【サッカー】久保竜彦「独特の哲学」から見る第二の人生 塩づくりと農業、断食、娘のスマホ禁止
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
久保竜彦「独特の哲学」から見る第二の人生 塩づくりと農業、断食、娘のスマホ禁止
長きにわたりサッカーファンを魅了し続けた“規格外”のストライカー久保竜彦が歩み始めた新しい生活。
それは現役時代から思い描いていたプランでもあり、ケガに悩まされ続けた彼だからこそたどり着いた境地でもあった。
人の多い都会が苦手だった久保が、「気持ちいい場所」で歩み始めた新たな人生とは?
引退した現在も実践する驚きのトレーニング法、独特な子育て論なども含め、第二の人生を歩むに至ったその人生観に迫る。
久保竜彦「独特の哲学」から見る第二の人生 塩づくりと農業、断食、娘のスマホ禁止
誰しもに訪れる定年=引退後のプラン
プロフェッショナル・アスリートの定年は、ビジネスマンよりも20年以上早く訪れる。
その定年=引退を自分で決められる選手は、ほんの一握りだ。
多くの場合は、契約をしてくれるクラブがなくなってしまうという辛い現実を突きつけられて、定年という壁が突然、目の前に立ち塞がる。
そこに対して、常に準備をしていないと、次の人生が迷い道に入ってしまう。
実は、プロアスリートよりも安定性で勝っているように見えるビジネスマンたちも、定年という予定調和で大団円を迎える人は意外と少ないものだ。
リストラ、転職、そして会社が崩壊する危険性もある。人生というのは常に剣が峰。
微妙なバランスで立ち尽くしつつ、真っ白な霧に包まれた自分自身を信じて、細くて険しい稜線を歩いていくしかないのである。
久保竜彦のような個性は、いったい引退後の生活をどうデザインしているのか。
彼がそういうことを考えるタイプにはとても見えなかった。なので、横浜F・マリノスへの移籍前、インタビューのついでに聞いてみたことがある。
「いずれ、引退の日がきますが、現役を退いたあとのプランは?」
「うーん……、農業っすかね」
「えっ」
「畑をやりたいって思っているんですよね」
まさか、その想いが現実化するとは、思ってもいなかった。
苦労の末に手にした「子どもの頃のようないい感覚」
2006年のFIFAワールドカップ出場が叶わなかった久保は、シーズン終了後に横浜FMの残留要請を振り切り、慕っていた奥大介を追うようにして横浜FCに移籍する。
開幕の浦和レッズ戦で強烈極まりない40mドライブシュートを叩き込んだものの、そこからはずっとケガとの戦い。
腰、膝、足首。身体中がボロボロとなって、日常生活にすら支障をきたす事態に。
痛みは横浜FM時代の2年目から、顕著になった。実はサンフレッチェ広島時代から違和感はあったという。それでもテーピングと痛み止めを飲むことで何とか対処できた。
しかし、28歳という本来であれば全盛期を迎えていたはずの2004年、久保はほとんど本来のプレーができなくなる。
痛みがなんとか収まった時は、異次元のプレーができた。しかし、もはや痛み止めでもマッサージでもテーピングでもどうにもならなくなった。
ハードパンチャーが己の拳の強さで手を痛めるように、広島時代に彼の身体を見ていた野村博幸トレーナーが「特別」と表現した身体の柔らかさが生み出す強烈な捻りが、久保の骨を蝕んだのかもしれない。
必死の治療を重ねても、まったく回復の兆しが見られない。何が原因で痛みが出ているのか。
そういえば、広島時代にもメディカル的には回復しているはずなのに、痛みがどうしても止まらないという時期があった。もしかしたら、その時と症状の重さの違いはあれど、根は同じだったかもしれない。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191012-00010001-realspo-socc
10/12(土) 16:10配信
https://amd.c.yimg.jp/im_siggLd06JzHu_9ZlUATR2QWAoQ---x400-y266-q90-exp3h-pril/amd/20191012-00010001-realspo-002-5-view.jpg
https://lpt.c.yimg.jp/im_sigg_AJUCn4NgbIHUOzGpzay.w---x900-y716-q90-exp3h-pril/amd/20191012-00010001-realspo-000-view.jpg
https://lpt.c.yimg.jp/im_siggdQj6PVseNJo7cMFvBRRDCw---x900-y599-q90-exp3h-pril/amd/20191012-00010001-realspo-001-view.jpg 「タツはとても真面目でストイック。その彼があれほど、苦しんでいた」
当時、横浜FMのフィジカルコーチを務めていた池田誠剛コーチ(現広島フィジカルコーチ)は、横浜FMのメディカルスタッフの了解を得て、御殿場でスポーツクリニックを営んでいる夏嶋隆先生を紹介した。
池田コーチ自身、夏嶋先生の治療を受け、前十字靭帯を切った膝が回復した経験を持っていた。
「足の指がおかしい。指がおかしいから膝もねじれるし、骨もずれる。指を矯正しないと腰痛は繰り返すばかりだから」
夏嶋先生の指摘に対し、当時の久保は聞く耳を持たなかった。「腰と指が関係しているわけがない」と思っていた。
それでも腰を先生に触ってもらえば痛みは確かに和らぎ、試合もできる。指の治療をやると痛くて、翌日のトレーニングにも影響していた。
久保は「腰だけの治療をお願いします」と依頼し、半年間ほど試合前に治療してもらっていたという。
しかし、その効果もやがて続かなくなった。腰はヘルニアを患い、背骨にもヒビが入っていた。横浜FCに移籍して驚愕のゴールを見せたあと、久保は自分のプレーがまったくできなくなる。
5月12日、広島戦でベンチ入りして以降、彼はピッチから消えた。はりもやった。断食も試みた。山形に行って温泉での治療も行った。しかし、根本的な治癒にはならない。
2007年秋、横浜FCが御殿場でミニキャンプを張った時、疎遠になっていた夏嶋先生と再会。痛みがまったくひかず、引退も考えていた久保は、わらにもすがる気持ちで「もう一度、治療をお願いします」と頼み込んだ。
朝・昼・晩、本格的な指の治療。日本代表FWが「ウギャー」と思わず叫んでしまう痛み。
しかし少しずつ、痛みは快方に向かった。サッカーをやったらどうなるか、そこはまだ不透明だったが、少なくとも日常生活での痛みがなくなったことが、久保の心を軽くさせた。
横浜FCとの契約が解除になったあと、彼はトライアウトに参加。その直後、J2降格の憂き目を見た広島から復帰養成が届く。
「本当に嬉しかった。ああいうわがままを通す形で移籍したので、戻ってこれないと思っていたから。オファーは他にもあったし、J1からもあった。
でも、自分がプロとしてサッカーでメシが食べられるようになったのも、広島が育ててくれたからだったし、自分のわがままで移籍させてもらって、そしてまた声を掛けてくれて。
広島復帰を選択したのは、理屈じゃないんです」
信じがたいゴールを見せつけた。広島のJ1昇格やXEROX SUPER CUP(現FUJI XEROX SUPER CUP)の優勝にも貢献した。
しかし、かつての輝きは戻らせないまま、2009年シーズン終了後に契約満了。翌年からツエーゲン金沢(当時JFL)でプレーしたが2011年に退団。
タイのクラブからもオファーが届いたが、結局は引退を決意した。徹底したケアや治療を繰り返し、あれほど苦しめられた腰痛は消えていたが、久保竜彦という名前にふさわしいプレーが復活したとは言えなかった。
「ただ、夏嶋先生のところに連れていってもらったり、断食のことを紹介してくれたり。一番苦しかった時に、一番向き合ってくれたのは、(池田)誠剛さんでした。
そしてそのおかげで、子どもの頃のようないい感覚が戻ってきたんです。この経験によってすべての考え方が変わり、今に至っています」
2012年、広島県廿日市市をホームとする廿日市FCでコーチ業をスタートさせる。だが、「ゆくゆくはS級ライセンスをとってJリーグの監督に」という希望はなかった。
大人の指導をするつもりはなく、子どもたちと一緒にサッカーがやりたかった。廿日市FCのトップチームでプレーしたこともあったが、肉体的な限界を感じて、2年でやめている。 グラウンドではなく、山や里がフィールド
筆者は何より彼のサッカーに対する感覚が面白かった。
例えば、シュート。
「ボールに対して自分の足首をハンマーのようにできないと、いい球は蹴れない。
それができるようになるためには、例えば靴に重りをつけてみるような感覚が大切だと思うんですね。足首に自分の全体重を持ってくるような身体の使い方を考えること。
そういう感じで足を振るためには、余計な力みがあると力が分散してしまう。力を抜いて、感覚を何回も何回も覚え込む。
そのためには、蹴り込まないといけない。砂袋とかを使って蹴ってもいいし、自分の現役時代はタイヤを蹴ったりしていた。
子どもの頃は田んぼの中でボールを蹴っていた。そうなると、ボールは水を含んで重くなっているから、勝手に感覚を身につけていたのかもしれないですね」
彼は走るのも、グラウンドではなく、山や里がフィールドになる。
吉田サッカー公園では練習場を飛び出し、あぜ道や山道をひた走った。引退後も広島近郊の武田山という低山に入り、山道を駆け抜ける。
「時に鹿やイノシシと会うのも楽しい」
昭和の大空手家・大山倍達が自分を鍛えるために行った山ごもり特訓のような日々が、広島復帰後の久保の日常だった。
確かに山道は自然と負荷がかかり、下りの膝への負担に気をつければいいトレーニングになる。
だが、さすがに今、下半身を鍛えるために山を走るサッカー選手は聞いたことがない。
食事に対しても彼は、独特の感性を持っている。引退直後の彼の言葉を紹介しよう。
「食はサッカー選手に限らず、大切なものだと思います。何を食べるか、それで1日が変わる。食い物がよければ、集中力も続く。
特に、ケガをしたあと、そういうことを学べたんですよね。食事の回数は何回でもよくて、欲しい時に食えばいいと思うし、子どもにもそう言っています。
ただ、自分でおいしいものを選んで、気に入ったものを食べる。ごはんも自分が食べられる量だけよそってもらって残さない。無理な時は無理をしない。
もっとも大切なのは、腹一杯にならないことですね。自分が気持ちいいって思えるくらいでやめるように、子どもらには言っています。
例えば『今から、仕事』と言われた時に『お腹がいっぱいで動けへん』じゃダメなんです。言われたら『はい』って、パッと動けるように。そういう身体の感覚を、身につけておきたい。
食材はまず、匂いをかぎますね。もし違和感とかイヤな匂いを感じたら、安易に飲み込まない。
口に入れてからでも、もし『うん?』と感じたら外に出すのもOK。そのかわりおいしいと感じたら、100回くらいずっと噛むこと。
だから食事には、ちょっと固めの噛まないといけないようなものを、1つか2つは入れています。固い肉とかではなく、野菜の皮を切らずに入れたりとか。
皮がついたままだと、煮ても固くなるから。「噛め」と子どもらに言ってもなかなか噛まないから、噛まないといけないような食材を入れる。米も固めですね。
白米じゃなくて5分づきか3分づきの玄米を炊いていますね。あと、味噌汁は毎日。
具がある時は、しっかりと入れますね。俺は、豆腐とワカメが好きなんですけど、嫁さんは何でも入れていますよ。 食材の質もできるだけ、いいものを。ただそれは高価なものという意味ではなくて、信頼できる人がつくったもの、という意味。
そういう確かなものを子どもたちには食べさせたい。いいものを食べていることが、成長したあとに自分で判断できる材料になる。
大人になれば、誰がどうやってどんなものをつくっているのかも、わからない場合が多いでしょう。
だから、子どものうちからうまいものを、本物を食べること。きちんとした人がきちんとつくってくれたものを食わせるようにしていますね。
だから外食も、行くお店は決まってきます。つくった人の顔を見ながら食べるのがいい。だからファミレスには行かないし、コンビニも行かない。
それは、子どもらも同じです。仕方なくコンビニで済ませないといけない時は、裏のラベルを見て、何が入っているのかを確認しているって娘は言っています。
酒も大好きだけど、ラベルは確認する。元気な酒を飲むと、元気になるんですよ。酒蔵に見学に行ったこともあるんですけど、そこで『酒も生きているんだ』と改めて感じたんです。
いい酒をつくっているところは、雰囲気も違う。生きているものを食ったり飲んだりしないとダメなんやなって、改めて思いますね。畑に行ったりもするんですよ。
『食えるから』って言って土を食べるおばちゃんとかもいるんです。『この畑が力を持っているから、土もおいしい』って言うんですよ」
もし、彼が若い時からこれほど食やコンディションにこだわっていたとしたら、もっと長く現役を続けられたかもしれない。
だが一方で、ケガで苦しんだからこそ食の大切さに気づき、独特の哲学も身につけたとも言える。
「ケガをしたあとは断食を始めたんですけど、身体が敏感になってくるんですよね、断食すると。年に何度か、山形にそういう場所があるので行っています。
期間は2週間くらい。1週間は何も食べずに水だけ。次の1週間で徐々に、いつもの生活に戻していくんですよ。
そういう場所に行って感じたのは、しっかりしている人はしっかりしたやり方っていうか、何かを知っているってこと。
理屈にかなったことをやっているんだなと、おぼろげながら気づきましたね。岡田さん(武史/元横浜FM・日本代表監督)とか、凄い人もたくさん(その断食には)来るんですが、
そういう人たちは考え方とか、どこかで何かがつながっている。食うことに対しての考え方とか、生活リズムとか。
何をしなければいけないかがわかっている。こういうことって、身体が元気な人はあまり感じないものなんですね。
頭の回転が早い人も絵のうまい人も、言うことは一緒なんですよ。例えば腹一杯にしてしまうと時間がもったいない、とか。
その人の感覚や言い回しは違うんですけど、言っている内容は、ほぼ同じなんです」 「気持ちいい場所」で歩み始めた新しい人生
子どもたちに対する教育も独特だ。「勉強しろ」とは言わない。特別な学校にも入れていない。
一方で、例えばクーラーも暖房もつけない。スマホも持たせない。コンビニも禁止。
ストイックといえばストイック。だが、こういう生活を娘二人にさせることは今の時代、決して簡単ではなかったはずだが、それでもまっすぐに育てている。
「当たり前ではないことをやり続けて、そこから感じることって絶対にあると思うから。
だから寒い時は走ったり、相撲をとればいいって言っています。動けば温かくなりますからね。暑い時は窓を開けて外の風を通したほうが気持ちいい。
スマホだって、欲しいんだったら自分の金で買えばいい。もし本当に欲しいんだったら、お金を貯めて買うでしょう。
お年玉だってあるし、買おうと思ったら買える。欲しいから買ってとか言っている間は、本当に欲しいわけじゃないと思う」
長女は関西の名門外国語大に進学。次女はテニスで同年代の日本一。
「子どもは勝手に育ちますから」と彼は言うが、ある意味での彼の厳しさが子どもたちを一つの方向に導いたことは間違いあるまい。
そして2018年春、久保は人生のハンドルを大きく切る。山口県光市。
牛島という瀬戸内海に浮かぶ島に、将来は移住したいと準備を始めた。家も広島から牛島が見える港町に引っ越し。
夫婦で地元の人々と触れ合いながら、試行錯誤の日々を過ごしている。
「広島の時も庭で野菜をつくったり、(農家をやっている)ばあちゃんのまねごとをしてみたり。
山も走っていたから、音とか勾いとか、そういうモノが気持ちいいと思える場所に住みたいとずっと思っていました。
いつか、そういう時期がきたら、一人でもいいからそういうことをやりたいと漠然と思っていたんです」
祖母は幼い竜彦少年に、こんな言葉をかけていた。
「やっぱり、自分でつくっているモノが、一番信用できる。
自分で(米や野菜とかを)つくれるようにならんとダメやぞ」
人の多い都会が苦手だった久保は、いつかは「気持ちいい場所で生活したい」という希望を持っていた。
福岡や宮崎にも場所を探しに行ったこともある。
そんな時、徳山(現山口県周南市)でサッカー教室を行っている時に知り合った株式会社国際貿易の重岡敬之社長と出会う。
牛島のことも、重岡社長に教えてもらった。今から6年ほど前のことだ。
「初めて光市の室積(牛島の対岸の町)に来た時は、本当に気持ちよかった。
工業地帯ではなくて、パーッと開けていて。
牛島に初めて渡ったのは、2018年3月くらいだったと思います。本当に気持ちのいい場所で、チャンスがあればここに来たいと素直に思った」
当初、塩づくりの話は立ち上がっていなかった。ただ、牛島には会社所有の畑があり、そこを「一緒にやってくれないか」という話だったという。
軽トラックくらいしか通れない道しかなく、信号もない瀬戸内の小島に、彼は行こうと思った。
サッカー教室やイベントの仕事を続けながら、牛島と共に生きたい、と。
2018年6月、室積に引っ越し。面白いと思うことは何でも取り組んだ。 「農業高校を卒業した若い子と一緒に畑をやっているんですけど、難しい。なかなか、うまくいかない。
まだ、何もわかっていないですからね、農業のことは。
島のおばちゃんがつくっている畑はきれいにできているのに、ウチのところは(苦笑)。食べるとおいいんですよ。だけど収量がなかなか。
今はまだ、そういうところなんで、一緒にやっている子と失敗しながら学んでやっています。
教科書とは絶対に違うじゃないですか。島の空気とか、(風の)流れもあるし」
収穫したほうれん草や大根、白菜などは、自宅の近くにある「室積シェアキッチン」というお店におろしている。
国際貿易が経営している都会的な雰囲気のお店で、地元の人々にも愛されている。
この自然に満ちた場所で、久保はさまざまなことを学んでいる。例えば塩づくりは潮の満ち引きに関係していること。
山と海はつながっていて、山の状態がよくないと魚たちに大きな影響を与えること。
実際に体験するからこそ、そういう知識が体の中に入ってくる。
それが理想と現実のバランスをとり、できることとできないことの境界線をつくっていく。
「ゆくゆくは、自分で家をつくって住みたいんですよ。牛島の気持ちのいいところで、気持ちのいい家をつくって。
そういう生活をしながら、室積には(廃校になった)小学校のグラウンドがあるから、自分で草を刈って、ゴールも木でつくって、手づくりのピッチでサッカーを教えてもいい。
でも、それはまだまだ先のこと。電動のこぎりを扱うようになったり、クギを打ったりと、まだまだそんな段階なんですよ。
でも、教えてもらっている棟梁と木を一緒に見に行ってみたいし、ここの山で採れる木でいい家をつくりたい。
一部屋くらいのこじんまりした家でいいんです。そこで寝て、メシ食って、いい眺めのところでゆっくりして。そういう家に住んでみたいんです」
引退後にこんな生活を送っている選手など、空前絶後だろう。そもそも、家族の理解が普通は得られない。愛妻・佳奈子さんの存在がいかに大きいか。
出会いは筑陽学園高1年生の時。久保竜彦という破天荒な男とクラスメイトになった佳奈子さんは、バレンタインデーにチョコレートを贈っているのだが、未来の夫はほぼ無視状態。
ところが3年の時、彼は彼女を急に呼び出し、「俺と付き合え」とせまった。
そこから付き合いがスタートするのだが、初デートはほぼ会話なし。
卒業後もほとんど連絡がなく、「あれ、付き合っていないのかな」と感じたという。
それが19歳の冬、クリスマス前にまたも突然、彼から電話があった。そこから、本格的に二人は彼氏と彼女になったのだ。
結婚は21歳。まだレギュラーに手が届きかけた頃で若すぎると周囲は難色を示したが、今西和男 広島総監督(当時)が「彼は私生活が安定すれば日本代表になれる逸材なんです」と両家を説得して、二人は祝宴をあげた。
あれから22年。今西総監督の思惑どおり、夫は日本代表となったが高校生の頃の野生の薫りは失わない。
ずっと自由であり、しかしずっとケガの苦しみと戦い続けた男のそばで、妻は寄り添い続けた。
牛島でも自然に夫と共にやってきて、目の前の海で釣りを楽しんだり、近所の人々との交流を楽しんだり。
可愛らしく、ほんわかとした優しい雰囲気は、20代の頃とまったく変わらない。
「今も、嫁さんと一緒に……、というか、いてもらっているっていうのが本当だけど(笑)。(嫁さんは)我慢強いなって思いますよ(笑)。
(結婚して)本当によかったなぁと思いますね」
古くからの九州男児は、妻への感謝の言葉を滅多には口にしない。そんな中で久保竜彦が5年前、ポツリと口にした佳奈子さんへの想いは、今も変わらないのは明白だ。
牛島の港を背景に撮影した二人の姿は、室積の海に映えてとても美しい。肩を寄せ合って寄り添う彼と彼女は、牛島の風景のような、優しさに包まれていた。
<了> ドラゴン、柳、小野、稲本。
こいつら使えば良かったのよ2006は、マジで。 >>9
お前は身体に良いものを食え
俺は旨いものを食う 黙々と作業して仕事終わって酒飲んで寝る職人タイプやろ 久保のファンでも広島サポでもないけど
ひょっとこゴールだけは忘れられない 自分が断食するのは好きにしたらいいけど
娘はふつうに生活させてあげて。
いまどきスマホ禁止とか、むかしもテレビ禁止とかマンガ禁止に
する親がいたけどひねくれるだけだぞ。 美談のように語ってるけど正直このタイプの親だと子供ツラいと思うよ
スマホ禁止に逆らったらどうなるかってもう分かりきってるね 確かに山奥の寺の坊さんがサッカーやってるような感じするよな。 スレが二つあるけど、最近、久保竜彦ブームきてるの? 言うて娘2人とも普通に育ってるからな
次女は久保に似過ぎてて可哀想だけど 平成日本の二大ストライカー
高原 サトウキビ作り
久保 塩作り スピリチュアル屋と共産党に利用されまくった挙句、一文無しで死にそう こっちの久保の方が凄い
チビの方の久保は大したことない >>17
広島時代のゴールじゃ獲ねえだろうがクソ野郎
知ったかするなら黙ってろよ白痴
目障りなんだよ Jリーグ公式
ドラゴンソルト
スシボンバーシュガー >>17
久保の所属クラブすら覚えてない無能が
何を忘れられないだって?
そうだ、お前無職のくせにハローワークに行くことも忘れてるんじゃね? >>17
アホ過ぎ
久保もお前みたいなのに覚えられてしまって大迷惑だろうなw まあひょっとこゴールと似たようなのは広島時代にも決めてるけど
当然ひょっとこは無しだが 娘も大学生になったのならさすがにスマホ持ってるでしょ 横縞時代のゴールだってのは知ってたけど、
久保といえば広島のイメージが強いと思った
こんなに叩かれるとは思ってなかった 文章の後半が宗教じみててちょっと怖い(;´・ω・`) >>47
言い訳見苦しい
素直にいつ時代のゴールかも覚えてないくらいニワカでしたすみませんと謝れよボケ 身体能力は凄かったよな
代表ストライカー歴代ナンバー1かも >>47を哀しみに濡らし傷付けようとする輩が居るのなら俺は鬼にいつでも成る >>51
お前の様な輩がJリーグを汚し、全てのリーグを汚し、全てのフットボールを汚す
俺様が貴様を地獄の火の中に投げ込むものである 取材した人の思いが止まんねーな
こんな長い文章見た事無い >>56
チョッパリという美しい自国の言葉も使えないパンチョッパリは半島に帰って兵役についとけ!!!! 自分はキャバクラ好きなのに娘にはスマホ禁止とはね w 久保の移籍は全然我儘じゃない寧ろ横浜も久保も広島に良くしてくれたよ 06年大会での監督がオシムで、久保と玉田のドラゴンボール2トップやれたらなあ なんか面倒くさい奴になったな
娘にもいろいろ強制させるとか・・・
もっと良い意味で放任な感じのオッサンになると思ったのに >>45
たぶん1人が何回もレスしてるぞ
こんなスレのあんなレスに短時間で似たようなレスが集中するわけない 欧州遠征アイスランドだかラトビア相手のゴールは凄かったな。イングランド戦(1-1)のスタメンでドイツW杯臨んで欲しかった。 山形の月山で山伏修行したときに久保がいてビックリした 怪我の多さはコミュ下手からくるストレスが原因だろ 顔つき見ればわかる ああ言うわがままで広島から横浜に行ったとかかれているが、
どう言うわがままだったの? >>74
アイスランド戦かな
あの遠征はチェコ戦のゴールばかり取り上げられるけどアイスランド戦の2人の間を切り返して抜いていったゴールの方が好き
久保は小野と小笠原との相性がすごく良かったんだよなあ 95年のデビュー戦を確かテレビで見たわ。
途中出場で出てきて、ゴール前に来たボールをヘディングした時のジャンプが高くてスタジアムがどよめいてた記憶がある。
何者だよと思ったよ。
まだ坊主頭というほど髪は短くなくて坊ちゃん刈り?という感じだった。 >>80
広島サポとかは好意的だったけどギャラは勿論代表目指したいとかそんな感じ こう云う独特の考え方してるやつの家族はしんといわ
本人はええやろけどな
子供が可哀相やわ 03年にマリノス優勝したけど、最終戦だかの久保のヘディング凄かったよな。 ゲーム禁止で育った友達(女)が卒業して親元離れて、反動からなのか、
めっちゃエグいゲーマーになってた。廃課金層。
仕事中にも人目を盗んで携帯ゲームしてるみたいで困ったもんだ 久保伝説
初めてのデートで行った映画館では一言もしゃべらなかった
付き合い始めて1年間は最高で7ヶ月間会わなかった
結婚を反対されたときは、毎週のように奥さんの実家に頼みに行った
奥さんが妊娠していたときには、茶碗を洗ったりおでんを作ったりと意外な一面も
奥さんの出産時は、立ち会ってとなりで呼吸法をやってた。
子供と話すときは裏声
ユニフォーム交換で貰ったユニフォームを、イラナイからと友人にあげる
家では「メシッ」「牛乳」「リモコン」 しか言わない
久保は気が合った人しか喋らない、ゆえに奥さんとは喋らない
Jリーグアウォーズのとき、ひとりで東京へ行くのは心細い、かみさんといっしょじゃないとヤダと駄々をこねた
車はシボレーアストロ
ゴルフの時、着替えとして代表の服をスーパーの白いビニール袋に入れて登場
恐い話が好き
昔は相田みつをが好きだった。今はあまり好きじゃない
昔は長渕が好きだった。今はあまり好きじゃない
嫁の料理では味噌汁が好き。こじゃれた料理は嫌い
寡黙ゆえにクラブから「話し方講座」受講をすすめられたこともある
初めての代表に選ばれた時(大阪)、どうやって行けばいいのかわからなかった
地元のスポーツ番組に何度もお呼びがかかってるのにいまだに出ない
久保「外国はメシが本当にうまくないです。外国人はあれがうまいと思ってるんですかね」
インタ「そりゃそうだろう。外国人はあれが基本なんだから(笑」
久保「そうすか。外国人はあれがうまいと思ってるんですか・・・・・・」
〈監督とチームメイトの皆さんから見た久保選手は・・・〉
今西総監督「日本代表で、久保が笑いながら誰かとしゃべってる!!とビックリしていたら相手は同じチームの下田選手だった。」
「野球は好き。王さんのWBCはよく知らないけど。昔の巨人のファン。クロマティとか…」
野球好きで、巨人ファン。子供の頃は野球をやっていたが手を怪我したためにサッカーに転向
福岡の柳楽のハードマークにイラツキ頭突きをかます
鹿狩りが好き
シャワーを浴びた後体を拭かない。ロッカールームはいつもビチャビチャ
好きなテレビは「ぜんまいざむらい」
トラップすんのがめんどくさいからってスーパーボレーでゴール 好物は近所のおばさんが作ってくれるカレー(なぜか奥さんのではない)
これにソース(醤油だったか?)をかけて食う。
奥さんは久保の体を気使って、栄養のバランスの取れたものを用意するがおいしくないらしい。
奥さんは口やかましく言うそうだが、そんな時に久保が奥さんに言う言葉。
「お前は身体に良いものを食え。 俺はうまいものを食う。」
試合の途中に骨折
99年に久保を骨折させたのがビスマルク ビスマルクに後ろから引っ掛けられ上に乗られて骨折してしまった。
その後もプレーを続け、プレーそっちにのけでビスマルクだけを追い掛け回してた。
ビスマルクにボールが渡りそうになった時久保は ここぞとばかりにビスマルクをふっ飛ばした。
その直後、気が済んだのかベンチに引っ込んでった。 素敵なご夫婦だな
今日日なかなかおらんぞ( ´・∀・`) もっとこう無骨で大胆な人かと思いきや、なんか変に神経質でオカルトチックなとこがあるんだな
んで>>1結局ちょっと何言ってるのか分からないw 久保の気持ちは痛いほどよく分かる
俺も天才アスリートだったけど子供のころから故障ばかりして
まともに試合に出たことが無い クリスマス前に電話があって、そこから本格的に彼氏と彼女になった
どういうこと?チョメったってこと? >>10
柳は使ってたろ
でも小野は絶好調だったし俊さん発熱だったし、何考えてんだと思った
久保が選ばれた世界線も見たかった 代表の試合後に娘を肩車して場内を一周してていいパパなんだなって微笑ましかった
その後俺にも息子産まれて何かあると肩車して歩いてる どう見てもヨガとか自給自足とか、自己の精神世界で生きていく人間だからな ドラゴンは宇佐美や平山と同じジャンルの
むしろ反面教師にすべき選手なのに
ちょっと親善試合で活躍したからって
持ち上げる奴が多すぎるわ 甲子園行かなかった佐々木もこんな人生になりそうな予感
マスコミが騒ぎすぎるんだよ こんな異色なストライカーは
もう今後出てこないやろ。
久保竜彦2世なんて選手は、
全く聞かないしな。 >>111
そもそも宇佐美と平山も括りとして違うし随分雑に選手を見てんだなあって印象しか残らないレス >>115
「特大のポテンシャルがあったのに
メンタルカスで大成しなかった選手」っていうジャンルだよ
これに関して何か間違いある? >>109
わかる
女の子の太ももで顔が挟まれるのとか肩でお尻の感触を楽しむのがいいよな
娘ばっかり肩車するもんだから息子はいつも泣いてた >>116
ほら大きな雑な括りでしか見てない
そんなんで反面教師もクソもあるかよ >>9
本物を食え
自分で作れるようになれ
自然と共に生きろ 代表のほとんどが海外組だとかみんな欧州行けばいいって風潮だけど
個性ある選手はいなくなった 主義主張と哲学の区別がつかないのがこの国のマスコミのレベル 落ちぶれてから食に拘りだしたみたいな文だけど、
全盛期から欧州は飯が不味いから移籍したくないって言ってたな フィジカルの人と言われてたけど、
ヘルニアやったり足首いったりするのは、結局フィジカルモンスターではないんだよな
あと、今は食ってこだわってるみたいだけど
現役時代はまったく食にこだわらなかったのも短命の理由の1つ
その頃も嫁は支えようとしたのに無視
んで、今はスマホ禁止とか、ちょっと頭おかC 良い選手だったんだけどな
腰とか体さえ丈夫だったら >>127
ばあちゃんの野菜が食えなくなるから
広島から移籍したくないつってた
横浜にいるときもばあちゃんの野菜送ってもらったり
貰いにいったりしてたそうだ 長女もテニスやっててそれなりの成績だったのに
なでしこ発掘プロジェクトみたいのに引っ掛かってサッカー始めたよね
結局ダメだったんだ 食事にこだわる前は大酒飲みだったんだよなあ。
サッカーみたいなスポーツで大酒飲みはな。 >>135
長女は中高とサッカー続けて全国まで行った 久保が2年生のときに、筑陽学園で数学を担当してた。
まあ当時の筑陽学園は、お世辞にも勉強で優秀な生徒ではなかった。(特進クラスができたばかりの頃だったかな)
彼の上に工藤(現アビスパ監督)や古賀(徳島)がいたから目立たなかったけど、当時からレギュラーだった。
今は工藤や古賀より有名になったけど。
でも農業をやるとはね。いつも面白いことをやっているな。 変人過ぎるし農業は一人でやれるから向いてそうだけどな >>119
否定の仕方が「括りとして違う」から「雑な括り」に
後退してるわな
久保が特大のポテンシャルをメンタルカスで台無しにした選手である事は
反論できないもんな
そしてこんなわかりやすい反面教師がないわなあ うーん、詳しくは知らないけど、なんかスゲーめんどくさそうな人だね。
この人が自分の家族でなくて良かった。 結果出してない過大評価野郎の俺様哲学ほど悲しいものはないな… >>90
幼少期に我慢させられたものって大人になって執着するよな
子供なんてどうせ飽きるんだから適度にやらせとけば良い 引き締まったいいケツしてたんだよね
歯並び矯正してればもっと上いけたかも
噛み合わせ悪そうw >>65
自分が女に無茶苦茶してたやつは同じ目に合わせないために自分の娘には厳しく躾するよ 光なんてマジで何も無い。せいぜい宝城カイリの出生地というくらい 重度のサッカー好きで久保嫌いな奴見た事ないな
みな久保に痺れてた
代表しか見ないにわかは叩いてたけど 卒業後もほとんど連絡がなく、「あれ、付き合っていないのかな」と感じたという。
それが19歳の冬、クリスマス前にまたも突然、彼から電話があった。そこから、本格的に二人は彼氏と彼女になったのだ。
何があったんだ こんな長いソースは初めて見た。読んでないけど、ドラゴンはしゃべりが出来ないから
解説とかでも使い辛いからなあ。でもW杯でメンバー落ちした経験は貴重なんだけどなあ >>1
この人の塩買いたいんだが、どこでうってんだろう >>160
この人の作った農産物なら世界一信用できるだろうな
スポーツ選手なら倍額でも買うだろう トルシエもジーコも期待してたけど本番で外さざる得なかったね
トルシエの時は代表で全然点取れなかったしジーコの時はコンディションが最悪だった ドイツW杯のときは結局怪我が治らなかったからな
そのまま怪我完治せず引退だし 嫌がらせのような無駄な長文だな
なんだかんだ言って久保は面白い奴だった
塩ってどんなの作ってるのかな 人間が真面目なんだな
ちょっと危なっかしいけど好感持てるわ 一袋1000円ぐらいの塩使ってるけど、マジで味が違う
昔の人間が粗末なもの食ってたとか大嘘だから
透過膜で作ってる人工の塩食ってる俺たちの方がよほどまずいものを食ってる
昔の人は素材に塩かけてくうだけで十分だった
塩にはそのぐらい力がある >>1
あれ?娘こんなだったっけ?
もっと可愛かったような記憶が・・・・・ >>11
いくらダダ長いからって本文くらいは読め。あんな状態のボールや靴?の扱いに長けた状態で普通のボールを蹴ればスーパーショットは出来るが下半身がガタガタになるのは当たり前だ。 室積には2人有名人が居る、1人は久保
もう1人は室積光(役者)
金八1・2で体育教師役で出てた
2で加藤が教室で暴れて飛び出して行った時に止めようとして膝蹴りくらった人
役者の傍ら監督や地元で講演やってる、久保と面識あるはず 本人と家族の人生だし本人達が良ければそれでいいんだが
何か色々と拗らせてるなっていう印象
好きな選手だったし引退後もサッカー界に関わって欲しかった 久保は飲酒運転で事故起こしても物損で自分は怪我ですんだ
一方のオックンは…
この差はどこでついたのか、慢心、環境の違い、ハードラックとダンスっちまったんだよ… >>1
この人テレビで「鹿と格闘して頭カチ割って食った」って堂々と言っててワロタw後でクレームとか来なかったのかな? >>159
北澤とか見てるとメンバー落ちした経験は要らんわ。 >>177
未だ粘着的に岡ちゃんを憎んでるからなw >>53
久保に放り込んどけば高いジャンプ力でヘディングシュートいつも決めてたからね スマホ禁止と言うが書いてあるようにお年玉などで自分で買えってことだ。お小遣いやお年玉バイトなどお金は入ってくるだろ。久保はいうほど厳しくないな。 俺は他者が認める天才だったが18で肩を壊してスポーツは止めた。食は久保以上に杜撰でケアもしてなかった。今は久保と似たようなもんだ >>182
野球やってたの?
18歳くらいまでならそこまで食事にこだわる選手は少ない。
元の体の頑強さがなかったんだよ。 >>17
それは横浜FCのときのゴールだろが
このゴキブリは何ドヤ顔で適当なこと書き連ねてやがるんだ? >>27
チビの方が遥かにスゴイ
テレビのスポニュ見ろ 広島が初優勝したときマスパンとレポーターやったのみたけどチームメイトに愛されてるなとつくづく感じた
この人の良さはプライドがなくかっこつけないことだよね
だから私服はジャージしかなく靴はサッカーシューズとサンダルしかないらしいがw >>190
畑で農作業してる写真でもミズノのスパイクみたいなの履いてたからなあ 歴代日本人フォワードの10指に入る選手だな。
五指には入らないだろうが。 引退してからたまーにテレビ出ると割りとよく喋るよな メンタルから来る不摂生なのかな。極度の人見知りだったしトルシエにドヤされるのが嫌で代表も呼ばれたくなかったっていうしな。
怪我したって嘘ついてまで代表辞退したこともあるらしいし。 >>26
なんか自己啓発系とか親学とか
全てに感謝とかいい出しそう ど田舎の民家ですんごいイヤらしいセンズリしそう
覗きたい、、 山口県の田舎はいいよね
ホンマにほんわかしてる。土地も人も。 >>170
奥さんとは話さないけど奥大介さんとは話してた 久保と男同士二人っきりでキャンプしたい
寡黙に寡黙に寡黙に、、
濃厚な濃厚な精神的ホモを熟成させたい
時間が経つにつれ肩組んで酒飲んで笑顔を見せ合う様になり、、
互いの体温を慈しみあう関係になりたいな >>205
ゴール数でしか選手を判断できない典型的なサッカー音痴
恥ずかしくねえの? 久保のいい部分は何も変わってないけどストイックな部分が出てきたのは少し残念
ただ美味いもん食う、から本物、良いものを食うに変わって子供にまで強制してるんだな
ただ子供の頃に良いものを食べさせるっていうのは実は凄く大事
いい年になって色々な人間と食事するようになってから再確認させられた
食事だと躾や育ちがどうしても絶対に垣間見えるからね
親が厳しく躾がしっかりしてたり裕福な家庭の子はやっぱりしっかりしてる
あと少しずれるけど本当の意味でのグルメって子供の頃に良いものを食べた人だけだな
子供の頃に舌で覚えるから久保が言ってるこのことは立派だよ
子供の頃に本当に良いものを食べてた人は味の違いがわかるから
例えば芸能界でも一茂やジモンは本当のグルメだけど渡部とかはグルメじゃない 娘さんは自発的にもコンビニ弁当やファミレスのものは食べないはず
ジャンク食べる人は仕方なく食べる人が殆どだが中にはああいうものが本当に美味いと思って食べてる連中もいる >>208
久保は今は怪我等を経て身体にいいものを食えに結局なっているけど、昔は自分の味覚で美味しいと思ったものを食うってだけで、味覚そのものが意識高かった訳ではないだろ
近所のおばさんのカレーにソースかけて食べるのが一番好きだったんだし 親が子供の食べ物にこだわりすぎて、市販のお菓子禁止にされてる子供が友達の家ではむさぼるように食うとかもよくあるし
食べ物もほどほどにしておいた方がいいよ
大人になると忙しくてこだわりのものなんてなかなか食べられなくなるから、ほどほどを知っておいた方がいい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています