わない愛嬌のある笑顔を思い出す >>162
メルシーステージ乗ってたような。
地味な血統の。 競馬は結構好きで競馬場にも行くしテレビでも見るんだけど
馬券を買ったことは1回しかなくて、それが当たりだったから
的中率100%だぜ!
ちな競馬場では酒飲みながらレース写真を撮ってる >129
自分もそれ驚いたが、そのスレでオリヴィア デ ハビランドがまだ生存なの知って、もっと驚いた。
サンキョウセッツがオークス制覇した並みの衝撃 嶋田功がコメント出してたけど
たった2歳しか違わないんだな
2歳違いでも嶋田は新世代のトップバッター
郷原さんは旧世代のラストランナーだった サイン持ってる
息子が勝った時、サインもらおうとしたけど貰えず
調教師の父親からサイン貰った >>176
不受胎続きで苦しんでいた母サンピュローが
隣の牧場にいたグスタフと
駆け落ち同然で交配して生まれてきたという >>23
マイルCSで出遅れた上に直線前詰まってたもんなあw
普通ならタカラスチールに負ける訳ないのに。 「豪腕」って別称ついてたけど「郷原」っていう名前のイメージから来てるよな 競馬会の通り名
ミスター
鉄人
剛腕
闘将
名人
天才(元祖)
(平成の)天才
田舎の青年団長
魔術師
職人
貴公子
先生
やんちゃ坊主
まゆげ
下手くそ >>62
次の平成36年の選考では選出されると思うよ
武親子と一緒に >>171
山石オーナーのお膝元だったし、札幌は。 増沢末夫、 加賀武見、武邦彦(故人)、南井克巳などは選出されるべきだと思う 加賀武は騎手会長も務めたし、旧八大競走も10勝してるけど勝利数不足?
増沢は勝利数は十分だけど、旧八大競走が8勝で騎手会の要職は未経験。
武邦は勝利数が1,100で旧八大競走が9勝で騎手会が出来る前に引退。
南井は旧八大競走も11勝してるけど、騎手会の要職は未経験てのが理由かな。 >>92
カブトヤマ記念カンファーベストから買ってたわ
俺の的中馬券返せって思った直後に菊当たったので許した 福永洋一は天才と言われるけどそれだけじゃない
彼には雄琴の帝王という綽名があった
日曜の夕方姿を消して月曜の晩に帰って来る
雄琴のトルコにしけ込んでるんだろうという噂で
実際は新幹線で上京して大井の兄の家に泊まり
月曜朝の調教を見て(見てるだけじゃなかっただろう)
南関東の競馬を見てから新幹線で帰ってた
月曜全休で他の騎手は週6日騎乗のところ
福永はおそらく週7日馬に乗ってた 池江泰郎元調教師や瀬戸口勉元調教師(故人)も殿堂いりすべきだと思う
故瀬戸口は年間最多勝がある、池江(父親)は年間最多賞金獲得を獲得し、三冠馬を輩出した。 >>196
弱いだろ。エルプスに一度も勝てなかったレベル。 >>199
殿堂入りの基準がおかしいのよね
蛯名武五郎とかも入れるべき名騎手なのになあ 郷原と増沢に乗り替わると人気薄でも大抵馬券に絡んでたなぁ シンコールビー勝った時はひっくり返った記憶
ご冥福を 競馬を始めた頃、中山の重賞でユウキトップランに乗ってたのを馬券を取ったから覚えてる 俺の競馬人生、郷原には間に合わなかった
競馬を始めた時がちょうどというか、まさしく郷原の引退直後
その年の府中競馬場、俺の隣にいたいい歳のおっさんがダービーの時に号泣していた光景を思い出す
そう、ウイニングチケットのマサトコールの中で
「まさとぉ・・・よくやったぁ・・・グス」
当時は、
(このおっさん、人生かけてこのダービーにつぎ込んだんだなぁ・・・)
と思ってた
もちろん会話などしてないから事実は分からないけどあれはたぶん馬券とは別の涙だったんだなと、背景を知って思う
その柴田政人もすぐに引退
別に人に誇る事ではないが、G1初めてがあのレースで生で見た経験というのが俺の宝
政人には間に合った ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています