【野球】黄金時代の郭泰源&デストラーデ、55発カブレラ…印象深い助っ人輩出の西武
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
西鉄時代のロイ、バーマも九州のファンの人気者に
すでに1200人になろうとしているNPBの外国人選手。球史に残る選手も数多く出ている。今回は西武とその前身球団で活躍した外国人選手について振り返ろう。
【一覧】プロ野球助っ人選手歴代トップ5・打者編
○西武とその前身球団の外国人選手、安打数10傑。()は実働期間。
1カブレラ 923安打(2001-2007)
2スティーブ 768安打(1980-1985)
3バーマ 635安打(1963-1967)
4ロイ 620安打(1963-1967)
5メヒア 483安打(2014-2018)
6フェルナンデス 481安打(2004-2005・2010-11)
7デストラーデ 476安打(1989-1992・1995)
8テリー 406安打(1981-1983)
9ビュフォード 380安打(1973-1975)
10ヘルマン 302安打(2012-2013)
○本塁打数5傑
1カブレラ 273本塁打(2001-2007)
2デストラーデ 160本塁打(1989-1992・1995)
3メヒア 124本塁打(2014-2018)
4ロイ 108本塁打(1963-1967)
5フェルナンデス 87本塁打(2004- 2005・2010-11)
○勝利数10傑
1郭泰源 117勝(1985-1997)
2張誌家 26勝(2002-2004)
3ウルフ 17勝(2016-2018)
4オニール 17勝(1952-1953)
5グラマン 13勝(2006-2011)
6ウィリアムス 11勝(2012-2014)
7サファテ 9勝(2013)
8ギッセル 7勝(2006-2007)
9カスティーヨ 7勝(2018)
10ヒース 4勝(2018)
○セーブ数10傑
1グラマン 52セーブ(2006-2011)
2シコースキー 33セーブ(2010-2011)
3郭泰源 18セーブ(1985-1997)
4ヒース 13セーブ(2018)
5サファテ 10セーブ(2013)
埼玉西武ライオンズは、1950年、西鉄クリッパーズとして誕生し、翌年西日本パイレーツと合併して西鉄ライオンズに。
福岡を本拠地として一時代を築くが、1973年太平洋クラブ、1977年クラウンライターと親会社の名前が変わり、1979年に埼玉県所沢に移転し西武ライオンズとなった。2008年からは埼玉西武ライオンズとなっている。
外国人選手を導入したのは早く、1952年にはビリー・ワイヤット、マリオン・オニールが入団。オニールは1953年には10勝を挙げている。
50年代は中西太、豊田泰光、大下弘など和製の中軸打者が活躍したが、彼らが衰えた1963年、トニー・ロイ、ジム・バーマという2人の外国人打者が入団。彼らはともに5年間プレーし、九州のファンの人気者となった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181213-00265311-fullcount-base
12/13(木) 7:20配信
http://www.seibulions.jp/pc/_pl_img/old/expansion/history/seibulions/img/terry.jpg
https://img.topics.smt.news.goo.ne.jp/picture/baseballonline/m_baseballonline-097-20180408-15.jpg
https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0404/users/ad60ac07493f0d1252234d8b06ba79d8fbf72f94/i-img640x480-1523760261drr4ii367923.jpg
http://www.seibulions.jp/upfile_l/File/20090303/ns_1.jpg
https://stat.ameba.jp/user_images/20140901/12/bt1229/92/3d/j/o0280030813053056755.jpg >>129
うん
まぁ、当時はガキながらテリーとスティーブみたいのが当たり前だと思ってたから。
しかし、なぜかブコビッチの前にいたジェリーホワイトの記憶がほとんどない。
何度も生で見てるはずなんだが >>135
いわゆる黄金時代とどっちが強いかは分からんが、
広岡時代当時はどちらかと言えば荒い印象
やっぱ、野球としての完成度が高いのは黄金時代かな。
辻平野の12番を始めとした役割分担がしっかりした打順に加え
先発4本柱に潮崎鹿取といった必勝リレー
広岡時代は、外野が定まらないのと捕手も黒田か大石の二択、投手も役割がコロコロ変わってたかな >>100
福岡時代からの在籍者がほとんど消えた
ドラフト(ドラフト外含む)で松沼兄弟と森繁和、
杉本正を獲得し強力投手陣に変貌
カープでボロボロになっていた高橋直樹を獲得
して再生に成功した 郭も通算は凄かったが単年のインパクトだと、石井丈とか工藤とか久信のが上って印象 >>133
結局ほとんど使われなかったしね
バンバークレオの長打力に期待するくらい実際
に長打力不足に苦しんだのに育成しながら優勝
しちゃったんだから皮肉なもんだ 西武デパートでユニT買って秋山の背番号プリントしてもらったのに開幕したらブコビッチになってて傷ついた小5の思い出。 アッー
アッー
アッー
ラーイオーンズ
ラーイオーンズ
ラーイオーンズ
紙幣を賭ける父を見た
理子 スティーブオンティロペスはピカピカのハゲ
豆知識な >>128
日本シリーズの西本からのあの走者一掃タイムリーは痛かった 83年の広岡西武が最強だな。
シュアーなバッティングのスティーブ、復活した田淵、破壊力抜群のテリー。
脇を固める石毛、山崎、片平と。
そのころ、秋山はまだファームで、わざわざ二軍まで頻繁に見に来てた
広岡に鍛えられまくり、さらに野球留学まで。 84年のドラフトだっけ
デーブと田辺しか取らなかったのは >>150
5月末くらいに若田部から打った27号が衝撃的だった。
その日にレオライナーで暴行事件あったから、いろんな意味で覚えてるw >>149
1983の日本シリーズは名勝負だね
第6戦の9回裏、2アウト2ストライク
巨人の選手たちが胴上げの準備でベンチから
身を乗り出すところまで追い込まれたけど
そこから逆転勝ちして、第7戦も勝って日本一 燃えプロのブコビッチの構えを真似した奴も多いはず。 >>154
当時、スイミングスクールに行かなくてはならず
西武が2ー1で勝って9回表に入る所までしか見てなくて
途中スクール講師が「西武が同点に追いつきました!」
とか言ってきたので「はぁ?」と、そんな記憶が
中畑に逆転打打たれてたのを知らなかった
チラシの裏ですまん 郭泰源は台湾代表時代の球が凄すぎる
ペドロ・マルチネス級 >>149
しかし翌年田淵と山崎が引退すると翌85年は若手
の成長で優勝するもチームは空中分解を起こした >>137
黒田と大石とか懐かしいなぁ
伊東勤になってからはデブが出てくるまでは捕手と言ったら伊東だった >>133
解説で広岡が酷評してたわ
あれじゃ当たらないですよっって
言っていたとおり三振してたわw バークレオって本名なん?西武の助っ人で吠える獅子って出来すぎた名前やな >>169
本名はバンバークレオ
最初の方はバンまで含めて言ってたはず 85年の日本シリーズは東尾を先発で使っていれば阪神に勝ってただろうな 初めて生デストラーデを見た92年日本シリーズでの初打席特大HRには度肝をぬかれた。 中学の時、球技大会でクラス対抗やきう大会があって、うちのクラスやる気なくてたまたまイニシャルがA、K、Dの3人がいたから危うく5番打たされるところだったが、やきう部の奴が多少やる気出してチーム作ったから出なくてよくなって安堵した過去。 ホセじゃないほうのフェルナンデス
トニー・フェルナンデス
メジャーバリバリだと38歳であそこまで活躍できるのかよって思った
>165
控えは仲田で固定だった
打てないけれどいい捕手だった
野手の真正面に打球を上げるのがうまかったw >>170
フルネームはタイラー・リー・ヴァン・バークレオ テリーとスティーブの第一次黄金期だな
日本シリーズでサヨナラと殊勲打が印象深いわ
あと、がんばれタブチ君のタイロン >>154
第6戦の9回裏は、悪名高い葉っぱの生涯最大級の功績だね 郭泰源の印象が極めて強いせいで、外国人先発投手の発掘力のなさが目立たなくなってるな
そしてヘルマンは今でも許してない 郭泰源とデストラーデの時にヤングという第3の外国人投手がいて、
郭が投げた後に登録抹消してヤングを投げさせるという使い方をしてた
だけど、ヤングは制球難過ぎて使い物にならなくて
郭も登板間隔が空きすぎて却って調子を崩すという西武にとって誰も得をしない結果になった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています