【ブラタモリ】甲府盆地を歩く 武田信玄の大治水事業に称賛の声相次ぐ
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2019/04/14 06:00 綿 つゆ子
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『ブラタモリ』(NHK)で、タモリが山梨県の甲府盆地を歩いた。かつて甲府盆地を治めた武田信玄に迫る。
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(Foxtist/iStock/Getty Images Plus/写真はイメージです)
13日に放送された『ブラタモリ』(NHK)では、タモリ一行が山梨県の甲府盆地を訪問。タモリいわく、甲府盆地は「大地のせめぎ合いの場所」。フィリピン海プレート、北アメリカプレート、ユーラシアプレートの3つのプレートが重なる場所にある。
そんな甲府盆地は、戦国時代、「甲斐の虎」とも評される戦国大名の武田信玄が治めていた地だ。
■21歳で治水事業に着手
天文10年(1541年)、20歳のときに父・信虎を駿河国に追放して甲斐武田家19代目当主として家督を相続した信玄は、21歳から甲府盆地の河川の大治水事業に着手し、20年かけて川の流れを改善。広大な土地を手に入れた。
しかし、たくさんの川を束ねたことで水の量は多くなり、氾濫する恐れがあったため、信玄は全長50kmの堤防を築いたという。「信玄堤」と呼ばれるこの一大事業は、現在も同地域の治水のベースとなっている。
■堤防を踏み固めるため男たちが女装
さらに、信玄は堤防を守るために、丸太を組み石でおもしをつけた「聖牛」で、水の勢いを抑える仕組みを考えた。また、この仕組みは、流木や土砂を左右に散らし堤防にぶつかるのを防いだ。
その他にも、信玄は堤防を踏み固めるという地味な土木作業を、男達が女装して美人になりお神輿を担ぐ「おみゆきさん」という華やかな祭りにした。
富士山の女神である「木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)」の乗ったお神輿を担ぐこの祭りでは、300人近い行列が堤防の上をゆっくり歩くという。
■信玄の治水事業に称賛相次ぐ
この信玄の考えた治水事業に、視聴者からは「素晴らしいアイデア」などの称賛が相次いだ。
※ 全文は記事で タモさんって健脚だよな
あの歳でよくあんなに歩けるな 静かなること林田ちゃんのごとく
ぼんやりすること近江ちゃんのごとし 女子アナはなんの為にいるのか?
お賽銭出す時にしか役立ってない これNHKでやる意味あるの?
民放で放送するかNHKを分割民営化すべきだろう
少なくとも受信料に見合うモノでは無いよ >>12
同意。今回は困難?がテーマなんだから日本住血吸虫症は当然やると思ったわ
リニアはいらない >>13
えっあれ取り上げなかったの
信玄の治水かそれ以上の大事業だろうに 御勅使川の流れを変えて
双葉の七里ヶ岩にぶつけたんだよな? >>5
確かに。
2回に分けてもよかった。
リニアとプレートテクニクスで1本。
信玄堤ほか治水で1本。
>>12
それも見たい!
日本住血吸虫で1本。
3本立てできるな。 これ面白かった。
戦国武将って、戦に強いだけじゃなく、ちゃんと治水とか国政にも強かったんだな。 信玄の力をしても地方病(山梨の風土病)には無力だったんだよな >>27
終息宣言がでたのが1996年だもんなあ。。。つい最近だもの
苦しんでるわな ソコダイ、ソコダイ
小中学校は半日でお休みです
天気もなんとかなりそうでよかった このスレ見て日本住吸血虫症を調べたら面白かったわ。 俺が子供の頃までは毎年ドブをさらって石灰かけてたよ 躑躅ヶ崎館とか読めねーよ。
誰も攻めてこないから城がなかったのか。 信玄が大掛かりな治水工事を行ったこと知らなかった
いまでも堤防を人力で固める祭りがあるんだね >>36
いや今川も北条も普通に攻めて来てるし周囲に城はちゃんとあるぞ 素晴らしいアイデアはでるもんだよ
大事なのは、今の言葉で言うならマネージメント能力
何が大事なのかを理解する能力でもある 信玄はよくこんな僻地で
耕作地域とマンパワーが抜けてる北条氏
ドル箱の日本海航路と越後金山を抱える上杉謙信
安部金山や東海道の陸海交通利益を独占してた今川氏
膨張期を迎えた織田信長とやりあえてたな
まさに人は石垣といったとこだな
黒川金山と今川から奪った安部金山が産出が減るする次代で滅ぶのもそりゃ当然 堤に桜を植えたのも花見客が歩いて踏み固められるからだよな と思ったが武田は人を使い捨てにすること多かったからやりあえてたのか?
指揮官級の武将の戦死率が他家より高いな >>4
珍しく5chではタモリはアンチが少ないように思う >>20
日本住血吸虫症は湿地帯特有の病気だから
甲府盆地と大いに関係がある >>45
孫子読んでたから戦は最後の手段であって調略が基本だよ
侍大将級の戦死はそれほどの相手だってだけだ >>9
替わる度に「今回のやつもひでえな…」と感じるが
今やってるアナがダントツでだめだと思う >>25
むしろ大名は土木工事の方がメインの仕事というくらい土木のプロフェッショナルだった 山梨の門松は竹の先が斬られてないらしい
徳川家康が「武田を斬る」って意味で先を斬ったのが広まったそうじゃ 戦国最強とか言われるが、
親父の信虎が既に甲斐統一してたし、
信濃進行の足場固めしてた。
環境は整ってたんだよ。
これは信長も同じ、謙信も、政宗も、義重も。本当に評価されるべきは、
小豪族から複数の国平らげた、
毛利元就と長宗我部元親だよ 信玄公は治水だけじゃなくて道路の整備も力入れてた。
棒道という軍事用道路は有名 >>10
今の民放はひな壇芸人がワーワーと、自分たちの内輪ネタで馬鹿騒ぎだらけ
現地取材なんて、ほとんどないでしょ >>53
そこは完全な余所者からスタートした北条早雲だろ 女装させたのって趣味だろ
それで可愛い男の子みつけたら呼ぶんだろ 小五まで山梨県民だったけど信玄堤社会で習ったなぁ
そりゃ県民みんな信玄さん大好きになるよな
しかし地方病のことはつい最近まで全然知らなかった(もう少し大きくなるまで住んでたら習ったのかな?)
解明、根絶に尽力した人や献体に応じてくれた人…全員本当にありがとうと言いたい 去年初めて八ヶ岳に行って蓼科山まで縦走したんだけど、下山後に信玄棒道を歩いた
大名と呼ばれる人の治めるアイデアや力ってすげぇな、と思いながら長々と歩いたなぁ 信玄じゃなくて部下が考えたものを承認したんだろう
信玄の凄いところは優秀な人材を確保し活用する頭の柔らかさと度量、そして本人のカリスマ性 自分的にはリニアモーターカーの方が印象的な回だったのになあ
ちなみに前に武田家研究の学者さんと仲良くなったことあるよ
武田信玄・勝頼の評価を見直す本を書いてた
その人が喜びそうだなとは思った程度
タレント上げ工作のための上げ記事ってよくあるけど、まさかの武田信玄ピンポイント上げにちょっと笑ってしまったwww
なんか今年記念行事でもあるの? 地元だから絶対見ようとしたのに忘れた。
>>6
2枚目の画像の現在地から200m位のとこが俺んちだわ 地元で楽しみにしてたが、石畳区画が始まる前のパリ〜ルーベwktkしながら見てて見逃した 武田法性院信玄「合戦(いくさ)の前に勝利を決めよ!!」 法性院は死後付けられた名前だからあれは宮下氏の間違い。 テレビのキャメラ変わったでしょ?4kか8k用に。
景色とリンダの衣装が濃くて、なんか下品な色だった。インスタのフィフルターかけたような感じ。
リニアから入って、甲府はいい回だった >>69
曜日忘れたけど、深夜に再放送やってるんじゃない? これ父親の武田信虎がすでに手がけていたのに
息子の武田信玄が全部やったことにされてると聞いたぞ 甲陽軍鑑など簒奪を正当化し武田信玄を持ち上げるために
信虎は実態以上に悪く書かれ本当の業績は評価されない
そういうところにもスポットあてないとな もちろん大変だけど、統合はそんなに困難な事業でもないと思う
本流を太くして、支流を堰き止めればいいだけだ
人工的に川を作った東京の治水事業の困難さとは比べ物にならないだろう >>79
信虎も勝頼も、甲府を信長のような中央集権国家にして失敗したからな。
政策的には信玄に劣らず有能なんだが、豪族に嫌われた。 まだ郷土研究家がタモリにクイズ出して
正解したタモリをべた褒めする寒い演出やってんの? >>80
徳川による利根川東遷とか伊達による北上川の改修とか島津による木曽三川の治水とか
川にまつわる話っていろいろあるけどどれも凄い >>81
信玄ですら完全な一円支配は出来なかったからな
出自からして正統性が薄い勝頼はかなり気の毒な面もあった >>81
勝頼はお父ちゃんの作ったシステムの一番の犠牲者って感が否めないよね
信玄て、気の荒い家臣たちを纏めるためにどんどん土地与えて他国侵略精神を煽って、
結果土地もなくなり奪い合い状態、
求心力が失われかけたところで死んじゃって勝頼が全部背負うことに。
勝頼は領土広げて頑張ったけど家臣団の忠誠心はすでにポロポロだし
まあ気の毒な四男 タモリが触れていたが、韮崎岩泥流に行ってほしかったな >>85
というか勝頼は諏訪家だから滅ぼされた家の仇でもあるんだよなぁ
それが武田を背負うことになるというのが
そもそも信廉でよかったんじゃないの説 >>85
内がまとまらないから外征→失敗→滅亡
古今東西よくあるパターン >>85
織田今川毛利北条と他国侵略なんてどこの家もやってるんだが?
それに勝頼の出自や器量で裏切った家臣もいないぞ >>53
>>59
その意味じゃ
美濃の道三もすごい
油売りから成り上がり、一国を乗っ取った >>92
それって昔の説やん
油売りは父親のほうでしょ
父子二代の業績が道三一人で成し遂げられたように勘違いされてきた 信玄は有能だと思うんだが、最後が良くないよなあ。信長に喧嘩売ったまま死んでしまったから
それが武田滅亡の遠因になってる。あそこまで行ったら、信長の首取ってから死なないとなあw
信虎が晴信追放に成功して、温厚な信繁に継がせてたらとか妄想してしまうなw でも実際に治水工事をしたのは武田勝頼なんだよな
武田信玄時代にはほとんど行われてない >>43
爺さんの婚姻政策でがんじがらめになった伊達政宗と逆で
信玄の代で外交片っ端から裏切ったんで勝頼の代で味方いなくなった >>85
そういう勝頼過大評価の流れはもう終わってるから >>85
忠誠心なんて変わるもんだろ、秀吉って
織田に最後まで忠誠心持ったか?
その秀吉の家臣も揉めて、家康に付く
奴ら続出 信玄の隠し湯っていくつあるんだ。たくさんあるよな。 息子がバカばかりだったのが痛いな。
次男坊が健康体ならまた違ったんだろうが。 リニアを純粋に楽しんでたタモリは良かった
知識自慢に入ると興ざめする >>92
今時道三の事跡は二代に渡るものという説が確定的になっていることを
知らないヤツがいるとは思わなかったな 手柄はすべて父親に取られて
勝頼は気の毒な息子だよ >>102
というかある時期以降からタモリへの接待がひどくなってて見るに耐えない
さすがですタモさんみたいな空気作らずに淡々とやってほしかったわ 昇仙峡すげーの話もやってたけど
韮崎から北杜の方への国道を走ると
すごい岩山の風景が普通にあったりする >>104
勝頼は信玄の負の遺産に苦しめられたとかもう流行らないから >>99
織田に関しては嫡男信忠も本能寺の変で討死してしまったのが大きい
勝頼は義信の件があって後継者に据えられてから結構長いのにあのザマだった >>111
諏訪家に追い出されてそっちの家督継いでたのに
信玄の後継者には指名されてるという
わけのわからん状況で家督継がされた人なんだが >>116
それはないけど、諏訪は今でも山梨の属国だと思っている >>93>>103
そんな話は聞いたことないぞ
ガセで釣ろうったってそうはいかない 勉強不足だね。歴史は新史料が見つかれば変わって行くよ。上書きしてかないとダメだよw 悔しかったんだな。プライド傷つけちゃってごめんねw 新史料なんてちゃんと年代鑑定して
他の一次史料とすり合わせしないと話にならんぞ
武功夜話を有り難がってた時代じゃねーんだから
歴史学者なんて食えないんだから取り敢えず新説ぶち上げて金稼ぐ職種だ >>91
何故こういうレスになるのか分からん
そりゃあの時代侵略なんて当たり前やん
それぞれの内情がある、武田はこうだったってだけの話 >>98
流行ってすごい言い方w
いつの知識?それどこの学者の説? 信玄末期から財政破綻中で勝頼は上杉の内乱で
景勝からの謝礼金に飛びついたぐらい >>10
これに関してはNHKでやる意味がある。
あえて食い物は最小限にして、タモリの得意な地学の話をする。
これが民放だったら、食べ歩きがメインで(視聴率が稼げる)、
歴史と科学の話が少々になってしまう。 上杉も本能寺が無ければ武田崩れみたいにボロボロになってたのかな >>128
ほんとそう
生かされた感じ
でも本能寺の変の当日、まだ上杉に情報が伝わってなかったための悲劇が結構えぐい
魚津城の戦い、あの判断を後々まで死ぬほど悔やみ続けた景勝 信玄と地質地形関係あるの?
堤防作ったのは信玄の思いつきじゃん >>130
米の石高=兵力だからな
川の氾濫を防ぐこと=新たな水田用地確保
平地の少ない甲斐なら必死こいてやるさ
兵が少なきゃ他国の土地を奪うことも出来ん 急流である御勅使川の流れを変えて地盤の堅い七里岩末端付近の釜無川にぶつけて勢いを相殺し、あとは盆地に氾濫しないように川の流れを整える
実に理に叶った上手い方法だと思う >>128
2週間から一カ月あれば滅んでたと思う
本能寺の変の日に最前線基地が落城したし >>131
俗説言い切れちゃうのって何でだろうね
調べた方がいいと思う
この件は一次史料見つかってる
天正八年の某家臣の連署状、景勝からの「黄金五百両」の記述あり >>135
金を貰ったから武田の財政は破綻していたって飛躍し過ぎだろ 武田神社発行の書籍にも「ドル箱であった黒川金山の枯渇で財政は火の車云々」とある。
「金山から金が出なくなっちゃった」という趣旨の当時の書状も残っているとか。
元々の国力が低いうえに出兵が相次いでいれば、余裕があるはずはないな。
>>128
西から柴田勢に攻められると同時に
南からは滝川、森などが越後に侵入しかけていたというからね。
本能寺がなければ時間の問題だったのでは。 >>53
政宗に関しては偉かったのは親父ではなく祖父だろ。
親父はむしろ足を引張り気味だった。家康はもっと酷かったが。 >>94
最初から武田は織田といずれ争う予定だったでしょ。
あと、信繁に継がせた場合も信虎はいずれ謀反を起こされているよ。
息子に裏切られたのではなく、国衆に愛想をつかされたことが失脚の
最大の理由だから。その場合、晴信のように隣国とは渡り合えず、
混乱に乗じられて、もっと滅亡は早まったんじゃないかな。 >>94
因みに温厚であろうが、交誼を図っていようが、織田は関係なく攻め込んでくるよ。
朝倉対策が終われば、武田は攻められる運命にあった。
長宗我部があれだけ早くから交誼を図っていたのに共通の敵である三好が衰えた
後には四国攻めを受けることになったのと同じようにな。 >>99
当時は朱子学が普及していないから裏切り寝返りは日常茶飯事だったからね。
現代から考えられているほど、忠誠心なんてものは薄かった。
>>85
信玄は信虎を追放したときから、国衆の意向が最優先だった経緯から、中央集権
体制が築きにくかった。守護大名上がりの戦国大名にありがちな形態。普通は
もっと早い段階で国が潰れているのを信玄個人の力量で永らえさせていただけ。 >>114
厳密には後継者ではない。
後継者は信玄の孫で、勝頼はその庇護者という扱い。 >>134
まずは毛利と長宗我部が片付いてからだろうな。
武田が朝倉の後になったのと同じ。
始まれば、あっという間に崩れたとは思う。
当時の上杉は一枚岩ではなく、北条とも争っていたから。 >>136
新城建設が当初予定より遅れるなど、財政が厳しかったor国力が低下していたと
推認させる事実はあったよ。>滅亡間際の武田家
国衆筆頭格ので信玄の娘婿でもあった穴山が率先して裏切るくらいだから、相当
よくない状況だったことで疑いの余地は無いと思うけどな。 3つのプレートがせめぎあってる場所なのに山梨を中心とした地震て聞いたことないな >>4
これができる民放があったら、テレビは廃れなかった 武田研究の学者さんが「山梨は信玄を崇めている土地なので、武田断絶時の当主だった勝頼はまるで逆賊扱い」って言ってたけど
知識なく言い切るレスを見るとその根強さ察してしまう
史実研究はずっと進んでる
信玄凄いし勝頼も頑張ってる
>>137
北からは揚北衆の新発田も来てたね
景勝は四方八方てんてこ舞い
魚津城の後詰にも行けず十三武将見殺しとなってしまった日に、本能寺の変
これ号泣 >>148
そんなことない
山梨県民だが勝頼より四郎さんと呼んんで親しまれている >>149
そういう地区もあるって言った
甲斐大和のあたりは特に
信玄信仰結構多いらしいよ
年配は頑固だったって 山梨でも郡内あたりはまた別だろう
長野でも佐久あたりでは信玄なんて悪魔だろ 信玄って、人材こそ宝と言いながら肝心の後継ぎをまともに育てられなかった無能だよね? >>9
タモリを引き立てるためにいるので
余計な事は言わず、目立たず、
適当に相槌が打てればいい。
タレントは、目立とうとするので、ダメ。
頭のいいフリをしたがる女子アナもダメ。
キレイな人は、そっちに注目がいってしまい
学者さんや地元の説明者が意識してしまうからダメ。
適度にブスで目立たない存在でないとダメなんだよ。 関係ないけど、木花咲耶姫はサクヤビメって読むんでない? >>151
旧大和村周辺では勝頼像が建立されたり
勝頼祭りがあったり、好かれてはいる感じはする。
今年の勝頼祭りは今月28日とのこと。 死ぬ前に西上作戦しないで信長との同盟関係継続してたなら
武田家は信長の天下の下で一大名としては存続できたのかなぁ〜
確か信長の長男と武田の姫が婚約関係だったよね >>160
おんな風林火山思い出す
あの領土のまま許すかな >>12
Wikipedia読むとシュバイツァーや野口英世クラスのいい話なんだが地元でもあんまり取り上げられない
負の遺産として触れたがらないのか 林田さん良いけど、キャラ立ってないよね
近江ちゃんとか何もしてないのにキャラ立ちしてた >>154
今川派の家臣が義信に集まったから義信ごと粛清した
信虎を追放したりと家臣もくせ者揃い。勝頼の能力は平均以上。信長も評価していた
>>160
北条、今川、武田は同盟してはすぐ裏切るの繰り返し。同盟していた今川を滅ぼした武田だからある意味因果応報 昔諏訪の本屋で「武田許すまじ」という本を見たなあ
手にとって読んだりしなかったが、へぇそうなのかと思った >>165
信濃国のひとたちからみれば侵略者
諏訪をほろぼして姫様を側室にして
生まれた四郎が勝頼として国を継ぎ
甲斐までほろぼしたのだから因果 信玄ageは
武田に勝った徳川すごい
勝頼はアカンかったから徳川が倒すのが正義
というプロバガンダでしょ >>165
信州では相当ひどいことしたろうね
でも大河ドラマやると信州も土産屋に風林火山の旗を立てるんだよね >>170
諏訪氏の滅亡は、内部分裂に武田を利用して勢力伸ばそうとしたけど
やっぱり自分から裏切ったり敵対勢力と行き来したりで、武田も
面倒見きれなくなった感じなので、自業自得の面が大きいけどね。
信玄は、諏訪御両人との子(勝頼)を跡継ぎにしてるし、
諏訪の勢力に恨みつらみあったわけではない。 志賀城の晒し首3000個だけは非道というほかない。
新田次郎の小説だと労咳からくる発熱のせいで
残忍になってしまったみたいな感じにされていた。 タモさんが行く先々では必ず何かが起きる。
熊本地震
今回のノートルダム大聖堂 金山が有ったから、時折戦争しながら大規模な公共工事も出来た。 >>173
ブラタモリで全都道府県を制覇したとかいうスレをこの前見たぞ >>173
じゃあローマで何かあったか?
「必ず」あるんだろ? >>178
信玄餅きな粉決壊くらいで勘弁して下さい 聖牛とやらに土砂や流木が引っかかってそこが陸地化とかしないの?
てか聖牛がえらくきれいだったけどちょくちょく、平成も終わろうとしている現代でも新調しているとか? >>181
陸地化まではしない
第二堤防みたいになるが川の流れで削れていくので
聖牛は壊れたら新調しているみたい 東京からわりと近いにもかかわらず 現在でも人口が90万人に満たない山梨県 いかに人が住みにくい所かがよくわかる
信玄としても無理にでも外へ出て領地を広げて行くしかなかったんだろうね 武田の奴隷交易知ってるから、この部分だけ褒めてもな
不作が当たり前で、とにかく奪わないと生きる事が出来ない土地だった
泥かぶりだっけ?タニシが寄生虫持ってて感染したら死ぬ土地だったんだもんな 信玄は隠居させた親父よりも先に死ぬのは当主としては駄目だわ
信玄が死んだ時に親父って京都で楽しく暮らしてたんじゃなかったか? というか、武田家って信玄のず〜っと前から甲斐を治めてたのに何百年も信玄堤以上のアイデアは浮かばなかったのだろうか?
だとしたら歴代の武田家当主って物凄い無能なのでは… 長野、山梨はモラルの低いカスが多い
武田の領地だったところだ
なんらかの関係があるはず
信玄も裏切りを当たり前のようにやるクズ人間だった 何かの回でタモリが、名将は土木マニアと言ってたけど、なるほどと思った >>180
明石海峡大橋かけたら阪神大震災が起きた
日本の背骨の南アルプスに穴空けたらえらいことになりそう タモリを許容しても拒絶してもいけない
ただ通り過ぎるのを眺めるべし 今日再放送のブラタモリがフランスってノートルダム大聖堂火災で急遽放送なの?
それとも当初の予定通り?
最初から決まってたのなら恐ろしいんだけど 寄生獣の岩明均原作の「レイリ」を読んだら、勝頼が如何に無能かよくわかる
そしてその勝頼をまともに育てられなかった信玄の育成下手もよくわかる 信玄はこのままじゃジリ貧だと判断したんだろうね
勝頼に官位与えようと動いたけど信長が妨害したらしいし
信長はいずれ牙をむくと察知
だからあのタイミングで一か八かの危険な賭けに出た信玄を責める気にはなれない >>200
山県昌景春日虎綱土屋昌続真田昌幸
信玄は育成上手だろ >>202
信玄は育成上手じゃなく、荒くれ国衆をまとめるのが上手い(良い意味で)カリスマヤンキーのようなもの
イケメンだった説もある
コントロール上手
でも後継者の育成自体は下手だと思う
特に長男に当てはまる >>195
田中角栄は地球の彫刻家と言った名言がある >>204
甲斐も越後も国人が強くて最後までそれで苦労した感じだな
信玄ですら相当に気を遣ってバランスを取ってたからな 本郷さんとかが最近よく言ってるけど
『戦国大名は皆京都へ攻め上り、天下に号令することを夢見ていた』みたいな価値観は後に作られた嘘だったんだな >>207
みんなは無いだろうけど武田上杉あたりは実際にあったそういうのの典型だろ
武田とかわざわざ同盟破棄して信長にケンカ売ってんだから 親父の信虎時代に甲州の2割しか支配できない大名に落ちぶれたからな。手っ取り早く
評価を得るために内政に走ったんだろ。その思想は川中島地方を統治した愛妾(笑)
高坂昌信が引き継いでる >>81
信玄は中央集権国家にするつもり毛頭なかったんじゃね? 同じことかもしれんが、一円支配の概念があったかさえ危うい >>207
嘘というより信長の野望とかのゲーム的なところから入った歴史好きの勘違いじゃないか? >>213
上洛パフォーマンスの元祖は上杉謙信だからそこから 信長の野望とかの影響もあるけど武田四天王やその他家臣とかはスゲー有名だけど息子の代はぱったりだよな 武田オタクでも超絶レベルのヤツしか知らなさそうw
この前の真田丸の高坂昌信ジュニアも信長の野望に出したら能力30、40っぽそうだったしw
育成というか世代交代が下手なイメージ 1561年の川中島以降で代替え、みたいな感じにはできなかったんかな >>50
近江ちゃんは良かっただろ
物覚えが早かった >>1
おいらん淵には行ってないのか
武田信玄が遊女を大量虐殺した場所 ほうとうって普通にうまいけど いまいち全国区にならんな >>192
逆だろ
裏切りまくって維持していたから瓦解した >>206
国衆の個性が特に強い地域だよね
だから面白いというか、知り合いの武田好き・上杉好きの中で更にこじらせた奴は国衆の追っかけになってるw
越後でも、揚北衆は強者が多くて最上と勝手に同盟組んじゃったり自由自由
まああの土地は抵抗するにもそれなりの理由はあるけど、謙信・景勝はよく治めたわ
景勝の代になっても長尾長尾呼ばれてそうだけどw 越後はナナメに長くて謙信がいる春日山は揚北衆の地域と対になるような位置だからね 意思疎通するにも大変そう 平成8年か9年頃長野に測量に行ったとき地元の民家でトイレを借りたんだけど
帰り際に甲府から来たって話をしたら「甲州人なら貸すんじゃなかった!」って物凄い剣幕で婆さんに追い返された
武田のダークサイドを実感したわ >>222
普通はそのババアがおかしいって言うんじゃないのw 甲州軍が信州のひとたちにしたことを考えれば仕方ない。
すべて奴隷にして売り払ったりして、長野県にいまでも被差別部落が多い一因なんじゃないか。 >>224
まるで信州では武田軍が来る前は平和だったみたいな言い方だな >>221
ナナメに長いのは確かだけど多分そういうことではないと思う… >>214
謙信は天下人になる気はなかったのでは。
せいぜい箔付けくらいの目的だったんじゃないかね。 (県民の)賞賛の声相次ぐ
山梨県民にとって信玄は今なお現人神 >>232
まあ関東管領の家柄ってのを鼻にかけてた人だし
そこから逸脱して将軍の地位とか役回りのところを手に入れるという発想はなかなか出ないかもしれんが
将軍の補佐役として京に入り浸って将軍がショボいから結果的に自分が仕切ることにっていうのは十分にあり得ただろう
ていうか信長が実際にそういう流れだし >>234
元は上杉は足利の家臣、
まだ謙信の名が長尾景虎だった頃、室町幕府寄りの関東管領・上杉憲政が色々あって敗戦涙目敗走、
関東に行き場なくなり、越後の謙信に「マジ助けて」って泣きつき家名断絶を防ぐために上杉の名を引き継いだ
謙信は、他国も攻めず、将軍を補佐して室町幕府の力を再興させることを思い描いていたようだから、
信長みたいな「俺最高天下布武」的な動機とはちょっと違いそうだね 信長は将軍が兵を挙げるまで補佐役に徹して幕府再興する気満々だったぞ >>236
足利義昭を、庇護と言いつつ思いっきり邪険にしてた信長
とにかく周囲との個人的な軋轢が絶えず最期は知っての通り
信長はとても鮮烈な存在で、あの時代に必要だったとは思うけど、謙信も思考で謙信が幕府構想していたと考えるのはかなり乱暴なことだと思う
多分信長側からだけでなくて上杉側からも知った方がいいかも ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています