【野球】伊野商・渡辺智男 清原が3三振した“グワーンと伸びる”高めの速球 123試合 45勝40敗2S 3.73
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コメントも秀逸「投手はしんどい。1球で三振やったら楽やのに」
【甲子園剛球列伝】
1985年(昭和60年)春。PL学園のKKコンビ、桑田真澄と清原和博は3年生になった。1年夏から甲子園を席巻。成長を続け、圧倒的な力を身につけていた。
特に清原はこの時期、スカウトが「いま中退して入っても30発は打てる」と言ったほど、すでにプロでもトップレベルにあると評価されていた。実際にこの翌年、プロ1年目に31発を放つ。
筆者はスポーツ紙記者としてKKを1年生の時から担当し3年目。秋のドラフトの忙しさを想像すると憂鬱だったが、このセンバツの優勝は信じて疑わなかった。
ところが、KKをたたきのめす男が現れた。伊野商の渡辺智男だ。
高知県吾川郡にある県立校で、グラウンドは当時少し雨が降るだけでドロドロになった。ブルペンも粗悪。そんな環境から甲子園に出てきた、雑草のような右腕だった。
まず、初戦の東海大浦安戦で1失点完投すると、鹿児島商工(現樟南)には3失点したが、準々決勝は西条を7安打完封。そしてハイライトが準決勝のPL戦だ。
剛速球がうなりをあげた。グワーンという感じで高めに伸びる。PL打線を相手に6安打1失点。後に「甲子園大会史上最強打者」とたたえられることになる清原とは4度対戦し、3三振、1四球の無安打。バットにかすらせもしなかった。
KKを、5度の甲子園で一番悪い成績(4強)に終わらせた渡辺は、決勝(対帝京)でも13奪三振で完封。無名だったチームを初出場初優勝に導いた。
取材ノートを見ると、決勝戦後のコメントは、メガネをかけたおとぼけエースの面目躍如。
「(PL戦で力を使い果たして)決勝は気が抜けて、おまけの試合やった」
「(優勝の瞬間は捕手と握手だけ)抱き合うなんちゅうのはありふれちょる。涙も出んかった」
「(投手はやらない条件で入部)野球はしんどい。投手はしんどい。1球で三振やったら楽やのに。清原を三振さしても何の感動もなかった」
PLが大会から消えたことで、筆者には伊野商の優勝原稿を書く仕事が回ってきた。渡辺のあまりの面白さに、その原稿を「少し変わっているが、こんな甲子園優勝投手がいてもいい」と締めた。
その夏。「絶対に出てこい」と再戦を望んだ清原の思いは届かず、渡辺は県大会で敗退。NTT四国を経て西武入りして、ふたりはプロでチームメートになった。
プロで通算31勝して引退した渡辺は現在、西武のスカウト。歴史に残る34年前の「清原斬り」の舞台に年2度、足を運ぶ。(敬称略)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190620-00000018-ykf-spo
6/20(木) 16:56配信
https://number.ismcdn.jp/mwimgs/0/e/-/img_0ec5adceb5160468027aadfc20dfbf16214155.jpg
https://www.jiji.com/news/handmade/topic/d4_spo/kot111-jlp10250470.jpg
http://picture.pacific-league.jp/fitter/l/img/event/special/inter/ph_watanabe.jpg
http://npb.jp/bis/players/15113868.html
成績
https://www.youtube.com/watch?v=f3DlzElNfl0
1985 甲子園-春 渡辺智男1 伊野商
https://www.youtube.com/watch?v=BqeDr3ZUnQk
1990 渡辺智男 3
https://www.youtube.com/watch?v=2EKanPAjwCE
1989 渡辺智男 4 それよりも250勝してる東尾の背番号21を新人にやる西武って・・・ 清原んときだけギア上げて140後半連発しとったような
初芝みたいな顔やのに投球フォームかっこよすぎる 試合終了直後に、駆け寄ったチームメイトとマウンド上でさらりと握手で終わらせたんだっけな。あの時代にありえんほどさっぱりした優勝の瞬間だった。 ドラフトの当時は、彼は性格的に問題がある とか書かれてたな。
どういう感じの子だったんだろう? 誰かが実際にシューッ!と音が鳴るストレートと評してたな 今スカウトと言っても獲得した選手いるのかよ
中国四国担当と言っても西武はそこから選手全然取らないし
JR四国の南川ぐらいではないか 謎のノーコン病に陥らなければ100勝は軽くしてただろうにな
投げ方もかっこよかったし実にもったいない プロで通算31勝して引退した渡辺は現在、西武のスカウト。歴史に残る34年前の「清原斬り」の舞台に年2度、足を運ぶ。
スレタイは45勝
どっちが本当? 伊藤智の高速ストレートが史上最強だって何度言ったら分かるんだ 清原以外の奴には明らかに手を抜いて投げてたな
ストレートも120後半から130キロそこそこ
清原の時だけ146キロ 渡辺久信
渡辺智男
郭泰源
工藤公康
石井丈
皆良い投手だけど、揃って活躍したことはほぼないんだよな
渡辺久信が活躍していたときは工藤が絶不調、
工藤が盛り返してくると渡辺久は後退 頭髪も後退
渡辺智と石井は同期入団で、渡辺は最初の3年半先発で活躍、
渡辺智がノーコンでおかしくなった年に石井が浮上してきてMVP 31勝しかしてなかったのか!
あんないいストレート投げてたのに 縦回転の数だな、バッターがボールの下を叩いたら本物 イップスと言えば真っ先に思い出す。
あと地上波中継中に巨人の台湾人投手がいきなりおかしくなったのも覚えてるけど。 夏は予選の決勝で中山の高知商に負けた。その中山が甲子園で清原に
特大の本塁打を浴びた >>17
プロになってからも下位打線相手に手を抜く癖は治らなかった。
手を抜いて抑える技術がないから防御率が悪い。 渡辺智と森山は出てきたときは鮮烈やったけど短命やったな 無名の県立高校が一人のピッチャーの力で初出場初優勝するなんてもう無理な時代なんだろうな >>2
それって203勝もしている堀内の背番号18を
高卒新人にやる巨人って・・・
って言ってるのと同じじゃね? 江川のストレートも凄かったで、手元来た時にホイップしよったもんな
打てるわけないわw >>15 >>19
絶対45勝やろ
渡辺智って3年連続2ケタあったやろ
10 10 11なわけないし 渡辺智男が31勝ってことないだろう、とwiki見たら45勝、それでもイメージより少ない >>31
クリーミーなストレートだな
打ったら消えそう
そら打てんわ 日本シリーズで巨人を4タテしたとき
巨人の岡崎が「日本一の投手だ」と言ってたな
ストレートがくるのがわかってて全然打てないと >>26
パームボールも最近あまり聞かないね
なんとなく肘の負担が大きそうなのはわかる 県大会で敗退って言っても
相手は中山の高知商だからな 明徳がセンバツに出るはずだったのが
不祥事起こして
代わりに出てきたのが伊野商だっけ 100近くは勝ってたイメージだったが半分以下だったか >>6
入団前に(西武の金で)肘にメスを入れてるからね
その時はネズミだったけど肘がもたないのは確定的
だった この年の高知は渡辺富男、高知商の中山、明徳の山本
いいPがいたな コイツ プロ入りを拒否してたのに西武が指名したら入った奴か >>18
この選手層の異常な厚さが西武の強さだよ
工藤は隔年で手を抜くことを覚えて長持ちしたけど
久信はそれが出来なくて劣化が速かった >>44
四国大会決勝で戦ってるから
アベック出場だった
当時は明徳、高知商、高知、伊野商
どこが出ても全国上位レベルの高知県 昭和60年春は
PL対池田の決勝を誰もが望んでたが
伊野商対帝京になって
ガッカリだったわw
昭和60年夏は
PL対高知商が
事実上の決勝みたいになってたけど
雨が降ってたからか客の入りがイマイチ ファミスタでなべきゅう、なべとみと言われた
なべとみの方? >>51
この頃の西武は石井丈とか鈴木哲とか工藤とか
そんなのが多かったよなあ 当時何故か四国の高知で全国的に見てもハイレベルな甲子園出場争いが起きてた 中学から肘が悪かったから高知商や明徳の誘いを断り投手をさせない条件を出してくれた伊野商に進学したが入学即投手やらされた選手 でも何だかんだ言って今でもやきうで
メシ食ってんじゃん >>18
新谷も入れとけよw
高3時であのレベルでノンプロ経由だったのはやっぱり、故障持ちとかあったのかな >>52
200勝したときの夜に広岡と対談してたけど、隔年で頑張る手抜きだったからこんなに年数かかったとこき下ろされてたなw
上手いこと年俸釣り上げてたくましいって。 渡辺智男と新谷はアマ時代に消耗して十分な結果を残せなかった
高校卒業後すぐにプロ入りしてたらなあ・・ >>67
いや新谷博は高校生で指名されたけど拒否してる
大卒でプロ入りする計画だったけど怪我してしまった
ため社会人経由に
同じ高卒拒否9年浪人だと三井浩二が居るね >>70
本当はヤクルト行きたくなかったんじゃね
弱小だったから >>68
データで見るとホントに笑えるくらい隔年なんだよね
むしろこれで首を切られずむしろ年俸を上げ続けたのが
才能だわw 観音寺中央とかもだけど
四国の県立高校は得体の知れぬ強さがあるよな 当時西武得意の怪我して使えない作戦で入団したんだろ >>76
選抜四国初出場は大抵上位進出してきた
優勝が済美、伊野商、宇和島東、徳島海南
準優勝が池田、中村、新田
明徳は二回戦敗退だったが、優勝候補筆頭の箕島と劇的な延長戦を戦った
川之江は準々決勝で優勝候補筆頭牛島香川の浪商と延長のもつれた試合をした
21世紀になって四国が弱体化し、21世紀枠の初出場とかあまり結果を残せなくなった その当時京都タワービルの屋上にスピードガンが設置されてて修学旅行で来てた全国の豪腕達が腕試しをしてたとか、
その中の上位の中に渡辺智男の名もあった >>81
言いたいことは伝わるが、その書き方だと新谷が木造の選手みたいだ 掲示板のカキコやLINE用に一行レスにまとめる練習してるんだかまだまだダメだな プロではまともに通用しなかった投手
今で言えば日本ハムの斎藤レベルだ キヨが未だにトミーを史上最高投手と認めてるだけにな KKPLを倒したということなら渡辺智より岩倉の山口が上だが今どうなったんだろう 潮崎が好きだったな
埼玉に来た頃は弱かったけどよくデーゲームTV放映してたから観てたな田淵のホームランとかテリー、スティーブとか覚えてる 3年二桁勝利してるのにプロで通用しなかった言ってる奴はなんなんや こいつダイエーに行かなかったっけ?
村田の代役で
ま、村田も西武で全然活躍できなかったけど 甲子園決勝はホームラン打って完封
まさにワンマンショー >>80
伊野とか中村とか阿波池田とか阿波海南とかとんでもないド田舎
こんな土地から甲子園優勝校を輩出するなんてビックリ この人、フォームがダイナミックで190cmくらいあんのかと
錯覚しそうだけど意外と小さい人なんだよな >>61
明徳も横田や河野は高知出身だったからな。この年の夏の高知商業が
1回戦で神奈川の藤嶺学園と当たって勝ったが「高知のベスト8レベル」と
豪語してたな あり得ないほど気持ちわるいメガネ男だった
今じゃ考えられない 西武は才能だけの選手が多かったイメージ
もし、まじめに練習に取り組んでたら、清原もとんでもない記録を残してたろう >>76
観音寺中央は密かに下馬評高かった。
新チームから秋の四国大会まで練習試合含めて負け知らず。
四国大会で負けた相手が左腕藤井の今治西。
四国の初出場Vは宇和島東が最も予想外だった。 ホンマに50勝もしてないんかぁ。
全盛期の印象が強すぎる。 前年の選抜の優勝投手だった岩倉の山口は
未だにスタッフとしてヤクルトベンチにいるな
当時アンチPLの関西民だったから岩倉、取手二、伊野商には
心から賛辞を送ったわ 渡辺の以前にも井本
活躍はしなかったが、大昔に巨人に高卒1位で入った選手も出してるし
それ相当に野球に熱を入れてた事のある高校だったんだな 伊野商のトミオ
メガネが可愛くて西武に来てくれたの超嬉しかった >>108
以前2chにアパートだかマンション退出トラブルが詳細に暴露されてたけど、ダイエーY永か?と疑われてたな numberの桑田の連載でPL時代に見た渡辺のこと書いてた。
めちゃくちゃ凄かったそう。 智男みたいにけがに泣かされるより久信みたくけがない選手生命の方がいいからな 吉田輝星が渡辺智男と色々と被る。
田舎の公立校のエース兼主砲。
スピンの効いた速球を投げて、強打者相手の時だけギアを上げるなど、共通点も多い。
身長も吉田176、ナベトミ178で同じくらいだし。
果たして吉田はナベトミのプロ成績を超えられるかな? 中国四国地方からは規格外のいい投手が出てくるイメージあるわ
広島の津田とか伊良部とか >>1
多分最後の世紀の大トレード
秋山幸二 渡辺智男 橋本武広
佐々木誠 村田勝喜 内山智之
判定 ホークス(と仕掛けた根本陸夫)側の勝利 >プロで通算31勝
印象の割にはそんなもんだったのか 左足の膝を真っ直ぐ伸ばすフォームがかっこよかった
最優秀防御率のタイトル取ったシーズンはホント頼りになったな
当時最大の難敵だった近鉄を
智男と郭が連日ピシャリと締めたのが印象的だった >>75
西武のマスコットガールかなんかだった気がする 桑田清原のPLが決勝行けなかったのは1985センバツだけ
PL、池田、岩倉、取手二、伊野商、宇部商 今はもう見れない高校ばっかり 地元の高校が選抜初出場で、初戦の相手が伊野商って聞いたことない
高校だったからこれは勝てるんじゃね?って空気になったのは覚えてる >>116
90年代〜00年代初めまで、選抜で脚光あびると他県も含めて招待試合が、どうしても多くなるから仕方ないな >>69
結局1番の原因はイップスだからどうしようもないだろ >>2
西武が囲い込みしたから単独だけど普通なら3球団競合レベルの評価だった
肘壊して短命に終わったが >>2
清原がつけていた3も
翌年入団してきた玉井にあっさり付けちゃったしな >>123
名前が智子でまさかの智かぶりじゃなかったっけ >28
二人とも10勝して新人王だったな
2年連続で西武から新人王だったが短命だったなあ
ローテ守り切るだけで偉いんだけど しかしメガネかけるとトレード仲間の内山くんそっくりやな 夏は伊野商に勝った高知商中山が清原に当時の飛距離記録の140m弾打たれて負けた
中山は1年時もエース津野のリリーフでKKPL戦に投げてる
レベル高かったな >>100
藤嶺藤沢はほんとに弱かったw
横浜高校の相川が肘壊してたから、甲子園出られたようなもんだ。
県大会の決勝では、一回戦から一度も洗ってないようなきったないユニフォームで試合してた。 >>133
1989パ新人王はオリックス酒井。
渡辺智じゃない >>25
予選の決勝て
なんか違和感あるなw
まあそんなことはさておき
中山の高知商もいて、どんだけ激戦区なんだよ当時の高知
やっぱり伊野商の方がバッティング弱くて
終盤捕まって1対5で負けたんだよね 清原が高校時代対戦して一番凄かったのはトミオだと言ってたな >>147
文字通り手も足も出なかったからな。
バットにかすらせることすら出来なかった。
ナベトミも清原桑田の時だけ本気で投げてたし。 甲子園でPLの清原を三振に打ち取った球は
確か147キロだった >>1
甲子園でこのコメントはすげえなw
今ならめっちゃ叩かれそう 中山は一年の時にエース津野の控えで甲子園に行ったけど
中山3年の時の控えは一個下の岡林だったんだよな
この頃の高知商凄いな 吉田も決勝じゃなくもう少し早く大阪桐蔭と当たっていたら… >>136
清原に打たれたストレート146kmの表示出てたが、今のガンなら150km以上だろな >>93
潮崎はかわいい系のルックスで人気あったね
それにシンカーが有名だけどストレートも速かった
サイドで144出したりする投手は当時中々いなかったから 「職位が高い人間ほど、技術的な実務から遠ざかってしまう」のを解消しようとして、失敗した時の話。
http://aiwofg.shop?bz9oz/13054012816 お前なんて男じゃない女の腐った様な奴だトミオじゃなくてトミコだ
人格が豹変する人だっけ耳がピクピクして 他球団ファンだが
とみおって読むのか
ずっと、ともおだと思ってた 伸びる速球投げれる人は手首のスナップが普通の人より力あるのかね >>137
初出場だったからな。
しかも1年生が先発投手で初回に6点取られてテレビのチャンネル変えたの覚えているw >>148
3ボール0ストライクから三振取って清原相手にも舐めプしている感じだったw とぼけた顔してるのにとんでもないボール投げてたよな
あの清原が3三振 当時のピッチャーには珍しく
左打ちだったよな
何となくソフトバンクの千賀と被るわ プロ入りして最初の3年で59度先発して30完投してる >>160
それってもう30年以上前の昭和の話じゃないか… 清原が「実際対戦した中でコイツが一番凄いと思ったのは渡辺智」ってプロ入り後もずっと言ってたな
渡辺智が西武に入るとなった時は「対戦しなくて済むし、あんな凄い投手が味方になる」と嬉しかったと語ってた なんで清原が大成しきれなかったのかよくわかるエピソード 西武時代もゆったりとしたフォームからグーンと伸びるストレートは印象に残ってるな
当時は球界ナンバーワン右腕と評するプロ野球評論家も結構いた
突然イップスだかで成績急降下して終わったが ホークスで最後はとうとうサイドスローになってた
それもダメで終わった >>27
入団前に肘の手術してて持たなかったんだろう >>161,>>163
当時のチーム事情で高卒1年目からいきなり一軍で
投げさせられたせいで育成に失敗
打者転向で再起を期すも田豚に嫌われてポイ
しかし横浜で近藤昭仁監督に抜擢されレギュラーを
掴みキチガイ大矢に干されたものの日本一メンバー
にも名を連ねることが出来た
35歳までやれたんだから十分恵まれてたよ >>151
ほぼ三代続けてプロ野球で主力になった投手が
マジすげえw >>36
今のチェンジアップはそうじゃね
サークルチェンジじゃないほう 全盛期比較なら一番凄かったんじゃないか
打てる気がしない順番
トミオ>潮崎>郭>工藤>久信 >>89
最優秀防御率のタイトル取ってるぞ
日本シリーズも完投勝利してるし >>13
その南川も全く使い物にならないというね…… >>60
三重県の田舎の底辺公立高校からこんだけドラフト掛かってるのも何なんだよ?
90年〜2000年生まれのみ
西勇輝??- プロ野球選手(阪神タイガース)
関啓扶??- 元プロ野球選手(中日ドラゴンズ)
辻東倫??- 元プロ野球選手(読売ジャイアンツ)
山田大樹??- プロ野球選手(東北楽天ゴールデンイーグルス)
岡林飛翔??- プロ野球選手(広島東洋カープ)
田中法彦??- プロ野球選手(広島東洋カープ) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています