【ボクシング】今もリングを目指す辰吉丈一郎。あしたのジョーは、もういない。
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'91年、世界を制した浪速のジョーの華やかな拳と、
時代を逆行するかのような生き方に日本中が酔いしれた。
周囲の制止を振り切り、今もリングを目指す男の人生は、
頂きへ突き進んでいる若き世界王者とも重なる。
Number968・969号(2018年12月20日発売)の特集を全文掲載します!
ある男がいた。女手ひとつで育てられ、中学を卒業すると塗装工になった。必死に働き、家庭を持ち、会社を持ち、24歳の時、ボクシングと出会った。
拳ひとつで人を倒す技術の美しさに魅せられ、一瞬、プロを夢見た。だが、バブル崩壊の1990年代半ば、従業員もいた。背負うものの重さが夢に蓋をさせた。
そんな男が妙に惹かれたボクサーがいた。
「辰吉さん、畑山さんですね。ボクシングそのものもそうですが、生き様というか……。辰吉さんはすごい発言をして、本当に実現してしまう。僕は大きいことを言う人は嫌いなんですが、なぜかあの人の言葉は嫌味なく、純粋に聞けたんです」
片親で中卒。男は自分と似た境遇の辰吉丈一郎というボクサーがリングを熱狂させ、人生を切り開いていく様を見ていた。
辰吉は、男のそんな思いは知らずに、今も大阪・守口であの頃と変わらない世界に生きている。15歳で岡山を出て33年、住み慣れた街の、見知った道を走っている。
「こいつ、まだ走っとんかって思われてるかもな。夏場は上半身裸でロードワークするから、変なおじさんって思われとるやろ(笑)。ボクサーとして日本では定年、海外でも定年。
でも僕の中では3度目の王座返り咲き、チャンピオンのまま引退するってことしか頭にない。人が好きでやっとるんやから、とやかく言うなよ、と」
「まぶたこんなですわ。何回も……」
38歳でライセンス失効。海外での試合も原則禁止。つまりルールの上にプロボクサー辰吉丈一郎は存在しない。
夕刻、トレーニングに向かう。汗を流すジムは日毎、変わる。この日は淀川を渡り北へ。自宅から約20分、ハンドルを握る。道中、左折の時だけ辰吉は慎重になる。顔ごと覗き込むように左を確認する。
「まぶたこんなですわ。何回も切って、その度に中を縫って、表面を縫って二重縫いしてる。だからしこりができてるんです」
網膜裂孔。網膜剥離。戦うたびに傷つき、ボクサーは光を失ってでも戦うべきかという議論を巻き起こしたその左眼のまぶたには、2本の裂傷痕が走り、垂れ下がるように眼球を覆っている。
それはガードを下げたスリリングなスタイルの、人々を熱狂させた彼のボクシングの代償である。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190429-00839060-number-fight
4/29(月) 10:01配信
https://number.ismcdn.jp/mwimgs/7/8/-/img_786a687cd423e96bf4dac6d4d475dc7f411830.jpg
https://www.sankei.com/images/news/171025/wst1710250006-p2.jpg
https://scontent-ams3-1.cdninstagram.com/vp/1cbc1e9494b4d8c40035830e1e50802f/5D70C659/t51.2885-15/sh0.08/e35/c1.0.1077.1077a/s640x640/31122514_2097913307200964_6314936349984030720_n.jpg 左ガードを下げた構えは変わらず。
雑居ビル屋上のジムに着くと、辰吉はバンデージを巻き始めた。
白布に砂利をまぶしたような褪せた色をしている。何重にも染み込んだ汗の色だ。そして、やはり同じ色に褪せたリングシューズを履くと、ロープをくぐり、シャドーボクシングを始めた。
蛍光灯の下の、他に誰もいないリングで元王者が踊る。左ガードをだらりと下げた構えはあの頃のままだ。
「先代の会長には半殺しにする勢いで何べんも言われました。『ボクシング知ってるのか? ガードしろ! ノーガードはあしたのジョーだけでええんや! 』と。
でも、父ちゃんは僕に言った。殴られたくないんやったら、ボクシングなんかせんかったらええやんって。
それにね、喧嘩の時、大抵の奴は右足で蹴ってくる。左手を下げてると対応しやすい。父ちゃんがくれたスタイル。僕にとって、もう父ちゃんは神様なんで」
父ひとり、子ひとり。息子にすべてを捧げて20年前に逝った父の、左拳の骨を辰吉は火葬場で食べた。焼いたばかりの骨は喉の奥で「ジュッ」と音をたてた。
その遺骨はまだ墓に納めていない。
「今も僕の家にあります。ええ加減、眠らせてくれよと言うてるかもわからんけど。嫌なんです。負けたまま、無冠のまま墓に納めるのは。父ちゃんも納得せんでしょう」 「誰彼構わず、睨みつけてね」
1980年代の半ば、日刊スポーツ新聞社のボクシング担当だった町野直人は、大阪帝拳によく通っていた。当時の世界王者・渡辺二郎を取材するためだったが、ある日、ジムに入ると、やけに目つきの鋭い青年がこちらを睨んでいた。
「それが辰吉やったんです。誰彼構わず、睨みつけてね。トレーナーに『挨拶せえ』と言われても、しない(笑)。でもリングに上がるとセンスが違った。足が長くてリーチは膝まであった。ボクシングをするために生まれてきたような選手でした」
アリ・シャッフルと呼ばれる華麗なステップを披露し、難しい技術といわれる左のレバーブロー(肝臓打ち)も完璧に打ってみせた。その青年がまだプロデビューもしていないと聞いて、驚かされた。
ただ、町野の心をもっとも震わせたのは、技術より、その人生観においてであった。
「一番、印象的だったのは、あのハングリーさというか、この時代に、まだこんな奴がおったんか、ということでした」 ボクシングは人生そのものだった。
何度か通う中で、町野は辰吉に生い立ちを聞いた。
岡山の児島という小さな町で男手ひとつで育てられ、名前は父が好きだったボクシング漫画の主人公・矢吹丈からとった。幼い頃から庭に父が吊るしたサンドバッグを叩いていたという。
中学を出て、大阪にきてからはかまぼこ屋、そば屋で働いたが続かず、ジムも飛び出してホームレス同然の時期があった。自販機の釣り銭口を漁り、冬でも公園の水道水で体を洗ったという。
昭和が終わり、平成がくる。ボクシングの在り方そのものが変わろうとしている時代に、まるで「あしたのジョー」から飛び出してきたような青年が、目の前に現れたのだ。
辰吉はほぼ漢字を知らなかったが、町野が記事掲載のために名を書けと言うと、自分と父の「粂二」という字だけはきちんと書いた。そういうところに惹かれた。
定年を迎えた町野は、今の辰吉を見ると昔、聞いた話を思い出すという。
「小さい頃、辰吉がいじめられて泣いて帰ると、父親にいつも言われたらしいです。負けるのはええ。でも負けを認めるな、と。今もグローブを外さないのは、だからなのかな……」
つまり、彼のボクシングは人生そのものだった。あの時代、自分も、世の人々も、辰吉のリングにあれほど熱狂したのはそのためだったのではないかと考えている。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 月に200人の若者が入門してきた。
1991年9月19日。まだ不良少年の面影を残した21歳の辰吉は、WBC世界バンタム級タイトルマッチで、
アマも含め300戦のキャリアを誇るアメリカの王者グレッグ・リチャードソンに挑みかかり、10ラウンド、相手の体ごとロープを突き破らんばかりのラッシュでTKO勝ち。当時の国内史上最短8戦目で世界王者となった。
池原信遂はその試合を富山県入善町の自宅で見た。自分の中で、人生が決まったという感覚があった。
「ヤンキーみたいな人が前に前に出て、倒して、第一声が『父ちゃん、やったで』でしたから……。衝撃でした。
僕は喧嘩もしたことのない普通の子供でしたが、とにかく、その瞬間からボクシングをやる。世界チャンピオンになると決めた。不思議と、できるんちがうかなと思えたんです」
人を殴ったこともない少年に拳を握らせ、リングへ向かわせる。ブラウン管のむこうのボクサーには、そういう力があった。
高校卒業と同時に、大阪帝拳の門を叩いた。当時、ジムには「辰吉丈一郎」になりたいという若者が列をつくり、月に200人が入門してきた。
眉を剃り上げ、喧嘩で鳴らしたそれぞれの町の番長たちの中で、前髪をそろえた色白の池原は異色だった。
「見た目で、舐められていたと思いますよ。でも、僕は辰吉さんみたいに、王者になれると確信していましたから。スパーリングしてもそういう奴らに負けませんでした」 辰吉のスタイルは辰吉だけ。
池原はデビューから17連勝を飾り、ボクシング界のホープとなる。辰吉の合宿にも連れて行ってもらえるようになった。
ただ、リングを重ねるほど、辰吉に近づけば近づくほど、あることに気づかされた。
「結局、辰吉さんのスタイルは辰吉さんにしかできないんです。あんなにガードを下げてなんてできません。それに、やっぱりボクサーは殴られたらだめなんです。
外傷は時間がたてば消えますが、脳のダメージは消えない。打たれるのを怖いと思ったことはありませんが、何試合もやっていくと、見えているパンチが避けられなくなっていくんです。脳からの反射が鈍くなっていく。それが怖かったです」
試合を終え、映像を見る。その度に自分が静かに破壊されていることに気づいた。
だが、池原の眼前には、相変わらずガードを下げて、打たれても打たれてもリングに上がろうとする男がいた。
1999年8月29日。3度目の王座から陥落していた辰吉は、ベルトを奪っていった相手であるタイの英雄ウィラポンへの雪辱戦に挑んだ。
限界説がささやかれる中、最後は7ラウンド、44秒。強烈な右ストレートに顔面を撃ち抜かれた。
ストップしたレフェリーに抱きかかえられると、その体はぐにゃりと後方へのけぞった。
立ったまま失神する壮絶なTKO負け。多くの人が辰吉の“最期”として記憶している場面だ。
引退宣言翌日にはロードワーク。
ただ、「普通のおとっつぁんになります」と引退宣言した辰吉は、もう翌日にはロードワークを再開した。大阪帝拳は揺れた。
もう試合は組まないというジム側と、続行を望む辰吉。そこで当時の吉井清会長が出した条件が、日本ランク1位にいた池原とのスパーリングだった。憧れの人との進退をかけた対決に池原は身震いした。
「僕にも将来がありましたから、会長にアピールしたかった。だから僕が自分の手で辰吉さんに引導を渡すんだ、と。そう決心して目一杯やりました。でもね……、ボロボロにやられましたよ。
執念です。あの時、『ああ、この人はボクサーとして生涯を終えるんだろうな』と思いました」
池原は2008年、WBAバンタムのベルトをかけて、ウクライナの王者に挑んだが判定で敗れた。引退後、会社員として働きながら今、審判としてリングに立つ。
「僕はお腹いっぱいでボクシングをやめました。審判の使命は選手を守ること。勝負をつけさせてあげたい気持ちはありますが、その範囲内でなるべく早くストップするようにしています。
辰吉さん? 誰も止められません(笑)。辰吉さんの生き方は辰吉さんにしかできないんです」 「あしたのジョー」の最後が好き。
辰吉は「あしたのジョー」のラストシーンが好きだという。
「ジョーが最後、寝とるんか、死んどるんか……。やっぱ、あそこかな」
それは真っ白に燃え尽きたボクサーの最期だ。もし物語であれば、立ったまま失神したあの瞬間、辰吉だって灰になれたかもしれない。それで終わりだ。だが、現実はそうはいかない。
そこから膨大な人生が待ち受けている。その長すぎる時間が、ボクサーとして死ぬということを難しくする。
辰吉がサンドバッグを叩く。白髪まじりの長い後ろ髪が揺れる。天才と称された左ボディブローの角度はあの頃のままだが、天井から吊るされた漆黒の革袋はそれほど揺れない。
その光景から世界戦のリングを想像することはできなかった。それでも辰吉は休みなくパンチを打ち続ける。
そこに、あしたのジョーはいない。喝采がなくなっても、なおリングを求めるひとりのボクサーがいるだけである。
井上尚弥が父に教えられたこと。
辰吉が最後に世界戦を戦った同じ年、まだ冬が到来する前の穏やかな日だった。
塗装業を営むある男は、娘と2人の息子を近くの公園へ連れていった。いつものように子供達が遊ぶのを横目にシャドーを始めた。プロは諦めたが、ボクサーであることは続けていた。
ただ、この日はなぜか、長男がそばを離れようとしなかった。大好きなブランコには見向きもせず、父をじっと見つめて、こう言ったのだ。僕も父さんと一緒に、ボクシングをやりたい――。
それが井上真吾と尚弥にとっての運命の瞬間だった。
「僕はあの時、尚弥の目を見たんです。真剣なのか、どれほどの気持ちなのかがわかりました。だから自分も絶対に中途半端にはできないと思いました。それからは毎日、親子で地道にやってきました」
その日、父がまず教えたのはジャブでも、ストレートでもなく、ステップワークだった。構えたところから左足を一歩踏み出し、次いで右足も前へ。次は後ろへ。その動作を繰り返した。その次はガードを教えた。
僕はスパーで眼の下を骨折したことがあります。ボクサーとして打ち合いは好きです。でも、勝つには打たせずに打つしかない。この矛盾を追求していくには、ディフェンスから地道にやるしかないんです」 井上尚弥と辰吉丈一郎をつなぐもの。
ボクサーがアスリートとして括られ、大衆が人生物語より競技性を嗜好していく現代において、井上尚弥は無敗のまま3階級を制覇し、世界のリングに求められる存在になった。
そのボクシングはかつて、父・真吾が惹きつけられた、あの時代の、辰吉のものとは一見、正反対にも映る。
ただ、開始のゴングからわずか数秒のうちに起こる戦慄のKOシーンをよく見ると、そこには必ず、あの日、あの公園で始めたステップワークが潜んでいる。
相手をリングに沈め、拳を突き上げる尚弥の横には、いつも父がいる。
「尚弥はよく天才と言われますが、簡単にそう言ってほしくない。6歳の頃からずっと地道に、努力し続けてきているんですから。僕はそれを全て見てきていますから」
目を凝らすと、辰吉が父にもらった“ノーガード”と同じものが見えてくる。
つまり、怪物と称される25歳のボクシングもまた、彼の人生そのものなのだ。
時代の中にぽつん、ぽつんとあるワンシーンが2人のボクサーをつないでいる。
辰吉はそれを知らない。自分だけのスタイルで、生きた歳月をかけてリングに上がる。そうやって、あの時代に表現したものが、今もリングの上に散らばっていることなど知るよしもなく、走り続けている。
日に3度、トランクス1枚になって天秤ばかりの上に乗る。その肉体にみずみずしさは感じられないが、筋肉は白髪とアンバランスに力強く隆起している。秤のメモリはきっかり、55kgで止まった。
「減量すればいつでもバンタム(53.5kg)で戦えるように節制はしている。飯は1回、晩に食べるだけ。常に腹は減っています」
「過ぎたことは遠い昔や」
物語の中でジョーが、現実の世界で自分が戦った「バンタム」という戦場に今もいる。その事実が何よりも雄弁に、辰吉がボクサーであることを証明している。
練習を終えると、元王者はスーパーのビニール袋にウェアをつめて帰路につく。
見る者には哀しい景色に映るかもしれない。ただ、本人は独り、恍惚の中にいる。
「過ぎたことは遠い昔や、という感覚です」
彼を哀しく見る者はおそらく過去に囚われている。あらゆるものを削って、ボクサーである今を選ぶ。この尊厳を、この幸せを笑う資格が誰にあるだろうか。
辰吉丈一郎。48歳。ボクサー。朝が来れば、また走りに出る。
(Number968・969号『あしたのジョーは、もういない。』より) ウィラポンが強すぎた
そのウィラポンをフルボッコにした長谷川
そしてモンスター井上へと続く 引き際を知らない老害
・辰吉丈一郎 (49歳)
・イチロー (46歳)
・三浦知良 (52歳) 辰吉はまあいいよ。ただトレーニングしてるだけだから。 家族以外で文句言える奴はいないな
好きなだけやればいい ただの殴り合いを
「作品」とか言ってた
恥ずかしいDQN 畑山のほうが好き
辰吉vs薬師寺より畑山vs坂本、畑山vs有沢の2試合のほうに感動した。
畑山は群雄割拠のライト級付近でいつも熱い試合を見せてくれた 足つかむためにガードを下げるとか本当にどうでもいいこだわりだな。
そのせいで薬師寺にタコ殴りされたのに。 現役にこだわるのはむしろ好きなだけ頑張れってなもんだけど
この記事見ると運転だけは早めにやめて欲しいな
自分が死ぬだけだったらいいけど色んな人間の人生が壊れかねない 奥さんに捨てられたらのたれ死ぬんじゃないのかこの人 こういう、パンチドランカーで
呂律も回らんようになっても
ジムにしがみついてるおっさん
場末のボクシングジムには
大抵一人くらいはいるよな
プロ目指すのは個人の自由だが
そういうジムの練習生にはならない方がいい これぞレジェンドやな
晩節を汚してるのかピュアに貫いてるのかよく分からん感じが 好きなだけ練習やらすだけなら全然いいと思うけど
タイ行って復帰戦組んで会場で盛り上がってた後援会みたいなのは異常だよ まあ今更だけど長谷川穂積か山中が
勝てば次はタイトル戦になるとか騙くらかしてでもいいからリングに上げて引導を渡しておくべきだったんだよな
このままだとマジで那須川辺りに目を付けられて晒し者にされそうでなぁ タイで最後にやった試合の酷いこと
あれから8年くらい経ってるのに何が現役だよ お前ら素直になれよwwww
最後まで読んでグッときたくせにwwww あしたのジョーは70年代かなんかだろ。
辰吉は90年代。2ch世代だとあしたのジョーなんて
ギャグ漫画扱い。
グッとは来ないよ。 >>52
ジョーよりリアル路線の明日の一歩すら5chじゃギャグマンガ扱いだもんな チームスポーツじゃない個人だし別に好きにすればいい家族がいいなら オヤジファイトも勝てないよな 天心に挑戦とか 舎弟の戎丘が出るか >>54
その一歩が終わらないから最近は再び名作として5ちゃんで扱われだした >>51
引退宣告されてから日本1位をボコボコにしたってのと
辰吉の残したものが今もリングの上に散らばっているってのが良かった あの喫茶店だけで暮らせてるわけねーんだからタニマチいるんだよな
えらいいじった高級車乗ってるし 世間が思うほどタレント向きではないんやろな。ジャンルは違うがスーパーボランティアのじいさんと同じ匂い、偏屈さを感じる こいつは守備が下手過ぎるから眼を破壊された
少しも学習しなかったな。二流のボクサーだ ガードが下がるから、上げろみたいなコントは辰吉で覚えた(´・ω・`) >>34
そうだよね。辰吉には飯塚のようになってほしくない。
あの話し方だってパンチドランカーみたいなんだから、自動車の免許はいますぐにでも返納してもらいたい 世界戦でチャンピオンが一方通行のボコボコにやられるやつなんてほぼいない
なぜタツキチはボコボコにやられたのだろうか
練習してないからだろ ガードしようがしまいが、素手だと貫通するみたいな事を理解するまで時間掛かった(´・ω・`) 長くて読んではないが辰吉はタニマチがいるから今でも好き勝手やれてるのかなーと ガードあげてても左からの攻撃は普通に見えるぞ。まぁ父親マンセーだから
疑うことなど考えられないんだろうが。 辰吉の時代のボクシングはレフリーストップが無かった(´・ω・`) そこは皆さま「ボクサー芸人」ということで大目に見ていただいて。 きのうのジョー きょうのジョー あしたのジョー 365
パンチングボール スキップロープ ぼろいグローブ
ストーブ スパーリング マスボクシング エルボーイング ローリング
技をインストール めちゃくちゃお上手 一時期何ゆうてんのかさっぱり分からんくらいアウアウアーやったのに最近は割りと普通に喋れてるのはどういう理屈だ
パンチドランカーって快癒すんのか >>82
たこ八郎も時間経過と共に少しずつ普通に戻っていってたらしいな >>64
畑山って世界戦でまともに勝てた試合ほとんどない癖に30回防衛出来るとかほざくタイプだからなぁ 野球とかサッカーで言えばトライアウト目指してオッサンが一人でトレーニングしてるようなもん
現状プロではない ルール上、プロとしてやれないのにどうしたいんだろう
弁護士でも雇ってルールを変えさせないと世界チャンピオンに挑戦すらできないわな タイだかどこかでやった試合で全然キレがなかったもんな
反射神経が衰えててあの時点でヤバかったよ
もう無謀だよ 嘘だよ
ボクシングライターが全然練習してないことを
ばらしていたし、ジムにも全然行ってないよこいつ >>84
コウジ有沢、セラノ、坂本戦は面白かったけどその後にあと三戦やって引退するとか言って
その後のリック吉村、ロルシー戦は何もできなくて三戦目迎えることなく引退したからな 辰吉と畑山
両方好きだっけど
畑山のが好きだったな
発言がダサいんだけど人間味があって >>95
ボクシング専門誌に辰吉よ、夢を語るなみたいな
タイトルで辰吉の現状を書いてたライター
軽いジョグと嫁の喫茶店で時間つぶし
子供みるときだけジムに行く、みたいな内容だった 網膜剥離だと試合が出来ない。そういう規程があるんだから仕方がないよな。
トップに君臨する者がルールを守らなくてどうするんだろうか。
自分は良くて他者はだめ。みたいな二重基準で行くのか? 色々言われてるけどエンターテイナーだったな
テレビも盛り上がったしイイ時代だった 辰吉は対ラバナレスの1戦目で壊されたと思うよ。
あまりにディフェンスに意識が無さすぎた。 チャンピオンの栄光は一瞬だったが、廃人になっても人生はまだまだ続く
美談にするのはちょっと違うだろう シリモンコンで返り咲いた時は叫ぶほど嬉しかったけど、実力は歴代日本人チャンピオンでもそれほど強くないよ。DFはクソだし攻撃のテクニックもそんなに目を見張るものは無い。
熱狂的なファンに今でも守られてるけど、残念ながら実力はそれほどでもない。亀田の長男とやったら負けるかもしれない。井岡だとボコボコにされただろうし、井上なら死んでたかもしれない。 ボクオタなんて旬が過ぎたらみんな>>105みたいな扱いじゃん >>20
ウィラポンは強かったが、
雑魚川が倒したのは既に終わってるウィラポン。
全盛期のウィラポンとは比べ物にもならないほど衰えてたわ。
何がフルボッコだよww 辰吉や八重樫みたいな腫れやすい人が二重や瞼脂肪吸引して試合したらどうなるんだろ 1階級制覇
ミニマム 47kg以下
「大橋、星野、新井田、高山、宮崎、福原、京口、山中(竜)」
ライトフライ 48〜49
「具志堅、中島、渡嘉敷、友利、山口、田口、木村(悠)、拳」
フライ 49〜51
「白井、海老原、大場、大熊、花形
小林(光)、レパード、坂田、内藤、五十嵐、江藤、比嘉、木村(翔)」
スーパーフライ 51〜52
「渡辺、鬼塚、川嶋、飯田、徳山、セレス、川島、名城
佐藤(洋)、清水、河野」 バンタム 52〜54
「新垣、六車、辰吉、薬師寺、亀田(和)、山中(慎)、井上(拓)」
スーパーバンタム 54〜55
「ロイヤル、畑中、佐藤(修)、西岡、下田、小國、久保、岩佐」
フェザー 55〜57
「西城、越本」
スーパーフェザー 57〜59
「沼田、小林(弘)、上原、内山、三浦、尾川、伊藤」 ライト 59〜61
「ガッツ石松、小堀」
スーパーライト 61〜64
「藤、浜田、平仲」
ウェルター 64〜67 「」
スーパーウェルター 67〜70
「輪島、工藤、三原、石田」
ミドル 70〜73
「竹原、村田」
スーパーミドル 73〜77 ライトヘビー 77〜79 クルーザー 79〜86 ヘビー 86kg以上
「」 2階級制覇
ファイティング原田(フライ、バンタム)
柴田国明(フェザー、スーパーフェザー)
畑山隆則(スーパーフェザー、ライト)
戸高秀樹(スーパーフライ、バンタム)、
粟生隆寛(フェザー、スーパーフェザー)
井岡弘樹(ミニマム、ライトフライ)
亀田大毅(フライ、スーパーフライ)
3階級制覇
亀田興毅(ライトフライ、フライ、バンタム)
田中恒成(ミニマム、ライトフライ、フライ)
井岡一翔(ミニマム、ライトフライ、フライ)
八重樫東(ミニマム、ライトフライ、フライ)
長谷川穂積(バンタム、スーパーバンタム、フェザー)
井上尚弥(ライトフライ、スーパーフライ、バンタム) もう誰も全く話題にもしてないと思うが
好きにやれてるじゃん 華は飛び抜けてあったが今思えば実力は?だな、逆に華無さすぎが井岡、亀田長男とやればサウスポー苦手な辰吉が判定負けの可能性もある、井上相手なら3ラウンドもたん 薬師寺戦、割れるような試合だったか?
判定の時、スピリットと聞いて会場どよ
めいてたわ。 >>43
あの奥さんが捨てる訳ないだろ ベタ惚れやんけ >>9
げ、同じ年かよ
こないだ充電見てたら縫田Dも48だし 辰吉はガードを上げるとボクシングが極端にぎごちなくなるタイプだった。
それでもボクサーでガードの意識がない奴は根本的にダメ。
ガードが下手だった山中も最後はぶっ壊れてて悲惨な負け方だったし。 辰吉は10年前でもラスト亀田興毅時のポンサク相手ですら
半殺しにされてただろうな。 Numberの自己陶酔ポエムってスポーツ界にとって害悪でしかないと思う 目をやられる前はディフェンスもうまかったとか言うが、
その時代の映像がないしな。
しかも対戦相手のレベルも違うだろうし参考になるのか? >>103
いくつになった人間の話?w
おまえの人生がウマくいかないのは
おまえのせい。
人に人生あずけるなよw
おまえの家に、鏡あるか?
自分の姿を見れるのを
鏡
っていうのよ
鏡買え ファイトスタイル、キャラが受けて信者が騒いでたただけ
PRIDEの桜庭みたいなもん
実力は日本王者レベル
全盛期同士でやっても亀1に余裕の判定負けする >>132
勘がよかっただけだよ
格下相手の攻撃ならスウェーだけで避けれてた
世界戦クラスになるとガードの低さもあってボコボコくらって壊れた 辰吉さんはすごい発言をして、本当に実現してしまう。僕は大きいことを言う人は嫌いなんですが、なぜかあの人の言葉は嫌味なく、純粋に聞けたんです
一般人ならそうだね
世界チャンピオンになった畑山は
なんだあいつ
くちばっかで試合はへっぽこと
中盤後半の辰吉を嫌っていた >>134
辰吉も日本ボクシング界の犠牲なんだよ
トーレス戦で負けそうになって
これではいかんと
足使ってパンチもらわないスタイルで
パショネスに圧倒的判定勝ちしたのに
これじゃKOできないって
元に戻ってしまった
まあ辰吉がパショネス戦スタイルになってたら
勝っててもあんなに信者はつかなかっただろうが 喫茶店経営している嫁に食わせてもらって
ボクシングの練習している無職の男じゃん >>136
坂本戦の前に
「坂本選手にはパンチがあって僕にはパンチはないんですよ、だから勝てるんです」
かなり深い意味な言葉だったよな
俺つえーって気取ってないし格好いい パンチドランカーにプロライセンスが再発行されるわけないだろ そういやクラウドファンディングはどうなったんだろ
結構金が集まったらしいが >>138
そのファイトスタイルを貫くことは客も喜ぶしすばらしいこと
その代わり寿命を縮めることになる
だからこそ早く引退するべきだった >>45
>こういう、パンチドランカーで
>呂律も回らんようになっても
>ジムにしがみついてるおっさん
>
>場末のボクシングジムには
>大抵一人くらいはいるよな
おまえのサンプルは
いくつだバカ
場末のボクシングジムにいる大抵一人と
世界チャンピオンと一緒にするな
根性なしの才能なしwww 井上が俺は最強なんだよ!
俺に誰も勝てねーんだよ!
ってキャラで
ダウンタウンだのさんまが
おもろいキャラやー
って扱ったら
イケメンビッグマウスで
視聴率50パーとれるのに
ほんとになんというか残念だ >>123
2ー0じゃなかったっけ?辰吉につけたジャッジはいなかったような ダメージ抜けてるから呂律はよくなってきた
また殴られれば次は死ぬぞ ダウンタウンDX
地球最後の日どうしますか
辰吉
浜田をしばく
関根勤
一日もたないよーw
辰吉
もたすように
やっぱりボクサーはこうじゃないとw >>148
そういうこと言うやつなら顔つきかわるよ ガチンコファイトクラブで唯一ガチンコだったのは辰吉だけ
辰吉にだけ台本である事はふせられた >>150
海外で試合中相手挑発したり過去の相手見下した発言したり中身は結構黒いんだけどな >>151
あの辰吉はいいね
なんであいさつせんの?
そっかーしたくないかー
けど挨拶できるの人間だけやで
やっぱりヤンキーには辰吉タイプの先生が必要
ヤンキーがこの人は強いって認めてる上で
見下さず話を聞いてあげてアドバイス >>152
そりゃそうだろ
日本じゃ言えない
辰吉だってはじめは明るくて面白い人だよ
そこから負けがこんであまりしゃべらなくなって
なんか怖い人になった 辰吉が最後に試合したのは10年前
サーカイ・ジョッキージムという19歳の若手ボクサー
さほど強くないこの相手に7ラウンドTKO負け
しかしサーカイはこの直後に日本で試合し10ラウンドKO負けしたあと病院でそのまま亡くなってる
辰吉もヘタすれば同じ目にあっていた ボクサーの全盛期なんて平均3年〜5年くらいじゃないの?
スポーツ選手としてはあまりに短い
チャンピオンになったって大リーグみたいに終身年金が出る訳でもないし、命張ってやるにはリスクが大き過ぎるよ
そこがロマンなんだけど >>159
現代のボクシングでは通用しなさそうな昔ながらの時代遅れの練習、指導しか出来なそうだけどな >>161
ホームでばかりやってるからだろ
それは大人の事情だからしょうがないが
アメリカで名前売ってビッグマッチやればかなり稼げる
今では井上がその段階に入ってる ナイトスクープに、「辰吉ボコボコにして自信をつけたい」という依頼がたくさん来てると思う。
パッとしないプロボクサーから、イジメられて不登校になってる中高生まで。
あるいは、定年後の生きがい探しの爺さんとか。 >>161
3から5年は短すぎる昔だね
それだとメイウェザーとかたいして稼げないw
今は日本も昔流から脱却して
山中も長谷川も内山もけっこう長くがんばった
井上尚弥も33歳ぐらいまではトップなんじゃね >>165
薬師寺に勝っちゃってたらこんなに伝説に
ならないだろうしなあ
薬師寺に負けてサラゴサに負けて
もう終わりだ
ってところでシリモンコンに勝ったのがでかい 怖いかなあ?
めちゃ優しくて茶目っ気あってそれでいて頼れる
本当に理想の親父だと思う ジャブもボディも左は一級品だったけど右は終わってたな
サウスポー相手だと露骨にそれがでてたわ >>168
理想の父親?
プロとして試合できないならさっさと見切りをつけて就職しないとダメじゃね?
茶目っ気とかそんなんどうでもいいから、まずは社会的経済的安定がないとダメだと思うけど。
「ボクシングは趣味として続けてます。家族のてために一応、本業では年収2000万ですけど。息子には、
学費の心配いらんから国立でも私立でも、とにかく一流大学行けゆうてますねん」
↑
コレが理想じゃね? 日本王者や東洋王者でもバイトしないとまともに生活できないでしょ
軽量級の世界王者になってやっと一人前のサラリーマンクラスだが、負けたらすぐ終わりだし選手寿命が短い >>172
ファイティング原田時代は
人気日本チャンピオンは現在の価値で
1000万ぐらいもらえたらしいね
まあ世界も圧倒的に価値があった時代だけど >>170
なんでストーリー仕立てなの
なろう系作家なの デビュー前のあしたのジョーみたいな奴はリアルで稀にいるよな
みんな早くに死んでいくけど あの頃にネットが普及してたら
「ハメッドのギミック、レナードの鼻くそにもなれない。」
で終わってた選手
亀田と大して変わらない扱いを受けてただろう。 >>178
亀田は噛ませとしかやってないが
辰吉はガチで強い相手を倒したからわずか8戦で世界王者になれた >>1
ある意味カッコエエな
リアルなタコ八郎、天上天下唯我独尊の主人公、ジョー、松本太陽のZERO...
みたいな感じだな
まあZEROの主人公意外皆死んだから良かったのかもだけど >>41
谷町が山ほどいる
ただのチャンピオンやない
時代を作ったカリスマ
スーパースターやからな ジョー小泉が『ガードさえしていれば網膜剥離になることはなかった。そしたらブランクもなくスーパー王者になっていた。トレーナーは何故ガードを教えなかった』とコメントしていたな。辰吉が無視してたの今回しったわ。色々な意味でこの人らしい。 長いわ!!
いや良かったけど!
記事そのまま記したんやな。
辰吉みたいにみんな生きたいもんやけどな。
辰吉はすごいと思うけどね。
でも玉掛けでシャックルまわしたり、
アクセルとブレーキ常に踏んでたり、
パソコンに一日中向かってる人もえらいでー。 >>43
あの二人は運命共同体。
辰吉や亀田はアホみたいにそっちは
真面目。 >>52
それなんかに例えたいなぁ。
なんせ安保闘争、万博、三島由紀夫とか色んなもんまたいでる時代やしなぁ。。
はじめの一歩が10巻くらいで終わっていたらなぁ。 >>93
うん確かにね。
でもリックが勝ったとしても
防衛難しいな ちょうどWOWOWエキサイトマッチが始まったころで、
IBFのバンタム王者のオルランド・カニザレスがいて、
まあボクシングのレベルが違うこと。
あんなのが天才天才言ってるから勘違いしたんだな。
鬼塚なんてカニザレスとスパーしたから自分の力量を
わかってた。 >>156
そのタイ人はKO負けする前に辰吉に壊されてたんだな ガードせずにボコボコにされてるイメージしかない
過大評価してるやつ多すぎ ガード下げないと得意の左ボディ打てない欠点が修正出来なかった >>196
アホか。あの試合タイ人ほとんどパンチ貰ってないし
もともと体の弱かった現役大学生で金のためにボクシングやってた奴だ
そんなのに辰吉は負けたんだよ 永遠に醒めない夢の中で生きている
パンチドランカーは怖い >>184
タニマチって金のなる木じゃなくなった人間にも付くの? >>195
辰吉はカニザレスとやったらごまかされて負けるって
ちゃんと言ってたけどね
昔の辰吉はトーレスと引き分けで負けですわとか
そういういいところがあった >>202
辰吉が練習して試合すると言ってるからついてる
引退しましたーじゃもういなくなるだろうけどね
それでもさすがに年齢が年齢だから
これから離れるんだろうけど >>199
いや、ジョーの放ったテンプルへの攻撃がそのタイ人を破壊してたんだよ。 >>203
はぁ?
近所の小学生の通学のサポートだよ。
あと近所のパン屋に買い出しとか練習の合間に色々忙しいんだよ。 >>171
辰吉ってDV野郎なの?
女殴るなんて男として最低だわ
ヒモ生活が出来るのも女房を恐怖で洗脳してるんじゃね 空手は相手に打たせて、相手が勝ったと油断したところに渾身の一撃を叩き込むんやで(´・ω・`) >>188
同意。
対戦後の辰吉のキャリアに良くも悪くも一番影響与えた
ボクサーだと思う。 あの頃ガード下げてヘッドスリップで中に入っていくの流行ってたからな
かっこいいけど避け損なって目を傷める戦法だったな かっこいいよ!昔より好きだ。大人になって自分をみ捨てる奴多すぎ。 >>160
確証はないけどタニマチはいるでしょ
極楽の山本ですらいたと聞く さすがに世界王者返り咲きはもう無理。
井上とやったら3R持たない可能性が高い。 東京生まれ東京育ちの俺だが
辰吉カッコよかったなぁ
関西ってこんなカッコイイ奴がいるのかって関西のボクシングが羨ましかった
でもいつだったか客席に土下座してた姿には腹が立った
無様じゃないのに何で土下座すんだよって
薬師寺みたいなチャラいのは東京にゴロゴロいるから
今でも大嫌い 40までに、どっかでエキシビジョンでもやらせて、指導者になってもらうしかないな。ジュイキに死に水とってもらえ >>205
辰吉ファンかしらんが、クラウドファンディングしてたろ
HP作るとかなんとか >>202
タニマチってのは、金儲けや商売でやるものでも無いしな
お金を支援することで、自分が好きな有名人に近づいてたいって人達だよ
お金儲けよりもミーハー的な動機からの支援 セリフ覚えられないかもしれないけど役者やれば結構面白い存在になれたと思うわ >>218
薬師寺みたいなダサいのは東京都にはいない
薬師寺は典型的な田舎者 >>233
当たり前だろ
もうプロテストにも受からないレベルだよ >>232 >>234
まあ薬師寺のセンスの無さ見ていて小っ恥ずかしくなるレベルのダサさは擁護出来ないしなぁ
テーマ曲の「死亡遊戯」と共にリングに歩を進める辰吉の悲壮感溢れる姿に対して
あの素人の学芸会レベルのダンスを踊りながら入場してきた薬師寺のドン臭さといったら・・・ ちょっと待ってくれ
あの死亡遊戯という曲は勝ち抜ける側の人間が鳴らしたならいいんだが
辰吉のように負ける実力の人間では葬送曲にしか聞こえんがね 野球で言えば独立リーグすら入れないレベル
サッカーで言えば地域リーグすら入れないレベル ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています