大阪・浪商(現大体大浪商)元監督の広瀬吉治(ひろせ・よしじ)氏が12日に死去した。89歳だった。

 広瀬氏は1946年、戦後初の夏の大会で浪華商(浪商の前身)の捕手として全国制覇。法大を経て、53年に洲本(兵庫)の監督として選抜初出場初優勝。決勝戦では母校の浪華商を破った。

 68年から母校の監督に就任、厳しい指導で知られ、79年選抜では牛島和彦―香川伸行のバッテリーを擁して準優勝に導いた。監督として甲子園通算15勝。退任後は大院大監督も歴任した。

 告別式は14日午後1時30分から、大阪府吹田市桃山台5の3の10の公益社千里会館。喪主は長男の吉孝(よしたか)氏。

 ▼牛島和彦氏 何年か前から具合が悪いとは聞いていたが、弱っている自分を見せたくないとお見舞いにも来てほしくないように聞いていた。僕は1年生の時から調整とかを任せてもらい、自分で考えて練習する基礎ができたと思っている。

[ 2018年11月14日 05:30 ]
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