0001砂漠のマスカレード ★
2020/01/18(土) 14:33:41.34ID:wrn/vxRh9現役時代プロに入り2人目の監督として指導を受けた立浪和義さんがその思いを語った。
最後に高木さんにお目にかかったのは昨年12月5日、私の野球殿堂入りパーティーでのことになった。
出席してくださり、あいさつをさせていだくと「おめでとう、がんばれよ」と温かく声をかけてくださった。
普段は温厚で、本当に優しい方だった。
最初の出会いは私がまだPL学園の高校生だったときのこと。対談のため高木さんが大阪のグラウンドまで来てくださった。その後もご縁があり、ドラゴンズで再会することになった。
プロでの最初の監督は星野仙一さんだった。非常に厳しく、プロの世界、勝負の世界の厳しさを教えていただいてスタートした。私にとってプロでの2人目の監督が高木さん。星野さんとはまったく違った。
若かった私にもある程度自由を与えてもらい、基本的には自主性に任せてもらえた。
プロで、初めて大人扱いしてくれた監督が高木さんだった。自分のことは自分でやる。ある意味、プロ中のプロ。そんな監督であり、星野さんとはまた違うプロの厳しさを教えてくださった。
私が肩を痛めていたことを考慮してもらい、ショートからセカンドにコンバートしてくださったのも高木さんだった。
何とか結果を出して応えたい、そう思ってプレーしていた。
巨人と優勝を争った「10・8」では勝つことができなかった。監督だった高木さんがいろいろと言われ、世間の風当たりもきつかった。
だが、勝てなかったのは選手の力がなかったから。監督どうこうではなく、選手の力量が足りなかったということ。私も一塁へのヘッドスライディングで左肩を痛め、試合の途中に退いてしまった。
勝つことができず、高木さんには本当に申し訳ないことをしたと思っている。
口数が少ない監督だった。だから正直、誤解する選手もいた。選手に対し、多くを語らないことがあだになった面もあるかもしれないが、私にとってはプロとしての自覚を芽生えさせてくれ、成長に導いてくれた指導者である。
心から感謝しています。ご冥福をお祈りいたします。(元中日ドラゴンズ内野手)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200117-00010063-chuspo-base
1/17(金) 22:49配信
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