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――そして、90年元旦(放送は翌2日)には、イカ天に出演したバンドから厳選された21組による日本武道館でのライブ「輝く! 日本イカ天大賞」も開催された。

萩原:あれはね、当時TBSでは大晦日に日本武道館で「輝く! 日本レコード大賞」を放送していたんですよ。そのセットをほぼそのまま使わせてもらったの。それとね、日本武道館の正月は、例年ならジャニーズが押さえていたんだけど、このときは昭和天皇が崩御して1年経っていないということでキャンセルしたらしいんですよ。だから、イカ天で使えるようになったと、当時、聞きました。いくら番組の人気があったからといって、正月の武道館は簡単には押さえられないもの。武道館でボクは「これは初夢みたいなものだから、みんな頑張ってほしい」みたいな挨拶をしたんだけど、みんなこの勢いはまだまだ続くって感じだったな……。

――萩原氏はじめ初代審査員たちは、90年3月を以て番組を離れる。新たな審査員たちによって番組は続けられるが、急激に人気を落としていった。番組は90年12月29日を以て終了する。

■イカ天の功罪

萩原:ポップミュージックは、熟練したスタッフワークによって作り出されるものでしたが、誰だってやっていい、誰にだってできる、という価値観に変え広めることができた番組でしたね。もちろんイカ天だけではなく、ホコ天やバンドブームもそうです。アマチュアが音楽を楽しむにはそれでいいと思うのですが、音楽業界まで安易にさせてしまうという弊害も出てきた。荒削りな演奏でいいんだ、と。そういうジャンルもあっていいのですが、みんなそうなっては困るのに、業界が浮き足立ってきたんです。プロデビューが決まっているのに、番組に出演させて知名度を上げるなんてこともありました。ボクたち審査員は知らない中でね、あとになって「やられたなあ」って思うこともあった。だから、1年ちょっとで辞めさせてもらったんです。一気に盛り上がり急速に収束したのも、そういった問題が出てきたからだと思います。

――ブームを作りながら番組は2年ももたなかった。そしていま、平成の終わりに、再びイカ天のライブである。

萩原:「頑張ってるんだな」と思うと嬉しいですよ。イカ天ではライブハウスに足を運ばなければ会えない連中に会うことができた。あの番組は音楽番組でもあると同時にバラエティ番組でした。ボクら審査員は「こんなにすごい奴がいる!」というバンドを評価しましたが、番組が人気になったのは滅茶苦茶なことをやるバンドがいたからですよ。初回から、ボクたちの評価に怒ってパンツ下ろしちゃう子がいたりね。「彼ら彼女らをボクらは正当に評価できていたのか」と思うことがあります。また、ボクは他の審査員から悪評が多いと、いい部分を強調したり、逆に高評価だと敢えて厳しく言ったり、バランスを取ることも多かったんです。「あれでよかったのかな」と思うこともありますね。今年はイカ天出場バンド「馬の骨」のボーカルで、今は俳優の桐生コウジさん(52)が監督を務めた映画「馬の骨」が公開されましたしね。やはり平成も終わるということで、こうしたライブ企画が出て来るのかもしれませんね。

――萩原氏も本人役で出演した映画「馬の骨」(18年6月公開)は、イカ天出場という過去の栄光を忘れられない中年男と平成生まれのアイドル歌手との奇妙な交流を描いた音楽コメディ――。当時のバンドマンにとってイカ天は、高校球児の甲子園と重なるようなところがあったのかもしれない。ところで、西新井のライブの出演者は、アンダーテイカー、中学生日記、THE KIDS、パニックインザズー、GUEEN、ミンカパノピカ、 イエロー太陽's、BELLETS、石川浩司(ex.たま)、和嶋慎治(from 人間椅子)、Rama Amoeba(ex.マルコシアス・バンプ)、宮尾すすむと日本の社長、和久田理人(ex.スイマーズ)、まゆたん(ex.マサ子さん)、氏神一番、馬の骨、メカエルビス&イカ天オールスターズ。そして「シークレットゲストあり」ともあるが……。

萩原:SNSではボクの名前が挙がっているそうですが、ボクじゃないですよ。この日、同じ時間に、ボクは別の仕事が入っちゃってます。応援してるって伝えてください。