【芸能】<訃報>明石家さんまさんの師匠、笑福亭松之助さん死去...93才 ★2
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上方落語界の最長老で、タレントの明石家さんまさんの師匠として知られる落語家の笑福亭松之助(しょうふくてい・まつのすけ、本名・明石徳三=あかし・とくぞう)さんが22日、老衰で亡くなった。93歳だった。告別式は近親者のみで行う。後日、お別れの会を予定している。
神戸市出身。1948年、五代目笑福亭松鶴(しょかく)に入門。明るい芸風ととぼけた味わいで親しまれ、落語以外でも後に吉本新喜劇となる「吉本ヴァラエティ」に出演し、脚本、演出も手がけた。
74年にさんまさんを弟子にとった。2008年の芸能生活60周年記念公演では、ゲストのさんまさんと師弟トークを披露し、「弟子であり、芸のライバル」と語って会場を沸かせていた。
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★1が立った日時:2019/02/22(金) 20:26:03.03
【芸能】<訃報>明石家さんまさんの師匠、笑福亭松之助さん死去...93才
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1550834763/ >>296
>>303
「あたかも読書」はダウンタウンがガキの使いの大喜利回でやってたな >>284
タモリは話のピークのところでわざと腰を折ることをしていたそう。
鶴瓶がそれに不満を言ったところ、関西芸人の話はパターンがあるようで、
それをやり続けていたら(いいともは毎日の生放送だから)マンネリになってしまうから、
話の腰を折ることでさんまや鶴瓶がどう対処するかを試していた部分もあったとか。
さんまがいいとも降板したのは、タモリに対してではなく番組スタッフへの不満だったし。 >>293
へえ、理由はなんやろな
あの戦争の悲惨さと、さんまの芸風(キャラ)がかけ離れてるからなのかな?
さんまが真面目過ぎる役を演じたらたらダメということなんかな?
強く反対ってことは、よほどの理由(反対・反発)があるということやろな
自分は明石家さんまが好きだけど、唯一、嫌悪感を示したのは
「最後の武士」みたいに自分を語った時かな、武士という階級や実態を知らないからこそ
言えるセリフであって、実はさんまほど武士から最もかけ離れた存在は無い
さんまの考えや性格や性質の真逆を突き詰めていったら武士(精神・武士道)になるといってもいいくらい >>314
関西人から見ると、タモリのツッコミは話が面白くなったところで
どうでもいい些末なつまんないこと言うなって感じだったけど
そういう狙いだと言われると腑に落ちるね
関西人以外からしたら、タモリの冷静なツッコミは話をわかりやすく
してたと思う >>167
たけしの人情八百屋を見たけど、何だろ、たけしが演技しているとしか見えんかった。
その点立川談志のそれは素晴らしかった。
落語は奥が深いよ。 >>293
ドリフ大爆笑とかは、「今日のテーマは戦争」とか言って、赤紙コントとか真珠佐攻撃コントとか今のテレビじゃ厳しいコントたまにしてたんだろ。
真珠湾コントとか、アメリカに突撃寸前の軍隊なのに志村だけアロハシャツ着て「ハワイ行くんでしょ」ととぼけるやつ
ホモ軍人ネタも別の意味で今は無理 >>114
師匠の奥さんから師匠に似てきたみたいに言われてさんまが喜んでたって話を前スレで見た
本当かは知らんが >>304
上方は弟子取ったら師匠扱いになるという話を聞いたことがある
たけしもさんまも師匠に似てると言われるよね >>210
雨やどりは本当にクオリティ高い落語
ついたらあなたの胸に雨やどりって下げを
立川談志も、おれ高座でパクろうかって
驚いてた というわけで
>>310
出会った当時に弟子がいたか?って可能性もあるよね 81で亡くなった歌丸さんってそう考えると若かったんだな >>324
いや、落語家はやっぱり早死に多いと思う
不摂生なんだろうか >>223
お笑いスター誕生審査委員長だから
この人
覚えてますよ。でてたころね
とんねるずはとにかく全てが大きい印象で
こういう人らがスターになるんだろうな
って印象はありました
ま、ネタは大したことありませんでしたがね笑
ウッチャンナンチャンは逆に、ネタはスゴいな
思いましたけど今は正直想像できませんでしたね
特に内村くんですか
紅白の司会やるんですからね
この人たちは確か、内海好江さんが学校の先生で
薦められたんですよ
決勝戦のときの好江さんの青ざめていて他の人の
ボタンを気にしていたことは
今も忘れられませんね笑
だから彼らが優勝したときホットしましたと
おっしゃるのは本音かなと
ま、将来かかってましたからね
それが今やもう紅白の司会ですから
だから芸能界は面白いし、私も若いもんには負けられませんよ
審査委員長ですからね
ゲンダイのインタビューから さんまが人気出た要素の一つにやっぱりイケメンだったというのがあると思うんだわ
師匠も歌舞伎役者みたいなお顔だったし。
実は(パブリックイメージとは逆に)上方落語家はカッコいい人多い気がする
松鶴を除いた四天王、三枝、春蝶(親父)、吉朝、小米朝、みんないい男だなあ 笑福亭松之助はそんなに上手い噺家だとは思わない。 いわゆる四天王と呼ばれた人たちの足元にも及ばないよ。上手いとかなんとか言ってるやつは ただ 年寄りの咄家から これが上手いんだろうと思い込んで聞いてるだけじゃないの。 https://youtu.be/dA8cg_7ugZA
さんまがセンスあるから師匠に選んだって怒られたのこれだよね。
50年近く前のなのに面白いわ。 >>314
タモリンピックの網ぬけ競争で競技中に順位が確定したので「さんまが網に引っかかった」ってボケをしたら若いタモリンピック担当ディレクターから「真面目にやってください」
これでさんまはいいともへの情熱を失った。 >>3
さんま自身は祖父、父が75だかで診断で75だろうだかいってたっけ >>330
そういうお遊び心がわからないスタッフが増えて
フジはダメになったんだろうな >>321
さんまが入門したのが昭和49年頃かな。ウィキを見ると快楽亭ブラックが談志に
破門されて三枝が預かったのが昭和47年頃だから弟子がいたことにはなると思うが 花の駐在さんテレビでやるって言ってたからてっきり生だと思ってたら録画かよ
がっかりだわ >>314
タモリさんなんて元々、赤塚不二夫が連れてきたキワモノ芸人だからな
いつのまにか料理得意な、文化人キャラに転身しちゃったけど >>332
さんま降板→荒井がプロデューサーになってSMAPゴリ押し→フジ本社お台場移転
がフジの転換期だな >>329
すげーな全く古さを感じない。時事的なネタはしょうがないけど
人間の普遍的な本質を理解してるんだろうな
さんまが惚れるのも分かるわ >>329
こうして聞くと、さんまの喋りは師匠の影響けっこうあるな >>337
早稲田中退という下地は
そういうキャラ転向の時に役立つなあ。
陶芸をほんのちょっとやっただけで
陶芸家気取りで個展。
それに有名な陶芸家の先生の名前借りたくて
陶芸家の先生を怒らす。
差別だ〜。ってわめきちらすバカとは違うな。
全国各地にカルチャースクールあって
誰でも陶芸出来るようになっていた時代。 >>341
タモリは早稲田と言っても二部
ハリセンボンの箕輪はるかは同じ第二文学部卒業したが。 >>327
西の郷ひろみだからなw
「せやけど郷ひろみは西のさんまとは言われてないねんや」まででセットw >>327
西の郷ひろみだからなw
「せやけど郷ひろみは東のさんまとは言われてないねんや」まででセットw >>330
日本一の最低コーナーが凄かったときは
CMに行く行かせないで、タモリさんまVSスタッフ
で遊び心いっぱいで楽しかった
西山喜久ちゃんも報道行ったあとにこの頃のいいともの
雰囲気が忘れられないってずっといってバラエティーに
戻りたがってた >>341
なにその陶芸の話し さんまが陶芸やってるのかw >>28
アホか
談志の成功の一つは芸能界の大物が弟子入りしたことにある
それで談志は格上感でた さんまが若いころに落語やってて偶然聞いてたのが、たかじんだったんだっけ? >>350
戦争
従軍経験をネタにした「与太郎戦記」って新作落語を演じたり、本を書いたりしてた >>348
その解釈は、さすがに時代的に計算が合わなすぎるよw
談志は1960年代からの売れっ子で、知名度を活かして1971年には参議院選挙に当選している
一方その頃のたけしは、まだツービート結成すらしていなかった >>304
関西芸人の場合は
師匠呼びには直接の師匠だけではなく
「自分から見てかなり年上の先輩、大御所」のニュアンスで使うこともある >>355
さんまを師匠呼びし始めたのってタモリじゃないの? 師匠と呼ぶか兄さんと呼ぶか線引きは人それぞれらしいけど
その線引きが難しいと芸人は言っているよな 明石家電視台の師匠と語らうのコーナー好きだった
どうか安らかに >>241
漫才師は知らないけど噺家なら正しいくやみとしか言えない >>24
テレビで幅広い年齢のたくさんの芸能人を同時に扱える さらに素人でも子供でもお構い無し 最強だろ バカかお前は 明石家の由来は昔ごっつのコントマッシュルームで知ったなあ >>1
モーレツしごき教室で、ハリセンで暴れるおじいちゃんだっけ? 大橋巨泉が別荘のテラスでコーヒー飲みながら、「伊東の朝は早い。」
たけし「どこの朝だって早いよ!」
このツッコミのルーツかもしれない。 >>364
ロバートデニーロ「レナードの朝は早い」
さんま「どこの朝かて、早いんや!」 さんまの師匠と鶴瓶の師匠は兄弟弟子
鶴瓶の師匠六代目松鶴の実子のクズと浮気し駆け落ちしたのがたけしの嫁
コレは洒落に成らんので さんま鶴瓶でさえたけしに突っ込まない
ので知らない人も多い >>354
圓生を担ぎ上げて円楽と共に落語協会を抜けて幹部に収まる予定が
圓生から次は志ん朝と言われて怒って圓生と決別した
その後談志は寄席から追放、落語協会、芸術協会からも絶縁と四面楚歌
そんな談志に助け船を出したのがたけし
たけしを筆頭に文化人が意図的に談志を、盛り上げようと活躍したんだよ >>368
女関係のネタなんてさんまの大好物じゃん
いじらない手はないでしょ 役者としての印象のほうが強いわ
ほとんどの人はこの人の落語を聴いたことないやろ ワンカップ(酒の)買ってこいと命令したら弟子がワンタン買ってきて激怒したって話好きだな。
お前、それで酔えるものなら酔ってみろと、 もしさんまと紳助がコンビ組んでたらお笑いの歴史は大きく変わっていたのではと今でも思う >>368
当時共演したとき、たけしが鶴瓶の首絞めてたよ。
「僕とちゃいます!僕とちゃいます!」 >>375
絶対喧嘩別れしてるw
ゲストで来ても喧嘩してたのにw 松之助って、やたら大勢力になった松鶴と違って
今は落語家やってるのは長男の明石家のんきだけで、一門と言える勢力ではないと考えていいのかな?
兄弟子のうち存命の橘家圓三はさんまが弟子入りする前に他に移籍しているようだし、フリーダム過ぎて落語家の育成には向かなかったんだろか? 日本一のお笑い芸人を産んでくれた師匠だぞ
凄いと思うぜ 「杉本 酒のアテに 半助呼んで来い」
(大阪弁で 鰻の頭部の佃煮を買ってこい の意味)
を田舎者さんまは意味が分からず 角座の半助師匠をおぶって楽屋に連れて来た
松之助に「おもろい!合格」と言われたがガチの勘違いだった >>189
さんまのまんまでは
ワンカップ買ってきてといわれて
ワンタンのカップメンを買って行って
「これで酔えるもんなら酔ってみぃ」と怒鳴られたといっていた
いろんな話があるんだね >>375
ひょうきん族は楽屋が金の話ばかりになって嫌でやめた
笑いを競わすM1みたいな番組も嫌い
コンビ組んだら駄目な二人だと思う >>368
なにこれ興味深い
たけしって最近遺産問題があった嫁さんの他にも結婚歴あるの? >>369
へぇ
談志が協会を抜けたのは漫才ブームよりもっと前の話かと思ってた 有名な話だろ。子供が小さかったこともあるが、俺が悪かった帰ってきてくれと頼み込んだ
松鶴の息子もその後噺家廃業しちゃったし >>377
>喧嘩してたし
あれが芸人の掛け合いだ
長続きしないのは同意 たけしの嫁は元々前田五郎の弟子だった
「たけしの売れない時代を支えた糟糠の妻」と思われてるが
たけしから見れば「コイツは売れる」と予期して別れてくれなかったと言う形
今やっと別れられる と >>385
ぜんぜん知らない
嫁の不貞でもたけしが誤ったんだね >>387
別れたかったのに嫁さんに頭下げて戻ってもらったのか
複雑で理解できん 鶴瓶が可愛がっていた小松もガチのクズだった
癌を大袈裟に「放浪の末期癌落語家」と詐称して荒稼ぎのサイコ野郎
末期がんのくせに何度もシャブで逮捕され本名で在日だとバレた >>378
ときどきここでネタになってる志らくの弟子のこしらの説だと
緩い師匠に付いた弟子は60点が80点になるけど
0点の弟子は0点のままらしい
厳しい師匠だと一律で60点の出来になるw > もしさんまと紳助がコンビ組んでたらお笑いの歴史は大きく変わっていたのではと今でも思う
結構若いときに営業で2人でやってる
さんまがロープで紳助縛ってプールに落として縄抜けショーといって
溺れて死にそうになった
やくざ系に絡まれ金払うから芸やれといわれビビってやろうとした紳助
堅くなにそれは出来ませんとやらなかったさんま >>24
コントもできない
漫才も出来ない
本も書けない
演技も出来ない
映画も撮れない
コメンテーターも出来ない
ユーチューバーってなぜこれでネット界で威張り散らしてるの? >>393
映画監督 本を書く 俳優 漫才やコントって品川さんみたいになれってことか。
最近、仕事がないって困ってる品川さん
コメンテーターとか遠藤や土田や高橋茂雄でさえやれるけど >>391
こしらってのを知らないからか
あそう
としか思えない >>391
談志は厳しかったけど、弟子は一律60点なのかね? さんまと岡村は今でも花月の舞台立ってんだよな
この辺が他の芸人との違いだな 松之助は戦後枕女優時代の森光子とドさ廻りしていたと聞いた
森は途中で失踪してしまい 野垂れ死んだ と噂され
森がひょっこり現れた時赤城春江は「幽霊だとおもった」
さんまは師匠からこの辺聞いて居るに違いないので
ビッグネームになった森はさんまを避けていた とも聞いた >>391
談志は厳しい師匠だったけど、弟子はたくさん育っだ >>390
小松は六代目から破門されてからは77年頃に上京して、コロムビア・トップの青空一門入りして漫才師に転向したわな。
新人賞も取ったけど東京の水が合わんかったか、80年代前半に関西へ戻った。
せやけど六代目の没後辺りからはシャブ浸りの憂き目に堕ちてもうたんや。 コント山口くんと竹田くんが死んだら
くりぃむしちゅーの師匠とばかり取り上げられそう >>398
森光子と松之助は秋田實と阪急東宝グループ総帥の小林一三
がつくった宝塚新芸座にいてた。
http://www.hankyu-bunka.or.jp/ichizo/network100/theater/
松之助は師匠の五代目松鶴が亡くなった後、
四代目米團治のところに居候してたが米團治も亡くなったので役者になってた。 >>382
ピン札で紙飛行機折って飛ばしてる奴いたんだよね >>378
名人上手を数排出するのと
稀代のスーパースター一人だけ
だったら
そりゃ後者だろ毎日毎日毎日毎日弟子は大活躍だ >>397
さんまは花月には出てないんでは
以前は花の駐在さんの収録で出てたけど
毎年正月には花月にも出てた ほんの2.3分の顔見世程度だけど サンマが芸能界で唯一頭が上がらない人だろw サンマはたけし鶴瓶でもコントロールできないからな >>369
デタラメだw
圓生による落語協会分裂騒動が起きたのは1978年
ツービートが売れるキッカケとなったフジテレビの「THE MANZAI」の放送開始は1980年
落語協会分裂騒動の時のたけしは、談志の助けになれるようなポジションの芸人ではない
更に、落語協会分裂騒動には談志は結局参加せず落語協会に残留したし、寄席にも普通に出ていた 洒落た人格者だったんだよな
さんまの師匠を選ぶ目は正確だった >>378
事実として、笑福亭松之助の一門は四天王と比較できるような勢力ではないね
でもまあそれは特におかしな話ではなくて、むしろ落語家というのは大きな一門を持たない方が普通なのよ
上方で言えば、要するに四天王とか露の五郎兵衛とか林家染丸が特別な人達なんだな >>401
小松がガンでちょっと注目を浴びたときに
ビートたけしと共演して、たけしがニヤッとしながら
「松鶴師匠のところにいたときからお噂はかねがね
東京でも噂通りの人でしたね」って言ってた
相当な素行不良だったんだろうな
あっけなく死んでしまったけど >>10
「まるで生き写しだ」と東京では評判いいらしいね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています