【美術家】横尾忠則さん 朝日新聞(27日朝刊)掲載の書評、「画評」が話題に
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夢という非現実、現実の新聞に 横尾忠則さんの「画評」
2019年4月27日05時00分 朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASM4L3PTXM4LUCVL001.html
写真・図版横尾さんの造形作品です
(※画像は引用元サイトにてご確認ください。)
◆「美術は魂に語りかける」評・横尾忠則(美術家)
印刷インキが紙に定着するまでに何度も重ね刷りの工程を繰り返した結果、そこに予想を超えた不確定な抽象形態が現出する。それを「ヤレ」と呼ぶ。かつて若い頃印刷所で体験したその経験は私に初めて芸術魂を移植した瞬間として、今でも私の内部で創造の核となっている。
本書にはサイ・トゥオンブリーの、重ねたりひっかいたりした行為の結果、画面全体が黒く、まるでヤレのような効果を上げた作品が掲載されているが、非美術のヤレが彼の手によって美術に昇華された、そんな一連の作品をMoMAの個展で観(み)た時の驚きこそ「美術は魂に語りかける」遭遇事件だったのである。
アートを前に胸が締め付けられたり、涙の流れる感覚を体験することがあるが、こうした感情が生理に及ぶ時、われわれはそこに知性の作用ではない何か別の計り知れない力のようなものが語りかけてくることに気づく。それを魂の作用と言えばいいのか……。
本書の原題は“Art as Therapy”(セラピーとしてのアート)で、表題にある「魂」について語るというより、「アートは人を癒やす道具」として、一般的な美術論を超えて人間の精神と肉体を開示させる力の法則のようなものを、哲学の眼(め)で日常生活の中にわれわれの魂を位置づけてくれる。セラピーが魂とイコールかどうかは私にはわからないが、アートがただ鑑賞の道具としてではなく、「実用」としてのアートに目覚めるならばアートの使命はとてつもなく、社会と人間を巻き込んだ人間生存必需品として考えれば、アートの存在は宇宙的な視野にまでその領域は拡張されていくような妄想が美術家としての私の中でわけもなくザワつくのである。
本書は多岐にわたって従来の美術書とはかなり内容を異にしながら、鑑賞者のアート観を根底から震動させるに違いない。
◆画像はアート作品「画評」
掲載している横尾忠則さんの「書評」は、活字だけを使ったアート作品です。横尾さんがこの本のために書いた評の本文を重ね刷りしています。「画評」ともいえるでしょう。
この造形作品、横尾さんの夢の中に出てきたというのです。ある夜、新聞を開いたら、まだ書いていない書評が掲載されていて、しかも、「ダダの詩のように、文字が重層的に印刷されて読めないものだった」と。
読めそうですんなりは読めないこの書評ですが、『美術は魂に語りかける』について横尾さんは、一般的な美術論を超えて「鑑賞者のアート観を根底から震動させるに違いない」と読み解き、アートの使命について考えています。活字の塊から、なにか別のものが見えてきませんか?
(以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
「横尾忠則」のYahoo!検索(リアルタイム)
−読書欄で目が覚めた。
−欄そのものが美術作品になっている。
−よくこれ通したなあ。
https://search.yahoo.co.jp/realtime/search?p=%E6%A8%AA%E5%B0%BE%E5%BF%A0%E5%89%87&ei=UTF-8&rkf=1
https://pbs.twimg.com/media/D5HUCONU4AAT7AJ.jpg 路上で突然みんなの前でゲロ吐いても、それを「これが芸術」とかいいそう 革命家とアーティストは国家とか法治の枠外の存在。
つまるところ流れ玉の一つや二ついつでも胸に抱えている。 待ち合わせに30分早く行って30分待たせたとか言いがかりをつけたキチガイ >活字だけを使ったアート作品です
アスキーアートじゃん 画像掲示板並のボケを新聞でやるからいいってことか
なんだかなー 精神異常者を芸術家と詐称するなよ
横尾は『見た目』も作品と称する『落書き』も『妄言』も全てキモイわ ケギライされる
ヤレ・モワレ
美術の美とは
綺麗の先の美しさにある こんなん、いくらでも作れる
横尾忠則の顔写真とか、「作品」に、でっかくペンキで「×」印をつけて
ドヤ顔で、これがアートです!価値の否定がアートです!
といえばアート()になる >>23
しかし誰もがそれでアーティストになれるわけじゃない。人を選ぶ。
選ばれた人のみが人気アーティストになれる。
何が違うんだ? (‐@∀@)このジジィの記事を載せてるオレたちもどうかしてるよな。
>>築地支店がどうかしてるのはいつものことだろ。
(‐@皿@)いちいちうるせー!! >>23
でもお前が今それをやったところで誰も相手にしないし何処も取り上げてくれない 平成の美
わかり易い綺麗さに美を感じているね
または、そのものの上手さに驚いたり >>23
「薄っぺらい」「時代遅れ」「ツマンネ」等の嘲笑を浴びるだけだろう。
やったもん勝ちになってる現代アートって、自由な様でいて価値観が恐ろしく閉じてて、俺も嫌いだけどさ。 日章旗を背景にして
そのへんの有名な建物を交互に張りつけ
着物きた女とがきデカ張りつけて
ピンクと青と黄色で仕上げたら立派な横尾さんの出来上がり >>26
その文脈を全て説明できて、しかも心に響けば。 重ね刷りのアートはまあ陳腐ではあるけど
新聞紙の書評でこれをやるのは面白いね 文章じゃなくて表現を見てくれっていう横尾さんの感情が出てて
これはこれで良いものだ >活字だけを使ったアート作品
ラムちゃんのAA作った人って今どうしてるんだろう。 >>33
テキストフレームの移動をやるつもりで
Optionキーを押してしまって複製しまくった事故事例画像
底辺作業員は背筋が凍ったことだろう つまり
この朝刊の全てが
横尾忠則の作品ってこと。 パッと見て軽い片頭痛に襲われたわ
「鑑賞者のアート観を根底から震動させるに違いない」
芸術ってのは一風変わったオナニーを公開するようなもんなんだろうか バカなのか
朝日新聞は
印刷のやり間違いなんだから返品させろ! 横尾忠則って80過ぎにしては話し方とかしぐさが若いね
爆問と話してるのテレビで観て思ったけど 試み自体はふーんって感じなんだけど
てか読めねえよ朝日様のインテリアート()か?って鼻につきもするんだけど
文章の中身がよかった バンクシーが街中にゲリラ的に落書きをして
結果的に高額な価値を創り上げている
それとはちがい
誰でも読める新聞そのものが作品にしてしまった
横尾忠則
新聞そのもの、たった数百円の価値には変わらない
どうでもいいほど、何も変わらない
でも、美術としての作品価値は高い
エポックなできごとだとおもう 自分が書けるものをただやっつけで書いたマンダラに行き詰まりを見せたので
Y字路みたいな遠近法マジメ油画みたいのいいでしょう的芸風チェンジ
でも広告サブカルの親玉の一人的扱いは変わりなく、それが美術界で弊害になってしまった人 >>37
風潮なんて気にするなよ
お前がこれを許せないのならお前はこれを許さなければいい 意味の通る文章を重ね刷りにするだけでアートになるなら
アートというものの何と安っぽいものよ お前らの感想は印象派やポップアートが登場したときの反応と同じ
それがいちばんつまらないものだということに気づけ まあやりたくなっちゃったんだろうなあ。個人的な感想は「滑ってますよ」だけど 朝日新聞は従軍イヤ〜ン婦強制連行の捏造の訂正を世界中に100年間発信して、
日本人に謝罪と賠償せよ!
>>37
ゆびはらサセ子「私はアーティストです」
・・・(笑) >>23
日本のエロフィギア人形みたいな作品をアメリカで展示して何億円も儲け、評価されてる日本人アーティストがいる
自分と自分の作品を売り込み、高い価格で(バカどもに)売る
アートの価値は売り込み技術を含めての総合評価 >>71
大学の教科書に採用されてる本が面白いかというお話と同じさね
当たり障りがなく毒にも薬にもならないのが大多数 所詮コラージュアーティスト
最近は宇宙人とコンタクトしてないのか ありもしない作品についてダボラ書いた空想書評かと思って「これは斬新」と感心したのに損したわwww >>19
昔流行ったなぁw
交差法と平行法があったっけ >>23
そんで、タイマーで作動するシュレッダーしこんどけば、大衆に大受けよ。
ちゃんと途中で止まるようにね♪ >>23
じゃあやればよかったじゃん
後出しジャンケンなら誰でも言えるんだよ
それに横尾はこれだけの人じゃないからね 横尾はオレが今まで出会った唯一の最初で最後の芸術家だ
新聞の展覧会の告知を見て知ってすぐに出かけたらそこにいた 今剽窃で話題になっている女の子がなんで気に入らないか分かったわ
挑戦しないからだ 横尾さんみたいに >>1
目を細めると、重なった文字が
アラン・ド・ボトン
ジョン・アームストロング
と見えるところが計算されてて凄い! >>1
これがアートなら、
「東京オリンピック反対!」と叫びながら全裸で街を練り歩くのもアートだよな? パヨク(ゴキブリ在日韓国人)
が支配している朝日新聞は
従軍慰安婦やサンゴ事件など
平気でウソを書きます
朝日新聞の部数も真っ赤なウソ!
すでに公称の半分
300万部程度です ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています