0001鉄チーズ烏 ★
2019/01/02(水) 10:34:11.91ID:CAP_USER9――テレビ局の一室に約30人の芸人らが集められていた。1990年代の人気バラエティー番組「電波少年シリーズ」の新企画オーディション。「この中で一番運がいい人を選びます」。引いた三角くじには<当たり>とあった。行き先も告げられず、目隠しされて連行された。
アパートの一室に閉じ込められ、懸賞はがきを1日200通以上書き続ける日々が始まった。「服も食べ物も必要なら懸賞で当てろ」。裸一貫でスタートし、ドッグフードさえ食べた。でも、1年3カ月の懸賞生活で最もつらかったのは、誰とも話せない孤独だった。
極限の状況で先のことは考えられませんでした。1秒生きたら、次の1秒を生きる。その積み重ね。一枚一枚はがきを書き続けた先には、懸賞が当たる喜びがありました。
――はがきを回収に来る番組スタッフに話しかけても無視された。裸で外に出れば逮捕されて家族に迷惑が掛かる。そう思うと逃げ出せなかった。生活の様子をテレビ放映されていることも知らされていなかった。98〜99年に放送された番組は高視聴率を記録し、知らぬ間に有名人になっていた。懸賞生活の後には対人恐怖症になった。
自殺すら考えながら生きていたのに、それを皆が笑って見ていました。人間は不幸を笑う生き物なんだと思いました。人間への不信感が募りました。
――世間のイメージと自分のやりたいことのギャップは大きかった。上京時に抱いた喜劇役者の夢をかなえるため2002年に劇団を結成した。でも、懸賞生活のイメージはぬぐえない。「人生の大失敗」と考えてきた懸賞生活への見方が変わったのは、11年の東日本大震災だった。
ボランティアで訪れた避難所で被災者と話した。段ボールで仕切られただけの空間で暮らし、冷えたおにぎりばかり食べる苦境。自分の経験則で言ってみた。「周りに仲間がいるのはいい。懸賞生活では誰とも助け合えなかった。孤独ほどつらいものはない」。相手の表情が緩んだから続けた。「冷えたおにぎりも人間の食べ物だから大丈夫。僕なんかドッグフード食べたから」。暗い空気の避難所に笑い声が響いた。「私ももうひと頑張りしてみる」。力のこもった声が返ってきた。
懸賞生活の経験が被災者の励みにつながるとは驚きでした。あの経験が生きたと思った時、やっててよかったと初めて思いました。
――被災者を勇気づけたくて、登ると決めたエベレストでも懸賞生活の経験が生きた。「はがきを書き続けた精神力が登山に通じる」とガイドが指摘した。
多くの大物芸能人が多額の義援金や物資を届けていたのに、何もできない自分が情けなかった。登山未経験の僕がエベレストに登頂できたら、被災者が「私も頑張ろう」と思ってくれるんじゃないかと考えました。
――「売名行為」と批判される一方で、応援の声もあった。1回目の失敗後に1000万円近くかかる登山資金の調達に困っていた時、懸賞生活のプロデューサーがインターネット番組を作ってくれた。クラウドファンディングで600万円以上集まった。山の上で足が止まると「あの時に比べればつらくない」と一歩ずつ足を前に出した。その先に世界一高い場所があった。
人生は何が起こるか分からない。懸賞生活は人生の最底辺だけど、あの経験があったから今の自分がある。痛みを味わってこそ、人生の選択肢が増える。1分1秒を大切に生きてきたことが、今につながっています。
1/2(水) 10:00配信 毎日新聞
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