0001みつを ★
2018/09/08(土) 06:23:27.32ID:CAP_USER92018/09/07
伝説のヌード
https://ichef.bbci.co.uk/news/410/cpsprodpb/134D6/production/_103326097_br_cosmo624.jpg
6日に死去したハリウッド・スター、バート・レノルズさんは1972年、当時としては画期的なほぼ全裸の姿で雑誌の見開きに登場し、出版界のタブーを砕き、女性向け雑誌の新時代を開いた(編注・日本では「レイノルズ」表記がほとんどですが、原音に近く「レノルズ」と表記します。この原文記事は2012年4月初出の記事を改稿したもの)。
「ついに登場 男性見開きヌード 誰かさんの赤裸々な真実!」という見出しが、当時の米誌コスモポリタンの表紙に踊った。ヘレン・ガーリー・ブラウン編集長は、女性にとっての勝利だと考えていた。雑誌の編集長や発行者は男性ばかりで、これまで女性の「見たいという欲求」は無視されてきたと、ガーリー・ブラウンは考えていた。
女性の勝利だというほかに、コスモポリタンの発行部数ははねあがったし、バート・レノルズは1970年代のセックス・シンボルになった。このあまりに有名で画期的な写真の裏話を、いくつか紹介する(以下、敬称略)。
1. それはテレビ番組で始まった
バート・レノルズがNBCテレビのトーク番組「トゥナイト・ショー」の司会者ジョニー・カーソンの代打を務めていたときに、ヘレン・ガーリー・ブラウンがゲスト出演した。「ハンサムで面白くて、素晴らしい体の持ち主で、すごく元気だった」。ガーリー・ブラウンは後に、コスモポリタン創刊100年史の著者ジェイムズ・ランダースにこう話している。「おしゃべりをしながら、うちの雑誌に出てくれないか頼んでみた」ところ、新進のスター俳優は同意した。
2. ポール・ニューマンだったかもしれない
ガーリー・ブラウンはレノルズより先に、まずポール・ニューマンに話をもちかけたが、断られていた。
3. バート・レノルズはこれでセレブリティに
雑誌の発売翌日、レノルズはサインを求める女性たちにもみくちゃにされた。舞台出演中だったレノルズは、観客の反応が変わったことに気づいた。「それまでは礼儀正しかったのが、いきなり騒々しくなった」。
「それまでは立ち上がって拍手するスタンディング・オベーションだったのが、まるで大衆演劇のような掛け声や口笛などの大騒ぎに変わった。出ている芝居よりも、僕の陰毛のほうが大事だったんだ」と、レノルズは1994年の自伝に書いた。ガーリー・ブラウンは、「それまでは映画スターだったが、あの写真でセレブリティになった」と評した。
4. コスモポリタンは悪名を獲得
「男性は、女性の裸を眺めるのが好き。当時はそういうものだった。でも誰も口には出さないまでも、実は女性も、男性の裸を眺めるのが好きなんです。私がそうだった」。ガーリー・ブラウンはランダースにこう話した。ランダースは、レノルズのヌード写真によってコスモポリタンは一線を超えてしまい、一般誌から「セックス雑誌」として世間に認識されるようになったと書いた。
5. プレイガール誌が生まれた
レノルズの見開き写真が大成功を収めるのを見て、「プレイガール・クラブ」のオーナーだったダグラス・ランバートは、女性向けのグラビア雑誌「プレイガール」を発行することにした。
「そうか、女性はああいうものを求めているんだと気づいた。男性の笑顔や目が見たいなどと言う女性には、『うそばっかり』と申し上げる」とランバートは話していた。
6. 本人が選んだ1枚
カメラマンは何回もシャッターを押した。誌面で使うショットは、モデルが選んだ。
7. 熊の毛皮は冗談だった
「あれはたぶん冗談なんだと思う」。ニューヨークを拠点とするファッション・カメラマンのマックス・バドゥクルはこう言う。
「いかにも男くさい、マッチョそのもので自信たっぷりな男の中の男だと宣言しているようなものだ」
写真では左腕を巧みに計算された位置においてはいるものの、別に本人はどかしても平気だったのではないか、むしろ喜んでそうしたのではないだろうかというのが、バドゥクルの意見だ。
8. 今では無理
9. 撮影は有名なフランチェスコ・スカブロ
10. シュワルツェネッガーも見開きに
(リンク先に続きあり)
(英語記事 Burt Reynolds nude: 10 facts about the Cosmo centrefold)