【異業種で輝く元プロ野球選手】
事業継承と野球への恩返し――。この両立に奮闘する元プロ野球選手が巨人、日本ハム、DeNAで活躍した林昌範さん(35)。
現在、千葉県船橋市にある「船橋中央自動車学校」の取締役総務部長として教習所運営にあたる林さんは、2001年ドラフト7位で巨人入り。
以降、17年末まで球界を代表する中継ぎ左腕としてセ・パ両リーグで計400試合以上の登板を記録するなど存在感を示した。

そんな実績ある投手が異業種に飛び込んだのは、父・敬(たかし)さん(68)への思いと地元への愛着だった。

「現役引退後は複数の球団から声をかけていただけたので、コーチや裏方としてプロ野球界に残る選択肢もありました。
でも今、勤務する船橋の教習所は父が47年間運営してきた大切な自動車学校。
僕自身も小さいころ、この施設の休日を利用して親父とキャッチボールをした場所でもある。
現役時代は『親父がつくった教習所を継ぐのは…』という反発心もありましたが、船橋は幼少期から高校時代まで自分を育ててくれた思い出の地。
引退後に父から『手伝ってくれ』と言われた時には『やるしかない』と決断しました」

18年1月に入社。1年目は教習所全般のイロハを学ぼうと主に総務系の仕事に従事したものの、社会経験が皆無だった林さん。何をやるにも一筋縄ではいかなかった。

「1年目は主にお金の流れを学ぶために経理や指導員の稼働管理などをしました。でも、それまではパソコンを触ったことすらなかったので、すべてが未知の世界で。
最初のころは苦労しました。それに100人ほどの指導員や従業員は20代の若い世代もいれば50代のベテランもいる。
幅広い世代が集う組織をどうまとめていくか。父である社長と従業員の橋渡し役でもありますから、衝突もありますし。バランスを取るのが難しいと感じました」

次期経営者として難題克服にも意欲を注ぐ。自動車学校は車の運転免許を取得する機関とはいえ、サービス業の一種。
顧客が自由に学校を選べ、技術指導員の評判や施設の充実度が教習所の売り上げに直結する。

「僕の子供のころは18歳になったら車の免許を取ることは当たり前でしたし、教習所はどこに通っても同じ感じ。近くの学校に通うのが普通でした。
でも今は少子高齢化に加え、免許を取る若者も少なくなりつつある。どの教習所もお客さんを待っているだけでは経営できない。
鎌ケ谷市にある姉妹校を含め、当校を選んでもらうためにどうすべきか。いろいろな業界の経営者と交流を持って意見を聞いています。
時代に合った愛される自動車学校にしたいですから」。その実現に向けて力を入れている一つが教習所の施設改革だという。

「たとえばカフェを併設したり、託児所を充実させて地元の人たちの憩いの場として活用してもらう教習所もいいのかな、と。
待合室のイスもスマホの充電のために電源付きのものにしたりとか。まだ構想段階ですが、教習所を通して地元に貢献できればと考えています」


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6/4(火) 11:02配信

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