イカ焼きでもゲソ天でもない、“イカ天”である。10月8日、「イカ天30周年記念スペシャル『にしあらイカ天』」と銘打たれたライブが、東京・足立区西新井の西新井文化ホールで開催される。40代半ば以上の方には、お! イカ天か!! と思われるかも――。

平成元年(1989年)2月11日より、TBSで放送された深夜番組「平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国」の通称こそ“イカ天”である。昭和天皇が1月7日に崩御され、平成の御代となっておよそひと月、日本のテレビ・ラジオ番組で初めて“平成”を冠につけた番組でもある。

土曜の深夜に10組のアマチュアバンドが登場し、7人の審査員(当初は5人)により判定される。審査員席には青ランプと赤ランプがあり、“見たくない”と思ったら赤ランプのスイッチを押す。赤ランプが2つ点灯すると、バンドの映る画面が小さくワイプ映像になり、7つ全てが点灯すると演奏終了、画面は消えてしまう。ただし、審査員が青ランプを押せば画面は広がるというシステム。完奏者の中から勝者(イカ天キング)が決まり、翌週からはそのキングを倒すためにチャレンジャーが挑む。そして5週連続でイカ天キングを防衛したバンドはグランドイカ天キングとなって、メジャーデビューが約束されるようになったのは途中から……当初はプロの使用するスタジオで録音ができるというものだった。

というのも、番組の急激な人気と共に、業界への影響力を増していったからである。当時のことを、“審査委員長”で音楽評論家の萩原健太氏(62)に振り返ってもらった。
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■2カ月だけの穴埋め番組? 

萩原:最初に言っておくとね、みなさん、審査委員長と言ってくれるけど、ただの審査員だったんです。たまたま審査員席の端っこにいて、なんだか審査の総括みたいなことを言うような役回りになっただけなんです。ボクは、勤めていた早川書房を辞めたのが81年だから、当時は音楽評論家といっても10年も経っていないペーペーでした。湯川れい子さん(82)というベテランもいる中で、ボクが委員長なんて、おこがましいじゃないですか。それに毎週土曜の深夜を拘束されるのなんて堪らないと思って、出演を断っていたくらいなんです。あの番組、4月までの穴埋め番組と思っていましたしね。

――穴埋め番組? 

萩原:そう、勝手にそう思ってた。番組がスタートする直前に、スタッフから「今週から始まるので、お願いします」と言われて、仕方なくというのが正直なところでした。まさか、あんなに盛り上がるとは思いませんでしたよ。

――この番組からメジャーデビューしたバンドは数多い。FLYING KIDS、BEGIN、たま、JITTERIN'JINN、BLANKEY JET CITY、マルコシアス・バンプ、カブキロックス、人間椅子、宮尾すすむと日本の社長……。彼らのアマチュア時代を見ることができたのだ。また、みうらじゅん(60)やマンガ家・喜国雅彦(59)らで組んだバンド「大島渚」も人気だった。“イカ天”は当初、TBSとCBC(中部日本放送)のみ2局ネットで始まった。それが人気が上がるにつれてネット局は増え、同年10月には11局、最終的には16局とほぼ全国的で放送されるまでに。深夜にもかかわらず、瞬間最高視聴率が7.9%に達することもあったという。この年は新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞も受賞した。

萩原:でも大阪では最後まで放送されなかったんです。当時は「板東英二のわがままミッドナイト」(毎日放送)がすごい人気で、イカ天は流れなかったんです。だから大阪では誰もボクのことを知らないのが有難かった。もちろんイカ天で名前も顔も売れたのは感謝しているんですが、レコード店でも一般に人に話しかけられるようになっちゃってね、「このレコード、どうですか?」とか、店内で言わせるなよ、なんてこともありましたから。

>>2以降に続く

10/5(金) 10:03
デイリー新潮
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