【プロレス】藤波辰爾が修業の原点を語る「ジャングルに置いてけぼりで…」
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
1/27(月) 20:34 SmartFLASH
藤波辰爾が修業の原点を語る「ジャングルに置いてけぼりで…」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200127-00010005-flash-ent
Copyright (C) 2020 Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200127-00010005-flash-000-2-view.jpg
66歳という年齢でありながら現役バリバリのプロレスラー・藤波辰爾が、今年、現役生活50周年を迎える。そんな藤波に、修業時代のエピソードを聞いた。
「17歳のころかな。アントニオ猪木さんの付き人としてタンザニアのジャングルに行ったときのことなんだけど、初めての海外旅行だった僕をその場に残して、先に帰ってしまったんですよ。周りを見渡してもマサイ族しかいないような場所にね(笑)。
あのころは、日本とタンザニアの直航便なんてないから、ナイロビ、ムンバイ、バンコク、香港と回り道をして日本にたどりつきました。
猪木さんに挨拶に行くと、『おう、帰ってきたか』とニヤッと笑っていましたね。旅っていうのは、トラブルが起きるから勉強になるんですよ。それを体験させてくれた猪木さんには、感謝しています」
1975年から、西ドイツ、アメリカ、メキシコと、各国で修行を積んだ。
「当時は、帰国命令があるまで日本に戻れなかった。しかも通訳もコーディネーターもなしに片道切符だけを渡されて、見知らぬ土地に送られるわけですよ。ドイツでの遠征期間が終了したら、アメリカの選手に連絡を取って、自分で次の遠征先も決めていました。
修業っていうのは、リングの上でおこなうことだけじゃない。知らない土地の言葉や文化に囲まれながら、どのようにサバイバルしていくか。失敗を繰り返しながら、学んでいくのが本当の修業なんです」
大きな節目の年を迎えた藤波辰爾は、いま、どのような未来を見据えているのか。
「僕は、引退を考えたことがないんです。70歳になってもリングに上がっていると思います。そのためには、リングシューズとトランクスを履いた姿を見たお客さんに十分戦えると思ってもらえる体づくりをしなければならない。
それだけプロレスが好きだし、プロレスがなかったら、世界のことをこれほど知ることはできなかった。そのプロレス文化を過去のものにしないように伝えていくのが、僕のすべきことだと思っています」
ふじなみたつみ
66歳 1953年12月28日生まれ 大分県出身 16歳で日本プロレスに入門し、1971年デビュー。
(以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) 引退を考えた事ないって
二十年くらい前に引退までのカウントダウン試合を長々とやってたろw ドラゴンスープレックスとロケットが必ず未遂に終わるムーブが萎える 昔のレスラーは何言ってるかわからんところが面白かった
え?って思ったとしてもみんな聞き取れた顔して熱狂してた
その空気が最高だった 藤波にアドリブ能力があればマジで伝説になれたかもしれんな
マイクパフォーマンスが弱すぎる ナイロビ→ムンバイ→バンコク→香港→日本までの乗り継ぎ便のチケット代は猪木が置いてったの? 藤浪ど真ん中の世代だわ
ワールドプロレスリングは毎週観てたな 四角いジャングルを真っ赤に染めたとか、とそういう話? >>17
アドリブ能力あるだろ
ハサミで自分の髪を切ったり 猪木はヨットで海の真ん中に置きざりにされたから
まだマシやろ ドラゴンリングインってどんな効果があんのかさっぱりわからんのです なんでドラゴンリングインみたいな遠回りな入り方するんだろうとずっと疑問に思っていたが
こういう背景があったんだな >>34
バックランド、ホーガン、カネックまでは覚えてる
いやカネックの前に誰かいたかな いだぁづーまが やびをさーいでー おでをよんでるー 日本人がMSGで婚約者(かおりさん)と婚約発表したのは
この人ぐらいだろう 藤波は大分での少年時代に道に犬を首だけ出して埋めたという体験談あたりに闇を感じる
犬神憑きとか犬神信仰って地域的には四国から北部九州だし ジュニアの時のプロフィールが178センチでヘビーに転向したら186センチになった
プロレスラーは大人になっても背が伸びるんだと本気で信じてた >>24
第一弾は正月のボブバックランド戦
ヘビー級転向最初の試合で、もつれた攻防はシーソーみたいな流れ
自然と3カウントしてしまった
もちろん両者は納得せず、お互いもっとやらせろ!と迫るもレフリーは認めず
初戦は不本意な負け
この日はローランボックも参戦、藤浪が返上したジュニアヘビーをタイガーマスクが奪取
正月早々藤浪の試合以外は、見応えある試合が見れた 藤波のWWE殿堂入り
「飛行機は家内(伽織夫人)とファーストクラスでホテルはスイートルーム。
滞在4日間は移動にキャデラックのリムジンがついた。
ホテルもWWEの貸し切りだからオフィスがそのままサンノゼに
来た感じ。部屋のカードキーはレッスルマニアのデザインで、
セキュリティーはしっかりしていましたね。会場への移動は白バイと
パトカーが先導して、後ろ、横にもつく。高速道路も止めちゃうんだよ。
ノンストップだった。」
試合なしの式典だけで観客は1万8000人 夢があって良いな まあカールゴッチ式トレーニングを日本に帰りながら積めるから良い方法なんじゃないかと思う 藤波のニードロップ好きだなあ。
技の系統としては猪木の後継者と言っても良い面もあると思うけど、
意外と猪木と藤波の間には距離があった気がする。
猪木の目が他の選手に向いていたのか、それとも認めていたからこそ
距離を取っていたのか分からないけど。 新日本プロレス最弱レスラー
ドロップキックしか技はなかった >>44
昭和57年1月1日後楽園ホール
猪木vsボック
WWFヘビー戦 バックランドvs藤波
WWFジュニアヘビー級王者決定戦 タイガーマスクvsキッド
豪華カードだった
ゴッチvs藤原のエキシビション
革命戦士になる前の長州vs浜口で
ハンセンが全日に行って、今までハンセンにやられてた
長州が下手くそなラリアートを初公開した でも、なんだかんだで名勝負製造機なんだよな
派手に技を受ける選手は見ていて面白い
藤波の雪崩式リングインからのカウンター受けとか、川田のピヨリ芸からのラリアット一回転受けとか、飯伏のDDTセルフ垂直落下受けとか >>58
天龍や川田の大袈裟な受けは見ててわざとらしく、リアリティーがゼロ
藤波のはリアル >>44
この日は生中継で藤波の試合が長引くと
猪木ボックが流れない恐れがあったから
高速3カウントで藤波の負け
藤波はこんなん多い 5年の時にM君との喧嘩のフィニッシュホールドはドラゴンスリーパーだった。
泣いてるM君に最後は裏DDTで仕留めても良かってんぞと
皆の前で言い放ったのは俺の人生のハイライト >>9
修行僧とかやることルーティーンで決まってるし
しかも一番のストレスの元になる人との会話や接することも無いw
食事抜いて決まった道を歩いたり冷水浴びたりしめ決まった時間に終わるし
藤波やら勤続30年のサラリーマンの方がずっと凄いわ >>63
会話はしないほうがストレスになる人も多いぞ まるで犬 捨てられた事もわからず帰巣本能だけで戻ってくる
将来社長になるのはこういう人物か >>63
仕事しなくていいんだから楽だよね
千日回峰行とか言うこと大げさなんだよ
自害用の短刀と紐を常に携えてるとか言ってるけど、相撲の行司と一緒だろと思うわ
行司が切腹したとか聞いたことないし、
回峰行に失敗して修行僧が自害したっていうニュースも聞いたことない >>26
こういうのって
まじで死んだらどうするわけ?
力道山が殺人で逮捕されるわけだが >>75
修行が苦しくて自害したら仏教の教えに背くよね
修行しない方がいいんじゃ無いかな? あろーイノキさんがねっ
あろーひとりで帰ったんれるよ 藤波がデビューしたという記事が載ってたゴングが俺が最初に買ったやつだ。
アリvsフレージャーTが目当てだったんだけどね >>67
ハンセンのラリアットを何発も受けたからな
説得力があるわ 藤波とジャンボが試合してたら一方的な虐殺になってそうだよな タンザニアのジャングルに置き去りにされた経験があるにもかかわらず
「ねぇ、こういうのってある程度撮影したら『お疲れ様でした』ってなるもんじゃないの?
ホントにここに泊まるの?ウソでしょ?」
ウルルンに出演した時の辰っつぁん、こんなんだったんだよなぁ… 猪木のワガママで真冬に糖尿病対策の1月の寒中海水浴付き合わされたのはイジメだと思います… >>14
不思議な動きだよなあ
テンション上がって本能で勢いつけてインしてみたしか意図がわからんが
そのままなんの意味もないローキックとかやってたりしたもんな 玉袋筋太郎(180cm)「藤波さんと並んで写真撮った時、「あ、やべえ」と思って
瞬時にヒザ曲げたもんな笑」 >>94
一度引退したけどグレート小鹿もいてるな
タイガー戸口、力道山の息子(百田光雄)とかは
まだ引退してないのかな
百田と藤波は日プロ時代に対戦してたんだな
力道山のパートナーだった遠藤幸吉はまだ生きてるみたいだが
力道山道場出身でまだ生きてるのはマティ鈴木、アントニオ猪木、
北沢幹之、グレート小鹿ぐらいか
藤波は北沢幹之のおかげでプロレスラーになれた YouTubeに飛龍革命の翻訳バージョンがあって凄いなぁって思った 試合前にドン荒川がからかって場内にマッチョドラゴン流したら
顔を真っ赤にした藤波が音響を止めに来た ドラゴン探検隊で藤岡弘探検隊の功績を巡るのは無理か 30代の頃、あれだけ苦しんだ腰痛は良くなったのか? >>1
てか武者修行言うたらドイツ語喋れないくせにマルチナコマして結婚した蝶野って凄くね? >>106
ドイツ人は日本人のカタカナ英語なんて聞こうとしないから全部ゼスチャーで
やってたと言ってたな。ノイローゼになりかけたとかね 藤波はどんな選手とでもそれなりに試合ができた。
長州は外人相手になると、全くと言っていいほどショボい試合しかできなかった。 一時背中に黒い斑点だらけで内臓の病気かと思ってた
コップみたいなのを貼り付ける民間療法の跡だったのな >>109
Uとの対抗戦も藤波が受け身とってくれたからこそだな >>1
>僕は、引退を考えたことがないんです。
…… >>105
今は昔みたいにシリーズで連戦とかないから、普通に手術して治した 昔のプロレスラーや今のサッカー選手はこういう厳しい環境でやってきてるんだよな
通訳つけて甘えでやってるやきう選手とはメンタルの鍛え方が違う 山下達郎がサンソンの珍盤・奇盤特集で『マッチョドラゴン』と原曲を続けてかけたことがある。
達郎は「バックはオリジナルより上手い」とか「サビのコーラスの無機質な感じがいいですね」と妙にほめていた。
なお、藤波の歌唱力については一言も触れなかったw >>112 U復帰の時代なんて長州が仁王立ちでもバカ強い的なブックだったじゃん >>109
そうそう
ブロディに子供扱いにされてたな >>118
旧UWF(ユニバーサルプロレス)が新日に戻ってきた頃のはなしとちゃうの?
その頃、長州はジャパンプロレスで全日に参戦してた
UWFに遅れて長州も新日に復帰して世代闘争が始まったが
猪木、山田vs藤波、長州で藤波と長州が仲間割れして終了して
その後、前田の長州顔面蹴りが起きた ファンだったけどvs橋本でギブアップして引退しなかったから一気に冷めた 新日社長時代が辛すぎて、若い頃が美化されてそう。(´・ω・`) >>111
一時期、猪木とかもやってたな
カンフー映画に出てきそうな怪しい治療法w >>111
吸い玉とかカッピングとかだな
鍼灸院でやってくれるよ 別に筋トレ趣味なわけじゃないけど、藤波のトレーニング本がゴッチ式?の、
自重をベースにする奴で、手軽にやった気になるには丁度良くて重宝してる >>126
なんも怪しくない。吸い玉なんて昔からあるありふれた治療。 >>86
> 藤波とジャンボが試合してたら一方的な虐殺になってそうだよな
なるかよ。
お互い技を出し合って引き分けだよ。 >>131
鶴田のバックドロップを藤波が体を浴びせて返して
起き上がったところをスモールパッケージホールドでピンだな >>11
マイクアピールとかも本当に何言ってるか分からないレスラー多かったもんなw
でもなんかレスラーの表情や雰囲気や試合の流れで何言ってるのかお客さんそれぞれが脳内補正して盛り上がってたw
脳内補正出来ないお客さんは何かわからんけど周囲の熱狂に合わせて盛り上がってたw 藤浪がベビーフェイス時代の飯塚にスリーパーからドラゴンスリーパーに移行する瞬間に飯塚が技を解いて反撃した事ある。
俺の中では飯塚!お前はそこで技抜けるにはまだ盛り上がらないだろ!
まだお前には早いんだよ!
こっちはドラゴンスリーパー見たいんだよ!と。 入場曲の最初の部分の「ポポンポポ〜ン♪」が拍子抜けするけどそれが良いw 天龍相手にロケット3連発で、
3発目に顔面にカウンターパンチ入れられてガチ大流血半殺し状態になった試合は切なかった 17歳のグリーンボーイがいくつも飛行機を乗り継いで
日本に帰ってこれるほどの金を持ってるわけがないよなぁ
ドラゴンほら話かな? >>139
いろいろ天龍もプロレス下手くそだと思う 力道山のパワハラ→猪木
猪木のパワハラ→藤浪
パワハラは連鎖する ディスカバリーチャンネルとかのリアリティ番組でこういうのがあるじゃん
全裸でジャングルに置き去りとかw >>141
しかし、あれテレビ映像では人に遮られてて、その瞬間うまく映ってないんだよ
ゴング金沢によると、3発目に行こうとしたら天龍が近い位置に詰めたため藤波は途中で止まろうとしてロープに鼻をぶつけ、
そこを天龍が何度も殴ったらしい
それがホントだとすると、
ロケット失敗して鼻をぶつけた藤波はあまりにかっこ悪いので、とっさに鼻をパンチ攻撃して鼻を折ったことにしてある意味で藤波を助けたとも言える
なんにせよロケット失敗なわけだが。
藤波も、格の同じ天龍相手にいきなりロケット3発全弾命中というんはちょっと虫がよい きみらは知らないだろうけど
トランプを引いてハートの5だから何々を5回とかトレーニングするからね >>140
金は猪木が置いていってたから大丈夫なんだけど、
朝起きたら雇っていた案内人が荷物共々消えていたとか… 案外前田なんかのUWF勢との絡みは面白かったなぁ…
基本相手の良さを引き出すタイプの人なんだろうな 親父が60半ば過ぎてもグットシェープなのに息子の身体は。。 >>146
ゴッチ流トランプカード54枚の練習だろ
クラブとスペードがスクワット
ハートとダイヤが腕立て
絵札はすべて10回
Aは15回
ジョーカーは20回
あとはすべて数字通りの回数をこなす
ゴッチにとってこれはあくまでも準備運動笑
そこからストレッチ、ブリッジ、ロープ登り等々、、 >>1
私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。
そういう世界で何が起きようと、私には全く関心がない。
もちろんプロレスの世界にもそれなりの人生模様がさまざまあるだろう。
しかし、だからといってどうだというのか。世の大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいことである。 >>141
元々日本のプロレスラーは「プロレスが上手い」ことがスターになる条件だった
華があることも必要条件だった
ビル・ロビンソンの登場以降はそこには技の美しさとかも加味されることになった
藤波はそれらを全てを兼ね備えていた
※余談だが藤波の技はビル・ロビンソンのそれから派生したようなものが多い
腰が悪くなってからフィニッシュホールドとしてワンハンドバックブリーカーを多用していたのもビル・ロビンソンと同じ
極めつけは藤波の代名詞ドラゴンスープレックスだ
藤波オリジナルのドラゴンスープレックスは、ビル・ロビンソンのダブルアームスープレックスにおけるリバースフルネルソンをフルネルソンにしたものである
初期のクラッチしたままであれば文字通り相手を殺せる必殺技であり、あまりにも危険なためにクラッチしなくなったところも全く同じだ
閑話休題
後にミスター高橋が暴露したように、プロレスでの勝ち負けは予め決まっておりそこに本当の強さは必要とされていなかった
だからテレビ番組であり興行であるプロレスは、華がありプロレス(という芝居)があらゆる意味で上手い人間が前面に出なくてはならなかった
それがコンテンツとしての魅力に直結し人気に比例するからだ
猪木、藤波、タイガーマスクが君臨していた時代が本当の意味で新日本プロレスの黄金期だった
この三人は上記のプロレスに必要な要素を高いレベルで実現していたからだ
プロレスが最も完成されていたのはこの時代だ
ところが長州力の台頭によって「プロレスが下手で華もない」レスラーが支持を集めることになった
長州力は上記の「本来のスター」に対するアンチテーゼとして猪木が登場させたものである
(藤波に噛み付いたのも猪木の指示)
かつてない構図だったのでファンは熱狂したが、それはこれまで積み上げたプロレスの価値観を破壊する劇薬だった
調和して完成されつつあったプロレスが壊れ始めたのはこの頃からである
案の定プロレスが下手で華もないレスラーが長州の開拓した価値観に従って脚光を浴びることになっていった
天龍などその典型で、それまでは全日にいながら新日本プロレスのレスラーの技をパクるくらいしかできない能無しでプロレスの上手さも華もない凡庸なレスラーだった
※因みにDDTは初代タイガーマスクが多用していたフロントネックチャンスリードロップの簡略化に過ぎない
長州ムーブメントの余波で天龍同様に華のない鶴田にまで脚光が当たるようになった
それを支えていたのは「実はメチャクチャ強いのではないか」という幻想であり、前田もこの幻想の恩恵に与った
結果「プロレスが下手で華がない」レスラーが覇権を握ることになり、勘違いした彼らは自ら団体を立ち上げたりしてプロレス界はどんどん分裂していくことになる
アンチプロレスの価値観で一時的に脚光を浴びた人間は私腹を肥やしてこの世の春を謳歌した
しかし元々華がなくプロレスが下手な人間の提示するコンテンツには限界があり、結局は長続きしなかった
トータルではコンテンツとしてせっかく完成の域に到達しつつあった従来のプロレス観を破壊しただけで終わった
プロレスが長く低迷したのは総合格闘技の台頭だけがその要因ではないのだ
それまでのプロレスの価値観を放棄して強さの方向に幻想を膨らました商売をやり始めたためにそれと直面せざるを得なかったというだけの話だ
長州を藤波に勝たせた4.3がその分岐点だった つべに上がってた字幕付き飛龍革命みて、何十年越しにあの時何言ってたのかわかったよ
https://youtu.be/-B5VonofqIw >>158
大昔流行った立花コピペ
女子プロルポが賞をとったときに書いた嫌味
最近知って気に入ったらしく、プロレススレ見るたび延々貼ってるバカガキが居るんだよ >>5
最後に自分が引退したことを東スポの記事で知るところまでセットで >>14
数あるドラゴンリングインの中でも
これは芸術品 >>162
その立花隆って人はオカルトを真顔で語ってるヤバイ奴なんだけどな >>109
でも身体の小ささからくる体力負けは如何ともし難かったけどな。
アンドレ、ハンセン、ホーガン、ブロディらには正直、子ども扱いだったし。
これが鶴田ならハンセン、ブロディあたりとは対等だった・・。 >>28
相手が油断することで隙が生じ、次なる必殺技へと繋がるという究極の秘技。 >>162
おーやっぱそうだったかありがとう
立花ってのはヤなヤローだな 雪の札幌で「こんな会社辞めてやる!」と叫びながらタイツ一丁でタクシーに乗り込む男
カッコいい >>172
当時、藤波の付き人だった高田はこの時、藤波に殴られた
いつもの藤波は優しくて高田が藤波に殴られたのは
札幌中島テロ事件の時だけだったそうだ >>146
くそ有名な話をドヤ顔でよくもまぁ。
つか>>156の解説がなきゃ伝わりすらしねぇわ。 >>172
そのあと財布を持ってなくて宿泊先で払う払えないで
タクシー運転手と揉めたエピソードも含めて好き >>175
ホテルの部屋の鍵を付き人だった高田に預けてたから
部屋に入れなかったそうだ 藤波の試合は前半は地味な展開だけど中盤のドロップキックで一気に客が沸いてフィニッシュまで盛り上げる
その辺が長州とは違った >>179
というか昔のプロレスは手四つでがっぷり組むところから始まるのがスタンダードで、そこから当分は延々とグラウンドの展開がある
間でロープに降ったり立ち技の攻防を時々交えながら基本的にはグラウンドの攻防をず〜っとやってる
切れ目なくスパートがかかるのは終盤くらい
タイガーマスクとダイナマイト・キッドの試合でさえ実はグラウンドの攻防の時間がほとんど
先入観で見返してみると意外に感じる
だからこそ昔は年間300試合もやれたんだろうね 何だかんだでレスラーは国際派になるよね。海外武者修行あるからな。 藤浪の海外武者修行を密着取材した番組表やってたな〜
地下プロレスの選手とも試合して勝ってた >>184
カールゴッチの家に下宿して修行してたからな
ガチにも普通に対応できただろうね パスポートと金だけと最低限の入ったバッグは持ってたってことでいいよな?
流石にそれがないと無理だ >>188
金もパスポートもいかれてたら大使館を頼るしかないしな 長州力がハイスパートレスリングを標榜してそれを表現したのは彼がプロレスが下手だったからだ
華もないので間も持たない
じっくりと観客を魅了するという事ができない
だから最初から最後まで激しく暴れまわるしかなかった
そしてそのためには根拠が必要だった
藤波への歪んだ嫉妬心や憎しみが必要だったのだ
理不尽な形で彼の標的になった藤波はとんだ迷惑と言うしかない
長州が全日本プロレスへ移籍したときには元々新日本プロレスから殴り込みをかけてきたような形だったので最初からそこに対立軸があった
わざわざ改めて遺恨を作り出す必要がなかったわけなのだ
しかし全日本で一流外国人選手とメイン扱いで戦う機会が増えた長州はそのメッキがどんどん剥がれていく
そこにはなんの対立軸もないからだ
そうなれば激しさを表現する根拠がなくなる
そうなれば長州のプロレスには観る者の特別な思い入れが必要になってくる
試合自体はプロレスとしてはつまらないからだ
タッグで対戦した長州がエプロンサイドのブロディにいつもの調子で殴りかかったものの「何をしやがる」とばかりに髪を掴まれ、その後子供扱いをされた場面が象徴するように、ここに長州のプロレスラーとしての限界が端的に集約されている
彼らの側には長州の我儘に付き合う根拠がないのだ
怒りをぶつけれる筋合いがなにもないからだ
一方の藤波はどんな相手とでも名勝負を展開でき、それは相手が一流の外国人選手でも同じだった
誰であっても相手の技量を見極めてプロレスとして成立させることができた
そしてこれはプロレスというテレビ番組でもあるエンタメにおいては、メインエベンターとして本来不可欠な資質だった
新日本プロレスに戦いの場を移したプロディと藤波のシングル戦を見ればそれは明らかで、こんな芸当は長州にはできないことだった
それがスイングしたプロレスの試合として成立したのはブロディも藤波のプロとしての力量を瞬時に見抜いたからだ
そして本来プロレスとはそういった能力に長けた者同士だからこそ展開できるエンターテインメントだったはずなのだ
そこに必ずしも遺恨は必要なかった
そいう形でまさに「プロ」レスリングとして完成されつつあったものを長州ブームが破壊してしまった
ファンが彼らに熱狂したときには気づかなかったかもしれないが、そうやって一通り焼き尽くした跡地にはもう従来のプロレスリングが成立する余地は残っていなかったのである
エンタメとしての信用度で長い歴史のあったプロレスを終わらせていったのは実は長州力なのだ >>190
今のプロレスの試合も物凄いスピード感だし、以前ならここ一番の見せ場で出す以上の大技連発とか選手の身体の負担はたいへんそう。
新しいファンを多く獲得してるのは素晴らしい努力だけど、選手にはプロレス独特の間があるからこそ試合中に体力を温存や回復させながら自分だけじゃなく対戦相手にも大きな怪我をさせないようにきちんとしっかりした大技を出して観客を魅了するものだと思っていたんだが。
なので間の部分も観客を飽きさせない動きやアピールもあるものだったけどな。
そういう部分の楽しみも知らない新しいファンを開拓するには今の、より激しくスピード感あって派手な大技を頻繁に出す方向に向かってるのかね。
選手生命を縮めないようなバランスで永く楽しませて欲しい。 今のプロレスは、選手たちは「すごい試合」をしてるつもりなのかもしれないけど「すごい戦い」はまったく見せられていないんだよ
戦いのないプロレスなんてプロレスじゃない
理にかなってない動きが多すぎるし。組体操と揶揄されるゆえんだ
>>191
以前のプロレスには「競技性」という前提があった
タイトルマッチともなればコミッショナーによるタイトルマッチ宣言がある
その宣言を行うのは二階堂進や野末陳平といった現職の有名議員達だった
そうやって競技性を担保していたのだ
だからグラウンドの攻防が延々と続いてもそこにはむしろ競技としての説得力があった
競技だから観ている者もそれに腰を据えてじっくり付き合うことが当たり前だった
終盤には派手な技の激しい攻防がちゃんとあるはずなのだ
そこまでは我慢しなくては…
しかし本物の競技としての総合格闘技が登場して、長州力以降のムーブメントでかつての競技性については「必要ない」とそのほとんどの部分を既に切り捨ててしまっていたプロレスは一気に陳腐化してしまった
そこへミスター高橋のカミングアウトがありプロレスは一度は完全に息の根を止められてしまった
そこから現在の状況にまで復興したレフラーや関係者の努力には並々ならぬものがあっただろう
そこに対しては素直に敬意を評したい
しかし個人的には今のプロレスには全く熱狂できない
なにかアニメやドラマのストーリーを見せられているだけのような感覚なのだ
そこにはかつてのような競技性や幻想はもはやなく、肉体を使った単純なエンタメとして収斂された「何か」があるだけだ
かつての自分がプロレスに熱狂したのはそんなところではなかった
競技性のないエンタメだからビジュアルで観客を楽しませなければならない
スタイルの良いイケメン達がこぞって登場し、彼らが大見得を切ってアクロバチックな大技を次々と繰り出す
そこにはかつてのプロレスにあったロマンはなく、アニメや特撮ヒーローに似た世界観がただ展開されているだけである
現在の主要なファンのニーズがそれなのだからそれにアジャストするしかないのだ
過激な四天王プロレスも経てきた上でプロレスは今の形に落ち着いた
それが正直な現在のプロレスの姿だ
しかしそれが将来的にも最適解であるとは限らない
その時のために藤波はプロレスの命脈を繋ぎ止めようとしているのかもしれない >>193
大層な能書きの努力だけは認める
しかしレフラーで台無しw
ボケたいのかマジなのかはっきりしてくれ
軸ブレブレやぞ
誤字脱字てのは怖いな
それまでの軸を一気にへし折る笑 猪木の本に書いてた、ジャングルで夜営した時に藤波だけアリに全身噛まれた話かと思ったら違うのか ドラゴンスリーパーとか言う胸の筋肉と腕が隆起する見栄え100点技 脇に問題を抱えていると威力が跳ね上がる説得力がある技だな、ドラゴンスリーパー >>167
ヘビー級に転向した後、ホーガンとは互角のいい勝負してた
ハンセンとはジュニアの頃しかやってないんじゃ?
猪木と組んでボック・ハンセン組とやってハンセンにはそこそこ抵抗してたような
ブロディに子供扱いは記憶にない
新日でブロディを圧倒する試合をしたマードックとは好勝負してた >>ホーガンとは互角のいい勝負してた
当時のビデオとかネットで改めてみると、ブロディ―やハンセンと比較して
ホーガンは至極まともなプロレスをしてる
猪木や藤波みたいな軽量級のレスラーの技にもちゃんと吹っ飛んだりしてる
ハンセンは相手の怪我度外視で、暴れちゃってたり、ブロディ―は相手によっては
容赦ないし・・・ >>204
ハンセンは極度の近眼でブルファイトってことになってるが、ただ下手なだけなのではと最近思う ホーガンは技受けるのが中心のスタイルだからな
ブロディは自分より小さい選手が嫌い >>190
その後、子供扱いってw
プロディがパンチやキックやスープレックスしたとかもう妄想が始まるの?
ただ髪の毛掴んでいてセルしなかっただけだぞw
勿論長州は藤波よりは劣るけど、鶴田よりはマシ。 マッチョドラゴンのPV撮影が1番心を鍛えたと思うよ
あれは本人も周りも拷問だよ
笑っちゃいけないんだから 英語はどの程度できるんだろう?
免許もアメリカで仲良くなった友達の警官に見てもらって取ったって言ってたし
バイタリティー溢れてるなあ >>119
1つも長州の技を受けなかったね。
試合として成立してなかった。 怒ってホテルをチェックアウトしたら他で部屋が取れず同じホテルにドラゴンチェックイン 当時ななんだかなーって
思ってたけど、全てがわかった今は藤波やフレアーがいいレスラーなんだと思う 昭和の海外武者修行は雑でいいよな
佐山や武藤もそれで出来上がったし >>209
ブロディ楽しそうだな
猪木と戦っている時よりイキイキしてる >>132
藤波には電光石火の逆さ押さえ込みがあるしな
誰も傷つかない重宝する技
これでフォール負けする鶴田が見れたら鶴田もたいしたもんだ なんで藤波スレでマードック先生の羞恥プレイ話が出ないのか
早稲田対明治のラグビー決勝戦で明治選手がつかまれて尻出しした時、
マードック対藤波戦生放送での藤波リングイン尻出しを思い出したのはオレだけか だってラグビー見てればあんなシーンしょっちゅうだよ この経験が「四角いジャングルを〜真っ赤に染め〜てやる〜」に繋がったんですね 三大 藤波辰巳
VSチャボ・ゲレロ(1978.10.20 寝屋川市民体育館)
VS長州 力(1982.10.22 広島県立体育館)
VSアブドーラ・ザ・ブッチャー(1982.4.21 蔵前国技館) テレ朝のプロレス総選挙で選ばれなかったのは恥だよな
あんた何年間第一線でやってきたのよ、と言いたかった >>229
新日と喧嘩別れしていた時期だし仕方がない
テレ朝の独自集計なんていくら捏造してるかわからん 藤波は優等生すぎたな
いい子すぎて面白味がなく永遠の2番手って感じ
ま、それでも凄いんやけどな ドラゴンロケット
ドラゴンスープレックス
ドラゴンスリーパー >>225
自慢じゃないが、この中の一人とヤッた事あるw
バイトだけど ドラゴンリングイン
ドラゴンストップ
コンニャクドラゴン 歴史に残る歌声
マッチョドラゴン 藤波辰爾
ローリングドリーマー ジャンボ鶴田 出会いの数だけ別れがあるとわかっているのに恋をする 音程が大地震を起こしてる方々
藤波辰爾
ジャンボ鶴田
宮内洋
倉田てつを
仲村トオル >>48
プロレスといえど勝敗の判定にガチ不満というのはあるんだな >>1
そんなマッチョドラゴンに「「誠実」と書いて坂口征二と読む」と言わせる世界の荒鷲 >>1
すげー時代だな
今やったらアウトだがこういう一般人には考えられないことしてるからすげーわ テレビのロケで猪木の付き人としてアフリカに行って、猪木さんだけ日本から急に呼び出されて一人で帰っちゃったらしい
でも現地のポーターが一人いたらしいよ >>205
プロレスへたくそでサンマルチノ戦でショルダーバスターかボディースラムで
迷って脳天からサンマルチノを落として欠場に追い込んでしまったほど
藤波は逆に受け身が上手くてどんなしょっぱい技も上手く受けてくれるから
対戦相手は凄く気分良くプロレスができた
でもあの体でヘビー級の技受けるのはきつかっただろね 藤波はたしかに受けがうまくて相手を怪我させないけど
後年は自分のキャパを超えた受けのダメージが飽和して試合崩れたことも多かった
ベイダー戦で腰を痛める、天龍戦で鼻骨折で大量出血、東京ドーム橋本戦で側頭部キックを受け半失神 「われわ※※こ※※※い※※※い※※※※ゃな※※だ!!」 >>239
倉田てつをに関しては
×上手
×下手
○てつを
と呼ばれて第三の評価基準になっているけどな
つーかこの全員好きだわw >>253
谷津のMSGデビュー戦もエストラーダで
タイガーマスクがWWFに参戦したときも
エストラーダと対戦してたな
藤波が谷津と組んでMSGでWWFタッグ王座に挑戦したとき、
かおりさんと婚約発表した >>255
ゴーストライターだよね
苦しみの中から立ち上がれ! ドラゴンリングインで定着しているけど、当時俺界隈では雪崩式リングインと呼ばれていたんだけど違う? 言われてたね
でもよく考えたら単独なのに雪崩式ってのはそもそもおかしいんだけどねw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています