【和製フリット】規格外のフットボーラー石塚啓次 いまだから明かせる高校、Jリーグ秘話
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金髪、ピアスで残した強烈なインパクト
「ホンマに忘れっぽいし、いい話もできないけど。それでもよければ、どんどん突っ込んで聞いてください。あんまり時間もないけど……」
待ち合わせの店で初めて顔を合わせると、石塚啓次はそう言ってほほ笑んだ。
少し意外だった、と言えば、失礼かもしれない。だが、引退後はほとんどサッカーに関する取材を受けてこなかった彼から、まさかこんな貴重な取材機会をもらえるとは想像だにしていなかった。
それだけに、こちらの心中はうれしさ半分、戸惑い半分というところだったが、取材が始まるとその時間はあっという間に過ぎていった。
元Jリーガー石塚啓次の名は、選手時代よりも引退後にアパレル業界での活躍やスペイン・バルセロナへ渡って飲食業を営んでいることなどで度々報じられてきた。
だが、そもそも彼の名が全国のサッカーファンに知られるきっかけになったのは1993年1月、第71回高校サッカー選手権・決勝でのことだった。
決勝のカードは、国見対山城。まさかの快進撃を見せた京都・山城の背番号7をつけた石塚が、その大会でプレーしたのは決勝のわずか20分ほど。
だが、短い時間のなか、ダイナミックなプレーと金髪にピアスという風貌で強烈なインパクトを残したことは、いまでも語り草となっている。
「どやったっけなー」とはにかむ石塚の頭の中に、当時の記憶はどう残っているのか。
三浦淳寛(当時の登録名は三浦淳宏。
元日本代表、横浜フリューゲルスなど)や永井篤志(元モンテディオ山形など)などを擁した国見との決勝は、前半に1点、後半にもさらに1点を奪われる形で試合は進み、
大会前のガンバ大阪Bチームとの練習試合で 右足小指の亀裂骨折の故障を負っていた石塚がピッチに入ったのは後半18分のことだった。
実況アナウンサーが「ついに石塚登場」と言えば、チームメートも石塚を拍手で迎え、国立競技場のスタンドもにわかにザワつくなど、その交代劇はまるで“救世主の来臨”をも思わせた。
司令塔の石塚の投入と同時に、山城はリズムを取り戻した。ただ、2点のビハインドは重く、山城は懸命な反撃も空しく0-2のまま敗れた。
石塚がボールを持つたびにスタンドは揺れ、その華麗なボールタッチひとつひとつに大歓声が上がった。
一方で、石塚の独創的なプレーをよそに、茶髪にピアスという出で立ちが高校生らしくないとクローズアップされ、思わぬ批判の声が沸き上がった。
「ふてぶてしい、ってね。1回戦か2回戦のときも、ベンチ脇でふんぞり返っていたら、それが噂になったりして。
でも、俺にとってはサッカーしたいのにできひんってなって、それでも見てなあかんって拷問みたいなもんやん。
だから、超ふて腐れてて。学校にもあとからクレームが来たらしいけど、何も別に……。
だいたい、山城は京都の公立校で、金髪、ピアスは(当時は)普通やし。
パーマあててるヤツだっておったし、全国大会に行ったから急にやれ金髪だって言われても何を言ってはんのって(笑)。
相手が(チーム全員が坊主だった)国見だったから際立っていたんちゃうかな。
金髪って言われても、安い脱色剤を使って軽く髪の色を抜こうと思ったら、そのまま寝てもうてえらい色になってしまっただけ。
黒に染め直す金もないし、もうこれでいくしかないやろって(笑)」
ケガを押しての強行出場、その胸中は…
どんなプレーをしたかは、まったく覚えていない。ただ、サッカーしかしてこなかった石塚少年にとって、国立での決勝は夢舞台だったと振り返る。
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/202001110001-spnavi
栗原正夫2020年1月12日(日) 19:00
https://iwiz-spo.c.yimg.jp/im_siggr7dVRWn0WyHb3A4rlNEZ5w---x600-y300-pril-q80/c/sports/text/images/2020/0111/202001110001-spnavi_2020011100003_view.jpg
https://iwiz-spo.c.yimg.jp/im_siggyHw7rmtaJMfcHK8S6BqreA---x600-y300-pril-q80/c/sports/text/images/2020/0111/202001110001-spnavi_2020011100004_view.jpg
https://i.pinimg.com/originals/de/3c/49/de3c496168b2a17028302cf2a364e86f.jpg
https://image.middle-edge.jp/medium/814e71b1-06bb-4b87-b683-be48df0a278a.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=V7Ouyy4gg2c
第71回全国高校サッカー 超高校級MF 石塚啓次 登場
https://www.youtube.com/watch?v=FcHbaHDNz6Y
【うどん屋】石塚啓次20歳 伝説のインタビュー 懐かしいな 石塚とか磯貝とかホンマもったいないよな ルート・フリット「オレはグーリットだよ?なんで日本人はフリット呼びなんだ?」 「そりゃ、うれしいでしょ。決勝まで間近で見ながら出れへんかったわけだし。
確か準決勝くらいで監督に『記念で一回出るか?』って言われても、『出るわけないやろ』って感じやったけど、
決勝前にもう一度『出るか?』って言われたら、『ほな、出よか』みたいになって。
そんなに簡単に出るのもカッコ悪いってのがあったけど、決勝ならいいかみたいな(笑)。
ただ、スパイクもユニホームも持ってなくて兄貴に新幹線で持ってきてもらったんちゃうかな。
それで決勝に出たら、なぜか盛り上がってしまって。実際、足はすげえ痛かったけどね」
ピッチに出るときは「クールにせなあかんって、難しそうな顔してね(笑)」と当時を思い出す石塚だが、胸の内では、普通にいけば1回戦か2回戦で負けたであろう山城が、
エースの自分を欠いたことで団結し、まさかの快進撃を見せたことに「なんで?」という複雑な思いもあったという。
山城は初戦の郡山(福島)戦に8-0と快勝すると、2回戦で桐蔭学園(神奈川)、準々決勝では四日市中央工(三重)にいずれもPK戦で競り勝ち、
準決勝では名門・習志野(千葉)を2-1と退けるなど、強豪校を次々に連破し決勝まで駒を進めていた。
「それまで中心でやってた俺がいないのに、なんで勝ってんの? おかしいなって(笑)。
そこは面白くないわな。なんで勝つんだチクショウって。でも、短期決戦はノッたもん勝ち。それが、おもろいところなんやろうな」
ピッチ内外で際立った規格外のキャラ
山城は近年こそ目立った成績は残せていないが、過去の選手権で全国制覇1度、準優勝2度を誇る京都の古豪で、これまで多くのJリーガーを輩出してきた。
石塚が当時どんな部活生活を送っていたのかも気になるところだ。
「山城は京都の中心にあって、グラウンドも小さくてね。
そこにサッカー部のほか、野球部やラグビー部もあって、練習してても野球のボールがボンボン飛んでくるみたいな。
定時制もあったから、それまでに校門を出なきゃあかんって感じで練習は1時間くらいで(全国大会に出るような学校の中では)一番少ないんちゃう。朝練もなかったし。
そんななか、俺は練習中ずっーとボールの上に座ってたって、よう言われるわ(笑)。監督も、元々は実業団で選手だった先生やから、俺に理解があったというか、自由にやらせてくれた。
例えば土曜日に練習があって、日曜日に試合がある。
そしたら土曜の練習のあと、一度家に帰って次の日の荷物を用意して三条京阪駅のロッカーに入れて、朝までディスコ。
それで、日曜はそのままグラウンドに向かって試合の15分くらい前に着いて『やりますか』って試合に出ていたらしい。ほかのメンバーは試合の2時間くらい前からアップとか準備していたらしいけどな。
俺ももう忘れてもうてるからホンマかどうは分からんけど、そうらしいって言われるわ(笑)」
そんな状況でも監督やチームメートとの関係がうまく保たれていたというのは、石塚のどこか憎めないキャラクターがあったからだろうか。
「出れば活躍していたからね。これでも昔はサッカーがうまかった。部活をやめるとか言われたら面倒くさいだろうし。触らぬ神に祟りなし、かな(笑)。
ただ、普通の練習は嫌いやったけど、ボールを使った1対1とかミニゲームは大好きで、小さい頃からボール遊びだけはようやっていたのは間違いからね」
https://iwiz-spo.c.yimg.jp/im_sigg9mJoR2VjeObwiPyKokjIBQ---x600-y300-pril-q80/c/sports/text/images/2020/0111/202001110002-spnavi_2020011100007_view.jpg >>2
正直、今の選手とレベルが違い過ぎてもったいないとか感じなくなったな 石塚って引退してからの方がニュースになってる気がするわ
ブランドだのうどん屋だの、自分で売り込んでるのか知らんけど 「もっと頑張ってやっときゃよかったなあ」
高校卒業後は、高いテクニックと視野の広さを買われて当時Jリーグで人気、実力でトップに立っていたヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)へ入団した。
2年目には94年のセカンドステージで出場機会をつかむとステージ優勝とチャンピオンシップ制覇に貢献。
だが、プロ入り後もピッチ内外で異端ぶりを発揮し、決勝ゴールを挙げた同ステージ第19節のG大阪(3-1で勝利)戦後のヒーローインタビューで
「僕を出したら優勝できるんで、よろしくお願いします」と発言したことが、大柄な態度だと物議を醸した。
当時の映像を見れば、インタビューを受けた石塚本人ではなく、状況をよく考えもせず質問をぶつけているインタビュアーにも問題がありそうだが、報道がひとり歩きし、何かと悪目立ちしてしまった。
「俺の仕事はしゃべる仕事ちゃうからね。まあ、あれは監督の松木(安太郎)さんに向けて『俺をもっと出してよ』って言った言葉だったんだけど。
(プロで)もっと頑張ってやっときゃよかったなあとは思うよ。でも当時のヴェルディはめっちゃカッコよかったし、入れたときはうれしくてね。
練習も楽しかった。だって、全員うまいんやからね。そやから、もう一皮剥けへんかったんかもしれへんけど……。
ラモス(瑠偉)とケンカしながら紅白戦をやったり、当時のヴェルディは試合前になると練習中にエキサイトして胸ぐらのつかみ合いになるとか、毎日ゾクゾクしてたわ。
プロでの思い出? 一番言うたら、練習初日に加藤久さんにあいさつないやんって怒られて(笑)。
ヴェルディではカズ(三浦知良)派、ラモス派、キーちゃん(北沢豪)派、哲さん(柱谷哲二)派って、鞄持ち制度があったけど、俺はどこにも属さず、誰とでも仲良くしとったな」
シーズンによって浮き沈みはあったし、その才能を思えば不完全燃焼だったと言えなくもない。
V川崎を中心にプロで11年。最後は川崎フロンターレ、名古屋グランパスにも所属したが、V川崎時代を超えるインパクトは残せず、29歳で現役を引退した。
「最後はね、子どもいたし、次に行くなら若いうち、まだ名前が残ってる間に次のことやる方がメリットあるかなって、早めにね。
それに、自分がうまくなくなったという思いもあったし、サッカーは草サッカーでもできるという思いもあったんよね」
引退後は同じく元Jリーガーの森敦彦(元横浜フリューゲルスなど)とアパレルブランド「WACKO MARIA」を立ち上げ、約7年間、国内ファッション業界で活躍した
2012年に家族とともにスペイン・バルセロナへ移住。現在は、当地で飲食店を経営するほか、実業家として第2の人生を歩んでいる。(敬称略)
石塚啓次(いしづか・けいじ)
1974年8月26日、京都府出身。京都・山城高3年時に冬の選手権で準優勝するも、ケガの影響もあって出場は決勝のみ。
184センチの恵まれた体躯に、テクニックと視野の広さを武器に天才肌のMFとして注目を集め、卒業後はヴェルディ川崎に加入。
2年目にはJリーグチャンピオンシップ優勝に貢献したほか、Jリーグ通算106試合15得点。
03年に川崎フロンターレ、名古屋グランパスに在籍し同年オフに引退。
その後はアパレルブランド代表を経て、2012年よりスペイン・バルセロナに移住。現地で新たなアパレルブランド「BUENA VISTA」を立ち上げたほか、
14年6月にうどん屋「YoI Yoi Gion 宵宵祇園」を開店し、自ら厨房に立っている。 異質なものを感じるくらいには第一印象で上手かった
それ以上を証明する前に消えたけど youtubeで見たけどフィジカルがすごいんだよ。
背の高い中田みたいな感じ。 覚えてるな。決勝で少し出ただけでもモノが違う感じだった。そんで当時の読売に入るって聞いて
カズとかと一緒にやるの?すげーって思った フリットって身体能力が凄い化け物タイプだろ
テクニシャンで線の細い石塚とは似ても似つかぬ選手だと思うんだけど そんな彼が引退後起ち上げたブランドが「ZUCCa」
凄えわあ >ヴェルディではカズ(三浦知良)派、ラモス派、キーちゃん(北沢豪)派、哲さん(柱谷哲二)派って、鞄持ち制度があった
酷いクラブ
だから落ちぶれたんやで
ヴェルディ出身者もロクな指導者いない 正直マジメじゃなかったからな
才能だけでサッカーやってた
いまの戦術が高度に進化したサッカーでは必要ない 金髪とか書いてるから見たらただの茶髪やないか
メンタルクソだと落ちるの典型だわな
才能で出来るのは学生まで >>12
>>1の動画見てそう思うの?
中田は16歳の時にナイジェリア選手弾き飛ばしていいたが >>14
懐の深さだよ
ボールと身体の空間に共通の間合いがある 子供の頃から頑張って来なかった奴が
才能買われてプロ入りしたからって
急に態度や考え改めて頑張れるわけがない
結局その程度の選手だった 石塚のこと悪く言うつもりはないが
典型的昔の選手って感じ
日本の選手のレベルが飛躍的に上がったのはやはりシドニー世代からだわ 李監督の時にFWにコンバートされて開花しそうだったけど、
松木が干して終わった。
ベルバトフみたいな感じで面白かったのに。 あとインタビューで、は?よくわかんないっすよとか何とか言ってたのもあったな >>24
ベルバトフとはなんとなくイメージが被るね ひょろひょろ過ぎて国見にもフィジカル負けしてるやん
石塚みたいな選手は国見→鹿島ようなコース辿った方が良かったよ いかにも当時のヴェルディが好きそうな選手だったから入団した時はやっぱりと思った 5年に一回くらい記事になるよなこの人
誰も興味ないのに 才能だけでサッカーやってたね
もっとやれたんじゃないかと思うが
上を目指すってのも資質だしな この試合は三浦アツのミドルがあまりに鮮烈だったから強烈に覚えてる
ビデオテープが擦り切れるほど繰り返して見たわ
そのせいか石塚とかカケラも覚えてない この記事の注目は黄金期ヴェルディの派閥だね。薄々あるのはわかってたがここまで露骨だったとは
カズ派ラモス派だけじゃなくこんなに分かれてたんだ 昔は才能だけでJリーグで活躍したできたから、ある意味面白かったなあ
今は才能あってもまず走りまくらないとダメだから、走る人ばかりでつまらん >>39
それをまとめてチームとして機能させたネルシーニョの手腕よ 本人が何言おうが関係ない俺様は永劫にフリットと呼び続けるぜ!! >>37
去年中国のチームのユース指導者になってる >>1
ガタイには恵まれてたんだな
こればっかりは生まれ持ってのモノだからな
サッカーにしがみ付かなかったから別の道でも早く成功したよな 今の五輪代表にいたら
大然にぶっちぎられて
冨安に弾き飛ばされ
橋岡に完封されて
久保さんのテクニックに自信喪失して引退するレベル >>16
あいつと県予選で戦ったけどフィジカルはほんと化け物だった。
そしてなんか獣みたいな体臭だったのを未だに覚えてる >>45
バルセロナでの生活楽しんでいるようだしサッカーだけが人生じゃないしね
メンタリティもスペインに合ってるんだろう
清武はスペイン人の気質と合わなくて石塚に相談していたが チャラ男がヴェルディに行った時点で終わってた
前園もヴェルディに移籍して終わったよね よく持ち上げられるけど大したことなかった選手第4位 >>46
メンタルむちゃくちゃ強いぞ
急にスペインでうどん屋やるって思いついて、
料理経験なく一週間うどんの作り方をならっただたけスペインに行って成功している。 地道に練習するのも才能だからな
単純に才能無かったんだよ 今野泰幸
「札幌に入団してすぐの練習試合で、この人に『削るぞ、このクソガキ!』って言われたことは一生忘れません」 久保も石塚も規格外って感じだったけど、有るところからブレイクしきれなかったな。 >>55
184センチの石塚よりデカい9番何者だよ >>20
93年のU-17大会の事か?
俺は現地で見たけど、局地的な瞬間で勝つ瞬間はあっても全体的には圧倒的なフィジカルの差があったよ
日本選手が倒れるたび辛そうに立ち上がってたのを覚えてる 石塚はヤンチャで山城高校サッカー部に友達一人もいなかったと言ってたな 高校サッカーって聞くと、上野(マリノス)と友近を思い出す >>20
リアルタイム世代じゃないキッズやろ
中田本人もそんなこと言ってない >>25
それは同じ試合のインタビューで
相手のガンバ監督の釜本が高校の先輩で、そのことをきかれて
はあ?よくわかんない。と答えてた記憶がある 30秒のインタビューでJリーグブームを終わらせた男 >>66
徳島市立の友近?
下に藤本もいたイメージ プロで結果出せなかったやつが語ってもダサいだけだな >>39
つーか普通にポジションのリーダーだろ
FWガズ OHラモス DH北沢 DF柱谷 >>70
でも>>1の動画見るとインタビュアーの質問も酷い
選手よりメディアがプロじゃなかった 天才とかいわれてたけど言うほど天賦の才感じなかった筆頭 名古屋にもいたんだ!
名古屋時代ってどうだったん?! >>76
俺は菊原かな
今ならプロにもなれてないレベル 上野も天才的なものは感じなかったがプロでも良い選手だった 石塚は天才ではなく「天才肌」
ゆうきまさみの言う
「天才肌は説明つかない勝ち方をするが、不可解な負け方をする」
ってのがピッタリ 茶髪がどうとか言うけどむしろ高校生のうちにさせてやれよと思う
国見や鹿実の卒業して社会人になってからのロン毛茶髪率異常だっただろ 単純に動かないから悪目立ちしてただけやろ
なんら才能感じなかったわ >>16
初めて見た時はマジで日本はワールドカップ優勝出来るんじゃねと思ったね
@田原豊 先輩がジュリアナで石塚を見たと言っていた記憶がある
>>56
日本でアパレルブランド成功させてあっさり身を引いてスペインで新しい事業始めるとか
サッカーだけじゃなくビジネスでも気まぐれな天才だな
ワコマリアもアパレル業界じゃめちゃめちゃ成功したブランドだからな
芸能人やミュージシャンも着まくってたし ビッグマウスの割にはプレーはもっさりしてて大したことなかった すげえスピード遅かった
技術的にも大したことなかったわ >>85
あれは練習嫌いじゃなければな
夢だけは見させてもらった この決勝で覚えてるのは三浦のワンフェイクからの強烈ミドル
山城では石塚より長髪のチビッ子が
最後にヤケクソになったように国見DFに突撃して、バタバタしたカズシザースドリブルで珍妙に踊ってたのが印象的 グローバルフットボウラーのタークハルの足元にも及ばんわ 今だと久保君みたいスターシステムの人。
久保君→本田→中村→中田とか(他にも沢山いるが)のライン。
前園の前の人なんだけど知名度が圧倒的に低い。 ワコマリアは石塚辞めた後今でもしっかり続いてるけど
その後石塚が作ったブエナビスタだかってブランドは商売っ気が全くなくて
知り合いが買ってくれればいいとかいう理由でやってるのかどうかも分からなくなった
本人の気性そのまんま
うどん屋はまだあるんか?まあ人任せなのは間違いあるまい >>55
9番デカいし江口洋介似のイケメンだな
石塚よりモテただろうな 何気にレゲエ森がセンスの塊だったよな
誰しもロックステディに一回は行ったことあるだろ >>71
吉成もいて宮崎県のインハイは優勝したよな >>3
グーリット読みにこだわったのはなんでなんだろう
オランダ読みだとフリットらしいけど 今でいうゴリ推しなんだけどなw
石塚がどこでどう活躍したかって話 >>98
うどん屋は本人がうってたよ。
うどん打つの好きらしい この決勝の試合テレビで見てたけど、普通にボール受けたり少しドリブルしただけで解説者がおーおーって大袈裟に言ってたよな >>97
さすがにそのラインとは比較にならんわ
久保君含めて
石塚はレギュラーでシーズン通して試合出たことすらないだろ あのインタビューはリアルタイムで見てた。
地上波でjリーグやってた時代だった。 山城では石塚中心にボール回し始めたのが良かったんだよな
ヴェルディでは1.5列のFWというのが良いよな
優雅さでは武南マリノス上野に似てる >>104
ヴェルディの次世代スター候補だったんだよな 財前とか
こいつらがぱっとしなかったせいもあって名門読売が万年J2チームに成り下がった 石塚は人間としては好きだしイケメンだけどサッカー選手としては惹かれるものはなかったな
引退後の石塚の方が格好良い 西野の五輪代表にも真面目に行ってたらいい選手になってたかもしれんね
あの頃ラモスとか柱谷とか西野舐めてたからさもありなん 石塚はあまり記憶ない
あの頃は前園が大好きだったんだ
フリューゲルスの頃の
前園には憧れたな
あと小倉
完全な思い出補正だがこの2人今の環境で成長していれば世界的な選手になってたのではないか あの頃のu-23は本当に良い
前園中田なんだろうが平野三浦アツ松波望月重良両上野石塚と代表外にいたからね >>96
川勝は監督ではなく、京都サンガトップチームのコーチですね。
国見との決勝に出場した当時は、石塚の一学年下の二年生でした。 西野も山田暢久を中央で使いたがる変わり者の走りだし
石塚も五輪代表に行ってたら西野と合ったと思う 俺地元だからこの人の高校辺りの話色々知ってるけど面白いよ 前園は単純に足も速かったし
それがドリブルのスピードに活きてたからね。
節制してたら今でも通用するレベルのプレーヤーだろう。
ああいう人は鹿児島実業とかのゴリゴリのフィジカルしごきから解放しちゃ駄目だったんだろうな。
育成は人によるので本当に難しい。
前園は今でも反面教師として新人講習の教材なんだよなw >>114
山田暢久が結婚式の準備で海外の五輪合宿を辞退したとの説がある。
山田は2005年と2007年に軽い怪我があった以外、現役時代に全く病気や怪我はない。 山城は2トップは強力だった
川勝はダイレクトプレイよくやってて上手いのかなんなのか
わからない選手だった >>1
もうええわこういうの
磯貝菊原財前宮原の天才(笑)系 >>121
タラレバで時々叶わなかった夢を見たくなる時があるんだよ。夢って、甘くて心地いいでしょ? 小倉と武南の上野は上手かったな!市船の高田はどうしちゃったんだ 小倉は怪我後も札幌で山瀬に球出ししてたし
石塚とか天才とは思わないけど十分タレントだったよ
ヴェンゲルは望月好きだったけどタレント的に豊富だったあの時代 四中工三羽烏では小倉より中西永輔のほうが上だと思った
視野、判断、パス、ドリブル とにかくサッカーが上手い
小倉や前園が10人いても大したチームにはならないが
中西が10人いたら日本代表より強いチームになる
フランスW杯日本初得点の起点にもなってるしジェフでも長く活躍したのに
なぜか語られることが少ない名選手だと思う このおっちゃん、良い顔してるな、人生を楽しんでるイメージ >>118
新人研修といえば石塚の例のインタビューが使われてるとこも見たな まあ藤田名波の頃からタレントさんには日本は持ち直してるし
そのタレントをいかにチームにするか求められてたと思う
そのタレントを走らせることができてたらよかったんだけど
森保とかすごい楽そうだよね 菊原はコーチからこれからのサッカーはフィジカル鍛えないとだめだぞと言われたがそれを真面目に聞かなかったといってた 和製フリットってその二つ下の市船にもいたよーなジェフにいったやつ 高校生だから生意気なのもいいけど
プロの試合で
腰痛い足痛いって交代、直ったら出れる柏木ってホントださいよな 誰しもが認める才能に恵まれながら
努力する才能が圧倒的に欠けてる奴ってのは
どのスポーツにもいるわな 菊原、磯貝、石塚。ちょいと格落ちで財前兄の走りませーん軍団
もったいねーなぁと思ったの最初の一年くらいだな
特に磯貝は代表で何も出来なかったのを見てもうこの手のタイプは絶対に期待しちゃいかんと思った 今動画見るとそれまで体格に恵まれてた器用な早熟な選手、だったんだな… >>136
環境にもよるね。昔なんてプロなかったし
中学くらいまではプロに行ったやつより才能あったやつ腐るほどいたけど荒れた地域ほど脱落者が多い
強い高校に行く連中は真面目なんよね。だから才能なくても頑張る
結果才能あるやつより上手くなる 昔の選手は世界を思い描かなかったからね
今の選手は初めから上を見てる >>39
武田はカズ派だろうか?ラモス派だろうか?
なんとなく久保竜彦みたいな雰囲気ある ロマン枠だね。
何か特別なものを持ってるのはわかるけど、
試合ではそんなに役にたたない。 >>66
和製フリットといえば上野の方が言われてたような >>97
Jではほとんど取り上げられなかったろ
石塚は一度のインタビューとりさことの不倫くらい
スターシステム云々言うならもっとメデイアに出てたはず
当時を知ってる? >>113
前園は五輪のアジア予選準決勝で結果出した
当時今と違って世間的な注目度も高い高く長い間五輪に出ていないというプレッシャーの中よくやった
単発試合での日本代表でのパフォーマンスという点ではあの試合の前園は歴代上位だと思う >>97
解説者の羽中田さんも天才だったそうだが、あまりその並びで聞かないな >>149
その後がな
スペイン移籍ポシャった事への同情はあるけど
遊び回ってたようだし
ジーニョは守備をしなくなってしまったと話してた >>150
高校時代の腎臓病が原因の交代限定の試合出場とバイク事故で選手生命断たれて伝説になっただけ
そういう系譜の選手じゃない 天才言われて、プロになってもひとつだった選手なんて掃いて捨てるほど居るけど、
こいつもその典型。
てか札幌のさの字も無いけど、黒歴史なの? グダグダの前半戦を終えたヴェルディのロッカールーム
激しく檄を飛ばす闘将柱谷哲二に対し石塚がこう言いはなったと言う
「てめえが一番ミスしてんだよ、テツ」 土曜日の練習終わりにコインロッカーに荷物入れてそのまま朝までクラブ行って
日曜に試合出るってマンガ以上じゃん あの頃のU-23の面々ということで話さないと意味ないからなこういうの こういう記事書くんだったら望月重良も上野良治も書ける 上野はマリノスの中心選手として活躍したから消えた天才タイプとは違うだろ
ガンになった柳想鐵と良いコンビ形成してた 上野は岡田との起用法での話し合いを経てとかドラマある
現在はよく知らんけどその点石塚はいいな >>148
高校の時は超注目選手だった。
Jリーグブームの前なのでサッカー雑誌以外では出てなかったが、
当時のサッカーファンなら誰でも知っていたはず。
こういうのがいくらでもある。
ttps://www.football-zone.net/archives/61703
“和製フリット”がスペインで躍動する乾貴士を絶賛!
「代表入らへんかったら、ムッチャ怒りまくるぞ」
乾の快挙をカンプ・ノウで目撃した天才MF石塚氏 「思わず『うわぁぁー』って」
エイバルのMF乾貴士は現地時間21日のバルセロナ戦(2-4)で2ゴールを決める活躍を見せ、
日本人選手としてはバルセロナ戦、それもカンプ・ノウで初めて得点するという快挙を成し遂げた。
この快挙をカンプ・ノウで目撃していた男がいる。
かつて全国高校サッカー選手権で脚光を浴び、超高校級と称された天才MF石塚啓次氏だ。
184センチながら足元の高い技術を兼ね備え、j高校時代から「和製フリット」の愛称でスポットライトを浴びた。 >>97
ユース、五輪、A代表で活躍した人と一緒にするなよ
石塚なんてJリーグのレギュラーにもなれなかった選手
国見VS山城でも三浦厚、永井弟の前で霞むレベルだった スペインは今やプエルトリコより貧しい国だし
石塚は大丈夫なのか?
南欧は全般的に全部駄目になっているな >>157
で夜遊び中に地元ヤンキーに絡まれて女置いてダッシュで逃げるのが得意で有名だった 山城の監督は自由にやらせてたんだと思う
褒めて伸ばすべきタイプだった >>165
スターシステムって意味わかる?
実力が一緒って言ってるわけでないんだよ。
この時の高校選手権では石塚は超注目選手でスターシステムの中心だった。
オリンピック代表の中心選手としても期待されていて一時期はすごかった。
例えが悪かったかな。
宇佐美とか宮市とかもスターシステムの人。
スターシステム
主に興行面において、高い人気を持つ人物を起用し、
その花形的人物がいることを大前提としてチーム編成、
宣伝計画、さらには集客プランの立案などを総合的に行っていく方式の呼称。
スターシステムの問題点
世界第2位の市場を持つ日本のマスコミの扱い方次第で、
当時の中田のようにスランプなどで低迷して優れたパフォーマンスを行うことができない選手であっても
日本市場向けのスポンサーが付けば年に10億円以上稼げて世界のサッカー選手の年収ベスト10に入るという現象が起きていた。
この事はサッカーだけでなく野球やゴルフ等の海外で活躍する日本人選手の行動を扱う際の日本マスコミ報道の異様さを批判する時に度々引用され、
それは2002年にトルシエが退任した後も続いている。 >>73
北沢は攻撃的MFだよ
柱谷はヴェルディでは基本的に守備的MF >ヴェルディではカズ(三浦知良)派、ラモス派、キーちゃん(北沢豪)派、哲さん(柱谷哲二)派
外様のキング、キーちゃん、闘将が派閥領袖で生え抜きで
アクが強い戸塚や藤川のおっさんに都並は派閥を持ってなかったのか
>当時のヴェルディは試合前になると練習中にエキサイトして胸ぐらのつかみ合いになるとか
これは練習生時代のボンバー中澤が紅白戦でキングをガチで削ったら大喧嘩になったと言ってたなw >>103
下品なもの(うんこだっけ??)に聞こえるとどこかに書いてあった。 アトランタ五輪代表のブラジル戦もラモス柱谷も日本が完敗するでしょと言ってた
すごい意識の低い時代だった >>128
オフトが都並の怪我で左サイドバックの代役探してたときに
中西永輔使わなかったのは今でも疑問だわ
ドーハのあとコーチだった清雲がジェフの監督になったら中西はジェフでも控えに回されてたからこいつが反対したんだろうけど >>169
30年近くスターシステムに乗っている三浦カズという悪霊を払えないんだから恐ろしい
カズなんてもう20年近く活躍してないからな ドーハ世代の次どうするって時に、セルジオがやたら推してたんだよな
確かに、大物感と期待値はあったけど 六本木で大暴れしてたな お持ち帰りが特にエグかったのが哲とラモス >>169
そういう意味なら、石塚は山は高かったかもしれないけど短期間だし、低迷期にマスコミが持ち上げた感じはしないけどな。
20代前半でA代表で定着しないと、マスコミは持ち上げないよ。 高校サッカー決勝で
どこが良いのか全く分からないこいつばかり顔アップになって不快だったな
結果やはり良くなかったw >>169
ブルキナファソくらいでしか実績がなかったトルシエと
ローマに20億、パルマに35億で移籍してカペッロやサッキの指導を受けていた中田
監督と選手のパワーバランスが崩れかけていた
トルシエの恐れや怯えからくる発言だったな 今でいうゴリ推しくん
日テレが取材でこいつだと目をつけただけ イケメンだったよな
カズより遥かにボルサリーノ似合ってたわ >>51
確かヴェルディからしかスカウトが来なかったはず。
超高校級選手という評判だったけど、当時から態度がアレだからトラブルメーカーになると敬遠されてたんじゃね? >>97
全員大成してるじゃねーか
ぜんぜん違うわ >>180
トリッキーな動きするけど、引き出しが少ないという印象 和製フリットとか言われてたけど全然プレースタイル違うな
フリットはすげえ速いし走る >>137
磯貝は代表まで行ったから、この類の中ではマシな方かも知れん
あとは自チームですら出れない奴ばかり >>177
沢登はFKが上手いだけでプレーには全く天才性や大物感を感じなかったが
真面目な秀才タイプだったから清水ではレジェンドになったね >>172
生え抜きベテランの加藤久が紳士系だったからかね。 >>8
2年目にはJリーグチャンピオンシップ優勝に貢献しってそうだったっけ?試合に出てた記憶が無いが キングヌーの片方にめっちゃ似てると思う
今はもう年取りすぎたけど >>175
当時はWBやってたけど試すべきだったな
勝矢よりは良かったはず
早稲田にいた相馬直樹も試すべきだったわ 「球蹴りしかしてこなかった」って、ブサイクなアタマを弄る暇はあったんだろ?
素質?だけでやってた、単なるバカじゃねえか。 ヒーローインタビュー中に「マイク近っ!」って叫びながら
インタビュアーを押しのける姿を見て申請のDQNだな〜って思ってた。
国母和宏を初めて知った時に石塚のことを思い出したぐらいのDQNだった。
ヴェルディ川崎の阿部良則・山口貴之等のチャラ系天才肌選手の中の一人。 タックルした若手の胸倉掴んでぶち殺すと言っていたw若手誰か忘れたが。 >>193
たしかGKとの一対一の状況でGKにシュート止められてた
後藤健生にあれはGKをかわすべきでしたよって言われてた この年は三浦と永井の国見がエグ過ぎたからな
ドリブルされたら誰も止められないし 早熟の天才と言えば山田隆裕
スピードに乗ったドリブルも天才的だったが
日本代表に行ってもお金がもらえないという理由で21歳で代表辞退したのも天才的
今は醜いデブだけど、現役時代は顔もキムタクに似ててハンサムだったし >>24
松木の頃もまだそこそこ使われてたよ
干されたのは松木が解任された直後の中断期間の合宿で負傷してから
復帰後もマルキーニョスエジムンドが相手じゃさすがに分が悪すぎた 石塚とか森崎とか矢野とか
高校時代にプロ以上に注目されてもプロではサッパリな選手って最近減ったな
注目された選手はJリーグで
最低でも所属チームの主力以上にはなってるイメージ おそらく彼らの頃より選手権の注目度が下がったのが大きいんじゃない?
野球でも甲子園や六大学のスターがプロではサッパリなんてこともしょっちゅうだし
そう考えると国内限定の学生の大会が過剰に注目されるのは
トップレベルの強化という点においてはあまり好ましいことではないんだろう >>211
単純に日テレがサッカーに情熱がなくなって、余り騒がなくなったからじゃね。
超高校級っていう言葉を聞かなくなった。 高校の大会で活躍しただけじゃ誰も凄いと思ってくれなくなったし煽っても騙されなくなっただけでしょ
同じ年代でA代表やリーガの試合に出てるヤツいるんだし 野球は未だにそうした幻想で商売してるみたいだけどね
ドラフトの方が日シリより視聴率がいいだとか 平山が最後の超高校級だったな
五輪代表候補にも選ばれてたし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています