球数制限、酷暑の甲子園、勝利至上主義の弊害……。競技人口減少に危機感を抱く日本球界の諸問題に対して、野球大国アメリカの
先例に学ぼうという気運が高まっている。それも一つの方法だが、100年以上の歴史を有し、スポーツを生活の一部と捉えてきたヨーロッ
パの「クラブ文化」にもヒントがあるかもしれない。 さまざまなスポーツで全国リーグを行うドイツには、野球のブンデスリーガが存在し、
そこには「スポーツ文化、クラブ文化の一部としての野球」があった。日本とはまったく違う野球の世界を現在進行形で体験中の、日本
人初“野球のブンデスリーガー”片山和総(かずさ)の話に耳を傾けてみよう。

聖地・甲子園が生み出すトナーメント至上主義

日本の高校野球には聖地とされる甲子園がある。そこに出ること、そこに出るために自分たちを高めていくことに価値を求めるのが自然
の流れとなる傾向が強い。だから勝ち負けにこだわらざるをえない。プロ野球が140試合を超えるリーグ戦で行われているにもかかわら
ず、日本の高校野球は必然的にトーナメントで行うものという意識が強くなる。

一方ヨーロッパでは育成年代からリーグ戦が確立していることで指導的な意味、教育的な面も含めて試合を采配できるというメリットが
ある。まだまだ野球未開の地であるドイツでプレーする片山だが、ヨーロッパだからこそ実現できる野球の世界があると指摘する。

「リーグのシステムがあることが大事というか、それがあるからやりたい子ができる。公式戦の数は多いですし、みんなが試合に出られ
る環境がある。日本は野球がメジャーすぎて、1チームに多くの子どもが所属していて、小学校・中学校を卒業するまで全然試合に出ら
れない子もいる。試合に出られる環境があるという意味ではもしかするとドイツのほうがいいんじゃないかなと思います」

厳しすぎる練習をしたり、勝利にこだわって選手を固定したりすることは、同時に試合に出られない子をたくさん生み出す。好きで始めた
子どもが自分から離れていくことの悲しさ。大人になってもそのスポーツを好きなままでいられないかという視点は必要なことではないか。

「日本に帰った時、近所で少年野球の大会があったら見に行ったり、個人的にレッスンをしている小学生と話したりするんですが、例えば
コーチが試合中に怒鳴っていて、それで子どもが萎縮しているんです。『全然試合に出られないからレッスンを受けに来た』という子の親
からは、コーチが『今年はあの子たちしか使う気はないから』という話をしているという声も聞きました。それでチームを替えたり、もう野球
をやめたっていう子もいます。乱暴な言葉かもしれませんが、日本の野球界は『日本の野球』の上にふんぞり返っているんじゃないでし
ょうか。野球をやりたい子は勝手に何人でも出てくるし、いい選手は何人でも勝手に出てくると思っているのかもしれません」

REAL SPORTS
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