今年は天皇杯も早く終わり、国内サッカーのメジャートーナメントは残すところ高校選手権だ。そして、「いつまでやるのだろう? 高校選手権」と毎年思う。

 高校選手権は野球でいえば甲子園。高校サッカープレーヤーの檜舞台である。幾多の名試合、名シーンを生み出してきた。ただ、育成年代のレベルアップ、サッカー人気の促進という役割はすでに終えているのではないだろうか。

 ロシア・ワールドカップ(W杯)の日本代表メンバーを見ると、クラブ育ちと高校サッカー部出身の数は半々になった(クラブ=11人、高校=12人)。まだ半分は高校に依存しているじゃないかと思うかもしれないが、Jクラブと高校では数が違う、圧倒的に分母に差があるなかでの半々であり、今後はさらにJクラブ出身者の割合が増えていくだろう。なぜなら、第2種(高校年代)のヒエラルキーが固まりつつあるからだ。

 中学年代はすでにはっきりしていて、「Jクラブジュニアユース→強豪町クラブ→中学サッカー部」という階層が明確だ。大都市圏では中学サッカー部出身者がプロになるのは極めてレアケースで、ほぼゼロに近いという。長谷部誠(1984年生まれ/青島中→藤枝東高)などの世代とも、状況は変わってきているのだ。

 そして高校年代の町クラブが少ないため、高校がJユースからこぼれた選手たちの受け皿になっている。とはいえ、高校選手権のブランド力は依然として強く、Jユースに入れる力があっても強豪校に入って高校選手権を目指す選手はいる。ただ、プロを目指す人材はまずJユースという流れはできつつある。

 高校選手権の魅力は甲子園と同じで、地域代表というところだ。また、伝統校にはそれぞれのスタイルがあってそれも面白い。Jリーグもようやく各クラブのプレースタイルや個性が分かれてきたけれども、高校選手権はもっと早くからチームの特徴が明確だった。毎年選手は替わっているのにスタイルは変わらない。チームとしての個性がある。

 しかし、もちろんプロに比べるとレベルははるかに低いわけで、競技レベル云々ではなく地域の高校生が一所懸命プレーしている姿が感動の源泉である。しかし、それなしにはサッカー人気が高まらないという段階は、とうに過ぎた。

日本は世界で珍しく「エリート」と「エンジョイ」の中間層が充実

 競技力と普及の両面での役割を終えた高校選手権が仮になくなるとしたら、日本のサッカー界はどう変化するのか。

 高校年代の実力ナンバーワンを決める大会としては高円宮杯がある。そう考えると、高校選手権はなくても困らないかもしれない。だが、選手権はなくても高校サッカーがなくなると困る、あるいは大きく変わることがある。

 高校サッカーと、その象徴である選手権がなくなると、おそらく高校年代のサッカーはプロを目指す「エリート」と「エンジョイ」層に二分されるだろう。現在、プレーしたい高校生は部活動に参加すればサッカーができる。当たり前のようだが、例えばヨーロッパではそういう環境にない国のほうが多い。そのかわりにクラブチームがあるわけだが、日本にはユース年代のクラブチームは少なく、グラウンドやクラブハウスまで完備しているところなどほとんどない。インフラ面で、高校サッカーは大きな役割を担っている。

 日本は世界的に珍しいぐらい、「エリート」と「エンジョイ」の間の層が厚い。高校選手権を目指してエリート並の練習に明け暮れている選手の数が多く、プロではないが草サッカーレベルでもないというプレーヤーを大量に輩出し続けているわけだ。その点では堂々たるサッカー大国なのかもしれない。

 ところが、その中間層は高校3年間で燃え尽きてしまって、「もうサッカーはいいや」ということでJリーグのサポーターにならないことが多い。無理にエリート扱いしたことで、Jリーグは潜在的に最も強力なファンを取り逃がしている。もしかすると高校年代が「エリート」と「エンジョイ」に二分されていたほうが、Jリーグのファンはもっと増えるかもしれない。

 もちろん、高校のサッカー部自体がなくなれば、サッカー人口は激減する。現状でプレーする「場」がないからだ。現在でも中学年代から高校年代で半減しているが、その比ではなくなる。「選手権と全少(全国少年サッカー大会)がなくなれば、日本サッカーは飛躍的に強くなる」という意見も聞くが、何もかもいっぺんにはできないし、一気に解決できないほど利害関係が複雑に絡み合っている。何か良い解決方法はないものかと、この時期になるといつも思うのだ。

一部抜粋

12/22(土) 22:30配信 フットボールゾーン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181222-00156161-soccermzw-socc&;p=1