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しかし、制作陣のゲーム観はファミリーコンピュータやスーパーファミコンくらい、つまり昭和か平成初期の価値観で止まっていると思われる。そして元号が令和に変わってようやく制作陣も「あれ? もしかしてゲーマーってそんなに悪くないんじゃね?」と気づき、この映画を作ったのではないか。

そしてゲーマーに向けて『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』というラブレターをしたためた。だがそれはゲーマーにとって、熟成させたゴミをプレゼントされるようなものだった。そのゴミは、30年くらい前であれば適切だったかもしれない愛なのだが。

『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はドラクエ5の映画化の機会を損失させ、時代遅れの語る価値もないテーマをぶつけ、一方的な愛を投げつける。たとえるならば自信を失っていない人たちに「君たちは自分を肯定していいんだよ!」と言うような、失礼ともいえる行為である。しかも、これは悪意ではないところが最悪だ。受け入れられないストレートな愛ほど厄介なものはない。

受け入れることのできない愛を送るのもまたラブストーリーである

かつてスーパーファミコンでドラクエ5を楽しんでおり、いまもゲーマーと自称しても間違いないであろう私は、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を見て興奮し、腕が震えた。なぜかって? 制作陣がゲームに対し無理解であるということを作品に込め、あまつさえそれを日本中の劇場で公開するというおぞましいことをしでかしたのだから! こんな愚かな行為、そう滅多に見れるようなものではない。

だが、ゲームに対して“こういう価値観”をもつ人は意外といるのかもしれない。ゲームは時間の無駄、ゲームはしょせん子供の遊び……、そんなふうに思い込んでいる人がゼロだとはまだ言い切れないだろう。なんだかんだいっても、ゲームというのは比較すれば若い文化なのである。

かつてドラクエ5を遊び楽しんだが、それを周りにあまり話せなかった。ゲームは好きだが周囲の人たちはゲームに対して冷たい態度をとっている。そんなことを感じている人たちにとって、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は刺さる可能性がある。制作陣の愛を正面から受け止められれば、この映画で涙を流すことも可能であろう。

とはいえ、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』がゲーマーを怒らせる作品であることも間違いない。そもそも「ゲームキャラは作り物に過ぎない」というメタ構造はゲームでも手垢のついた手法で、よほどうまくやらなければ汚点となる。それをなんら工夫なくストレートにやってしまうとは、ゲーマーに対する多少の理解はあってもゲームに対する理解はなく、無意識のうちに見下していることが透けて見えるのだ。

本作の制作陣からゲーマーに送られたラブコールはとても愛情深く、同時に極めて不愉快で愚かに感じられる。もはやこの作品そのものが「制作陣とゲーマーのすれ違いラブストーリー」なのである。

(全文はソース)
https://jp.ign.com/m/dragon-quest-your-story/37548/opinion/

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★1 :2019/08/06(火) 09:14:13.99

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