【野球】金田正一 ピッチャーとしては別格、監督としては失格 - 野村克也
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野球界には、ときどき「怪物」と呼ばれる者が現れる。
元祖怪物・江川卓、「ゴジラ」こと松井秀喜、投打二刀流で「100年にひとり」と言われる大谷翔平……。
野村克也さんの新刊『プロ野球怪物伝』(幻冬舎)では、教え子である田中将大、「難攻不落」と評するダルビッシュ有から、ライバルだった王貞治、
長嶋茂雄ら昭和の名選手まで、名将ノムさんが嫉妬する38人の「怪物」を徹底分析しています。
* * *
バッター最強の怪物が中西太さんなら、ピッチャーのそれは金田正一さんしかいない。
なにしろ、あの天才・長嶋がデビュー戦で4打席4三振をくらったピッチャーである。別格だった。
でなければ、400勝などというとてつもない記録を打ち立てられるわけがない。
私とはリーグが違ったので、対戦したのはオールスターとオープン戦程度だったが、どうしても名前負けしてしまった。
「天皇」という異名をとったように、「地球は自分中心に回っている」と考えているタイプの典型で、マウンドでも堂々としているから、戦う前から呑まれていた。
オールスターのときは三振をとることしか興味がないから、ひとりでもバットに当てられたらもうやる気をなくしていたが、本気で投げたときのボールはすごかった。
球種はストレートとカーブだけで、ストレートはもちろん史上最速といえるほど速かったが、それ以上にカーブがすごかった。
当時の選手としては飛び抜けて背が高く、しかもオーバーハンドだから、まさしく2階から落ちてくる感じ。
途中まで高めのストレートだと思っていると、ガクンと落ちる。
だから、はじめて対戦するバッターは必ずお辞儀して見送るか、ワンバウンドを空振りしてベンチに帰ってきた。
いまはそういうカーブ、すなわちドロップを投げるピッチャーがいなくなった。
余談だが、昔、西鉄に西村貞朗というピッチャーがいて、この人のカーブもすごかった。
木塚忠助、蔭山和夫という当時の南海の1、2番コンビが、西村さんのカーブをよけようとするあまり、うしろにひっくり返ったのをネット裏から見たことがある。
ところが判定はストライク。バッターの頭に当たる直前で、ググッと曲がり落ちたのである。
それを見たとき、「とても打てない」と思ったのを憶えている。ネット裏から見て打てないと感じたのだから、相当なものだ。
事実、1955年に日米野球で来日し、15勝0敗1分と圧倒的な強さを見せたヤンキースの名将ケーシー・ステンゲル監督が「アメリカに連れて帰りたい」と語ったほどだった。
話を金田さんのカーブに戻せば、金田さんのカーブは、厳密にいえばボールだった。
バッターの前を通過するときは高めにはずれているのである。ところがそこから鋭く落ちるから、キャッチャーミットに収まるときはストライクになっている。
審判がだまされてしまうのだ。ベンチからはボールの軌道がよくわかるので、「高いよ、ボールだよ」と野次るのだが、キャッチャーはど真ん中で受けているので、審判は「いや、入っています」と言って聞かなかった。
のちにロッテに移籍したとき、金田さんと手の大きさを較べたことがある。
金田さんの指は、私より一関節ぶん長く、しかも太かった。もしかしたら、あのカーブを生み出す秘密のひとつだったのかもしれない。
* * *
https://blogos.com/article/409179/
幻冬舎plus2019年10月08日 07:25
https://static.blogos.com/media/img/259842/raw.jpg 「人生、金だ」
カネさんとは、監督と選手という関係だったことが1年間だけある。
私が南海の監督をクビになり、一選手としてロッテに移籍したときのことだ。そのときの監督がカネさんだった。
とにかく、何かを教えている姿をほとんど見たことがない。言うことはただひとつ、「走れ!」。
たしかに下半身の強化は、とくにピッチャーにとっては必要不可欠だ。だからといって、それがチームの指揮を執る監督の言うことか。
優勝の可能性がなくなると、球場に来るのは試合がはじまってから。しかもしばしばゴルフ場から直行する始末で、勉強になることは何ひとつなかった。
ピッチャーとしては別格だったが、監督としては失礼ながら失格だったと私は思っている。
* * * 将来180km/h投げるピッチャー出てきたら
ワシは200km/hは出てたって言ってほしかった おれとかねやんやアストロ球団では結構優秀だったが
アストロ球団なんて超人の集まりなのに苦戦させられた
いまだに超人なのに普通人に苦戦するアストロ超人の存在意義がわからん >バッターの前を通過するときは高めにはずれているのである。ところが
>そこから鋭く落ちるから、
>キャッチャーミットに収まるときはストライク
時速100キロ以上のボールがわずか2メートル未満の水平移動で
垂直に十センチも落ちるのかね
物理的にありえないんですけど 上手いこと言うなあ、ノムさんは。
金田みたいな、ともすればよく分からないままに
伝説化されそうな選手の業績を
正確な批評できるのはノムさんだけだろ。 ノムさんがこれだけ高齢なのにしっかり分析して頭がしっかりしているのが凄い
認知症のボケ老人とかも多いこの年代なのに
とにかくまだまだ元気でいてくれ >>6
モンスタージョーとリョウ坂本がいたし
アストロは人数足りなくて観客入れたりしてたから ノムさんはほんとに文才がある。
高卒のスポーツ選手とは思えな。 現役最後の当番が1969年の10月。
ほぼ毎日どこかの局でプロ野球中継があった時代だったが、はっきり覚えてないんだよな。
その当時知っていたのは王・長島ぐらいだったかな。
その頃は怪獣やアポロに夢中で野球に興味が無かったせいもある。
もっとも巨人の星は毎週見てたけどな。 >>10
このレベルでも日本一になれるくらい緩い時代だったんでしょ みんな速かったというんだから速かったんだろうな
どれくらい出てたか1回検証してほしい >>6
懐かしいなw
まあ超人は最終話後の読み切りまで全員揃わず、人数も不完全だったり
未覚醒の超人もいたりしたからなあ・・・
だが確実に言えるのは、たった一試合であんなボロボロになるのでは
ペナントレースをこなすのは不可能だとw
しかし009と言い、昔の漫画はどうして少人数チームなのに露骨なまでの活躍の違いがあるのだろうかねえ・・・
今の漫画家なら、それぞれの特性をまんべんなく生かしてくれると思うのだが。 もう少し後でもいいとは思うが
まあ言える仲だったのかな >>2
南海監督解任後、カネやんが拾ってくれなかったら、3000試合達成出来なかったことも一筆書き加えるべきだった >>10
現在みたいにドラフトでリーグ全体の均一化が図られていない時代で
練習体制も管理体制も整っていないような時代だ
ちょっとした不調や何やらでチーム成績自体が乱高下することがある時期だからねえ・・・
その間隙を縫って、意外なチームが優勝することもままあったという。 >>20
いつだか
TBSのS1に一緒に出てたけどすげえおもしろかったわ
楽しそうで 挨拶でビンタし合う仲
ってのもよくわからん関係よねw >>7
俺もこれが気になったw
キャッチャーの時点でストライクならバッターの前を通過した時点でもストライクだよな
どんな物理法則だよ
そう見えるって言いたいくらいに曲がるって言いたいのは分かるけど
審判は何も間違ってねえだろww 試合が始まってからゴルフ場から直行とか、野球が大らかだった時代だわな
当時のパリーグじゃ記者もカメラも張り付いてないし >>10
しかも本拠地宮城球場という名のジプシー状態でな ピッチャー別格・・・確かに
900登板以上とか明らかに異常
勝ち星の1/3はリリーフ登板でこそこそ積み上げたものだから
他の300勝投手たちが金田に否定的な気持ちがよくわかるw アストロ戦では相手チームのエースの頭に故意死球を指示して殺して勝とうとしていた 金田に拾われたという事は野村もあの相互助け合い民族か。 >>7
金田の時代、野球は永遠にアメリカに勝てないと思われるくらい日米実力差があったw
130kmが豪速球投手と呼ばれた日本球界
あと金田は万年最下位チーム国鉄にいたからこそ、わがままし放題に投げられた
んじゃなきゃ400勝とか無理無理w
デビュー当時から先発とリリーフ兼任してたからな
先発だけやってたら半分程度の勝ち星で終わってるよ
31先発で31勝した年は実際の出場試合数は60程度じゃね?
だから負け数もそれなりにおおいw >>15
口述筆記、ゴーストライターって日本語知らない⁉www 長嶋が4三振と言っても新人じゃないか
しかもデビュー戦
比べられる金田が可哀想だ 現場にまで介入して公私混同チーム私物化にうんざりされて
監督とサッチーどっちとるんだ!といわれてサッチー選んだ監督失格の男のたわごと。 >>29
たぶん目の錯覚
バッター目線だと実際の球の軌道よりも遥かに手前で急変化してるように見える >>43
我が儘をとおして勝ち星を稼ぐという事自体が凄いと思う
いろいろイカサマして400勝したとしてもやっぱり凄い
生きてるうちに金田選手を超える勝ち星あげる選手が日本に現れてほしいもんだ カネやんが先発リリーフしないとシーズン100敗しかねないチームだったそうだし
リリーフ勝ちの何が悪いのかわからん ロッテ監督時代人気なかったパリーグにお客さん呼ぶ努力してたのはもっと評価されてもいい あんなんが別格とかどんだけ日本の野球は低レベルなんだよ 多分ボールの回転数が凄いんだろう
ボールの上面と下面ではスピードが違うはず
台風の右側と左側のイメージ
単純な質点のニュートン力学にはならないはず 「カーブは曲がりばなを打て」ってまことしやかなアドバイスがあるが、曲がってるのは
中ほどらしい。目の錯覚で手前に見えるそうな。 誰か金田の国鉄時代や巨人時代の年俸知ってる人いる? テレビタレントとしても、野村は負けてるなあ
まあノムはタレントの側面より、解説の人なんだろうが
金村、張本、金田のような豪快な陽キャラの爺は日本はいないね
さすが韓国、なぜ芸能の世界にも多いかというのをまざまざと感じたよ 現役時代の凄まじい成績ばかり言われるけど、監督としても日本一になってるんだよな
殆ど事実でも半分誇張でも
ノムさんしか語れないんだよ 史上最速のストレートと魔球のようなカーブ持ってて何で日米野球でボコボコに打たれるんだ カネやんの現役時代知らんから
週刊誌で 毎週女性芸能人と対談して セクハラ紛いな事言ってた スケベオヤジなイメージしかないわ 去年2月に宮崎でやったOB戦の時は金やんがノムの腹をプニプニつまんでおちゃらけてたのにな
まさかあの時の参加者で最も早く亡くなるとは >>1
さすが金田だww
金田の悪口は本当に笑えるww
野村が言っても、金田の悪口は笑える。
本当に面白い爺さんだったww >>71
紛いっつうかセクハラだな
子供のころちんこビンビンにしながら読んでた 体感的に在日の約89%がちょっと深くお付き合いしたくない人なのだが
しかし11%くらいはとても魅力的で素晴らしい人もいるので
まあ日本人もカスやクズたくさんいるから在日かどうかは関係ないね金田や力道山はクズだったみたいだね >>49
なんか在日ヤクザみたいなやり方な気がするわ
元々能力があったけど力落ちてリリーフに回った後に周りを威圧して成績稼ぐみたいな
確かに能力は認めるけどやり方がなんだかなーて感じ
ノムさんの文章にも書いてあるけど自分勝手で400勝キッチリやめてるのを見るとそれを感じる ノムさんて野球漫画に出てこないよね
パ・リーグだったから? 結局信じれるのは落合なんだよな
落合も年齢的に金田の現役見てそうだが
人間性を除けた冷静な投手金田評が聞きたい
嫌いだから話したくもないかな >>22
金田ロッテが日本一になったのは昭和49年だからドラフトスタートしてるよ
日シリの相手が読売のV10止めた中日だったな、投手は村田・木樽・成田、打者は有藤・弘田・得津あたりが主力 >>81
サッチー死んだ時はノムさんも長くねーなと思った >>81
今は移動は車椅子って話だからなあ・・・
東京から大阪まで移動するのに何日かかるんだろ・・・ 野村と言えば、やはり張本のちんこの話をして欲しいよな >>80
53年生まれの落合が
69年に引退した金田を見たとしてもTVだろ
お前はなんなの? 選手として実力のあるやつなんて興味ねーわ
監督として実力のあるやつが興味ある 金田正一
944試合 5526.2イニング 569先発 365完投
400勝 298敗 4490奪三振 防御率2.34 WHIP1.07 >>88
普通逆だけどな
監督として勝てるのは基本親会社が金持ちなところだから >>79
「あぶさん」にちょこちょこ出てくるじゃん >>90
ズルがよく話題になるけどこれ見る限り1試合平均6イニングは投げてた計算になるんだな >>7
これがありうるんだわ
金田ではないし、カーブでもないのだが
江川のストレートを調査した論文がある
電気通信大
「バックスピンする球体に働く負のマグナス力」 〉昔、西鉄に西村貞朗というピッチャーがいて、
そうそう駒沢球場で東映相手に完全試合やったんだよな
ずっと0-0で豊田がビル西田から均衡破るホームラン打ってその裏その豊田の前に
ゴロが来てイレギュラーしてはじいたが間一髪でアウトにするプレーが出て
そこでパーフェクトできると思った。 >>15
理系は別として
日本では
大学なんぞより
プロの世界の方がよっぽど学べることは多い 大投手であったことは認めるが、名球会を私物化して晩節を汚してしまった こいつの毒舌はただの僻みや嫌味でしかないから広岡さんみたいな愛情を感じないよな ボール球をストライクと言ってくれれば400勝出来るわ。
ただその技術を身に着けたのが天才だったしれないが。 「俺の球は180キロ」はよくネタにされるけど
当時のフィルムをでじたる・りますたぁなりなんなりして、実際の球速を弾きだすことって
できないの? 王の800本と金田の400勝
これはもう日本では絶対にぬりかえる事のできない記録だわな 剛速球とボール球をストライクと言わせるカーブ。
魔球だよね。 勝率で見ると金田は実はトップ層からは一段落ちる位置だったりする
時代背景ゆえの異様な登板回数がもたらした勝ち星の数という >>97
金田の救援登板の88.5%は完了だからね >>104
>>108
面白いとでも思ってんのか? 江川も今のスピードガンなら160キロ出ているらしいね。
現役9年間、やはり160キロ出すと肩がいかれる。
投げ過ぎの可能性もあるが。 万年最下位クラスの球団での400勝…
つまり藪の最上位版か >>22
ドラフトがないわけだから不人気球団には不利な時代でしょ。
ドラフトは人気球団に選手が偏るのを防ぐ仕組みだし。 江川はそこまで速く見えないがなあ
金田は例の長嶋四三振しか映像残ってないから
分からん
つーか昔は常時145以上だったのがいつのまにか常時150以上になって最近は常時160以上になってんだが歴史修正主義者かよって思うわ 球界一の投手というのは、金田ではなく稲尾のことだと思う >>118
金田在籍15年間、国鉄の最下位は3度だけ
この間の国鉄の勝ち試合833のうち「勝利投手金田」は42.4%にあたる353 野球詳しくないから知らないけど この人そんなすごい人だったんだ・・・ (´・ω・`) >>120
同じ空振りでも、江川のは明らかに打者の反応が違う
上原もそうだからスピンが効いてたのかも 野村が妻子を捨ててサチヨと一緒になった時、
前妻と子供に食っていけるだけのもんを払うだけは払えと説教したのが金田。
野村は金田に含むところはあったのは、
そういうのも関係してる >>96
>>97
なるほど、サンクス
投げきるだけいいけど4回まで頑張ったやつは気の毒だな
確実に勝ってる状況なんだろうからな >>122
さんくす。なに? 記事中の「堀内の初速は168-170」って!? 弱かった国鉄で300勝もだけど
防御率すごくない? 今更だったらごめん
ドロップとカーブの違いってどんなふう? >>128
プロ初勝利の権利目前の5回に、
連続20勝の継続が危うくなっていた金田に攫われ
結局通算0勝で終わった島谷という投手がいた
この一件(と、あと400勝目)が過剰に喧伝されているきらいはあるが、
トータルでは、金田の「勝ち星泥棒」はそんなに多くはないんじゃないかな MLB相手には滅多打ちだったから145kmくらいだろうな >>132
弱小国鉄で最多勝ですからなあ 勝ち方を知っていたんでしょうな 「天皇」って単語の使い方を間違っているのはアホに見えるからやめたほうがいいと思う 日本一になれたのは金やんの弟でハムの金田留広が「兄貴の監督する球団相手に投げられない」とかなんとか訳のわからんことぬかしてゴネて、
明らかに格の劣るのと交換トレードでロッテに移籍したからってのが大きい
そんなんで最多勝投手放り出すとか今なら有り得ないが、
ハム初期は球団社長三原修が張本だの大杉だの大下だの主力を気前よく放り出してた
その三人は三原の宿敵水原時代の選手だからってのもあったが金田は水原が辞めた後の選手だからな まあ昭和の時代の球界って年功序列と学閥が
支配する世界だったし金田も結構苦労したみたいだけどな
あの実績で殿堂入りに4年もかかってるし >>91
落差のあるカーブではなく、スピードの乗ったカーブだから工藤で当たりだろうな。
そう言われれば後はいないなあ。縦スラがドロップかな。 別所さんが講演に来た時に言ってたけど、昔のボールは縫い目が高くて投げやすかったしスピードも出たし変化も大きかったって言ってたよ 勝ち星泥棒っていうが1回から4回まで投げた先発より
ロングリリーフして5回から9回まで投げて抑えた金田の方が貢献度高くね 嫌われ者の野村の葬儀にはどれほどの野球人が見送りに来てくれるんだろうw >>46
デビューした年に、ホームラン王と打点王取ってるんだぞ。
しかも一塁ベース踏み忘れ事件がなければ、ルーキーの年にトリプルスリーだった。
長嶋は他のルーキーのような扱いしてはいかん。 >>49
ワガママでもイカサマでもない。
五回以降投げて確実に抑えられるピッチャーがいなかったから、金田が投げただけ。
弱小国鉄が勝つための当然の作戦。 >>48
だいたいマウンド-バッターボックスの中間点で変化が始まるね
でも基本的に打者は経験則で反応するから、物理的云々が通用しないだけ
江川の全盛期とか、たかだか130キロ台後半のストレートが画面で見るだけでも変態的な球道を描いてる 毒舌が復活したなら元気になったのかもな 一時やばそうだったが ノムは南海監督された後金田に拾ってもらった恩を忘れているのか 金田は通算93セーブもあげているのに
勝ち星強奪ばっかり強調されて気の毒だ >>109
ベースは5角形だからな。
打者の手元で高く(打者が高いと認識する位置)ても、
一番キャッチャー寄りの頂点でストライクの可能性がある。 >>155
ロッテで金やんの後釜候補になって固辞して退団した経緯がある。
打撃面や捕手としての守備面の予想以上の衰えを目の当たりにして
ロッテ時代中盤から関係が微妙になっていった。 >>114
その同じ時代でも400勝った選手がいないことはどう考えてるんだ? >>1
金田はフォークも投げてたよ
巨人の森が死んだ後のコラムで書いてた 上手いこと言った気でいるんじゃねえだろな?
クスっと笑ったわ、くそ >>120
おいおい、江川はリアルタイムで見てたが、
ぶっちぎりで速かったぞ。
それはYouTube見てもわかると思うが。
しかし、スピードガンほど当てにならんものはないけどな。
測る位置や球場でも数値が全然違うし、
しょっちゅう間違いがあるし。
参考程度にしといた方が良いんちゃうかねえ。 >>128
その投手が5回以降も抑えられるかわからんだろ。 >>150
夫としてこそ超一級だろ
でないとサッチーの相手なんてできんwww 江川は高校時代が一番早かった
だがスピードよりコントロールの投手 嘘吐き朝鮮人らしく160km以上出してたとか大ボラふいてたよな金田
昔の動画を見てもガリガリだし上体だけで投げてて全く速さを感じない
単に昔の野球のレベルが低かっただけ 引退してからのピッチングをテレビで見た記憶がある
確かにカーブがめっちゃ曲がってた 解説者時代は江川ベタ褒めだったな
一方西本は二流扱いw 解説では下半身で投げろピッチャーは走れ走れとうるさかったが、本人の動画みると足をあまりあげずに上半身でヒョイッて投げてるようにしか見えないけどな >>176
頭頂部禿げの西本はキザで偶に足を高く掲げて上げて投げるのは格好良かった 今は居ないなあ >>178
偉大な大先輩がうんぬんみたいな話は
ニュースでコメント流してた 今のスピードガンが盛りすぎてるだけでピッチャーの球速は昔から上がってないんだわな 金やんプロスターズのエースだくらいにしか言ってない
のむらかつやさんは記録のある人しか言わない
長嶋さんにも記憶の人だとくくられるけど
444本ホームランを打っている
秋山幸二さんは437本 >>1
アメリカに連れて帰りたいってのは沢村栄治の事じゃないの? >>168
高校生相手だから、無双した
だから高校時代がピークだと思いガチ ノムさんは対語セットでコメントしないと死んじゃう病にかかっている 金田監督自身がスタンドから投げられた座布団を片付けに行ったんだよな
川崎球場だっけ? 西本はストレートに135キロくらいで、遅かったよね 右が重んじる秩序格差競合感情
左が重んじる自由平等博愛合理
僕の知る西部先生の真正保守は
右と左の間の活力公正節度良識 ノムさんは古田が球史に残るスーパー捕手にならなければダメ監督だったぞ。 野村や落合を神格化してる奴って
麻雀で20年無敗とかの人を神格化してありがたがってるのと同じだろ
麻雀の流れが全てわかるみたいに
野球の流れや采配が全てわかるみたいにw カツノリさんもいたけど古田さんなんだよな(ボソボソ) 通算ホームランと打点が歴代2位なのは凄いと言わざるを得ない。 ノムさんは昔から一貫してこういう評価をしてたな
選手は体が資本だからと12球団一良いものを食べさせ、
投手には特に下半身が大事だと走りまくらせていた
カネやんの嫁さんが秋田出身でキャンプに餅を送ってきた
「秋田の餅なんかめったに食えんぞ!食え食え!」と選手にふるまった
選手たちは「すげえ美味い!」と大喜びだったが、実はサトウの切り餅
選手を鼓舞して盛り上げる人心掌握に長けた人だった 金田の解説
選手活躍『練習の成果が出た、私の現役の頃は・・・』
選手失敗『練習が足りない、私の現役の頃は・・・』 >>43
金田の時代は先発がリリーフや抑えもやるのが当たり前
Wiki
>通算400勝中132勝、国鉄時代353勝中114勝がリリーフでの勝利であり、
>この時代のエース級投手はシーズン中、先発・リリーフの区別なく酷使されることも珍しくなく、
>稲尾和久は通算276勝中108勝、秋山登は193勝中89勝、杉浦忠は187勝中75勝がリリーフ勝利である。
「権藤権藤雨権藤」の権藤みたいに酷使されて3年持たないなんてことも珍しくなかった
金田の勝数はそれだけ投げて壊れなかったということの方がむしろ驚異的
今は変化球が増えて肘の負担も多くなったし、当時のような勝数稼ぐのは無理 >>162
フォークもそうだし晩年にはサークルチェンジも投げてたと言う記事を読んで事ある >>199
年間指定席ですらベコベコに傷んでいた川崎球場に、座布団などという洒落たものがあったのか? 逆は分からないけど昔超人だった人は今生まれてもすごい成績残せそう >>122
光電管での測定の精度がどれくらいかわからないが、本当に168km出てたなら金田や江夏が160km以上出していてもおかしくない
ノーランライアンも軍のレーダーで全盛期の球速を測定されてて初速は推定170kmあるらしいし 古い時代の豪速球投手で名前聞くのは沢村栄治、江夏豊、山口高志辺りでかねやんって自己申告以外だとあまり聞かないような 地元が仙台で子供の頃観てた思い出
一塁コーチャーでカネやん体操
一試合に一度はファンサービス的に主審に抗議
何故か両者笑顔で楽しませてくれた
宮城球場名物弁当おじさん等
両親と弁当食べながら笑って観戦
1日だけでいいから戻ってみたいな。 ウィキのプロフに身長184cmってなってるけど
あれは引退後 初老あたりの数字かな
たしかに縮む前の現役時代は189cmくらいあった感じ 堀内のデビュー時に名前が挙がった速球投手が
沢村、金田、米田、尾崎 >>16
本当に5chは年寄りが自分が普通だと思って書き込んでるだなあ 留広 金石 陣内と一族に一流選手が三人もいるのは金田だけ
● 名球会を私物化した銭ゲバ金田の、400勝のカラクリ
金田は、相手チームのエースや2番手の投手とは決して投げ合わなかった。
相手のローテの谷間の時が金田の出番。
金田が勝ち星を積み重ねていった最大の理由がこれ。
しかも板東英二によると、
金田は登板日でないのでベンチ裏で弁当食べながら観戦し、
勝利権が確定していないゲーム中盤に味方がリードもしくは逆転すると、
「 ピッチャー交代でワシ!投げる!! 」
と勝手にマウンドに ( 苦笑 ) 。
横取り勝利が実に多く、132もあった。
なので、↓のように、
先発勝利数も先発勝利比率も金田は低い!
嫌韓なんて言葉はおよそ無縁だった30年以上前に、
板東英二などが金田の横取り登板を著作で批判しまくってた。
【 歴代先発勝利 】
順 勝利 投 手 (所属) 通算 通算勝利数/先発勝利数
1 288 鈴木 啓示(近鉄) 317 1.10
2 273 小山 正明(大洋) 320 1.17
3 268 金田 正一(巨人) 400 1.49
4 264 別所 毅彦(巨人) 310 1.17
5 260 米田 哲也(近鉄) 350 1.35
金田の勝ち星はずるいと言われるが
ロングリリーフだからな
弱小チームだから他人任せの時間が長いと逆転されるから
しっかり投げないといけない
同じ事やっていいと言われても他の人は耐えられないよ
日米野球での惨敗は米にとって特異性がなかったのとメンタルだろうな 89年 金田がフロントの意向を無視して野茂を指名
90年 金田がフロントの意向を無視して小池を指名
スカウトもやってられんわな。 >>228死ねよキチガイ嘘吐きチョン
金田の時代は先発がリリーフや抑えもやるのが当たり前
Wiki
>通算400勝中132勝、国鉄時代353勝中114勝がリリーフでの勝利であり、
>この時代のエース級投手はシーズン中、先発・リリーフの区別なく酷使されることも珍しくなく、
>稲尾和久は通算276勝中108勝、秋山登は193勝中89勝、杉浦忠は187勝中75勝がリリーフ勝利である。
「権藤権藤雨権藤」の権藤みたいに酷使されて3年持たないなんてことも珍しくなかった
金田の勝数はそれだけ投げて壊れなかったということの方がむしろ驚異的
今は変化球が増えて肘の負担も多くなったし、当時のような勝数稼ぐのは無理 >>6
詳しい内容覚えてないが、合計3試合ぐらいしかなく
最初の試合は強そうな恐ろしい名前の架空のチームだが、アストロは4人ぐらいしかおらず
最初は拮抗した戦いだったが、4人のチームに大敗してしまった
次の試合がロッテ、アストロは少し人数が増えて、まだ9人には足りなかったが
ロッテとは接戦だった
最後の試合は9人揃った架空のチーム、接戦でアストロが勝利
ロッテ強いんだなって思う内容だったな、当時の監督は金田 昭和49年の日本シリーズはV10を阻止したウォーリー中日が
20年ぶりに勢いで征するかと思いきやKY金田ロッテが勝った。
名古屋人の落胆は凄かったろうな。 >>231
その年のドラフト全体を見て、1位指名をするわけで、外れ1位を誰にするか、
2位3位4位と誰にするか、様々なケースを想定して、午前中にチーム内で会議をするわけだから、
それを監督の独断によって現場で覆されたら、スカウトたちもたまったもんじゃないな。 当時は黎明期で野球のトレーニング方法とか技術論が未発達だったからな
その点金田は現代でも通用する体格 (184cm)でウエイトトレーニングや栄養学に基づいた食事も取り入れてた
さすがに今の打者相手には通じないとしても当時の打者相手だったら無双できただろうな 国鉄の勝ちパターンが2パターンしかないから
・エース級からは点取れないので谷間に金田をぶつける
・たまたま序盤でリードを奪うことができた日は金田を投入して守りきる 野村は打者、監督としては別格、キャッチャーとしては失格
自分の弱肩を誤魔化すために自分に有利なバッテリーの役割分担を「セオリー」と称して作り上げた
野村が変に権威持っちゃったせいで日本のキャッチャーは遅れた >>240
打者としては別格だが、監督としてはそれほどでもないよ
阪神と楽天で散々だったし
星野が阪神と楽天で優勝できたのは野村の手柄だと思ってるバカが多いけど >>79
原作漫画は知らないけど、アニメの侍ジャイアンツで巨人と日本シリーズ戦ってた >>90
400勝はMLBと合わせても歴代3位、奪三振も歴代4位だからな。
特に400勝は金田を超えてる二人はいずれも金田より昔の選手で金田以降に金田の記録を超えた選手はMLBにも居ない。 肩の作り方
肩の守り方
肩の休め方
を殆ど勘だけで組立た
原始的でも非論理的でも、自分の身体にあった方法論を作り上げる能力があった
逆に言えばこんな原人みたいな男、今は現れにくいだろうね ノムサン饒舌やなぁ・・・。
カネやんがこれくらい饒舌かつ客観的に喋れれば良かったのに。
国鉄スワローズなんて大昔のマイナー球団に所属したから、本人が喋ってくれなきゃ
活躍の実像が全然わからん。リアルタイムで見た人の目なら、
「オールスターのときは三振をとることしか興味がないから、ひとりでもバットに当てられたらもうやる気をなくしていたが」
こういう書き込みでも十分伝わる。 >>132
当時のセ・リーグは讀賣以外弱小リーグだからな
群雄割拠でユニオンズパールズ以外優勝を狙ってたパ・リーグとは差がある >>241
楽天のあの戦力でCSまでいったのはすごかった
阪神での失敗を上手く消化してうまくやってたよ
野村を監督としてたいしたことないと言って誰が凄かったと言えるかわからんね >>248
新書で国鉄スワローズの歴史本が出ているけど、カネやんはたっぷりと語っていますよ
高橋(トンボ)の歴史本では佐々木信也さんが語ってくれてる
国鉄本では国鉄球団消滅以降の国鉄愛をふんだんに、怒りを込めて雄弁に語っているから是非探して下さい >>240
かつての野村門下生だった江夏も江本も今となっては
「野球人としては別格、ひとりの人間としては失格」と口を揃えて言っている >>211
金田の次の先発がまともなのいないから
たまたまリードしたら金田が投げるしか勝つ道がないんだよな
打線も金田が打率上の方というw >>247
登板後に肩を温めるのでなくアイシングするという
ことには気づかなかったんだよな >>249
かねやんの頃っていうと1950年代って印象だけどそれくらいの頃は巨人、中日、阪神が毎年5割超えで残りの3チームだったり4チームだったりが5割を下回ってるイメージ >>253
打順がピッチャーでもないのに代打金田
どれだけ打てないのよ 審判をボコボコに蹴って、その審判に訴えられそうになったこともあったな >>79
新巨人の星でヤクルトに入団した花形にオープン戦でノムさんが揺さぶりかけるけど打たれるシーンある >>254
本人もアイシングの効能には気付いていたが当たり前のように連投する自分は逆に暖める方が効果あるから、だって。
中3日以上開けるならアイシングを勧めるとも言ってた >>256
53年の成績がどっかで出てたけど
二番手が9勝26敗。4番が260-10HRでチーム打率金田が一番だと
国鉄ファンからしたらマジで天皇だよな
ファンになる経緯がわからんけど S1の解説が面白かった
流石に金田と一緒だと野村は抑えてたな >>241
それは俺も最近思う
致命的に人望がないからね
でも勝ちには直接結びつかないけど、選手を育てたり再生するのは投打守問わず天才的だと思うわ
特に捕手
必ずリーグを代表する捕手を育ててるもん
一番育ちにくいポジションなのに、これは偶然とは言いにくい
監督ではなくコーチとして球団に携わっていれば、もっと野球界に貢献できたんじゃないかと残念でならない >>2
南海クビになった野村を引き取ったのは金田だったんだよな
これには後日談があって広岡監督のライオンズがロッテクビになった野村を引き取った 巨人の星を見たくなって見たら
星飛雄馬に大リーグボールのアドバイスをした人
大リーグボールの名付け親が金田正一だった 肩ひとつとってもアイシングなのかどうなのかわからないから
地球の運命などわからんよ
ただそう聞いているからとしか言えないだろ
ドカ便、徳川家康 天皇?みんな野球で儲かったんだから
野球が神なんだよ >>243
結果外れてるし、本来獲るはずだった小宮山獲れたからOKだけど、
先に取られてたら失敗だろ。
小池の時だって、スカウトが指名しないって約束したのに、指名したからな。 >>265
ロッテを退団したノムを拾ったのが福岡から所沢へ引っ越したばかりの新生・西武ライオンズだった。
ノムの役目は教科書になってくれと根本に囁かれて
引退してもおかしくない年齢(当時43歳。西武で45歳までプレー)だったが、
同時加入した田淵とは違うリード面などを評価されて西武へ移籍した。 球史に必要な人物は全員出ている
後は誰の後継者だとか
ただ王さんは一人 一度だけ名球会が入ってたビルで金田を見たことがある
デカい 仙台出身の近所のオジサンに聞いたら、金田監督時代のロッテより、
楽天の方が球場に来る観客は多いと話していた。 昔金田がたけしの番組に出て思い出話をしていた
その中で国鉄時代にボーナス代わりに有楽町駅高架下の土地を
やるといわれて断ったことがあった
本人は断って良かった、もし貰っていたら人生変わっていて誰かに殺されていたかもと そやけど、監督としても日本一になってるから失格はない。特に巨大戦力を揃えてくれたわけでもないのに。 >>274
名球会のボスの座を
あっさり降りたのが納得できるエピソードですな 超人かねやんもカーブの投げ過ぎで実は肘が変形してたとか聞いた事がある 野村さんが元気なうちに聞いておきたい
「金田さんと稲尾さん、どちらが上でしたか?」
二人とも亡くなったんだから遠慮は要らない。
「右の稲尾、左の金田」
「セの金田、パの稲尾」
とか言いそうだが、本当に判断できる人が野村さんくらいしか居なくなっちゃった
是非とも聞きたい 地方興行だと来なかったからな
監督失格以前のレベルやった >>281
ノムが「本当に判断できる人」という誤った前提 >野球界には、ときどき「怪物」と呼ばれる者が現れる。
>元祖怪物・江川卓、「ゴジラ」こと松井秀喜、投打二刀流で「100年にひとり」と言われる大谷翔平……。
あらら、もう松坂は名前もあがらなくなったか >>15
野球選手の学歴と知能は比例しないぞ
広岡、江川、栗山監督のような例外は居るけど
高卒 王貞治、野村、落合、イチロー、小林繁
大卒 山本浩二、田渕、阿部慎之助、黒田 >>274
バブルの最盛期には金田の生涯年俸より上がっただろうな・・。 >>262
メガネのキャッチャーはいらん、と言って最初古田を拒否しようとしたんだけどな。
それより高卒のキャッチャー連れてこいと言ったとか。。。
反対を押し切って連れて来たのは当時のスカウト。
つい最近まで古田と微妙な距離感があったのは、
そこに端を発していると思うが。
流石にあんな弱った老人になったら、わだかまりも何もないだろうけど。 >>290
野村ID野球の申し子と言われてたやん、古田
て言うか古田ほどの人材が野球界から干されてるのが異常だと思う >>290
高卒って…自分が学歴コンプがあって、大卒は嫌いってだけだろ。 野村克也さんが言うのと一般人の僕が言うのとでは
違うんだから >>287
サッカーも学歴と試合での頭の良さは全く関係ない
慶応内部進学で経済学部卒の武藤よっちも
指定校推薦で明治で在学中からJリーグでプレイしながら普通にゼミやって卒論も書いて卒業した長友も
サッカーの試合でのポジショニングもプレイの選択も決して頭は良くないからな
むしろ脳筋バカの動き >>2
カネやん「野村なんかホントは獲りたくなかったんだが
沙知代に頼まれたんだ」 >>290
最初はメガネはだめやろ言うてて
晩年は古田居たらカツノリなんか使えねーで板挟みだから
ギクシャクするわそりゃ 単に別格、失格って韻を踏んだ言い回しがしたかっただけだろ イチローさん(WBC)見るやろ
長嶋さんも共存というかサッカーには配慮したよ。
確か 金田がボールを握ると
ボールが手の中にすっぽり隠れたのをテレビで見たことがあるな
両親は韓国の済州島出身
差別がひどくて日本に来た
朝鮮族とは本来別の民族でみな体が大きい
当時日本人で金田ほど大きい人などほとんどいなかった >>300
楽天、楽天、ドッと落ち込む
野村うまいなと思ったよ 国鉄が球団を保有していても、本業にプラスになったのだろうか。
国鉄沿線とは言うものの、鹿児島本線や山陽本線沿線に行くと、
スワローズを応援しているファンはいたのかな。 小学生時代の俺と似てるな
俺の球は全部ストライクゾーンを通ってるんだけど全部ボール判定された
キャッチャーは低めで捕ってるんだけど全部「高い」と判定された
それでもっと低く投げるんだけど、それだとワンバウンドになってボール判定される
結局俺にはストラクゾーンが無いのでピッチャーはクビになって野球を止めた >>31
記者と麻雀してから一緒に急病入りとか普通だったんだろうね
だから問題にもならないという >>307
参入前年の昭和24年に下山事件とかがあって、国鉄職員の結束を図ろうと各鉄道管理局の野球部主力を集めてスワローズを立ち上げた >>303
そうなんだ
チェホンマンも済州島出身だな >>265,>>270
根本さんは嫌々獲ったって言ってる
もちろん重用されることはなく代打を出されたことに
激昂してそのまま退団 >>307
厳密には国鉄本体が経営してたわけじゃないんだけどね 野球ぐらいじゃないか、監督で人が呼べる呼べないっていうのは。指導力は関係ないんだろうな。 名球会代名詞って金やんだけど名球会入りしたらなんか特典あんの? ノムさんと古田が仲が悪いのはノムさんが古田の両親を侮辱したから
ノムさんが古田がお中元を送ってこないことにキレて
「あいつの親は仕事もしないでプラプラしてたから子供も常識がないんじゃ」
古田はあいつを殺してオレも死ぬと大激怒したのはいうまでもない
これはネットで得た話だから嘘かもしれないけどな
ノムさんならこれくらい言いそう >>268
確かホームランも投手の記録持ってなかったか
30本以上打ってたはず >>318
ホームラン36本(プラス代打で2本)だったかな ピッチャーのトップは金田、バッターは王。
韓国系、台湾系の違いは有るけど、外国系というところが面白い。 >>314
国鉄は戦争から帰ってきた職員が溢れてて人員整理の必要があったのに、国労が大反対して松本清張言う所の黒い霧事件が続発してたからね 多分現代に舞い降りたら内海みたいなタイプじゃなかろうかな >>320
外国人差別なんてどこにあんだよってくらい
日本は芸能界もスポーツ界も外人だらけだな 西村貞朗は日米野球で対戦したら、これは打てんと思われて、アメリカチームに引き抜かれたほどの逸材。 184で当時は別格の体格だったとかいうけど
それはあくまで野球で生計立てていこうと思ってプロになった人の中でってこと。
昔はプロのスポーツ選手なんて賤業で儲からない物だった。
非効率的なトレーニングと、素振りと、走り込みしか無かった
でも今はガキの頃からプロ目指してエリート教育受けて、高校球児の段階で体格も抜群。
正直金田の球が160出てたとか眉唾もいいとこ。
郭泰源や槇原の球ですら脅威だった時代より、さらに大昔の話。
ま、140ちょいなのが現実だろうな。 確かにベンチに投手4人しか入れてなかったり、歯が痛いから代理監督立てて休んだり、八木沢を有無言わせず強制引退させたり、酷かったな 120くらいしか出てなさそうなフォームだけどな。躍動感無さすぎ。昔はあんなんで400勝できたんか >>307
関西私鉄グループ(パ・リーグ)に対抗したのかと思ってた そうは言っても監督勝率は金やんの方が上。
(野村0.500、金田0.502)
何が失格かは、どうやって決めるんや、ノムさん?
少なくともあんたは南海監督は失格やけどな。親分にあの世で詫びろや! 球速はともかく、今よりも劣悪な環境でこれだけ投げられる頑丈な身体が凄い
過去のレジェンド選手が現代に来たら活躍できないなんて言う奴がよくいるが
逆に現代の怪我ばっかしてるあいつとかあいつが過去のペナントレースで同じような使い方されたら
一年持たずに壊れそう >>21
重光オーナーは金田の後任候補として前年オフに南海を追放された野村克也を入団させており、
選手兼任監督として就任要請をするも野村は尊敬していた金田の代わりは恐れ多いと固辞し、退団。
wikiにはロッテのオーナーが金田監督の後釜として入団させたと書いてある
こっちがホントなんじゃね >>330
きっかけは東鉄OBで審判員の西垣徳雄(のちに国鉄初代監督で金田をスカウト)が、東西対抗戦帰りの特急車中で東鉄時代の人事担当者だった加賀山総裁に偶然出会ってプロ野球参入を勧めた。
パ・リーグは私鉄球団が多く旧知の幹部も多い(鉄道省OB多数)ため、情報漏れて横槍入って頓挫する危険性があったのと、下山事件で自殺説を唱える毎日新聞がいたため選択肢はセ・リーグだったと言われている。 >>333
実際に重光オーナーに呼ばれて監督の要請をされたそうだ
だけど金やんにロッカールームで「お前俺がゴルフ場から
球場に来たのをオーナーに告げ口しただろ」って金やんが
激怒した事があったそうでだから監督の要請は大変嬉しくて
本当は受けたかったそうだが重光オーナーに「金さんが私の
事を密告者だと疑ってますもし今監督を受けたらやっぱり野村が
告げ口してたんだなと疑われて金さんと私の仲も取り返しのつかない
事になりますだから嬉しいのですが監督は受けられません」って
泣く泣く断ったって本に書いてあったな >>307
国鉄職員は国鉄一家と言われるほど国鉄愛が深かったため全国各地で国鉄ファンは多く、地方球場での試合ではご当地鉄道局の職員から差し入れがわんさか。
柳川事件以前は国鉄で引退すると野球部のある故郷の鉄道局に再就職、東京、名古屋、天王寺などの鉄道局の監督はスワローズOB。
ちなみに鹿児島は国鉄球団が長くキャンプ地として指宿、鴨池、湯之元の各球場を使用、金田ロッテもずっと鴨池をキャンプ地として使用。
ちなみにちなみに、ロッテ選手とミス鹿児島が結婚するケースが多かった(落合の最初の奥さんもミス鹿児島) 160キロ出てたかどうかは関係なくて、その当時の平均球速よりどれだけ速かったのかが重要 >>335
最悪な性格だな
監督のくせにゴルフ行ってたことは反省しないんだ >>317
そりゃ川崎に向かって人殺しと言う人非人だもん >>274
あんな唯我独尊みたいな人が身の丈以上の財産を持つのを恐れるというのは結構意外だな。
平凡な人間ですら狂うと思うけど。 >>7
別に10センチである必要ないよ
数センチ落ちるだけで十分
あとカーブなら100キロ未満の場合もありえる >>43
名球会で勝星は先発試合の分のみって黒田しかいないんじゃないの?多かれ少なかれリリーフごっつぁんは皆さんやってるでしょ >>344
黒田は中継ぎ登板で白星ゲットして最多勝とったことがある(2005年) >>343
ど真ん中で受けてるのは誇張かもしれないけどストライク判定になるのは十分ありえるだろ 野村克也 バッターキャッチャー監督としては別格、猛獣使いとしては失格 勝ち星の1/3がリリーフで勝ち試合奪っての結果ですw >>211
権藤の名前はよく出てくるが尾崎はあまり語られない。 45でのむさんがゴーストライターを使っていると言ってるけど、
他の野球評論家もそのゴーストライターを使えよといいたい。
ノムさん以外でおもしろい文章を書く人はいない。
ゴーストライターでも手の施しようがないのか? >>348
そのうち、リードした状況で登板して勝ち星を持っていったのはどれくらい? 金田についてはここで検証しているよ
↓
140 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2019/10/10(木) 06:05:55.66 ID:3CqtddXm0
>>5
これ読めばそんな事ないのがよくわかる
https://sakuhindb.com/pj/7_E_A1_A6_A5_AB_A5_EA_A5_F3_A5_B0/20180322.html ロッテの宿舎のメシが不味いとかなんとかいっていいもん食わせてやった話は評価すべし >>353
ああ、前に誰かが「少なく見て2、多く見て10」と書いていたのはそれによったものなのね
20勝を続けていた1951-64の14年間でそれだけ、ということか 失格どころか金やんがロッテ引き受けなきゃパリーグは70年代前半に崩壊してたよ
野村もわかってるはず ちなみに、1950年には救援勝利は2、うち1つは1点リードの3回から最後まで投げて勝ち投手
ジャイアンツ移籍後は救援勝利18、うちリードした場面で登板したのは7度
前後合わせて、「リードした場面で登板して勝利投手になった」のは18度、ということになるのかな ↑手作業で集計したので誤りあれば誰か正してくれるとありがたい 遊びで来たMLB相手にボコボコにされた雑魚在日だろ >>341
ロッテの監督やめた直後の『プレジデント』(当時は月刊、今みたいな低俗誌ではなかった)で、
「ワシがもらう予定の養老年金は月たった8万円や。ワシくらい活躍したら、養老年金だけでメシが喰えてもおかしくない」
みたいなことを答えていた。
案外、財産はなかったのかもね。 監督に向いているのが
捕手>内野手>外野手>投手
てのがノムの持論だろ 一回目のロッテ監督やめた後ね。
だから1980年頃の話。 >>358
思っていたより全然少ないよね。
18勝なんて1988年の伊東昭光の救援勝利数と同じだなw
● 名球会を私物化した銭ゲバ金田の、400勝のカラクリ
金田は、相手チームのエースや2番手の投手とは決して投げ合わなかった。
相手のローテの谷間の時が金田の出番。
金田が勝ち星を積み重ねていった最大の理由がこれ。
しかも板東英二によると、
金田は登板日でないのでベンチ裏で弁当食べながら観戦し、
勝利権が確定していないゲーム中盤に味方がリードもしくは逆転すると、
「 ピッチャー交代でワシ!投げる!! 」
と勝手にマウンドに ( 苦笑 ) 。
横取り勝利が実に多く、132もあった。
なので、↓のように、
先発勝利数も先発勝利比率も金田は低い!
嫌韓なんて言葉はおよそ無縁だった30年以上前に、
板東英二などが金田の横取り登板を著作で批判しまくってた。
【 歴代先発勝利 】
順 勝利 投 手 (所属) 通算 通算勝利数/先発勝利数
1 288 鈴木 啓示(近鉄) 317 1.10
2 273 小山 正明(大洋) 320 1.17
3 268 金田 正一(巨人) 400 1.49
4 264 別所 毅彦(巨人) 310 1.17
5 260 米田 哲也(近鉄) 350 1.35
>>241
まあでもノムさんが無能とは思わん
やくみつるがノムさんのヤクルト監督就任当時に野村に監督なんてさせるなって狂ったように漫画に描いてたけど
ヤクルト時代は実績残してるし
自分にとっての最高の監督 この人の下で働きたいと思う監督は藤田さんだけど >>12
さすがに足腰は弱ってまともに歩けないけど、頭の方はまだまだ冴えてるからな >>357
ストライクゾーンの定義を理解してない馬鹿w >>353
すっげー。良くここまで検証したよ。
> 金田正一は数字上でも内容でも、掛け値なしにまごうことなき日本球史に燦然と輝く偉大な投手なのです。
本当、その通りだと思った。 >>361
これは張本も言ってたな。財産無いって当たり前じゃん。
いくら一時代を築いたとしても、引退して亡くなるまで50年経過してるんだし、野球選手は
自分が何もしなければ、自動的に無職だ。MLBの場合は規定の年数を満たした選手には
スゲー手厚い。野茂の年金は月額100万円。
日本の野球機構が組織として未熟なんだろうね。 ノムさん + オールスター = おおらかだった時代 >>371
他チームのエースの球を受けて分析する場やで >>362
じゃあ野村が監督やって3年連続最下位だった阪神を星野が来て2年で優勝させたの
悔しくてたまらなかっただろうなw >>362
野村が捕手だからそう考えてるんだろ
谷繁や古田の失敗を見てもとてもそうは思えん >>370
第一次ロッテ監督では年俸一億+金田企画サポート契約だったそうだが
70年代には超破格 金田はロッテ監督に就任する時に、自身が経営する金田企画と掛け持ちにして、都合が合わなければ欠場するというのをあらかじめ契約事項に盛り込んでいたから
この78年に限らず欠場はちょくちょくあったし基本的に問題にならなかった。
ゴルフに行ってたのも接待営業がほとんどだろう >>303
カネやんはお父さんも180あったとか。
張本にせよ、王にせよ、そもそも親も体力に自信がなければ
母国を離れて日本に行こうなんて思わんわな。 >>375
ノムさんも南海監督時代は選手料と監督料あわせて1億
越えてたとか言ってた様な。
あの時代は企業も金余りだったんじゃね? 今頃になって気付いたわ
星野伸之はリトル金やんだったと こんないい加減だったから70年代のパ・リーグはズンドコの暗黒だったんだろ
それを変えたのは間違いなく西武ライオンズの爆誕
金かけて設備を整え根本管理体制でプロとしての意識を高めた
堤がいなかったら今でもパ・リーグはあんなもんでもしかしたら一リーグになっていたかもしれない カネやんがロッテの監督になった年は前期はノムさん率いる南海が、後期はカネやん率いるロッテが優勝してプレーオフで南海が日本シリーズ進出したんだよな。 強いチームにいたら
こき使われて潰れて
300勝止まりでしょ。
最初から巨人にいたら
藤田さんと同じ運命だよ。 >>379
王の父親は福建省出身の料理人だけどな
墨田区で五十番っていう中華料理屋やってて、そこが王の実家
あと、王はそこまで体はでかくない。長嶋のほうがでかい >>325
金田はロッテ監督時代にバッティングピッチャーやってた時でも
140キロ出てたから 直角に曲がって見えたカーブはロリコン中山にY高三浦に佐藤ヨシボールくらいかな 巨人で400勝を達成したが、当初は永久欠番の予定は
無かったという週刊誌記事の見出しを見た記憶がある。
なんか小正力の鶴の一声云々だったような記事。 金田がロッテ監督やってたころ、野村も南海の監督を公私混同で失格烙印おされてクビになったろ >>391
永久欠番は普通は生え抜きだからたしかに異例だわな 張本が死んだら野村がどんなコメント出すか見てみたい。 ロッテ有藤も日本人離れの体型だったな
新浦も極貧なのに立派な体
それにしても村田兆治も有藤差し置いて2小川26番が殿堂入りは不思議 野村の言うことを真に受けるバカばかりw
あのおっさんは言うことが時がたつにつれて変わる
以前江夏の方が金田よりも速かったと確かに言っていたぞ ノムさんが伊集院光のラジオに出たとき、金やんがロッテに呼んでくれたのは
一緒に江夏がついてくるのを期待してたからだって言ってた >>177
強靭な上半身の持ち主でそれを支えるための下半身強化が走れ 走れだったのかもね。NPBで数少ないメジャーピッチャー風の投げ方 >>388
それは知ってるよ。
王は1950年代としてはでかいほうだろ。
師匠の荒川さんも中学生の王を高校生と間違ったというし
第一チビが甲子園優勝投手兼ホームランバッターにはなれんだろ。
他の参加者を圧倒する体力がないと無理。 >>389
なおそれで押さえ込まれた打者陣の調子が狂って5位になった模様 >>393
ヤクルトが永久欠番にしないなら巨人が代わりにって言うのもあったのかな。 >>77
当時の国鉄は弱小で、金田様様だったんだよ
平島はらに酷くて、漫画の巨人の星では名前は出るけど試合は一試合もないんだ しかし貢献のあった選手は巨人の肩書を上げるために巨人に移籍できるっていうのが時代だよな >>336
国鉄職員は上野駅で出稼ぎのオッサンが夜行列車を待つ間、ホームで酒盛りをしたり、
鉄オタが線路に降りて撮影するのを認めるなど、大らかな感じの人もいたんだよね。
その一方で、労働組合は過激な思想を持つ人もいたとか。 >>405
そういうパターンの移籍はいつの時代も結構あるような気が
ここ数年だと井端や金城なんてまさにそうだったじゃん >>77
金田が辞めた(36歳2ヶ月)のは自分勝手ではないな。
同時代の小山、米田は39歳まで現役やってる。
巨人がやめさせたんだろう?他の投手と同じくらいやってれば450勝はしただろう。 >>7
実際は18.44mの間で数十cm落ちている
バッターや審判の目には間近で落ちたように見える
ただそれだけの話
● 名球会を私物化した銭ゲバ金田の、400勝のカラクリ
金田は、相手チームのエースや2番手の投手とは決して投げ合わなかった。
相手のローテの谷間の時が金田の出番。
金田が勝ち星を積み重ねていった最大の理由がこれ。
しかも板東英二によると、
金田は登板日でないのでベンチ裏で弁当食べながら観戦し、
勝利権が確定していないゲーム中盤に味方がリードもしくは逆転すると、
「 ピッチャー交代でワシ!投げる!! 」
と勝手にマウンドに ( 苦笑 ) 。
横取り勝利が実に多く、132もあった。
なので、↓のように、
先発勝利数も先発勝利比率も金田は低い!
嫌韓なんて言葉はおよそ無縁だった30年以上前に、
板東英二などが金田の横取り登板を著作で批判しまくってた。
【 歴代先発勝利 】
順 勝利 投 手 (所属) 通算 通算勝利数/先発勝利数
1 288 鈴木 啓示(近鉄) 317 1.10
2 273 小山 正明(大洋) 320 1.17
3 268 金田 正一(巨人) 400 1.49
4 264 別所 毅彦(巨人) 310 1.17
5 260 米田 哲也(近鉄) 350 1.35
>>62
あっちのひと図々しいから芸能界には合ってるんだろうな >>396
杉浦や稲尾の名前も出してたよ
正直コロコロ変わり過ぎなんだよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています