「週刊文春」(文藝春秋)に連載されている林真理子氏のエッセイ「夜ふけのなわとび」だが、2019年1月31日号の内容があまりに酷いものだった。

「ハワイということ」と題され、そのタイトル通り「ハワイ」をテーマとしたエッセイの書き出しはこうだ。

<以前も書いた。ハワイへ行くたびに祈るような気持ちになると。
「どうかずっと、この島が日本人のものでありますように」>

説明するまでもないが、現在のハワイはアメリカ合衆国の一部であり、それ以前はハワイ王国が築かれていた。歴史的に<日本人のもの>であったことなど一度たりともないのだが、いったいどういう意味なのか。

大御所作家らしい巧みなレトリックなのかと思いきや、それは、東アジアの人々(特に中国と韓国)に対する、上から目線の侮蔑的な視線に満ちた言葉であった。

林真理子氏はまず、昨今の現状を嘆いてみせる。

<今、世界中どこへ行っても、幅をきかせているのが中国人と中国語である。ヨーロッパのいろんな国でも、ニューヨークでも、自国語と共に中国語が書かれている。
バブルの頃、高級ブランド店にいっぱいいた日本人店員は姿を消し、いつのまにか中国人ばかりになった>

日本の経済的な力が右肩下がりを続け海外旅行をする余裕をもてない人が増えた一方で、中国の人々にはそうした余力があるという話であり、悪いことでもなんでもない、
経済的には自然な話だと思うのだが、それに対して林真理子氏は<幅をきかせている>などと、まるで不正でも働いているかのような悪辣な筆致で現状を表現する。

これまで中国人観光客にとってハワイはあまり人気の観光地ではなかったようで、街中にも日本人向けの看板やお店が立ち並んでいたという。しかし、そんな環境も変わりつつあるようだ。

林真理子氏は、最近行ったハワイ旅行では<中国人がすごく増えてる>と述べ、さらに、増えているのは中国人観光客だけではないと指摘しながら、ハワイの観光事情についてこのように記している。

<「お声をおかけするまで並んでお待ちください」

と英語、日本語の次にハングルが。そう、ハワイに来る中国人と韓国人の数はほぼ同じなのである。

(中略)

またハワイでは、中国人が日本人の一・五倍お金を使うという統計もあり、やはり油断は出来ない>

なんの<油断>なのかわからないが、ハワイの観光サービスが「日本人最優先」のものから、様々な国と地域の人々に向けたものになっていくのは自然な成り行きであり、
むしろ推進されるべき動きだと思うのだが、なぜ林真理子氏はその流れをこれほど苦々しく書くのだろうか。

その根底には、東アジア諸国の人々に対する優越感や不躾な目線が流れている。

林真理子の文章は富裕層以外の人々を慮る想像力に欠けている

「ハワイということ」には、中国人や韓国人の観光客に対する目線の他にも、もうひとつ気になる文章があった。

<現代では子どもが出来ると、まずはハワイへと行くことになるのだろう。どこでも楽しそうな親子連れを見る。とても幸せそうだ。日本人ならば一生に一度は絶対に行きたいハワイ。
いや、ある時期になるとハワイへ行くのはもはや日本人のならわしとなっている。これはまさに現代の「伊勢まいり」ではなかろうか>

<現代では子どもが出来ると、まずはハワイへと行くことになるのだろう>や<ある時期になるとハワイへ行くのはもはや日本人のならわしとなっている>
という断定的な表現から、林真理子氏の目に映る日本社会がいかに「上流」に偏っているのかがよくわかる。

そして、それはいまに始まったことではない。

2015年2月に起きた川崎市中1男子生徒殺害事件は日本社会に大きな衝撃を与えたが、この事件に対して林真理子氏は「週刊文春」の連載で、あろうことか被害者の母親を責め立てて大炎上した。
シングルマザーであった彼の母親は、祖父母の協力などの子どもの面倒を見る後ろ盾もないまま無責任に離婚をし、さらに、無責任な恋愛に溺れて子どもの面倒を見なかったと喝破したのだ。

加えて、「女性セブン」(小学館)2015年5月14日・21日合併号では、<手に職を持って、一生懸命働くとか、努力した人、能力が高い人はそれなりの待遇を得ているんですよ。
逆にいえば、努力もしない能力も磨かない、それでは貧困から抜け出せないと思う>と述べている。

http://dailynewsonline.jp/article/1675069/?page=2
019.02.01 07:05 wezzy

前スレ                      2019/02/01(金) 08:53
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