0001砂漠のマスカレード ★
2018/09/29(土) 13:24:14.18ID:CAP_USER9入団14年目の今季は5月12日のDeNA戦(横浜)で勝利し、球団史上初の通算150ホールドポイント(救援勝利+ホールド)を達成。
球団歴代5位の通算490試合に登板した右腕が、惜しまれながらユニホームを脱ぐ。
救援陣の屋台骨を支えた。この日、イースタン・リーグ、DeNA戦(横須賀)の八回途中に登板した松岡が、引退を決断した。
「悔いはないです。最近3年間は、いつやめても良いという覚悟を持ってやってきた。
若手が出てきて、素直にうれしく思える自分がいた。潮時だなと感じました」
失敗から始まった14年間だった。入団1年目の2005年。
春季キャンプのブルペンで捕手・古田に習得中のフォークを投げず「一生投げへんの? ええわ」と途中で立ち去られた。この叱咤(しった)が転機となった。
懸命な努力で落差の大きいフォークを身につけ、08年からセットアッパーに定着。10年には当時の球団最多記録となる73試合に登板。
ブルペンに欠かせない存在に成長した。後に古田氏が関係者に「ここまでの投手になるとは思わなかった」と目を細めたのを伝え聞き、「本当にうれしかった」と涙を浮かべた。
人情に厚く、涙もろい九州男児。
今季は13試合の登板に終わり、潔く引退を決めた。
真っ先に報告したのは支えてくれた夫人・麻由子さんら家族。
父・孝親さんからは電話で「よくやったな」と声をかけられ、こらえていた涙があふれた。
印象深い場面には07年8月21日の阪神戦(神宮)で桧山進次郎に浴びた満塁弾を挙げた。
脳裏に浮かぶのは成功より、失敗ばかり。「良いイメージは浮かばない。
でも、だからここまでやって来られたのだと今は思う」。不安を自信に変えて積み重ねた通算150ホールドポイントは、球団最多記録だった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180929-00000017-sanspo-base
9/29(土) 7:00配信
https://i.daily.jp/baseball/2016/04/18/Images/09000304.jpg
https://www.sanspo.com/baseball/images/20180512/swa18051220280006-p3.jpg
http://npb.jp/bis/players/51455110.html
成績