「沖縄の誇りです!! 沖縄からありがとう!」

 8月末、東京・渋谷の「タワーレコード」にこんな手書きのメモが貼られていた。9月16日で引退する歌手、安室奈美恵さん(40)に寄せられたファンからのメッセージだ。

 売り出したばかりの最終ツアーのDVDとブルーレイは2日間で109万枚売れ、音楽映像作品で初めて100万枚を突破した(オリコン調べ)。昨夏までのシングル総売上枚数は1766・5万枚。渋谷では街じゅうに安室さんの大型広告が掲げられ、記念撮影する人の姿も絶えない。

 かつてこの街は、長い茶髪にミニスカート、厚底のブーツという安室さんのファッションをまねた「アムラー」であふれた。1992(平成4)年にデビューしてミリオンセラーを連発した安室さんは、社会現象になった。

 だが彼女に「熱狂」したのは若い女性だけではない。そのころ、79年生まれの私は仙台に住む高校生だった。両親は沖縄生まれ。アムラーには縁遠く地味に暮らしていたが、当時母にこう言われたことは鮮明に覚えている。「(ルーツが)沖縄だと堂々と言えるようになってよかったね」

 今夏、沖縄市で開かれている安室さんの歩みをふり返る展示会に足を運ぶと、子連れから高齢の女性グループまで、老若男女が入場待ちの長い列を作っていた。1人で訪れた那覇市の会社員の女性(54)は「沖縄出身だと下に見られてるっていう劣等感があったけど、彼女の活躍で、引き上げてもらった」といった。東京に住んでいた小学生のころ、「琉球人」と言われたこともある。それだけに安室さんの存在には励まされてきたという。

 彼女が沖縄出身であることは広く知られているが、必ずしも「沖縄らしさ」を前面に出したわけではない。それでも「安室=沖縄=かっこいい」という図式で沖縄を変えた。まだ小学生だった彼女が歌やダンスを学んだ「沖縄アクターズスクール」のマキノ正幸校長(77)を訪ねると、「沖縄かどうかは関係ない。1千万人に1人の逸材が安室だっただけ」と言った。マキノさんは71年に東京から移住し、83年にスクールを創設した。「沖縄の人は支配されるのが当然になっていて、戦い方を知らないと感じた。俺が教えたのは、競争社会の生き残り方だ」

 今年5月、翁長雄志(おながたけし)・沖縄県知事は安室さんへの県民栄誉賞授与の場で、「『平成の歌姫』として一時代を築いた」とたたえた。その3カ月後。普天間飛行場の辺野古移設で政府に抵抗を続けた翁長氏が死去すると、安室さんはこんなコメントを出した。「沖縄の事を考え、沖縄の為に尽くしてこられた知事のご遺志がこの先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております」

 深く勇気づけられた、と那覇市の編集者、喜納えりかさん(42)は言う。長く政治的な発言をすることはなかった安室さんだが、「沖縄の現状をわかっているからこそ、言葉を選んであのコメントを出してくれたんじゃないかと」。

 だがその談話に、ネットではこんな言葉も飛び交った。「安室が翁長支持で現れたのは、驚きでした。安室って、反日なの?」

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朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL80745HL80UCLV00M.html