【野球】ヤクルト杉浦享 引退を払しょくした日本シリーズ初の代打サヨナラ満塁本塁打 1782試合 .284 224本 753打点 109盗塁
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1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。
時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。
杉浦享 引退を払しょくした日本シリーズ初の代打サヨナラ満塁本塁打/プロ野球1980年代の名選手
ヤクルト・杉浦享
85年がキャリアハイ
穏やかな顔つきと、ぽっちゃりした体形で“ブーちゃん”と呼ばれて親しまれ、ギターや鉄道模型、漫画など、インドア系の趣味も多彩。
たが、そんなキャラクターとは裏腹に、左打席に立てば勝負師としての凄味すら感じさせたのがヤクルトの杉浦享だ。ちなみに、これら多彩な趣味については、
「飲みにいったりする誘いを断り、自宅で食事、練習をして体調を整えることを心がけていたため」
なのだとか。ギターの腕前も相当なものだったが、22年もの長きにわたる現役生活をヤクルトひと筋でまっとうした。
打球スピードは1980年代のプロ野球界でも随一。
若手時代、王貞治(巨人)に一本足打法を指導したことでも知られる荒川博監督から教わった前傾姿勢が基本で、最初はダウンスイングだったが、
のちにレベルスイングへ移行して、外角球を強く打つため軸足に重心を残した形でスイングに入ることを意識した。
速いストレートにだけは振り遅れないように気をつけて、狙うゾーンを外へ外へと広げていき、内角は振り切れる範囲の中で甘い球を待つ。
懐を深く使うべく、どっしりと構えて、どんな球も自分に近いポイントで腰を入れて、バットに乗せて運ぶ感覚で振り抜いたことが、鋭い打球を生んだ。
71年にヤクルト入団。ドラフト10位という下位の指名で、投手としての入団だった。左腕投手として活躍する可能性もあったわけだが、すぐ野手に転向。
ただ、ポジションは一塁か外野に限定された。若手時代と大ベテランになってからは一塁を守ったが、打撃を生かすべく、より出場機会の得やすい外野手に専念することになる。
その78年、主に六番打者としてレギュラーに定着。初の規定打席到達で17本塁打を放って、初優勝、日本一に貢献した。翌79年には22本塁打。
迎えた80年はリーグ6位の打率.311をマークして、初の打率3割もクリアしている。
80年代は、ほぼ一貫してヤクルト打線の中軸を担った。ベテランとなってからの姿からは意外だが、80年代の前半は俊足も武器で、83年まで5年連続2ケタ盗塁。
キャリア唯一の全試合出場となった82年からは2年連続でリーグ最多の三塁打も放っている。
「自分の打法をつかんだ」
と語るのが85年だ。開幕から四番打者を務めたが、7月10日の阪神戦(甲子園)での死球禍もあって8月に失速。
それでも最終的には34本塁打、81打点、リーグ7位の打率.314で、打撃3部門すべてでキャリアハイの結果を残し、特に本塁打では胸を張る。
「死球がなければバース(阪神。54本塁打で本塁打王)に食らいつけたと思う」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190112-00000007-baseballo-base
1/12(土) 11:05配信
https://www.youtube.com/watch?v=nsvXE1brBcQ
1992年日本シリーズ第1戦 杉浦代打サヨナラ満塁ホームラン(副音声)
http://npb.jp/bis/players/21723845.html
成績
https://www.youtube.com/watch?v=fFSYyofQRfw
杉浦
https://image.middle-edge.jp/medium/dab5b85e-109d-4799-bcf7-7127239cbf29.jpg
https://cdn.img-conv.gamerch.com/img.gamerch.com/mobapro2/wikidb_img/1516417627.jpg 89年からは代打が増えたが……
プロ初打席も、初本塁打も代打だった。代打では配球を読み、1本で決めてやろうという意識で打席に立ったという。
87年からも2年連続で20本塁打を超え、89年には4月12日の中日戦(神宮)で西本聖に
バットを真っ二つに折られながらも右翼スタンドへ運ぶ奇跡の本塁打もあったが、その後は代打での起用が増えていく。
ただ、それは次なる奇跡の本塁打へとつながる伏線だった。
18試合の出場に終わった92年には、
「戦力外になると思って周囲に挨拶していた」
ところ、新聞でも引退を報じられる。ヤクルトは14年ぶりのリーグ優勝。
迎えた西武との日本シリーズ第1戦(神宮)は延長戦に突入する。出番は延長12回に回ってきた。
一死満塁。すでに40歳となっていた。たちまち2ストライクと追い込まれたが、
続く3球目、インハイのストレートをとらえると、打球は右翼席へと飛び込んでいく。日本シリーズ初の代打サヨナラ満塁本塁打だ。
「打った球なんて覚えてないけど手応え十分。震えちゃったよ」
あと一歩のところでヤクルトが日本一を逃すと、野村克也監督に申し入れて現役を続行。
翌93年、ヤクルト15年ぶり、自身2度目の日本一を見届けてバットを置いた。 当時、テレビで見たけど、綺麗なホームランだった。バット投げも絶妙。 一番古い記憶に残ってる日本シリーズやわ
35歳の自分が 主音声はないのか
三宅アナと関根爺ちゃんの声が聞きたいのに 代打サヨナラ満塁本塁打なんてのは
3点差で負けてないと意味がないだろ
1点差なら二塁打でいいもの >>1
(‘人’)
初球は必ず見逃すが抜けてるよ(笑) >>14
このクラスの実績の人がプロ野球の世界ではなく本社ってのはなぜなんだろうな
前代未聞だよ この時代のヤクルトの応援のメロディーがカッコ良かったな
特に杉浦のは >>14
そうなんか
大好きな選手だったからなんか嬉しいな 打球が弾丸ライナーだったな
スイングスピードが速かったな
今こういうタイプはいないな くりやま
みずたに
わかまつ
れおん
すぎうら
ひろさわ
すみ
やえがし
たかの
あらき
あい
やすだ
弱すぎワロタwww >>24
先発が
伊東 高野 尾花 荒木 矢野 宮本だった記憶
阿井 中本 とかいたな 親父の会社の同僚が若松の親友でよくチケットもらって神宮で観戦してたわ
1年だけ確変して30発打った年によく行ったから大砲のイメージ >>30
伊東四朗はヤクルトタフマンのCMによく出ていたね かなり極端なダウンスイングだった、あれ誰から教わったんだろう 通算打率.284で224本塁打とか
普通に大打者だな。何か地味なイメージだけど 俺がヤクルトファンになった切っ掛けの人
85年はまさにピンズド
何と言っても打った後の自然なバット投げが日本一美しく
ライトスタンドで死者が出そうな弾丸ライナーのホームランが格好良かった 今は亡き親父が打った瞬間から万歳してたのが今でも記憶にあるわ これ何?
引退した昔のプロ野球選手を
こうやって1人1人記事にしていくの?
楽な仕事だよね? 払拭したっていうか、まだやれるんじゃね?てスケベ心が湧いたホームランだったろ 懐かしい、杉浦享30歳のシーズンに神宮球場が人工芝になった 死球がなければバースにとか
怪我がなければ
とか
門田や谷沢みたいに大怪我してもその後タイトル取ってる打者もいるだけにしょせん『タラレバ』なんだよな
よく言われる前田や高橋もしかり あのスイングの仕方
カッコ良かったなあ
ガチムチでユニフォームびっちびちだし >>1
この満塁弾は日本中の野球ファンを鳥肌にさせたな
確か翌日の試合にも代打で起用されて
ノムさんの心理戦がワクワクした 85年絶好調だったよね。かなりいいペースで行ってたけど途中でバースがすごい勢い
で打ち始めて差が開いた。神宮のヤクルトの応援歌ってトランペットのみでにぎやかで
なく、どの選手もよい曲だった。今でも口笛とかしちゃうときがある。伊東四朗に似てる
横顔。 80年代燕は土橋、関根が無能だっただけでタレントは意外とそろってた気がする バット投げをテレビで語っていたけど
投げているんじゃなくて、ホームラン打った反発力でバットが飛ぶんだって
当たりが良ければ良いほど飛ぶんだとか
その感覚は理解はできないけど >>52
土橋は日ハムでも失敗している
関根は参謀向き セカンドの股間を抜いてホームランが現実にできそうなひとだったよね ヤクルトファンじゃ無いけど、あのダウンスウィングが大好きだった だいぶ前に死んだじゃん
って思ったら大杉勝男だった タバコ吸いながら昔はコイン挟んで自動的に打てたからパチンコ2台掛け持ちして打ってたな。アスリートってタバコ吸わないイメージだったので嫌なもの見たなって気がした。 どんなに甘い球が来ても、初球は絶対見逃すんだよね、この人 >>52
関根は大洋でもダメだった
土橋は日ハムでダメ
関根土橋あと近藤貞雄
無能なくせになぜか複数球団の監督やる奴が
この時代は多い 杉浦は引退して本社ヤクルトの製薬部門の営業マンに転職したんだってね。
医師・薬剤師相手の商売だと思うんだが高卒でも問題なかったん? 左だと、この人や淡口 藤田平のライナー性飛球の速度は速かったな あの体格であの打球の割に224本なんだな。
毎年30本打つくらいのスイングだったけど。 この人の打席でファーストとセカンドは絶対に守りたくないわ 今ヤクルト本社の幹部なんだっけ
ヤクルトは引退後の面倒見いいのかな 打席で聞こえる応援のトランペットがなんか打ってくれそうで緊迫感が高まる >>52
投手陣崩壊で打撃投手が1軍マウンドに立ってた事とか知らんのか? >>77
有沢w
あの頃楽しかったよ、今はショー化して神宮つまらん 中畑が杉浦の打球は速くて怖かったとか言ってたなw
打席に入る前の必殺仕事人のBGMがイカしてた >>17
杉浦さんの奥さんは、ヤクルト本社への転職をすごく喜んでたらしいよ
もうクビになる心配しなくてもいいからと >>66
当時、ヤクルトと大洋は長嶋茂雄を監督として招聘したかった。
まず長嶋と仲良しの関根をヘッドコーチにして長嶋監督にしたかったらしい。
断られたので関根が繰り上げ。 不人気田舎チームの 「広島」 「福岡」 の やきう日本シリーズ 歴代ワースト3位ww
不人気田舎チームの 「広島 」が勝ったゲームで、日テレ視聴率最低記録出してワロタ
「 広島」 とか 「福岡」の 田舎チームはファンが少ないんだから、有名選手もいないし
世間知らずの田舎者は、憧れの 「 東京デビュー (首都圏) 」して、ファンを増やしなw
「日米やきう」視聴率w BS CS なしwww
11/7 日本代表やきう 8.1%
11/8 巨人やきう 9.6% ←松井を降臨して一桁、巨人ボロ負けw
11/9 日本代表やきう 10.7%
11/10 日本代表やきう 10.1%
11/11 日本代表やきう 8.6%
11/13 日本代表やきう 8.9% ← 大谷特集 大谷新人王速報で 8%台www
11/14 日本代表やきう 7.5% ← 超爆笑www
平均視聴率 「 9.0% 」 不人気ですね 野球人口激減ですねwww
「巨人ファンしか」見てない やきう 「巨人リーグ」 に改名すればいいんじゃねw >>2
翌年は目立った活躍もなくせっかく最高の形で現役を
終えられたのに・・・と思ったが一年間引退を先延ばし
したことで日本一になれたんだから正解だっただろうな >>78
関根翁は育成目的ならそこそこ有能。ヤクルトでは池山や広沢、栗山に秦といった所を育てた。
池山広沢にはシーズン前に「お前らは100三振してもいいからとにかくバットを振れ」と発破をかけたが
2人ともそれを遥かに越えるペースで三振を量産したため頭を抱えたこともw >>6
1985年にはセンターでレギュラー出場してた
1984年から盗塁数が激減するけど走れなくなった
わけじゃなくて大杉勝男の引退で中心打者になり
走る機会そのものがなくなったせいだと思う >>10
加藤初だけは初球から打つって言ってた
理由は彼のフォークが見極められないから >>11
データで見てもあの年は狂ってる
杉浦享が.314、八重樫幸雄が.304、若松勉が.300、
マルカーノが.299、準レギュラーの岩下正明が.316
打っててチーム打率が最下位だという
チーム打率.264は全然低い数字じゃない
チーム防御率1位の巨人ですら3.96だからあの年
はこっそり飛び過ぎるボールを使ってたんだろうな あの日シリのHR打った後にトコトコ歩くシーン好きw >>74
原則トレード無しの時代もあったらしい。
巨人に行った浅野とかもいたけど。 >>15
実際には犠飛で良かった場面なんだよね
でもサヨナラ満塁弾になったことで杉浦の引退撤回
を飲まざるを得ない空気になったのは間違いない
犠飛だったらアレが花道だっただろう >>17
今の時代でも元選手の本社受け入れをやってる
ヤクルトが異質なだけで昔はどこもやってた あのホームランは学校の教室のテレビで見た
西武ファンの俺を関係ない巨人ファンの奴が煽ってきてうざかったわ
結局シリーズは西武が買ったし >>24
打線は悪くない
ただ投手陣がボロボロ
>>28
この頃にはもう大矢明彦は居ない >>17
家族のこと考えると安定してるからいいんじゃね? >>52
無能じゃねえよ
ド無能武上四郎のせいでボロボロになったチームを
立て直すために広澤克実や池山隆寛ら若手を我慢
して育ててたんだよ 左投手が先発する時は巧妙にズル休みしてたよな。
決して気合いを前面に出すタイプではなく
打席でニヤ〜と笑いながら鋭い打球飛ばすイメージ。 >>54,>>66
だから無能じゃねえっ言ってんだろ
関根さんが監督をやるのは若手への切り替え期で
勝敗はどうしたって犠牲になる
土橋さんが日ハムで失敗したのはチームを腐らせる
天才の近藤貞雄の後を引き継いだからだ
古葉竹識が大洋で苦しんだのもそうだよ >>3
ヤクルト杉浦って書いてあるだろ
字も読めねーのかよゴミクズ >>56
俺も見に行ったよ。岡田の親父も元気だったな >>18
かっとばせーすぎうらーあぁ
おまえーはーいぃおとこぉー ビックリした
急にこんな懐かしい人の話題が出たから訃報かと思った >>90
ヤクルトだけ抑えがいなかったんだよ
先発も足りないし >>100
(‘人’)
大矢さんは一世代前だったか(笑)指摘トンクス! ホームランはライナーで突き刺さる印象が強い
子供の時にベンチ前にいたので声援送ったら小さい開閉用の金網開けて練習用ボールをもらった
違う日に大杉や松岡、角、渋井もくれたが井本には睨まれた >>111
大洋には斉藤明夫が居たからね
斉藤を抑えとして一本立ちさせたのが関根さん
だからヤクルトでも同じように育てようとしたけど
人材がおらず仕方なく先発要員を後ろに回した
(もちろんそうすれば先発が足りなくなる) >>112
いやこの直前まで現役だったんだよ
そのせいで八重樫は30過ぎるまでレギュラーに
定着出来なかった(そして数年で秦真司に負ける) >>115
中本失敗、阿井失敗
そしてなんちゃって最多勝伊東の流れだよね >>104
チームを腐らせる天才というのはよくわからんが。
少なくとも中日は優勝させてるけどな。
ま、ちょっと意識高い系な目立ちたがり屋ではあったけど。 >>115
後に石井一だの伊藤智だの、投手王国時代が来るとはなあw リアルタイムで観たなら
今でも思い出せるぐらいに素晴らしい弾道だったよなぁ あの本塁打のせいで杉浦にこだわっちゃって日本一逃したよね >>90
バレンティン、川端、青木、山田
リーグ代表する巧打者強打者揃えて最下位取る最近のヤクルトに通ずるものがあるな ファンというほどでもないが日シリの代打逆転サヨナラ満塁ホームランは
俺の中では最高のホームラン >>100
中本とか酒井とかでてきたら打てるって思ったもんな
ダメ虎時代さえ
ヤクルトは観客対策か知らんが野手偏重ドラフトで投手は荒木ぐらいしか狙う投手はいなかった
で、野村監督あたりから高津とか西村とか有能投手を集める戦略に切り替わって黄金期を迎えた 93年の日本シリーズの神宮開催ってチケットが完売してなかった記憶がある >>117
55試合登板で122.2イニングだから毎試合2〜3
イニング投げてる
防御率が3.15だからほぼ毎試合1失点の計算
35セーブポイントで9敗
勝敗に絡まなかったのは11試合か
スコアブックを細かく調べる気にもなれないけど
いわゆる「勝ち星泥棒」のケースは少ないんじゃ
ないかな?
80年代前半なら珍しくもない起用法なんだけど
1988年だと割と減ってる
ただ横浜大洋の中山裕章が先発なしの70試合
登板で規定投球回に到達という凄まじいレベル
の酷使をされてるな >>127
川崎憲次郎は野村監督になる前のドラフトだし
投手の補充が追いつかなかったんだよ
ただ1987年に長嶋一茂なんか獲っちゃったんは
大失敗だったね
抽選で外した横浜大洋は盛田幸妃を指名したし
この年の大洋は1位盛田2位岡本透3位野村弘樹
6位田辺学の大豊作だった >>128,>>131
当時の神宮球場は大学野球への配慮で
プロ野球への制限が大きかったから >>87
池山は5年連続30本塁打
100三振しても払拭するホームラン数
広沢は生涯30本塁打1度だけ
100三振しても払拭できない
ホームランの数
しかもキャリアハイが30本 杉浦さんも若松さんも応援歌の前触れが球場に静かに流れるのがよかった
ちゃらら〜ちゃりらりら〜りらりら〜♪ >>127
酒井は最初は期待されて入って来たんだが… >>136
武上のヤクルト時代の無能さはヤバかった。松岡や大杉といったベテランと対立して
引退に追いやったりしてた。
(松岡は200勝目前の191勝で引退、大杉はあと1本塁打で両リーグ200本塁打で引退) >>17
ヤクルトは引退した選手の受け入れを
積極的にやってる。
地方の販売子会社の社長にまで
昇進した人もいる。
杉浦さんは、会社の総務を回って、
社員食堂や休憩所に自販機を置いてもらう
販促の仕事をしていたそうだが、
選手時代の知名度のおかげで、
行く営業先で歓迎されて、どんどん
自販機を置いてもらっていた、と聞く。 >>100
左が足りなくなって、
打撃投手の有沢が突然一軍昇格して
いきなりマウンドに上がっていたのは
懐かしい思い出。 >>52
土橋さん無能は同意だが、
前任の武上が輪をかけて無能で
チームが焼け野原になった状態で
引き継いだから、同情の余地もある。
関根さんは種まきをしたんだよ。
若手に経験を積ませたことが、
後の野村ヤクルトの黄金期に繋がる。 >>130
投手大豊作の年に話題性に行ってしまったのか… >>141
その頃の左P思いついたまま………
梶間、大川、宮城、乱橋くらいか?
安田はその前、加藤や矢野はちょっとあと
いなさすぎるな 北川の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン(お釣り無し)より凄いの? 杉浦と杉村と大杉がいて何が何やら
基本巨人ファンだったけど松岡が先発する時は200勝を目指す松岡を応援した
でもだいたい4回くらいで降板しちゃう(河埜辺りに何故か本塁打打たれて)
八重樫の愉快打法の前の昔話かな 西尾市寺津中のエースだった親父は幡豆中の杉浦にセカンドライナー打たれて、それがそのままフェンスまで伸びたとか行ってた
プロに行くような奴は小中学校の頃から別格なんだと
そんな親父も母校から岩瀬という最高のリリーバーが出て満足して昨年亡くなったわ 代打杉浦
晩年まですごいパワーだった
ライトスタンド中段へ突き刺さるライナー性のHRがトレードマークだった >>146
その中なら梶間一択だな
大川も今の投手分業制なら十分目立っていたがあの当時は中継ぎは地味な役割だったし >>151
昨日、刈宿のジョイフル行ったわ(´・ω・`) >>156
先発投手の完投能力が高く抑えは2〜3イニング
投げるのが当たり前だったからね
「勝ちパターンの中継ぎ投手」とかは生まれにくい
時代だった >>141
バッティングピッチャーをやってる間に現役時代
の欠点が修正されたんだろうなあ >>158
伊東や高野は先発も抑えもやっていたからな〜
今の時代ならどちらかに固定だろうね 日本人の苗字の中で五十音順に並べて一番最初に来るのは阿井
豆知識な! >>162
電話帳マニアに安居(あい)さんで瞬殺されるけどな 高校野球の応援歌の間違え
杉浦の応援歌がおまえはいい男〜♪なのに
高校野球は若松の応援歌でおまえはいい男〜♪と応援している この人とカズ山本のバッティングフォーム好きだったわ 当時小学生の自分は放課後教室で先生にバレないようにクラスメイトと見てたなぁ。
変なオッさんが出て来てサヨナラ満塁弾、未だにあの衝撃を超える事が自分には無い。 78年レギュラー獲得しチームは初の日本シリーズ阪急戦
第1戦、1点ビハインドの9回裏2死満塁で相手は山田久志、ファウルで10何球も粘ったが最後は内野フライ。
その異種返しになった。 >>165
後に同じ愛知出身の稲葉の応援歌に
稲葉はハムに行ってから大飛躍したが にゃにゃにゃ〜にゃにゃにゃにゃ〜にゃにゃ〜
にゃ〜にゃにゃ〜にゃ〜にゃにゃにゃ〜にゃにゃ〜 >>22
弾道は高くないが早い打球でライナーの安打が多かった打者
通算打率が.284で出塁率が.370もある
初球を必ず見逃すのはタイミングを計るのと配球を読みやすくということだが
ど真ん中でも見送って0-1から始まることが多いにもかかわらず
キャリアで四球682で三振が669しかなくて、最多でも三振は67 >>126
逆転入らないよ
3-3の同点からの代打サヨナラ満塁ホームラン
こんな夢のようなことがあるのかと思ったなぁ >>52
武上がボロボロにしてしまって、土橋も結局は戦力を整えられずズタボロの状況
長嶋茂雄招聘をもくろみ、その前段階で整備役として関根が起用された
(大洋もヤクルトも同じ) >>173
視力はともかく選球眼を修正する能力は優れていたのは分かる。 >>111 >>115
1981(4位).289 16本 61点 (神部10)
1982(6位).287 14本 65点 (尾花4)
1983(6位).296 13本 62点 (尾花6)
1984(5位).281 08本 49点 (尾花7)
1985(6位).314 34本 81点 (尾花7)
1986(6位).244 05本 20点 (中本6)
1987(4位).304 24本 73点 (高野11)
1988(5位).255 20本 53点 (伊東17)
1989(4位).274 06本 22点 (内藤8)
()内はチーム最多セーブ
今と継投が確立されてないとは言え
エースの尾花が最多の年が何度もあるとか
そら勝てんわな
打球のイメージほど本塁打多くないな
今でいうと阪神の糸井の打球が似た感じかね >>178
ヤクルト先発は、雨、雨、尾花、雨、尾花という時代があってな >>178
伊東の前に高野も抑えやってたね
そして高野のサインボールが今も家にあったりする……… バッティングフォームがカッコよかったな
ライナーでのホームランが印象的 杉浦は引退後、ヤクルトの社員として普通に会社員をやっている。
セカンドキャリアとしても大変素晴らしいことだ。 >打球スピードは1980年代のプロ野球界でも随一。
今だったら、ソフトバンクの柳田かな。打球が凄い。 ミスター弾丸ライナーといえば、やっぱりこの人だよなあ
低い弾道で一直線にライトスタンドに突き刺さる打球はめちゃくちゃカッコ良かった >>17
もう定年だと思うが、最終的に営業本部の本部長までやったらしい。 それにしても若松杉浦八重樫角とか、昔のヤクルト打線は味があった
ちょっと後のメガネ土橋も味がありまくった なんか広島の長内レベルの選手と勝手に思ってたけど全然成績上だな
阪神の岡田と似たような通算成績だ
85年に唯一3割30本打ってるとこといい >>186
メガネ土橋には痛い目に何度も…
by広島ファン >>171
現監督の小川はインディ・ジョーンズだったな 日本シリーズの西武戦で代打満塁サヨナラホームランって八重樫ではなかったの?
八重樫と杉浦、ゴッチャでワケわからん! >>118
優勝っていってもなぁ…
あのシーズンはいろいろアレだからな。最終戦もそうだけど、勝利数も巨人に負けてたし(´・ω・`) >>184
スイングが凄すぎて腰痛めたけど打球の速さは松井レベルだったな >>191
>>164
特にヤクルトファンじゃないんだな
八重樫は右打者
杉浦は左打者 >>87
池山も広沢も野村のお陰で才能が開花したと語っている
(野村に好かれていない)広沢にいたっては関根は自由にさせてくれなかった、野村は自由にさせてくれたと世間の妄想と真逆の証言してるな >>199
俺、イケトラコンビは
ホーナーの爆発と同時期に一気にブレイクした覚えしかないんだな
三振か三振か三振か三振かホームランか三振かエラー
から三振が少し減った
監督とかコーチとか関係なく来る奴はある時突然来るし来ない奴は才能があってもいつまでたっても来ない
って巨人川合が突然ホームラン連発してレギュラー定着した頃、エモやんが言ってた >>200
ノーアウト三塁から池山、広沢、デシンセイの三連続三振を何度見たか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています