【サッカー】柱谷哲二が語るドーハの悲劇。 イラク戦で投入してほしかった選手の名は ★2
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私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第12回オフトジャパンの快進撃とドーハの悲劇〜 柱谷哲二(3)
1993年10月、アメリカW杯最終予選に向けての日本代表メンバー22名が発表になり、初のW杯出場を目指す日本代表を応援しようと国内の熱が高まっていた。
Jリーグが開幕し、日本中がサッカー一色になり、その勢いが日本代表にも伝播したのだ。
W杯最終予選前に、国内でアジア・アフリカ選手権が開催された。
この大会前、日本代表のキャプテン・柱谷哲二は、肝機能を低下させるウイルス性の風邪のために8月上旬から1カ月ほど入院生活を送った。
コートジボワールとの試合の時は復帰して2週間しか経過しておらず、ぶっつけ本番だったのだ。
ハンス・オフト監督からは「前半だけ出ろ」と言われたので、そのつもりでプレーした。試合は直前のスペイン合宿で露呈した守備の脆さがなくなり、相手を封じ込めた。
前半0−0で終わり、「交代だな」と思い、ロッカーでオフトを探した。
「チェンジと言われると思ってオフトの顔を見ていると、ぜんぜんこっちを見ないんですよ。目を合わせないまま結局後半もゴーになり、出ることになった。
延長までやってカズ(三浦知良)がゴールを決めて勝だったんだけど、ゼロに抑えたことで自分はできる、これならやれるなっていう自信がついた」
ただ、柱谷の病気は完治したわけではなく、37度2分の微熱がつづき、体の節々に痛みを感じた。
アメリカW杯最終予選のカタール・ドーハに入ると、暑さの影響で熱が下がらず、それまで肝臓に負担がかかると飲用しなかった薬を飲み、試合に臨んだ。
アメリカW杯最終予選のサウジアラビア戦は0−0のドローに終わった。続くイラン戦、日本は1−2で敗れて早くも土壇場に追いやられた。
「サウジはいちばん力があるチームなので、ドローはまあしょうがないという感じだった。でも、次のイランに負けたのは誤算だった。
ロッカーでラモス(瑠偉)が『向こうがユニフォームを泥だらけにして必死に戦っているのに、俺たちは誰のユニフォームが汚れている?
これで勝てるわけねぇーだろ』って怒っていた。そのとおりだなって思ったね」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200201-00885040-sportiva-socc
2/1(土) 6:00配信
前スレ 2020/02/01(土) 08:02
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1580511735/ イランは、ラモスを徹底的にマークして潰し、左サイドバックに入った三浦泰年のサイドを集中的に攻撃してきた。
その結果、柱谷曰く「最悪のゲーム」をして勝たなければいけない試合を失った。ホテルに戻っても敗戦のショックが続いていたが、中山雅史と都並敏史が盛り上げてくれた。
「その時、3つ勝てばいいじゃんって気持ちを切り替えた。そもそも最終予選は全勝が目標だった。
2つは取り損ねたけど、あと全勝すればなんとかなる。オフトも気持ちを切り替えて、次の北朝鮮戦でシステムを4−3−3にした。勝負に出たなって思いましたね」
長谷川健太を右のウイングに置き、サイドを徹底的に突くことでチームに勢いと流れが生まれた。
北朝鮮戦に3−0で勝ち、韓国戦もカズの決勝ゴールで、1−0で勝利した。この時点で日本は得失点差でサウジアラビアを抜いてグループ首位。
最終戦のイラク戦に勝てば、W杯初出場が決まることになった。
「韓国に勝って、カズやみんなが泣いて、俺も一瞬、グっときたけど、ラモスの顔を見たら厳しい表情をしていたんでハッとしたよ。
すぐに、『テツ、まだ終わってないよ。これからだよ』って言われた。たしかに自分たちは、韓国に勝つためにここに来たわけじゃない。
韓国戦はW杯に行くための通過点にすぎない。ただ、そのことをラモス以外は、あまりわかっていなかったと思う」
韓国に勝ってもW杯に行けるわけではない。まだ何も決まっていないのに、決まったかのように泣いて喜ぶ選手たちに、ラモスは違和感を覚えたのだろう。
その日からイラク戦までメディアはもちろん、チームメイトも遠ざけるようになった。
「イラク戦までの2日間、ラモスはほとんどしゃべらなかった。なんで話をしないのかなって不思議だったけどね。
ベンチにひとりで座って、独りごとを言っていた。
集中していたのか、ビビっていたのかわからないけど、俺は普通にしていればいいのにって思った。
そういう行動をとることでイラク戦が特別な試合だとみんな意識してしまうし、実際そうなった感があったからね」
柱谷は大事な試合だと理解していたが、あくまで最終予選の1試合というスタンスで、余計なプレッシャーを自ら掛ける必要がないと思っていたのだ。
イラク戦のキックオフ前、柱谷は、それまで中2日で試合をこなしてきた疲れが蓄積されたせいか、疲労困憊だった。 試合は、カズの先制ゴールでリードした。
だが、イラクは大量点を取ればW杯出場の可能性が残されていたため、失点しても怯むことなく攻撃を仕掛けてきた。日本は受け身に回り、勢いに押される展開になった。
ハーフタイムに入ると、選手は自分の近いポジションの選手と意見をぶつけ始めた。ロッカールーム内に大きな声が響き、いつもの静寂と冷静さが失われていた。
「シャラップ!!」
オフトが怒鳴ると、ロッカールームは水を打ったように静まり返った。そして、ホワイトボードに「GO TO USA 45MIN」と書いた。オフトの指示は、それだけだった。
「ヨッシャー!」
柱谷は大きな声を出して気合いを入れ、再び戦場へと向かった。だが、気持ちはファイティングポーズを取っていたが、肉体的には生気が失われていた。
「後半、自分の視野がどんどん狭く、暗くなっていったんです。体が本当にキツくて、声を出し続けていないと倒れるんじゃないかっていう状態だった。
同点に追いつかれたゴールは俺がかぶったからだけど、いつもボールに触れているはずなのに跳べていない。
普段できていることが、その時はできていなかった。自分の体が消耗して、もうありえない状況だった」
柱谷に視野が戻ってきたのは、中山雅史がゴールを決めたあとだった。その後もイラクの怒涛の攻撃を受けたが、柱谷は闘志の炎を必死に燃やし、踏ん張っていた。
「北澤(豪)を入れてくれ!!」
柱谷とラモスが大きな声で叫んだ。
「4−3−3だったんだけど、イラクに攻められていたんで、北澤を入れて中盤を4枚にしてほしかった。北澤が入れば守備が計算できるから。
でも、オフトは武田(修宏)を入れた。武田が悪いわけじゃないけど、この時、初めてオフトが自分たちの考えとズレた采配をした」
なぜ、武田なのか......。
この時、柱谷はその理由を考えようとも思わなかったが、数年後、監督になり、ひとつの答えが見てきたという。
「オフトは3点目を取りに行ったんじゃないかな。イラクは前掛かりになっていたので、後ろはスカスカだった。
そこにスピードのある武田を入れて3点目を入れて試合を終わらせる。
自分が監督になった時、そういう考え方もあるなって思った。でも、当時の現場は『えっ3点目? 2−1でいいよ。北澤入れてくれよ』って感じだった」 柱谷とラモスは、電光掲示板の時計を確認し、レフェリーを見た。
レフェリーが「ワンモアプレー」と言い、柱谷は次がラストであることを確認した。
次にボックス内の守備を確認した。中央を締めており、ボールが入っても跳ね返せる自信があった。
イラクのCKがショートコーナーになった。「カズ行け!」と叫んだ刹那、そこから柱谷は地獄に突き落とされたのである。
「もう真っ白だよね。同点にされてから、まだ時間があるとか言われたけど、できねえよ、そんなもん(苦笑)。悔しくて泣いて、周囲もみんなそんな状態だった。
ただ、サポーターに挨拶しないといけないと思い、ひとりで行くかって思ったらみんながついて来てくれた。
この時、キャプテンやってよかった。みんなに信頼されていたんだなって思ったね」
松永成立はバスの中でも泣き続け、部屋に戻ると森保一もベッドで泣いていた。
柱谷も、頭の中で最後の失点シーンが何度もリプレイされ、涙した。
しばらくすると、ホテル内からW杯出場を決めた韓国の選手団の歓喜の声が聞こえてきた。
サッカーの神様に見放された、あまりにも悲しい夜だった。
それから......柱谷はパウロ・ロベルト・ファルカン監督の日本代表でもキャプテンを任され、加茂周監督になってからもしばらくキャプテンマークを巻いた。
「闘将」と言われ、日本代表では72のキャップを刻んだが、98年に引退した。
オフト時代のキャプテンは柱谷にとって、かけがえのない大事な時間だったという。
「代表のキャプテンになる前は、ラモスのことが言えないぐらい人のことなんて考えてこなかったし、自己中心的だったけど、代表のキャプテンになってから変わったね。
自分のすべきことを整理して、ひとつずつこなしていった。そうしてダイナスティで優勝した時は本当にうれしかった。
キャプテンはしんどい役割が多いけど、いちばんうれしいのは優勝した時最初にカップを持てるところ。
キャプテンとしてチームを引っ張り、優勝したからこそ、自分がやってきたことが正解だったと思えるんでね」
柱谷は、オフトの時のキャプテンは、自分なりに手応えを感じていた。だが、その後はキャプテンとしてうまくいかないと感じていたという。 カズ 高木
福田
ラモス 吉田
森保
都並 井原 柱谷 堀池
松永
オフトジャパン基本布陣 「オフトの時は、ラモスとかわがままな選手をうまくとまとめていくことができたけど、ファルカンの時は若い選手と噛み合わないと思ったし、加茂さんの時もそうだった。
やっぱりそのチームに合う、合わないがあると思うよ、キャプテンにも。
井原(正巳)は、俺とは違うキャプテンシーでフランスW杯に行ったし、(長谷部)誠は3回もW杯に出ている。
誠は浦和レッズ時代に3年間教えていたけど、当時からキャプテンに向いていた。
オフトはいくつかの選手のグループの中間に立ち、常にバランスを取ってくれと言っていた。
誠はそれが20歳ぐらいからできていた。上の選手とも若い選手とも話ができていたからね」
柱谷は、そう言って表情を崩した。
昨年、ドーハでは同部屋で、いろんな話をした森保が日本代表監督になった。
そして、苦い思い出となったドーハから30年後に、同じ場所で行なわれるカタールW杯を目指して戦うことになる。まるで運命の巡り合わせのようだ。
「森保は、どこかで壁が来るかもしれないけど、まずはW杯予選を乗り越えてもらって、カタールのW杯でベスト8の壁を越えてほしい。そのために俺らは協力を惜しまない」
森保はオフト時代、ラモスに怒鳴られても中央にパスを出さなかった芯の強さとブレない心を持つ。監督になってもそれが変わらない。だからこそ、柱谷は楽しみにしている。
あいつならできるよ、と。
(おわり)
https://www.youtube.com/watch?v=hdr2nrAsJXI
1993.10.28 【ドーハの悲劇】〔ノーカット〕 カズ 高木
福田
ラモス 吉田
森保
都並 井原 柱谷 堀池
松永
オフトジャパン基本布陣 マスコミのキチガイが勝手に悲劇にしているけど
ロスタイムに点数入っただけだろ
よくあること もしはないが、もし仮に、アメリカワールドカップに行けていたら
レオナルドやドゥンガやジョルジだけじゃなくロマーリオあたりもJリーグに来たのだろうか?
そして早期から日本人の海外組も増えたのだろうか >>1続き
そして監督として再び日本代表に舞い戻ってきた森保
この歴史的経験から重要な事を学んで…いなかった(終) その試合の選手交代
out:長谷川健太 中山雅史
in:福田正博 武田修宏
※当時交代枠は二つ >>1
それよりオーストラリア戦でのジーコの小野投入
終盤パワープレイばかりされて前線へのパス出すとこ無くて
そこで柳沢にかえて小野投入
あのクソ采配だけは忘れない 武田がサイドでボールキープするやろって思ったらしなかった >>20
俊輔が「フォワードが減っちゃったんで」ってモロに言ってたね。 時代が追いついて、ようやく武田が許されたようで良かった
あそこはカウンターで追加点取るのが現代サッカー
あの時のベルギーのように
ただ当時は武田以外はそのレベルになかった 【サッカー】柱谷哲二''初スッピン’’SHOTに「いいね!」殺到 >>7続き
柱谷「つまり何を言いたいのかっていうとラモスはわがまま」
(終わり) >>23
お前がトップ下の仕事してりゃ柳沢がひどく消耗することもなかったんだけどなと言いたい
自分はズルズル下がってきてフォワードにロンパス蹴ってばっかなのに
高原もキープ力はないから柳沢潰されたら終わりという 当時を知らないけど、この記事を読む限り監督がとんでもない無能だったのでは… これ、日本が勝ってたらイラクの選手はウダイに殺されてたんじゃなかったっけ? >>10
ロスタイムで追いつかれて初出場のワールドカップを逃す事はよくある事ではない サイドに逃げずに無駄にミドル打った武田は批判されても仕方ない >>20
パワープレイやられたら手も足も出ないんだからボール渡さないのがセオリー
小野入れるのは理に適ってるわけだが 堀池の息子がアナウンサーになってたのはビックリした >>27
トップ下なんてサッカーに必要無かったのさ >>37
それは理想だけど
足動かなくてどうしようもない状態
稲本入れてなんとか高さとかゴール前の強度高めるのがベターだろう
闘莉王も呼んでないし 四半世紀前のいい想い出しか残っていないな、日本のサッカーは。 >>20
ジーコが中盤でボールを落ち着かせて欲しかった
しかしそれが伝わらなかった
って言ってたのが正しいと思うわ
小野投入は間違って無いがわかるだろときちんと指示しなかったのが悪かった
小野は完全にもう一点狙うんだと思ってたって言ってるし実際そんな動きしたから崩壊した >>20
フランスW杯予選の韓国戦でロペス下げて逆転されたのに似てるな
北澤出すためにFWの枚数減らさなかった采配は正しいよ >>1
ポイチ続投派の工作記事なんだろうが
なげーよ まぁドーハもオーストリアもベルギーも
どれも落ち着いて時間の使う事ができなくて安易に点取りに行く軽いプレーからやられてるだけなんだよね
トルシエが守りの文化無いって言ったのも正しいわ
ポーランド戦でやっと脱却できたと思ったら結果叩かれて特攻してるし 下のサイトにて犯罪予告がされています。。。。。。。。。。。。。。
【治験】創薬ボランティア Part.25
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/part/1576901822/ 今でも松永が動けずボールがゴールに吸い込まれくのと
スタジオの岡ちゃんが泣いてた映像が思い出せる
スポーツで日本中落胆したのであと記憶になるのは
ジャンプ団体の原田失速と
柔道篠原が謎の判定で、スタジオの有働が怒り抑えて
涙声で伝えてたのかな >>40
トルシエのときは中田が三人目のポスト役として仕事してただけに、
茸さんの身勝手ぶりが本当に酷かった >>43
すでにその状況に無かったと思う
FWは疲弊し潰されて全く前線にボール運べず
逆に相手に押し上げられてパワープレイ
まさに瓦解寸前だった
何も機能してなくてホントに手の打ちようがない感じ
リスク背負って中盤減らして前線入れるのも良かったと思う
もしくは明確に守備的な枚数増やすとか
そこでの小野投入だった >>7
>森保はオフト時代、ラモスに怒鳴られても中央にパスを出さなかった芯の強さとブレない心を持つ。
これは悪質な歴史の捏造
森保はオフト時代、ラモスに怒鳴られるのが怖かったのか
いつも中央のラモスにパス出してたよ
イラク戦のロスタイム直前でも森保はラモスにパスして
そのラモスがパスミスしてイラクのコーナーキックになったわけだし >>44
あれは秋田がマークする予定だった
コジョンウンが交代したのに何の指示もせずに入って混乱 武田はあの状況でユニの襟立てて出てきたんだぜw
あの時ネットがあったら凄いことになってたと思うわ 韓国戦で勝って泣いたカズたちと
この前のアジア杯でイランに勝って
記念撮影で浮かれてた長友たち
本質は同じ
20数年経ってるのに日本のサッカーは全く成長してない
森保はその両方の当事者の馬鹿 監督の意思と選手の意思が一致しないのが問題だよな
とくに試合中・・・
負けるべくして負けたんだな。 >>54
ボール奪取してひたすらカリオカに渡すのが森保の役目だったね 欧州組ゼロの中でよくやっただろ
中田の出現がなければ今の日本は無かった
欧州組がいないと今の日本もクソだし、不安しかない そりゃヴェルディ軍団が六本木で遊びまくってたからだろう。
体力が切れた。
当時のヴェルディでワールドカップ出たのはカズが髪の毛つかんで引きずり
回したナカザーさんだけだぜ。 >>61
柱谷のウイルス性肝炎も性病の噂があったよね >>41
いや勝てないだろ
190越えのマッチョ相手に対抗できるわけない 武田入れてもう一点は普通にありの采配だったけど
ピッチの選手達はそれができるレベルではなかった
北澤入れて守り切れた保証もないし
まだW杯に出れるレベルには届いてなかったかな 岡崎と永井みたいなチェイシングのプロだったらよかったけど、
そういう選手は当時いなかったのかな。
ゴール乞食系だけで。 >>57
当時は韓国の選手見て拝んでた時代
勝てた事自体が奇跡だったから >>67
イラクはパス回しも上手いうえに
一対一でもことごとく日本の選手に圧勝してたからね
北澤一人走り回っても守りきれたとは思えないわ
北澤さえいれば勝てたというのはドーハ組の現実逃避 まあ観てた誰もが思ったよね
「は?武田?何で北澤じゃないんだよ!」と 欧州から派遣されてきたレフェリーが日本に有利な笛を吹いて試合を作ったから激闘になっただけで、イラクが一番強かったよ。
後半は日本は防戦一方だったし、中山のゴールも明らかなオフサイドだったし。 >>70
韓国に勝てたのも松永の奇跡的セーブ連発のおかげだしね
松永はこの試合だけで最終予選ベストイレブン
なぜか北澤の大活躍のおかげで韓国に勝てたことになってるけど 最終予選に関してはオワイランより松永がNo.1キーパーだったなあ 北澤だと思ったんだよ俺も
武田出てきた瞬間もの凄く嫌な予感したんだわ >>19
福田も武田も全く役にたってなかったな
追加点撮りたかったんだろうなこの交代は ラリア戦の交代正解は小野じゃなく誰だったの?玉田? >>78
玉田投入でコーナーフラッグ目指してドリブルさせてればよかった 哲二が監督になったチームはことごとく酷い事になってるな >>40>>51
トップ下がもてはやされてたのは90年代までか?
90年代でもかなり廃れてたけど カニ歩きしながらボールがゴールポストに吸い込まれるのを鑑賞していたゴールキーパーのせいだろ。 もういいっつーの
いつまでこの話してんだよ、馬鹿じゃね。 結果が出なかったから北沢ださなかったオフトの責任
フランスもカズを連れていかなかった岡田の責任 >>73
冷静に思い返すと良かったのは前半までで後半はシステムも何もあったもんじゃないくらい崩壊してたな
その中でオフサイド誤審の1発で勝ち越しただけなんだよな >>67
出れるレベルだよアジア代表としては
北沢出さなかったから負けた >>1
柱谷が武田とオフトがA級戦犯にしてるのはよくわかった。 武田投入はイタリア遠征のユーベ戦でループシュート決めてるからオフトにそのイメージがあったのかも・・どう見てもまぐれゴールだったけど 攻撃のカードの最強が武田ってのがギャグだな
高木は使えなかったの? >>93
話にならないくらいの木偶の坊で監督が諦めた >>94
高木も94年のJリーグでは絶好調でゴール量産して1stステージ優勝に導いたのにな
94年の高木が最終予選にいれば日本はW杯に行けてた >>70
戦後のAマッチで韓国破ったのは史上初
W杯出場なみの快挙だから、泣くのはわかる
そしてあの試合はカズのゴールや松永の神セーブとならんで、試合内容でも韓国を圧倒した初めての試合だったんだよな〜
ポイチが出場停止でカリオカをボランチに下げ、北澤を前に入れたことで、
北澤が縦横無尽に動きまわって攻守に貢献し、
カリオカが後ろから自在にゲームメイクして試合自体を制した
あれで衝撃を受けた韓国は初めて日本を対等の敵とみなし、
以後の韓国戦では、ミウラの影と言われたストッパーが密着マークに着くようになった
まあ、最終予選のオフトは不調の高木、福田に替えて中山、長谷川、イラン戦で攻略されたヤスに替えて勝矢を入れて、上手く体制を建て直したから、
ポイチ欠場が生んだ韓国戦での北澤、ラモスの中盤もそのまま行くべきだった
けど、オフトは愛弟子ポイチにだけは最後までこだわったんだよな〜
特に試合中にラモスが「北澤!」って叫んだせいで、かえって意固地になってタラちゃん投入(笑)
ラモス監督を恐れていたのはわかるが、
オフトは意地にならずに北澤投入で逃げ切るべきだった >>93
高木、福田が不調だったせいで本来スーパーサブになるべき中山と長谷川のカードを既に切っていたから、
不調の選手除いたら、残るのはラモスの代役澤登と元気なタラちゃん、そして韓国戦影のMVP北澤
切るべきカードは明らかだったけどね あれってショートコーナーからのパス交換でマークを振り切られたんだけど
残念なのはキーパーが飛ばずに見送ったことだよな 懐かしいな
当時小6で修学旅行から帰った深夜の試合だった
後半ゴンゴールで逆転しタケと交代した辺りから試合の記憶がなく
翌朝に結果を知った時は愕然として血の気が引いたね
以来、旅行から帰宅しても夜更かしをするようになったよ >>70
中田の出現から韓国と同等ぐらいになり始めて、本田香川の時代で完全に逆転したからなー
今でも直近のW杯、アジアカップ、アジア予選などのガチ試合の成績は全て勝ってる >>104
> 94年の高木
どうにかなってたかは、別問題として。 >>105
そういう事ね、すまん。ただ代わりのゴンが活躍してたから・・・福田にはもっと頑張って欲しかったかな。 イランの右サイドバックが良い選手だったのは覚えてる 当時解説していた岡田も同じこと言っていたな。
「北沢を入れて暴れさせたい」と。 >>107
94予選のイランの右サイドバックはザリンチェだな ベルギー戦ももう一点取りに行って負けたか
ズル賢く逃げ切る戦術をやろうよ しっかし、オフトもラモスも本当に身勝手な奴等だよな。
ドーハの悲劇直後に日本人は業を背負って泣き崩れているのに
オフトやラモスのリアクションを見てると「ただの1回の失敗」みたいな感じで無責任さを感じる。
こういう冷淡さには反吐が出そうになるわ。
エゴで代表を引っ掻き回した挙句の果ての出来事なのに。 >>3
>長谷川健太を右のウイングに置き、サイドを徹底的に突くことでチームに勢いと流れが生まれた。
その長谷川健太をイラク戦で途中交代させて福田を出したことは北澤を投入しなかったこと以上にオフトの采配ミスだったね
サイドを徹底的に突く長谷川がいなくなったらチームに勢いと流れが消えてイラクにパス回しされ放題になって
日本選手は走らされて体が消耗して一対一でことごとく負けてサンドバッグ状態になってたからね オフトがベンチ横で吸ってたタバコを地面に叩きつけてたな。色々と時代が違う GK
松永成立
前川和也
DF
堀池巧
柱谷哲二
井原正巳
勝矢寿延
大嶽直人
大野俊三
片野坂知宏
MF
森保一
吉田光範
三浦泰年
北澤豪
澤登正朗
中西永輔
前園真聖
FW
長谷川健太
中山雅史
三浦知良
福田正博
高木琢也
小倉隆史
こうだな、これで多分W杯にいける筈 >>121
秋田とか相馬ってこの頃どうだっけ?
相馬はまだ大学生だったっけか?
井原、柱谷が鉄板過ぎるからCBはそんなにいらないんだよな
最悪中山がすればいい 柱谷のウェンブリーでの終了間際のハンド。あれはちょっと執念感じたぜ。失点するくらいなら退場になってもPKにかける。 >>123
ゴンは武田がCFにいたから静岡選抜ではCBやらされてたな >>124
スアレスはそれでウルグアイを準決勝に導いたね 北澤って相手ゴールに背を向けてボールをもらってすぐにバックパスする印象しかない >>123
秋田はこのころ鹿島では右SB
チームの平均身長考えたら右SBは174cmの堀池よりも180cmの秋田を使ったほうが良かったと思う
酒井宏樹とかSBがデカいと安定するし 当時小学生でカンピオーネニッポンのCD買って完コピしたもんだ
大人になってカラオケに入ってることを知ったが、歌ってみたら曲が違うんだよね…萎えたよね >>127
俺は宇宙開発というかフカすイメージが強い
ただ当時はガキだったからゴールに直結する動きばかり見ていたのは否めない >>92
>当時はアジア枠2だから今なら出れてる
アメリカW杯本戦は24チーム上位16チームが決勝トーナメント。実質本戦のグループリーグ敗退の様なもの。 武田は国内では最強だけど代表だと緊張してか全然駄目になる感じだよね
でも前園も五輪ブラジルに勝利がピークでその後の代表はひたすらイマイチだったっけか? 高木と福田って大事な試合になると調子落として使えない選手なんですよ >>133
ジョホールバル岡田ジャパンならアメリカに出られていないんだよな ワールドカップには行けなかったけど、スイカップとはやれたんだからいいだろ >>120
前園は実際1994年に代表で活躍してたからわかる
中西永輔もキーパー以外いろんなポジションできるからまあチームに一人はいてほしい選手
岩本輝雄は好不調の波が激しすぎたからいらない
…片野坂? ショートコーナー。カズが必死に脚を伸ばすのをかすめてセンタリング。棒立ち松永の斜め上にゴール。
最後の最後に左サイドバック都並を欠いていたのが致命傷になった。まあ、この予選全体に影響あったことだが。 ボールをキープしなかった武田がいまだに責められるが、その後のラモスと森保の安直なやり取りが悪かったと思う。
それでボールを奪われ、コーナーキックに結びついた。 >>140
わたしの足、乳酸でパンパンやったからミスしたってラモス言うてたなw 都並ってそんなに凄かったっけか?
中西、秋田じゃ代表経験不足とかか?
てかなぜ大嶽を使わんかった??? オフトじゃいう事聞かないんだもん。
実績もないくせに選手共が。
オフとも大した実績ないけど。
やはり実績ある外人監督に任せるしかなかった。
してたら勝てた >>131
まえかわたつやーおーおーおー♪
とか
おーなかやま、なかやまなかやまごんこーる♪
のやつ? 武田の代表でのゴールは親善試合のインドネシア戦の1点のみなんだよな
3点目獲りに行くって武田じゃ点獲れるわけ無いだろwww あの試合、プレー中の選手は身体がぐにゃぐにゃになってる。
それが疲れなのか体幹を鍛える考え方がまだなかったのかはわからないが、あんな試合をするような予選はもうないから。 >>148
灼熱の中東セントラル開催で2週間で5試合だからな
今の選手でも厳しいと思うよ >>142
ケガするまでの都並が凄かった、というより
カズ-ラモス-都並の読売クラブ時代からの左サイド攻撃を重視してたから
秋田も中西もあの頃はまだ期待の若手扱いだったよ >>142
右サイドバックの勝矢を都並怪我の左サイドバックに使った。 まぁ今のレギュレーションなら本大会に出れてる訳だし振り返ってもあんまり意味はない 93年の各チームの左サイドバック
鹿島 賀谷英司
市原 中西永輔
浦和 田中真二
V川崎 都並敏史(中村忠)
横浜M 平川弘
横浜F モネール
清水 平岡宏章
名古屋 小川誠一
G大阪 和田昌裕
広島 片野坂知宏 ドーハの悲劇とか言って単なる負け戦に酔ってるから
サッカーはこんなにつまらなくなったんだよ >>157
都並除けば片野坂が一番マシかな
よく知らんけど >>157
都並の代わりになるようなタイプはまったくいないな
相馬があと2〜3年早く生まれてばな >>23
おめーは風邪かなんかで体調不良で出場して試合壊しただろうが >>162
君は体調不良にならないんだ。すごいねー。 まああの場にいた森保の監督でW杯を勝ってようやく一つトラウマが解消される人々は沢山いそうだ いや、むしろポイチ続投でドーハアゲインの悪夢の方が心配なんだが(笑)
ポイチの無作為采配と機能しない3バックはヤバいw
だれか外国人監督とチェンジして欲しい 未だに一般的求心力あるサッカー界の顔がドーハ世代ってなんだかなぁ >>163
風邪なのを隠して出たんだよ
後で風邪のせいにするなら大人しくベンチに座ってればよかったのに >>160
相馬の場合は大学行かずにプロになってればよかった
相馬は代表辞退したイケメン山田より年上だし >>168
相馬の高卒時はまだプロができてなかったし
清水東だから進学希望するのが一般的だな ハーフタイムで勝った気でいて
ロッカールームで選手がはしゃぎ回ってたらしいって岡田にバラされてたじゃん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています