0001鉄チーズ烏 ★
2018/09/10(月) 18:51:28.39ID:CAP_USER970年代、80年代のアバの曲を基にしたミュージカル映画『マンマ・ミーア!』の続編『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』が、世界中で大ヒットを記録している。
映画を起爆剤に、今再び巻き起こったアバのリバイバルブームは、35年ぶりとなるグループの再結成も盛り上がりを後押し。実現不可能と言われた復活劇の背景を知れば軽快なポップサウンドに隠れた、リアルな男女の思念が浮かび上がってくる。
■夫婦2組からなる、特殊なグループ構成
男女4人組のスウェーデンの伝説的ポップグループのアバ。男女混合のグループも当時は珍しかったものだが、加えて彼らは2組の夫婦から構成されたグループだった。
ピアノ担当のベニー・アンダーソンとギタリストのビョルン・ウルヴァースが、それぞれ彼女(後に結婚)と妻を引き入れる形でアバを結成し、1972年に活動をスタート。アバ(ABBA)というグループ名は、ボーカルのソプラノ担当のアグネッタ・フォルツコグ、アルト担当のアンニ=フリッド・リングスタッド(通称フリーダ・リングスタッド)も合わせたメンバー4人の頭文字をとったものである。
1974年のユーロビジョン・ソング・コンテストにおいて『恋のウォータールー」で優勝を果たし、一躍スターダムへ駆けのぼっていったアバは、世界中の音楽チャートで首位を獲得し、商業的にも成功する。
ただしグループの人気が出れば出るほど、4人の関係は緊張したものになった。2児の母親でもあったアグネッタは、ツアーで子どもに会えない状況にストレスを抱え、夫ビョルンと次第に不仲に。結果的に2人は1979年に離婚。続いて、1981年にはベニーとフリーダも喧嘩が絶えなくなり離婚。健全なファミリーグループのイメージは崩壊し、その後に発表した曲もメランコリックを強調するものになった。1982年末にグループは解散という決断を下す。
「『ザ・ウィナー』(原題は『The Winner Takes It All」)は、結婚生活が破綻した後に、ビョルンが2人について書いたの。離婚後に書いたという事実にグッとくるわね。そういうことを曲にするのは気にしなかった。すごく感情移入できるから、歌い甲斐があったわ。皆とこの曲を共有するのは気にならなかったし、間違っているとも思わなかった。あの曲には色々なものが含まれているの。私が感じていることとビョルンが感じていることが混じりあっているけど、ベニーとフリーダが経験したことでもあったの」と、アグネッタは当時のことを後に、5年前のインタビューで回想している。
■沈黙から歩み寄った、男女4人の複雑な思い
ベニーとビョルンは、解散後もタッグを組み続け、舞台音楽の作曲でも成功する。ミュージカル『マンマ・ミーア!』の誕生は、彼らのその後の活躍が生み出した賜物だ。フリーダは、解散後ボーカリストとしてソロ活動を続け、1992年にはドイツ貴族と再々婚(1999年に死別)。プリンツェッシン(公子妃)の称号を持ち、スウェーデン王室とも交流を深めるなど、社交性を生かした活動が目立っている。
精力的に活動する3人に対し、ビョルンとの離婚で、精神的に不安定に陥ったと明かしているアグネッタは、細々とソロ活動を行うものの滅多に人前に現れることなく、1988年には育児のために引退宣言を発表(2004年に復活)。人々の前から姿を消して、ストックホルム郊外の小さな島に閉じこもったアグネッタのことを、マスコミは「隠遁生活」「第二のガルボ」と揶揄するようになる。
そんな膠着状態が長年続き、ファンの間では、グループ再結成は夢また夢の話だとささやかれていたが、わだかまりは少しずつ雪解けをみせる。育児が落ち着いたアグネッタは、積極的にソロ活動に取り組み、映画『マンマ・ミーア』1作目のプレミアにも姿を現した。2013年には9年ぶりのソロアルバム『A』を発表している。
さらに2016年7月に行われた、ベニーとビョルンの活動50周年を祝うパーティーの場に、4人は30年ぶりに揃って姿を見せた。ステージ上で、フリーダとアグネッタがある歌の歌詞を朗読すると、その歌を知っていたベニーとビョルンは即興で歌い出したのだった。これがアバ復活の瞬間だった。
ブランクを感じさせない息の合ったパフォーマンスに、かつての輝きを見出したフリーダは、他の3人の説得を試み、これが再結成に繋がったのだ。
>>2以降に続きます
2018年09月10日(月)17時20分
https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2018/09/post-74.php