【野球】小野和幸 黄金期の西武から中日へ移籍してVに貢献した右腕 151試合 43勝39敗 4.19
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プロ野球1980年代の名選手
1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。
時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。
小野和幸 黄金期の西武から中日へ移籍してVに貢献した右腕/プロ野球1980年代の名選手
控えや二軍でくすぶっている選手が、ほかのチームへ移籍してブレークする。1980年代に黄金期を迎えた西武にも、かつてV9という空前絶後の黄金期を経験した巨人と同様の現象が起こり始めていた。
共通しているのは資金力を背景とした選手層の分厚さ。一軍での1度の失敗で二軍へ落とせる余裕がチームにあることで選手の委縮を招き、移籍したことで真価を発揮するケースは少なくなかった。
ただ、口ヒゲがトレードマークで、西武から中日へ移籍して1年目からリーグ優勝に貢献する好投を演じた小野和幸は、すこし違った。
2018年の夏、甲子園で旋風を巻き起こした金足農高の出身。まったくの無名だったが、
「意外としか言いようがない。だから、最初は断ったんですよ」
西武から声をかけられ、ドラフト外で81年に入団。1年目の終盤に一軍で初登板初先発初勝利も、メーンは二軍で、15勝を挙げてファーム最多勝に輝いている。
翌82年は球速アップを狙ってフォームを崩し、ファームでも勝てなくなったが、その翌83年に復活の最多勝、続く84年には最優秀防御率。
だが、ほとんど一軍登板はなかった。選手層が厚いこともあったが、それだけではない。
「こっちもコーチにイヤだと言っていた。(一軍に)上がっても中継ぎだから。タイプ的に先発だったんで」
それでも85年からは登板機会を増やしていく。86年には球宴にも初出場。武器になったのはエースの東尾修から“盗んだ”スライダーだ。
コーチから東尾にスライダーを教わるように言われて、投げ方を聞いたところ、
「すげぇ怒られた。覚えて俺を抜いたら、お前が俺にメシを食わせてくれるのか、って。
それでも、どうしてもって頼んで、一度だけ捕手の後ろから見させてもらった。それで軌道が違うのが分かったんです。真っすぐ来て、手元でキュッって」
握りも見せてもらえず、アドバイスもなかったが、必死で自分のものにした。
すると87年オフ、中日からトレードの話が舞い込んでくる。
「やっと先発に定着したところに、急に来たんでビックリした。頭に来たんで、相手は誰ですか、って聞いたんです」
その相手は、外野手の平野謙だった。82年に二番打者として51犠打でリーグ優勝に貢献、田尾安志が西武へ移籍したことで一番打者を任されると、85年に48盗塁で盗塁王。
「格は向こうが上。それなのに1対1と言うから、分かりました、って。交換相手も自分の価値ですからね」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190411-00000010-baseballo-base
4/11(木) 16:01配信
https://www.youtube.com/watch?v=ULgIiDw7_Zs
プロ野球ニュース1988日本シリーズ 西武対中日
https://www.youtube.com/watch?v=aQss_P2N-g8&t=274s
1988年6月17日 / 中日ドラゴンズ vs 読売ジャイアンツ
https://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/images/20111024/bbl1110240831001-p5.jpg
http://npb.jp/bis/players/91393863.html
成績 中日1年目に最多勝も……
移籍した中日は、星野仙一監督の就任2年目となるシーズンにして、初優勝を飾るシーズンにもなった。
MVPはクローザーの郭源治に譲ったものの、先発で優勝の立役者となったのは、移籍1年目の右腕だった。
18勝4敗で最多勝、勝率.818はリーグトップ。防御率2.60もリーグ5位の安定感だった。
「最後まで僕のピッチングを絞りきれなかったんでしょう」
と振り返る。圧倒的に抑え込むのではなく、安打を許しても点を取らせない、絶対に負けない投球が真骨頂だった。
「それで相手が焦ってくるんです」
パ・リーグでは古巣の西武が4連覇。日本シリーズではトレードの交換相手だった平野を抑えたいと思っていたが、
「(平野は)打ち取ったけど、その後、清原和博にデカいヤツ(場外弾)を打たれました(笑)」
中日も日本一には届かなかった。そして、「空振りが結構、取れたことで、2年目と同じ勘違いをしちゃったんですね。
スピードを求めてフォームを崩しちゃった。故障じゃないですよ。結果が出ないことで、気持ちの焦りが生まれる悪循環に……」。
翌89年に急失速した。94年にロッテへ移籍し、翌95年限りで現役引退。一軍では精彩を欠いたが、二軍では92年に無傷の8連勝など、この男らしい快進撃もあった。
https://www.youtube.com/watch?v=7Lci2bbNBvg
燃えよドラゴンズ!88 日本シリーズでナゴヤ球場で清原にホームランを打たれて、やはり格が違うなと思ったな。 昔は少し力が落ちた主力のトレード多かったな
大抵は首脳陣と折り合い悪いのが原因だけど
今はある程度の貢献者はファンが許さないからな
それが原因の一つでチームも衰退するのに >>4
というか西武側はうちでは全然出れない奴が
中日で18勝の最多勝ってどんだけレベル低いねんと思われちゃってて
シリーズなんてシーズンより勝つの余裕だったとのこと 日シリで相手が古巣だった西武だったのかまずかったな
なんで開幕投手がローテの谷間だった小野なんだ?
セで18勝?セってレベル低いのか?と西武側が小野を呑んでしまったのが原因 西武で6番手Pだけに西武選手が第1戦小野先発と聞いて優越感感じ
案の定日本シリーズで清原に新幹線のところまで飛ばされ
終盤3点負けていて送りバントとかワシの見事な采配も炸裂、チャンスで
彦野、立浪が東尾に簡単にひねられ1戦でほぼ終わっていた 野村克也だったら「小野再生」をどこまで自慢し続けたろう?
「再生最高傑作」は日本ハムの柴田(西武)だろうな。やっぱり。 >>9>>10>>11
本心かどうかは知らないけど、森監督の後日談によると「当初は星野中日を脅威に感じていた」とのこと
「勢いづいたら手に負えないので、初戦は様子見だの偶数戦重視だの悠長なことは言っていられなかった」
「相手に何もさせず4勝0敗で終わらせるつもりだった。流れを奪われたら一気に4連敗を食らったかもしれなかった」
そのうえで
「だから初戦の先発投手が勝手知ったる小野と聞いたときは安堵した。主導権を握れる目処が立った」と続けている あの日本シリーズ 中日が1勝4敗で西武に全然相手にならなかったな
最後の試合西武球場で伊東が延長で郭からサヨナラヒットだった記憶 平野は星野とウマが合わずに西武にトレードされたんだっけか。 力感の無いフォームから、球速135キロとかだけど、伸びのあるストリート投げてて見てて面白かったよ。 西武では小野 西本 田鎖で若手3羽ガラスとか言われて期待されていたが
小野がプロ通算43勝 西本12勝 田鎖0勝 で終わった >>11
東尾は第1戦でナベQをリリーフして抑えたけど
第5戦での使われ方で限界を悟って引退を決断したらしい。 >>1
小野和幸と小野和義の紛らわしさは異常
どっちの小野和も西武と中日に在籍してたし >>13
柴田はノーコンオーバースローからスリークオーターに変えてコントロールが安定したからな。
広岡はかなり素質を買ってたらしいが。 >>5
今はFA権があるからでしょ
一年で居なくなるのが分かった上で交換トレードに
応じたケースなんて巨人→日ハムの岡島秀樹とか
ごく少数よ >>28
それ建前で、前年オフに麻雀で捕まったからフロントから暗に引退勧められてるの悟ったんじゃなかった?
当時は解説者のギャラも良いし。 平野田尾中尾とか落合に4人丸ごととかこの辺は星野と合わないヤツは皆トレードだからな。恐ろしいわ 大島に宇野もだし中日の生え抜きを大事にしないのは異常だな
谷沢は中日で引退できたが >>13 柴田は西武にいたままだったら2軍で終わってただろうね。 >>38
それは違う
大島康徳はトレードに出されたことで出場機会を
得て2000本安打も達成出来た
宇野勝は・・・アレは高木守道時代の話だし >>38
宇野は守道が県岐商の後輩前原をサードで使いたいから千葉にポイした。
前原の元嫁は現JAYWALKのボーカルの内縁の妻 >>43
前原って星野になったら守道派だから西武に出されてすぐにクビになってたな
同じく森道派の清水雅は西武で大活躍したけど 西武の五番手投手がセ・リーグで最多勝だもんな
打線だけじゃなくて、黄金期の西武は投手力も凄まじい >>34
武田一浩がスライダー教えてくれって頼んだら、「百万円持って来い」って言われたので、本当に持って行ったらタダで教えてもらったとのこと。 >>13
野村の場合は山内新一や江本がいるから小野ぐらいでは大して自慢せんだろ この西武中日シリーズを西武が制覇した日のニューステーションに西武の選手が3人ほどスタジオゲストで出てた。
そのうちの清原が明らかにほろ酔いで「小野が18勝できるセリーグはレベルが低い」って言ってたな。
最終戦まで死闘を演じた近鉄に対する敬意も述べてて、何だかんだでパリーグの熱い時代だった。 >>46
西武の補欠キャッチャーが巨人の4番というのもあったぞ。 >>17
森はダイエーの村田の攻略法見つけて
後は敗戦後の村田に対策とられないよう
おだてたコメント出しまくってたからな
もとから二枚舌もいいとこ
清原が
西崎はストレート勝負するハートがあるとおだてまくって
西崎からホームラン量産してたのと一緒の小賢しさ
清原はすぐ西崎にバレてたけど 現役同士、やっぱり技術って教えてくれないよな
コーチからは教えてもらえるのか? 中日に移籍してきた選手の一年目はほぼ成功してたな
つい最近もそうか この当時は、星野に盾突くベテラン選手が尽く退団させられてたな
谷澤、中尾、平野、大島・・・
最終的には、星野自体が球団から切り捨てられた
でも、そこは星野
中日憎しの権化になって仕返ししたけどさw >>47
そういう馬鹿が好きなのか単に呆れたのかw >>56
大島康徳はむしろ星野仙一に可愛がられてたんだが
中尾孝義もそうだけど星野のトレードは出場機会を増やして
やりたいという親心 >>58
平野と門倉は明らかに好き嫌いだな
仁村は仙一のてこだが将来的に監督にさせるためにロッテかなんかに出したと思う、結果的になってないが楽天で使ってたな >>54
中日に移籍したけど活躍しなかった人
佐野、小池秀郎、金村(FA)、大友、玉野、村田勝喜、横田真一、今野 >>63
近鉄勢があんまり活躍しなくてすまんかった・・・
やっぱりあの人達は、近鉄で現役終えてほしかったなー >>63
玉野や今野は移籍前から活躍してなかったから却下 >>43
JAYWALKの「元」ボーカルね。
クスリで捕まった際にクビになった。 >>58
88年の中尾は外野にコンバートされてたしね。 >>59
同一人物だろw
野村に嫌われて干され気味だったとはいえ壊れてる
(と見なされてた)山内新一と実績ゼロの松原明夫は
富田勝の交換相手としては足元見られすぎ
だからこそ山内が化けて爽快なんだけどね >>61
平野謙とは対立したのは事実だろうけど森祇晶監督
からの譲渡要求に応じたというのが実際のところでしょ
彦野利勝の台頭で平野の出場機会がなくなったのは
事実だし
本当に憎んでたら飼い殺せばいいだけ >>71
中尾さんは「バッテリーコーチと対立した」って
当時の事情を語ってる >>74
ワシは中村武志を育てたかったのもあるだろう。自他共に一番ぶん殴ったのはタケシだと認めている。 >>53
井上は山本昌に頼んだが教えてくれなかったと言っていたな
スクリューを教えてくれていたら打者に転向することなく投手として大成してたはずだったって
ほんとかいな >>61
仁村を中日の傀儡監督にする目論見だったんだろうな
まったくアテが外れたが 清原の場外弾覚えてるわ
あわや新幹線に当てたとか言われてたやつ >>75
中尾さんがケガとかで休みがちだったことで、頑丈なキャッチャーが欲しかった。
中村さんはどんなに殴っても大丈夫、という意味でも頑丈だったね。 去年の金足農フィーバーの時によくテレビに出てたな、この人 >>1
西本といい小野といい、最後の一花を咲かせてくれるのが
昔の中日だったわね >>9
全然出られないってほどでもなかったけどな
先発の5番手くらいだったけど、当時の西武投手陣考えたら仕方ない
まあ小野に関しては移籍1年目は確変みたいなもんだったと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています