【キングカズ】カズが明かした『キング』の由来。「93年の北朝鮮戦の後に…」
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
東京五輪イヤーとなる2020年の日本サッカーについて語り合うイベントが開催され、カズをはじめ日本サッカー界のレジェンドが集結。
思い出や裏話、来年への期待など多岐にわたった内容に、会場は大いに盛り上がった。
新国立競技場に「興奮した」
12月22日に東京都文京区の日本サッカーミュージアムで開催されたトークショー『2020 日本サッカーこう戦う』には、横浜FCのFWカズ(三浦知良)、
日テレ・ベレーザのDF岩清水梓の現役2選手に加え、前園真聖氏、川上直子氏の男女五輪経験者が出演。
ほかに日本サッカー協会名誉会長の大仁邦彌氏が出演し、司会は本誌でコラム『日々是なでしこ』を連載中のスポーツキャスター、日々野真理氏が務めた。
前日に行なわれた新国立競技場でのオープニングイベントにスペシャルゲストとして登場し、初めてピッチに足を踏み入れたカズは、
そのときの印象を「6万人が入っているところに1人で入っていって、すべての目線が集中するので興奮したし、みんなのエネルギーを感じながら、かみ締めながら第一歩を踏み出しました」と回想。
続けて「やはり国立競技場はいいな、と思いました。待ち時間のときに少し緊張しましたが、ピッチに立ったら安心するんですよ。実際の試合と一緒で、ピッチに立ったら落ち着きました」と舞台裏を語った。
カズが愛称の『キング』の由来を、自ら語る場面もあった。「キングといえば『キング・ペレ』ですよ」と語った上で、「93年の(アメリカ・)ワールドカップ予選の北朝鮮戦で、僕が2ゴールしたんです。
そのときに『ガルフ・タイムス』という中東の新聞のイギリス人記者が、ペレのいたサントスで(ブラジル時代に)プレーしていたカズが2ゴールを決めたので、
ペレのいたサントス=ペレといえばキング、ということで、『キング・カズ』と見出しにしたんです」と明かすと、場内は驚きとどよめきに包まれた。
ただ、カズが直後に「それで…自分で言うようになりましたね。自分で言っちゃった。翌年に出した写真集のタイトルも自分で『キング』とつけました」と笑うと、場内も爆笑。
「その後、96年にJリーグで得点王になって、サッカーマガジンなどの専門誌が『キング・カズ』という見出しをつけて、また自分で言い出したんですよ」と続けると、
さらに場内が沸き、前園氏は「海外メディアが発信だとは知りませんでした」と驚いていた。
カズはスケジュールの都合で、冒頭30分間のみの出演で途中退席。残りの時間は岩清水、前園氏、川上氏、大仁氏が2020年東京五輪について語り合った。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191222-00010001-bbmv-socc
12/22(日) 15:25配信
https://i.ytimg.com/vi/vSH0LMSEVtY/maxresdefault.jpg
https://image.middle-edge.jp/medium/6498faa3728461c6188a51906aa9a9e4.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/narashikamaru2/imgs/1/0/10fbb46b.bmp
https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/img/201801120000540-nsogp_0.jpg
https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr131/auc0303/users/3/8/4/6/eiko_matida-img600x450-1439357744wpgxhw14684.jpg
https://www.nikkansports.com/soccer/news/img/20170225kazudance-w1300_0.jpg
https://image.middle-edge.jp/medium/cdafb07b-773d-4e90-b1ed-ea6e299080f0.jpg 横浜FCがJ1昇格決めたときに
俺の役割は終わりましたって引退してたらかっこよかったのにな とっても人格者でストイックのように言われてるが、40歳くらいになるまではそうでもないよね
トシちゃんと六本木で朝までテキーラショットで飲んでたとか、岡ちゃん馬鹿にしたり中澤の髪掴んで引き摺り回したとか
40くらいで今の人格者でストイックな感じなの出来上がった感あるけど、若い頃はねえ >>2
そうそう、これで引退してればまだ良かった
引退どころか来年、J1に出て世界記録、ギネス記録を作るでー!ってウキウキなのが嫌だわ ヴェルディのユニホームってかっこいいよな
今だとカッコ悪いのかな
あの緑のクシャクシャな感じとコカコーラのロゴとそれを着たカズ 全てが揃ってるよな イタリアでは「イミテーション」「疫病神」
クロアチアでは「亡霊」
と言われていたけどな >>7
それで話題になってJリーグ盛り上がるんだからいいだろ 名字が三浦
韓国大好き
電通ゴリ押し
わかっちゃいました 三浦カズのルーツ スターにしきの
世界のヘイポー
キングカズ
同じカテゴリー たいしてうまくないけど点はとってた周りはかなり忖度してたとおもう 世界三大キング
キングカズ
キングジェームズ
キングコング 今シーズン
5節 ホームで岐阜 先発54分交代
8節 ホームで福岡 先発52分交代
最終節 ホームで愛媛 途中出場3分
3試合109分出場 シュート0ゴール0 他人が言い出したとしても普通はキング付けるのはやめてくれと頼むだろ アマラオがキング・オブ・トーキョーと呼ばれていた頃
これとごちゃ混ぜになってカズのことをキング・オブ・カズ
と呼んでいた人が結構いたような記憶あり ヴェルディが嫌いすぎて緑色の服を着れなくなった
こいつらひっくるめて全員トラウマ >>32
32歳が全盛期じゃないよ
〜26.27ぐらい >>19
その一年で終わればいいけど、降格したらしたで責任を勝手に感じて続けたりして >>4
ナンバー カズへの手紙 ドゥンガより。
スピードに乗ったドリブルやFKといった君のプレーの数々をとても懐かしく思うよ。
ブラジルにいて思い出すのはJリーグ時代の君よりも、やはり私と一緒にサントスで頑張っていた頃の君だ。練習場へは誰よりも早く現れ、全体練習後も遅くまで両サイドからのFKを練習していたね。
全く環境が異なる中で、両親や友人から離れて生活するのはとても大変なことだったにちがいない。
君のお父さんがクラブを訪ねてきて「どうか息子をよろしく」と頼んだ時のこともよく覚えている。お父さんに言われるまでもなく、私は君の力になりたいと思っていた。
なぜなら君はいつも、「日本に帰って、日本サッカー界のために尽くしたい」と言っていたからね。そんな心がけのある選手は滅多にいるものじゃない。
それにしても困難は多かったはずだ。監督の指示を理解するためにも、他の選手とコミュニケーションをとるためにもポルトガル語を学ばなければいけなかった。
ブラジルではサポーターの要求も高いし、選手同士の競争も厳しい。君はそのような困難を乗り越えるために強い意志を持ってひたすら練習を重ねていた。
遠征で同じ部屋になったことも多かった。メキシコとアメリカへ遠征に行ったときも一緒の部屋だった。スペインでも確か一緒じゃなかったかな。
最初はおとなしかった。日本人に共通することだけど、あまり話さないし、冗談も言わない。
でも時間の経過とともに、チームメイトともふざけ合うようになった。
よく君は戦術のことなどを質問してきたね。若い選手が向上心を持ち、いろいろと尋ねてくれるのは嬉しいことだった。
左ウイングのゼ=セルジオにもいろいろと尋ねていたのを覚えているよ。君は監督の指示を忠実に守ろうとしていたし、チームのために尽くしていた。プロ意識もとても高かった。
数々の困難を乗り越えられたからこそ、その後日本やイタリアで活躍することができたんだ。
カズよ、誇りに思って欲しい。君はブラジルの中でも名門といわれるサントスで試合に出場し、得点まで決めた。君がブラジルでプロ選手として成長し、大きな成功を勝ち得たことが、日本人選手にとってどれだけ大きな力となったろう。
今日、日本サッカーが世界中から注目され東アジアで大きな力を持つようになったのも、君のような選手がいたからだよ。
これからも日本サッカーのために尽力して欲しい。君のようになりたいと思う子供たちの大きな目標であり続けられるように、頑張って欲しい。
愛を込めて
Dunga
http://www.twitlonger.com/show/6ks2oj ザグレブの会長に
「ミウラを試合に出す度に金が振り込まれる契約だった」
と暴露されたキングカスさん カズの父親はやり手の代理人でJにブラジル人選手を沢山送り込んでいたな
ブラジルのクラブにもかなりコネがある 裏方が仕込んだ浪花節に訴えるような話並べて実績は空っぽの人
プロならピッチで結果を出しましょう >>3
むしろプラス収支を持って来る側なんだが(´・ω・`) 自分で名乗ったのかw
当時からキングってwwwだったけどよくやく一周回ってほっこり笑い話くらいにはなった 飲み歩くミスターチャラ男だったからワールドカップ落選したときも全然同情されなかったカズさん ジェノア、川崎、京都、神戸、横浜F
降格請け負い人のカスさん ザグレブ在住の日本人がブログで
「カズのせいでザグレブ市民は今も日本人に冷たい」と嘆いていたっけw >>1
最悪だなこいつ
今更謙虚になったって元がクズだから キングって?
恥ずかしい。
やっぱり、テレビに洗脳されたんだね。 >>58
カズファンって日本のごくごく一部のおっさんだけなんだよな
いわゆるカズ信者ってやつ
こいつらが強烈に未練たらしい
まあカズ本人もだけど >>61
それもヴェルディの練習を見に行っていた人が写真付きでブログに載せてたな >>4
カズの練習量は周りの目を見張る程であった。
ブラジル名門クラブであるサントスFC時代に同僚であった元ブラジル代表のストライカーで82年ワールドカップにも出場しているセルジーニョ・シュラッパはこう言っている。
「あのころ、お前はまだ若かった。20歳かそこらだろ?でも、意識は本当に高かった。俺は覚えている。
お前がフィジカルを一生懸命鍛えていたことも、一人残ってフリーキックやクロスの練習をしてたことも。
お前があんまり熱心にやるもんだから、他の選手も刺激を受けちゃってな。
当時一緒にやってたドゥンガより練習するヤツって評判だったぜ。
俺が一旦サントスを離れて90年にまた戻ってきた時、お前はすでにブラジルのどこに行っても、レギュラーを張れる力を身につけていた。
でも、俺はもう驚かなかった。あれだけやってりゃ当然だって思ったよ」
ジェノア時代の監督でミランなども率いたジェゼッペ・マルキオーロもこう語っている。
「この私にとってフィールドに立つ資格を持つ選手とは、仲間のために走ることを厭わない者に限る。
年間20ゴールを決める能力を持つ選手は、往々にして他者のために自らを犠牲にはできない。
だけど、真の一流選手ってものはそうじゃない。エゴを封印し、年間10ゴール程度に留まろうとも、その分をチームのために走ろうとするものだ。
果敢に走ることを知る者は、一方で同じように走る者への労わりの心があるから、必然的にパスの質も他との違いがあるものだ。
そういう心あるパスを送れる者こそが、私の言う本物のプロということになる。
カズはその点、本物だった。私は70年代にACミランの指揮を執っていて、あのジャンニ・リベラやファビオ・カッペロらを指導していたんだが、カズのプロ意識は彼らと同じか、もしくはそれを上回るほどのものだった。
使い古された言い方だが、練習場に誰よりも早く現れ、そして誰よりも遅く去る。あの1年、君はずっとそうだった」 代表の時のカズて
中田なみに嫌われてたよな
落選の時
全国民がざまあwwて空気だった 2012年の福山のラジオにゲスト出演したときに既にこのネタは披露してたな。
https://www.youtube.com/watch?v=GFXdV8cYOak
26:45付近から ヴェルディの練習場に行くと酒の匂いがぷんぷん漂っていたと書かれていたな〜
Jでキングと言われ自惚れちゃったんだね 伝説の少女になりたいのマンションの周りを車がぐるぐる
帰ったと思ったらまた車を変えてぐるぐる 全盛期に六本木で夜遊びなどせず今のようなストイックさがあればワールドカップに出場できたかもな〜 >>1
懐かしいな
93年ドーハの最終予選はサウシ相手に勝ちきれず、
イランに負けたとはいえ、カズさんのシュート自体は全部枠を捉えていて好調だったんだよな
そして北朝鮮戦で2発決めたんだけど、2点目のボレーは画面にズドンって音が響くくらいのスゴいゴールだった
あれで地元のマスコミがキングカズって見出しつけたんだよな
そして天王山の韓国を相手に価千金のゴールをねじ込んで、松永の奇跡の足セーブで公式戦初勝利をおさめ、
運命のイラク戦でも先制ゴールを決めた
カズさんとドーハ組にはアメリカに行ってほしかったな〜 >>1
懐かしいな
93年ドーハの最終予選はサウシ相手に勝ちきれず、
イランに負けたとはいえ、カズさんのシュート自体は全部枠を捉えていて好調だったんだよな
そして北朝鮮戦で2発決めたんだけど、2点目のボレーは画面にズドンって音が響くくらいのスゴいゴールだった
あれで地元のマスコミがキングカズって見出しつけたんだよな
そして天王山の韓国を相手に価千金のゴールをねじ込んで、松永の奇跡の足セーブで公式戦初勝利をおさめ、
運命のイラク戦でも先制ゴールを決めた
カズさんとドーハ組にはアメリカに行ってほしかったな〜 >>1
懐かしいな
93年ドーハの最終予選はサウシ相手に勝ちきれず、
イランに負けたとはいえ、カズさんのシュート自体は全部枠を捉えていて好調だったんだよな
そして北朝鮮戦で2発決めたんだけど、2点目のボレーは画面にズドンって音が響くくらいのスゴいゴールだった
あれで地元のマスコミがキングカズって見出しつけたんだよな
そして天王山の韓国を相手に価千金のゴールをねじ込んで、松永の奇跡の足セーブで公式戦初勝利をおさめ、
運命のイラク戦でも先制ゴールを決めた
カズさんとドーハ組にはアメリカに行ってほしかったな〜 >>1
懐かしいな
93年ドーハの最終予選はサウシ相手に勝ちきれず、
イランに負けたとはいえ、カズさんのシュート自体は全部枠を捉えていて好調だったんだよな
そして北朝鮮戦で2発決めたんだけど、2点目のボレーは画面にズドンって音が響くくらいのスゴいゴールだった
あれで地元のマスコミがキングカズって見出しつけたんだよな
そして天王山の韓国を相手に価千金のゴールをねじ込んで、松永の奇跡の足セーブで公式戦初勝利をおさめ、
運命のイラク戦でも先制ゴールを決めた
カズさんとドーハ組にはアメリカに行ってほしかったな〜 ドーハで負けてなければ中国代表や巨人軍の選手みたいに
雑魚のくせに遊びまくってるような代表になったかもな。
長谷部が遊んでる奴は怪我が多いっていってるぐらいだし。 >>48
>>66
今となれば、この辺もやっぱりエアインタビューだったんじゃないか?って思ってしまう。 いったい何処の地方のキングなんだ
よっぽど狭いエリアなんだろうな
恥ずかしくないのか キングねぇ、、、。
ネットがなかった時代は洗脳できたんだろうけど。 >>1
知ってたから当時から違和感しかなかったけど今ならまあ納得出来るかも 96年アジアカップクウェート戦ではQBKかましてたなw
あの大会でカズの時代は終わったと思ったね
あの頃からガチ試合ではアジア上位に通用しない選手になっていた ホテルは勝手に違うところに泊まるとかw
普通に永久追放だろう。 親父は静岡県の朝鮮ヤクザか?こいつ
だったらメディアがうはうは
納得 >>4
カズは当時からアルコールはほとんど飲まなかったんじゃないか?
シラフでクラブに行ってたはず >>31
代表戦でも点を取ってたんだが?
相手国がカズ相手に手を抜いていたとでも >>4
若い頃はヤンチャしてて歳とったら人格も備わった
何が悪いかわからん。お前が何求めてるかもわからん
人格者はオギャーと言った瞬間から人格者じゃないとダメなの? >>2
そんなんじゃダメだろ
カズはJ1で伝説のスーパーゴール決めて引退するんだ >>85
ねーよ
カズはワイン大好きだし最終予選中も飲んでる カズ、ラモス、北澤、阿部、石塚、前園、永井、、、
当時の緑はチャラ男しかいないな
カズと違って最初から最後までストイックだった中澤は緑では浮いていただろうな 不倫するわ六本木で豪遊するわ好き放題やってたカズが何故か聖人キャラになっていて笑えるw 94年予選は ヴェルディ軍団が遊びまくってスタミナ切れ
98年予選は カズは遊びまくったつけがきて体調不良でメンバー外 >>65
>>>61
>それもヴェルディの練習を見に行っていた人が写真付きでブログに載せてたな
98年 中澤ヴェルデ加入
99年 中澤プロ契約
99年 カズ ディナモザグレブ移籍(その後京都サンガ)
中澤がカズにやられたのは練習生時代と様々な書籍、雑誌に書かれているので98年
98年は日本でブログサービスは一般的でなく、いわゆる"ホームページ(個人ウェブサイト)"やニフティの時代
当時ブログは無いんだわ
後年ブログに載せたとか言い張るんならそのページを教えてくれ
http://www.kogures.com/hitoshi/history/blog/index.html
ブログの日本上陸
日本では個人ニュースサイトが自然にブログ(SNS)に移行したものが多く、ブログがいつ日本で始まったかを明確に特定するのは困難である。
1999年代末から2000年代初頭にかけて、多くの紹介が行われたので、「ブログ」という言葉が認識されるようになったのがこの時期だといえる。
2003年、ニフティがレンタルブログサービス「ココログ」を開始した。
ニフティはパソコン通信のフォーラム時代から多くの情報発信利用者をもっていたし、日本最大のインターネット加入者をもっていたので、これによりブロガーが急激に増加した。 >>90
イタリア料理の時はワイン飲んでたのは知ってる
夜遊びの時はシラフだと言ってたぞ、当時 >>97
ブログじゃなくてホームページだな
黒い画面に原色の赤と青の文字でカズの蛮行について書かれていた 京都で酒飲んでるとこ撮られたよねカズ
酒飲まないのに六本木のクラブで遊んでたの?変な人 オレ?オレ?
「おめーだよ、おめー」は日本国民3000万人は思ったからなw >>2
震災チャリティでゴールした後のインテビューで電撃引退の方が伝説だったわ 貴花田と宮沢りえとカズが泥酔状態でカメラにガッツポーズしている写真のカズのバカ面が忘れられない >>77
別に巨人の選手は遊びまわってないと思うが >>85
>>98
君の記憶違いやで
昔から酒の強さ自慢はよく聞くよ本人の口から
トシちゃんと六本木で飲み明かしたとか
三浦知良、″カズ伝説″語る「テキーラはガソリン」
次に酒の話になり、カズは愛飲するテキーラを「ガソリンみたいなもの」「走るための」と表現。
中田が「飲む量半端ないっすよね」とその酒豪ぶりに触れると、「30代の強い時は一晩でボトル1本半から2本ぐらいは空けたことがあるんじゃないかな」と当時を振り返った。
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/9972569/%3Fusqp%3Dmq331AQOKAGYAeah1uqVuIn59QE%253D 最初の頃は力の落ちてきたカズをキング和ってwって笑う人も半分くらいいた記憶がある
ただ言われ続けてるうちになんか特別な存在なのかとみんなに思われるというか
錯覚されるようになったんじゃないのかなと >>107
めちゃくちゃ酒飲んでて草
飲んでない飲んでないって言ってたやつwww まあ若いときのカズさんは夜遊びも派手にやりつつも、毎日のトレーニングは欠かさなかった
まさにブラジルそのものって感じだったな
むしろトレーニングのやり過ぎ、オーバーワークの方が周囲から心配されていた
ジェノアから帰国した時なんかは明らかに筋肉のつけすぎで体が重くなっていたし、
97年の最終予選ではチョンの薄汚いファウルで尾てい骨と足をやられたにも関わらず、
責任感からその後もムリして出場を続けてケガを悪化させ、
最後はフランス行きを逃した
あのときの岡田の判断は仕方ないけど、選ばないなら25人の時点で落としておくべきだった
リヨンまで連れて行ってから直前で切るのは功労者に対する非礼
でもカズさんは、一切恨む言葉を吐かずに、代表の魂だけを仲間に託して潔く帰国し、
その後もストイックにサッカーと向き合い続けてきた 今のJリーガーはノンアルコールでササミとブロッコリーのボイルみたいのばかり食べてるからな
カズ世代は反面教師 >>112
あれだけやれてる興梠がお酒大好きでタバコまで吸ってるぞ
加茂ジャパンでのキングカズは、本当に手に負えないわがままキングだった。
カズが取材応対を打ち切れば練習がはじまり、飽きれば終了。
気に入らないフライデー記者が来たからと、30分で早々と切り上げたことも。
試合でも 「 とにかく俺によこせ! 」 と足元に要求するものの、
勝負できず簡単にとられる。
かといってパスサッカーで動き回る運動量はなく、
中田のパスにあわせる気すらない。
前線でのチェイスもぬるく、
チームオーダーを無視しCKもFKも右でも左でも全てカズ。
またコーチ時代の岡田を糞ガキのようにいじめてきた。
日頃 「 オカちゃんよぉ〜」 とタメ口を叩くのは序の口、
食事で 「 オカちゃ〜ん 醤油、とってきてよぉ〜」 とパシリにしたり、
洗髪中の岡田にシャンプーかけたり、湯船に突き落とし頭沈めたり、
「 オカちゃんキィ〜ック!」 と延髄斬りを入れたり。
周りはそれを見てゲラゲラ笑いながら、イビられ役の岡田を嘲笑していた。
誰も岡田をリスペクトせずバカにしてたのは、全てカズのいじめのせいだった。
それが青天の霹靂で岡田が棚ボタ監督に。
ワールドカップ初出場を決めた 「 ジョホールバルの歓喜 」 イラン戦で、
中田はゲームメイクで大活躍、岡田ジャパンは完全に中田のチームになった。
途中交代を告げられたカズが 「 俺? 俺?」 と指さしながら引きあげる姿に
深夜の全国民が 「 お前だよ、お ・ ま ・ え! とっとと引っ込め!」 と、
この期に及んでキング気どりなカズに激怒した。
さらにカズに不運なことに中田は城とホモ達で、
岡田との面談でカズとの 「 絶交 」 を躊躇なく主張。
カズから受けた数々のいじめを決して許さない岡田。
前日の練習試合でハットトリックを決め調子を戻したカズを見て、
「 もはやラストチャンス 」 とカズとの 「 絶交 」 を決意。
チンピラ舎弟だった北澤を粛清の道連れに。
しかも会見で岡田は、
「 市川はチームに帯同、カズと北澤はショックが大きいので帰す 」
最高の仕打ちまで用意した。
帯同すら許されなかったカズは、あの世でも岡田を呪い続ける、と
気が狂わんばかりに怒りを露わにした・・・・・
>>4
あんだけ人気者、スターが若い頃に
天狗になるのは仕方なかろう
田中律子と設楽りさこ >>115
いいねえ、男の嫉妬はこのぐらい無様じゃないとな >>88
成人後だろ
カズは30まではガチで遊び人で浮気しまくりのクズだった >>107
うわばみじゃねーかw
キングクズ信者のストイック擁護ワロタ >>119
カズ信者ってカズを上回る勢いのクズで低収入の負け組じじいのことだからな バブル気分がいまだに抜けないカスとカス信者
カビの生えた老害ども >>47
ここだったかもしれないし
震災で壊滅的だったから違うかもしれない
この間がよかったかもしれないし
もう少しあとかもしれない >>4
ジーコは、当時コリチーバの監督をしていた、兄のエドゥーからカズの存在を聞いていたという。
「10代の時に日本から来た青年が、なかなかの選手だと。才能もあるし、隠れて努力をしていると言っていた。兄貴の選手を見る目は確かだった」
兄はいつでも「彼は非常に献身的にサッカーに取り組む選手で、常にもっと学びたいという意欲を持っている」と話していたものだ。 「キンゼ・デ・ジャウー」に移って、プロ初ゴールを決めたんだ。
相手の「コリンチャンス」は代表クラスがいる強いチームで、全国にテレビ中継もされていた。それで僕のマークについたDFもブラジル代表だったんだけど、
フェイントが面白いように決まって、相手に尻餅をつかせた上に、先制点をヘディングで決めた。これで注目されるようになったところはあったよね。
その年の9月には、「コリチーバ」というパラナ州のクラブに移って、ブラジル選手権でフラメンゴにいたジッコとも対戦した。
とにかくこの21歳の年、レギュラーに定着することで、本当の手ごたえを感じられた。
この頃から新聞や雑誌のベストイレブンに、名前が載るようにもなってきた。ライーとかミューレルとかシーラスなんていうセレソンのメンバーに混じって「KAZU」の文字がある。凄く自信になったよね。
(*'89年には、コリチーバで6得点、5アシストをマークし、コリチーバはブラジル選手権で好成績を上げ、パラナ州選手権では優勝を果たす。翌'90年、数あるオファーの中からカズはサントスへの移籍を決める)
やっぱりああいう形でサントスを出されていたから、僕の中で、もう一度サントスでやりたいという気持ちはずっと強くあった。
移籍直後のサンパウロ州選手権では、最初は出れなかったけど途中から左ウイングでスタメンになって、パルメイラス相手に1得点1アシストをあげて、2−1で勝った。
「プラカー」っていうブラジルで一番のサッカー雑誌があってさ、ブラジルに行く前に日本で見て「こんな雑誌に載るなんて夢だよなあ」と思ってたんだよね。
それが、そのパルメイラス戦のゴールシーンが表紙になった。今もその「プラカー」は持ってるよ。 キングカズは神だと思っている。
7年ほど前の正月休みに両親と静岡市のカズ実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った
時の話。 両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなりキングカズが玄関から
入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わないイタリアンないでたちで。
カズが「俺いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、 店内にいた高校生集団が
「カズさん!」「カズさんかっけー!」などと騒ぎ出し、カズが戻ってきてくれて即席サイ
ン会になった。 店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サ
インをしてくれた。 高校生達がカズの母校静岡学園のサッカー部だとわかったカズは
いい笑顔で会話を交わしていた。 そしてカズは「またな〜」と二階に上がっていき、店
内は静かになった。
私と両親はカズの気さくさとかっこよさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようと
レジに向かうと、店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出して
くれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。 ペレがそう言われてるからパクっただけでしょ。
自分でそう言いふらしたって言ってるしな。
ホント勘違い野郎だよ。 >>69
カズ「あの後サウナとかで一般の人に『キング・カズさんですね』とか話しかけられるようになって」
福山「(下半身を指して)『まっ、こっちは[キング]ってほどのモノじゃないんですけどね』って感じッすか」
福山www 昔ビートたけしがオールナイトニッポンで吐き捨てるように
「何がキングだよ、あいつはブラジルから帰ってきた頃金もないんでしょっちゅう
軍団のところに来て入り浸ってただろ、軍団が遊んだ女のおこぼれ目当てで」
ってな事を言ってたんだよな >>130
マジか
やっぱりクズだなキングカスwwww ブラジルでプロ生活スタートしたからあの悪名高いパス制度の対象でこちらも悪名高いカズパパがガズのパスの所有者だった
パス持ってる奴の言うことには逆らえないからジェノア行ったのもカズパパの指示
息子を金儲けの道具にするためにブラジル行かせたのではないかという気すらするよね
逆神ペレがスポーツ大臣やってたときに人身売買だって廃止されたから今は関係ないが キングカズを聖人のように扱うやつも屑かのように扱うやつもどっちもおかしい
ただひたすら自分のために生きてるだけ 15才で単身ブラジル行ったんだよな
何故か知らんが木梨憲武が凄いやつがいるとテレビで15のカズを紹介したの覚えてる サントスファンのブラジル人が言ってた
なになに戦でカズが点とったって
記憶に残ってるんだね
加茂ジャパンでのキングカズは、本当に手に負えないわがままキングだった。
カズが取材応対を打ち切れば練習がはじまり、飽きれば終了。
気に入らないフライデー記者が来たからと、30分で早々と切り上げたことも。
試合でも 「 とにかく俺によこせ! 」 と足元に要求するものの、
勝負できず簡単にとられる。
かといってパスサッカーで動き回る運動量はなく、
中田のパスにあわせる気すらない。
前線でのチェイスもぬるく、
チームオーダーを無視しCKもFKも右でも左でも全てカズ。
またコーチ時代の岡田を糞ガキのようにいじめてきた。
日頃 「 オカちゃんよぉ〜」 とタメ口を叩くのは序の口、
食事で 「 オカちゃ〜ん 醤油、とってきてよぉ〜」 とパシリにしたり、
洗髪中の岡田にシャンプーかけたり、湯船に突き落とし頭沈めたり、
「 オカちゃんキィ〜ック!」 と延髄斬りを入れたり。
周りはそれを見てゲラゲラ笑いながら、イビられ役の岡田を嘲笑していた。
誰も岡田をリスペクトせずバカにしてたのは、全てカズのいじめのせいだった。
それが青天の霹靂で岡田が棚ボタ監督に。
ワールドカップ初出場を決めた 「 ジョホールバルの歓喜 」 イラン戦で、
中田はゲームメイクで大活躍、岡田ジャパンは完全に中田のチームになった。
途中交代を告げられたカズが 「 俺? 俺?」 と指さしながら引きあげる姿に
深夜の全国民が 「 お前だよ、お ・ ま ・ え! とっとと引っ込め!」 と、
この期に及んでキング気どりなカズに激怒した。
さらにカズに不運なことに中田は城とホモ達で、
岡田との面談でカズとの 「 絶交 」 を躊躇なく主張。
カズから受けた数々のいじめを決して許さない岡田。
前日の練習試合でハットトリックを決め調子を戻したカズを見て、
「 もはやラストチャンス 」 とカズとの 「 絶交 」 を決意。
チンピラ舎弟だった北澤を粛清の道連れに。
しかも会見で岡田は、
「 市川はチームに帯同、カズと北澤はショックが大きいので帰す 」
最高の仕打ちまで用意した。
帯同すら許されなかったカズは、あの世でも岡田を呪い続ける、と
気が狂わんばかりに怒りを露わにした・・・・・
>>136
まさに暴君だ。
今でも同じなんだろうな。 >>130
ラッシャー板前のところに転がり込んでたらしい。 @
山口真帆さんストーリー
Q好きなモデルさんとかいますか?
A山口さん「モデルさんではないけど、私の憧れは我らが東北の星羽生結弦選手。
昨日ずっとフィギュア見てて惚れ惚れしてた。線は細いけど体幹がしっかりある
感じ美しすぎる」 来年までじゃないか…そんな気がする。
横浜FCがJに残るほど活躍出来ればもう一年で見るだろうが… 3年くらいのノーゴールなのになんで現役続けられるんですか?
って聞いて 納谷知良
↓
両親離婚で三浦知良に改名
↓
ロス疑惑三浦和義の登場
↓
日本が嫌になりブラジル逃避行 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています