【高校野球】 「木内マジック」で通算3回の優勝、木内幸男元監督(87)が語る甲子園決勝戦 気持ち入りすぎた金足農 平常心の大阪桐蔭
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https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/08/22/kiji/20180821s00001002397000c.html
スポニチの題字に(ヤンキースの)田中君が「氣持ち」と書いている。まさにその言葉が勝敗を左右した決勝だった。
2度目の春夏連覇か、東北勢初優勝か。どちらも偉業のかかった一戦で、金足農の吉田君はいつものように心穏やかに投げられなかった。
いきなり招いた初回無死一、三塁の大ピンチ。3、4番を連続三振に斬った吉田君は5番・根尾君に対して感情が入り過ぎた。
準決勝までは「自分のボールを投げれば打たれない」と開き直って抑えてきたが、ピンポイントでコースを狙って四球。
力勝負に行った結果、満塁として相手に攻めやすくしてしまった。暴投と二塁打で3失点。
石川君に打たれた二塁打は完全に外角を狙われたもので、ピンチでも平然と投げる姿が消えていた。
全試合投げてきた疲れは当然ある。「相手は大阪桐蔭」という思いも普通の状態でなくしていた。味方が3回に反撃の1点。
気持ちの入った直球はまだまだ打者を押し込んでいたが、4回1死一、二塁では揺れ動く気持ちがボールから威力を奪っていた。
宮崎君に3ランを打たれ、6失点した5回で降板。この夏初めてマウンドを降りた吉田君は帽子を少し深く、顔を隠すようにかぶっていた。
彼の心の優しさが表れていたシーンだった。
力量が上回る相手との対戦は「勝とう」と思うと難しくなる。ミスはできないと、どうしてもプレーが小さくなるからだ。
取手二の監督だった84年夏。KKコンビのPL学園との決勝で、
選手たちに「桑田は3連投したことないかんな。今日は打てっど」と言ってやった。「勝とう」ではなく「打てる」と。
実は6月の招待試合で桑田君に1安打零敗をしていて、その悪いイメージを払しょくしたかった。準々決勝からの3連投目。
疲れが出るから桑田君を打てると信じさせた。
私の野球は「木内マジック」と称されるが、いわゆる「弱者の兵法」だった。子供たちの性格を知り、気持ちを乗せて力を引き出す。
高校生はこの気持ちが最も重要でプレーに直結する。ダルビッシュ投手の東北に勝った03年夏の決勝。
「勝ったら、将来子供に自慢できっぞ」と言って本当になった。気持ちというのは、信じられない力を発揮させるし、持てる力を出せなくさせてしまう。
平常心で力を発揮した大阪桐蔭は文句なく日本一のチーム。吉田君に対し、ミートを意識してコンパクトに強く叩く打法で確実に攻略した。
こんな打撃をされたら、高校生では抑えられない。勝ち方を知り、負けない土台を築いた西谷監督は見事と言うほかない。
この夏、決勝まで全55試合を見せてもらった。大阪桐蔭の牙城は揺るがないと感じた一方、東北勢の初優勝はそう遠くないとも感じた。
34年前の甲子園、準々決勝前の練習場で取手二と入れ違ったのが金足農。
「公立の農業高校が、地元の子でどうやって勝ってきたのか」と思ったのが懐かしい。
バントを多用する中泉監督は、近代野球にとらわれず“古き良きもの”を残していて、どこか私の野球に似ている。
打撃優位の今、これだけバントしての準優勝。東北地方からは大谷(エンゼルス)、菊池(西武)ら好投手も次々と生まれている。
101回目の夏も楽しみだ。 (元常総学院監督) =終わり=
◆木内 幸男(きうち・ゆきお)1931年(昭6)7月12日生まれ、茨城県土浦市出身の87歳。
土浦一で外野手として活躍し、卒業後も母校の指導を続けて53年に監督就任。
57年に取手二の監督に招へいされ、84年夏に桑田、清原の「KKコンビ」のPL学園を破って初の全国制覇。
翌85年に常総学院の監督に就任し、01年センバツ優勝。03年夏の日本一を花道に一度勇退したが、07年に復帰。11年夏を最後に現場を退いた。
歴代6位の甲子園監督通算40勝。 昨日の試合が始まる前のワイドショーが金足農贔屓一色でムカついたというか悲しくなった
相手の大阪桐蔭もレベルとかは置いといて同じ高校生なのにあんなことしたら駄目だわマスコミ
完全に大阪桐蔭をヒール扱いしていた
2度の春夏連覇をすることは立派なことで犯罪ではない
もしかして大阪桐蔭は報道を観ててキレて火がついたんじゃね(それは無いか)
試合後も「負けた金足農が可哀想で勝った大阪桐蔭が極悪人」な図で放送してたし
ゲスだな
今日もどう放送するか見ものだわ
今日も報道の主語は負けた金足農でした
どうもありがとうございました
シ ね 87歳で55試合見たんかい まあエアコンの効いた部屋だろうが。 気持ちの差で10点も点差が開くのか?
間違えて決勝でてきた場違いチームの末路って感じしかしない 流石に決勝でKKコンビのPLやダルの東北を負かしただけはあるな 取出二高の時は取手近郊の子ばかりで優勝した
木内さんは凄いよ 昭和の価値観でとまってたらダメなんだよ
英才教育してる韓国や台湾が強くなって勝つのも難しくなってる時代だからな 決勝がクソ試合で激萎えしたわ。
公立忖度で勝ち進むのはいい加減やめにしろや胸糞悪い 仁志の書いてる記事だとかなり厳しい人の印象だったけど今年殆ど取手二高の事でインタビュー受けてる映像見て印象変わった >>8
なんかあのPLをなんて言ってるが秋の国体でもPLに圧勝してる
普通に取手二高のほうが強かった 連戦連投の吉田では傭兵軍団を抑えられなかった
これが全てでしょ なんだ自分も決勝で東北の夢を摘んだ一人じゃないか。
今にして思えばダルビッシュの東北が一番優勝に近づいていたのかも知れない。 まあ、決勝で勘違いした金足を今後100年は立ち直れないほどボッコボコにしてくれてスカッとしたな 柿木と吉田の疲労度の差だよな
準決からせめて3日でも空けてやれば少しは違う結果になったかも知れんね 名将も87か
でもまだまだお元気なようで喜ばしい限り
他とは一味違う観戦記をもっと読みたいので長生きしてください 大阪桐蔭と金足農は選手の差もあったが、それ以上に監督の能力差がありすぎた
金足農の監督、甲子園を通して采配がうまくいったことないだろ >木内幸男元監督(87)が語る甲子園決勝戦 気持ち入りすぎた金足農
気持ちなー
さすがは、取手二高時代にPL学園に勝っただけのことはあるなwww 在日は、日本人の判官びいき気質のおかげで、安心して日本に住み着き、好き放題出来てるんだから、
文句言ってんじゃねえ。
野党・公明党のうたい文句と、マスコミの政治偏向報道は、この気質を利用したものが多いからね。
【世論調査】安倍1強政治「よくない」69%へ
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1533596421/l50
406名無しさん@涙目です。(大阪府) [DK]2018/08/07(火) 09:41:56.21ID:EQO0HuXL0
>>1 長い間、同じ与党の朝鮮公明党が(政策を骨抜きにし続けて)いるのに、「一強」とウソをつく、糞メディア
理由は、
これ以上、自民党の支持が増えると、その朝鮮公明党との連立を解消されてしまうからw
自民「単独」で320議席(2/3)に満たなかった前回の選挙は、本当は
公明党(在日&韓国)の勝利=自民党(日本)の敗北
自民党「衆院3分の2」で安倍首相が公明党を捨てる日
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/155748/
自民・船田氏…「野党・公明党のみなさんと協議し、衆参両院の3分の2をこえる人が
賛成してくれなければ発議はできない。だからこれから大いなる妥協が始まる。
自民の憲法草案は、 ズタズタになると思って結構だ」
http://hope.2ch.net/test/read.cgi/seijinewsplus/1425226082/ まあ木内監督なら優勝してただろうな。金足は監督が優勝するにはボトルネックだった。 取手に負けた理由を探しに行った/桑田真澄5
https://www.nikkansports.com/baseball/column/kunikarakoko/news/201801300000555.html
> 采配だけではなかった。ベンチに戻ったナインを、木内は「せっかく甲子園で決勝戦ってんだから、1イニングでも長くやっぺよ」と励ました。
> 中島 何で同点にされるんだと怒られると思っていたら、真逆でした。普段はよく叱られた。 > でも甲子園に来たら、好きなようにやらせてくれた。監督のそれも人心掌握術でした。
> 思いもかけない木内の激励で気力を取り戻した取手二が延長10回、桑田をとらえた。160球目を中島が決勝3ランに。
> 4−8でPL学園は敗れた。被安打12、失点8は桑田の甲子園ワースト記録だ。
> 桑田 練習試合では大差をつけたチームに、なぜ負けたんだろうとずっと考えていました。
> 2カ月前の練習試合では13−0と圧勝していた。「なぜ」を消化するため、桑田は秋の国体後、取手二に足を運んだ。
> PL学園は寮生活のため、よほどの理由がない限り外出は認められない。異例の行動だった。
> 桑田 取手二の野球は、僕がそれまで知っている野球観とは全く違いました。
> そこで彼らはどういう環境で、どんな練習をしているのか、自分の目で確かめたいと思いました。
> 全寮制のPL学園とはかけ離れた世界が取手二にはあった。当時の取手二ナインは、男女交際OKで、彼女からもらったお守りを首から下げる選手もいた。
> 監督木内の繰り出すアイデアも規格外だ。甲子園大会中のこと。初戦・箕島戦の前には勝った場合、ご褒美として、海に連れていくことを約束。実際に海水浴場に繰り出したりしていた。
> 高校日本代表で親交を深めた取手二の選手は、桑田を快く迎え入れる。
> 中島 普通の県立校だったんで、桑田君はびっくりしていました。
> ハード面だけを見れば、野球部専用のグラウンドを持つPL学園を上回るものは見つからなかった。
> ただ石田や主将・吉田剛らの家も行き来し、対戦だけでは分からなかったものを桑田は見つける。
> 桑田 目指しているゴールが同じでも、そこに行く方法論はいくつもある。寡黙に、苦痛に耐えて笑顔を見せない。そういう昔ながらの野球観だけじゃないんだ。
> 取手二の「のびのび野球」からは、失敗を恐れずプレーし、笑顔で野球を楽しむというスポーツの原点を再確認することができた。
> 野球に取り組む際の多様性を肌で感じることができた。桑田は、その後の野球人生でも生きる大きな学びを得た。(敬称略=つづく) 桐蔭あいてだとひとつでも先の塁に進めたくないと思ってエラーやミスをやりがちになる >>24
今年の金足農業を当時の木内が監督してたら勝てたかもな。
金足農業の監督はなんかサイコパスっぽくてヤベーわ。
地方大会から甲子園決勝まで投手交代も代打も代走も全てゼロとかありえないだろ。
しかも3年生が10人しかいないのに、唯一控えの3年生をベンチメンバーにすら入れないとか。
昨日も吉田を替えたのは「吉田を替えてやってくれ」という他の3年の進言があったからで、監督はまだ投げさせるつもりだったらしいし。
木内も監督時代は血も涙もない勝負師だったけど、勝つための最適解を常に考えてたからな。
昨日の吉田は連投によるケガより大阪桐蔭にメンタルぶっ壊されたんじゃないかと心配になる。 取手とPLの決勝戦の時、桑田は指の血豆が破裂して、終盤はストレートしか投げられなかったそう。
ハンデ込みの結果のようだけど、ウィキによると、実はその秋の国体でも、取手がPLを下したそうな。
常総も、木内さんがいなくなってから目立ってないし、やっぱり監督の力ってすごいな。 負けられない〜なテロップとか、完全に負けフラグだもんなw 気持ちの問題
初回は中軸から三振取ったけど逃げてたからな
やっぱり怖くても強気に勝負しないと大量点を食らう 長嶋より5つも年上だったのか
80まで高校生を指導してたってすごいな 木内さんの言葉で一番印象的なのが
甲子園は3年に一度出ればいいの。じゃないと妬まれっから
確かにそうなんだろうな >>25
木内が最初に引退する前は常総はそんなに選手を集めてないぞ。
地元民と常磐線沿線の千葉民ばっかり。
当時の常総は3年になると自宅通学OKだったから、通学圏の選手で試合してた。
もちろん地元の有望選手には声かけてたが、木内が「大人がガキに頭下げると勘違いするし、気にくわない時に干せなくなる」という考えだったから、言われるほど選手集めはしてない。
だからあれだけ甲子園出て結果残しても、木内時代の常総からはプロ、特にピッチャーのプロ入り選手はほとんどいないし。 >>37
それはどっかの名監督にそう言われて考えを変えたんだよ
それまでは毎年目指せ甲子園だった 吉田が桐蔭をバッタバッタとなぎ倒すかと一イニングだけ見た。
吉田も疲れを押して精一杯の投球していたが、所詮多勢に無勢。
全国から寄せ集めた打撃陣には無理と分かって、見るのをやめた。 流石木内さん見る眼あると思う。駒苫の回顧を読めば甲子園初勝利がチームの目標で後はおまけだから楽しくやろうという気持ちだったと書いてあった。東北は欲しがりすぎなんだよ。 >>13
まだ仁志の頃は鬼だったんじゃないか
元々取手二はヤンキー軍団だろ 桐蔭は決勝に来るまでがプレッシャーとの戦い。決勝来たら負ける訳ない 仁志自身も言ってたが自分が通ってた頃の常総学院は偏差値で言えば中の下のようなレベルだったとか >>42
木内は引退してから丸くなっただけ。
監督時代はタイブレークも絶対反対だったけど、今は大賛成と言ってる。
監督時代は40半ばまで甲子園経験すらない、取手時代は月給8万の野球狂だから、当時だって普通の大人じゃないよ。
若い頃は思い出代打とかやってたんだろうけど、情をかけることで何度も甲子園逃しただろうから、少なくとも72でダルビッシュの東北に勝って全国制覇&1度目の監督引退するまでは超ドライな勝負師だよ。 木内マジック懐かしい
ご健在か
お元気そうで何より スラムダンクで最も人気があるのは湘北ですよね
こんなの疑いようがないわけw
桐蔭に例えられる海南、名朋、山王は完全に脇役だろww
優勝したとする名朋なんて激しくどうでもいいだろ
桐蔭は一般人からすれば所詮はこの程度の認識
一般人は漫画の世界で照らし合わせて
金足と湘北が被りまくるわけ、最後にまけたのもな
桜木がリハビリするのも流川が全日本代表なのも全部被る
どっちが人気あるかなんて当然の結果だろw 気持ちも糞もないよ
吉田が初回から肩で息して棒球投げてたじゃねーか そんなことより吉田の選手寿命終わったんだが
関係者は責任取れるのかなw
間違いなく怪我してプロ入り3年でクビですよ 王者桐蔭相手にバントバントでアウト献上するような雑魚高校に勝ち目なし 今年の茨城決勝戦だった常総学院と土浦日大は
教え子の監督同士見に行ったぐらい元気らしいな 確か魔法が解けた次の年は地方大会1回戦敗退だったな >>14
> >>8
> なんかあのPLをなんて言ってるが秋の国体でもPLに圧勝してる
> 普通に取手二高のほうが強かった
PL学園 1 1 0 0 1 0 1 0 0 4
取手二 1 0 1 0 3 0 0 0 X 5
5-4を世間では圧勝っていうんだ?
しかもPLって甲子園で投げていない3番手Pの野口が先発ってなってるけど?
5chって本当に適当なやつが多いよな 取手二高は県立だったのか
まあ名前でわかりそうなものだが
あの怪物PL倒して優勝はすごいよ 疲労困憊の桑田と、この甲子園で初の連投となった柿木なら、残りのスタミナ面で結構差があると思うけどな。 取手二高なんて茨城の田舎の糞ヤンキーチームが野球エリートに勝ったのが痛快だった >>70
バント多用しなきゃもっと楽に決勝進めたわ >>60
下級生が秋季大会があるし、国体は3年主体で出すので
夏のメンバーから下級生に変わり補欠の3年が出る事が多い
2年だった桑田清原は出場したのかな? 吉田が近鉄だったな。取手二高か。何もかもすべて懐かしい。 >>68
全国制覇メンバーからはキャプテンのショート吉田がプロ入り、エースの石田は早稲田に進んだが中退して日本石油経由でプロ入りした。
その他セカンド佐々木は現常総の監督、サードの小菅が下妻二高で甲子園出て数年前から土浦日大の監督、キャッチャーの中島は新日鉄住金鹿島の監督やってるよ。 木内さんてまだ存命だったのか、てっきり亡くなってると思ってた。 >>25みたいな無知に基づく知ったかって質悪いよな 小原貴洋
私のことを書くので自由ですよね。
私が罹患している病気一覧。
精神病
肝臓がん
膵臓癌
乳がん
白血病
クローン病
HIV
〇大病院は血液検査の結果を誤魔化すので
別の病院で治療するつもりです。
妄想ではありません。 >>79
私立の監督は授業していない人が多い、公立もバラバラで
弱小校は授業する先生監督が多いと思うが
池田の蔦監督は社会科の先生だったはず
箕島の尾藤監督は先生じゃなかったはず
木内の取手二は用務員、この人は慶応に入れるはずだったが家庭の事情で高卒で
色々あって用務員、常総学院ではかなり高い地位にまでなったはず ちょっとマスコミ・・・ええ加減にしとけよ怒
大阪桐蔭の史上初2度目春夏連覇が無かったかのようになってるんだけど?
もう堪忍袋の緒が切れたわマジで
どこにクレーム入れたらいいんだろうか
もはやBPO案件じゃね 取手二って今どうなん?そこそこ栃木では有力校なんか >>67
キャプテンの吉田が長いこと近鉄で代走屋として働いた >>25
それはない
県外者いるけど「ばっか」ではない
ほかの強豪校と比べたら全然少ない
ましてや昔なんてもっと少なかったぞ >>81
いま70歳の人で水戸一高の大学進学率が50%くらいだからな。
学力じゃなくて経済的な問題で87歳なんて進学できんよな。 >>92
木内時代は土浦10:茨城7:千葉3な感じだけど
持丸以降で埼玉東京福島他が入ってきたな 日本で一番面白い野球をやった監督だと思う
心理戦の巧みさはプロの野村克也を凌ぐ
木内野球は一言で言えばズルい野球
野村はそこまでズルくなれなかった
その面では森の方がズルかったが
森は陰なんだよね
木内はなんかユーモラスで明るいから憎めない 常総に移る時に提示された給料が月35万とかだっけ
俺は授業も教えれんからそんなに金はいらんとか言ったらしいな >>95
今70なら団塊やんw
その頃は既に水戸一高はガチガチの県内ナンバーワンの進学校だよ
土浦一高がこの時代は二番手 勝手に亡くなったと思い込んでたw
お元気そうで何よりです。 >>3
木内監督は県立取手二高監督時代にKKのPLを破って優勝してるぞ >>103
取手時代はのみじゃないの?
公立だし茨城では強いってだけで全国から選手集まるような学校じゃないし リアルガチで野球やって来た桑田がのびのび野球の取手二高に衝撃を受けた話が好き みんな根尾で来ると思っていたところに
柿木だからね
そして完投
まさに西谷マジック スレ一覧だと表題が全部見えないから木内監督死去のニュースかと思った もう結果の伴わなくなった木内って人は進化を続ける高校野球では通用しないね
大阪桐蔭のふとっちょが有能だ >>107
ブサイク投げさせたせいで、話題性を失って在京メディアには総スカンだな 高校野球に必要なものは顔!
ジュノンボーイに出場予定の子を一人紛れ込ませておけ。
イケメン枠があれば盛り上がるから。 >>34
初回に根尾から内角直球で三振取ってたらもう少し長持ちしてたと思う
思いっきりたらればだけど >>82
田舎のちょっとツッパった兄ちゃんてだけで、不良ってほどじゃない
愛甲時代の横浜の方が酷い >>107
北大阪大会の決勝を柿木に任せた理由を知っているから、スタメン発表を聞いた時は「ああ、やっぱり」という気持ちだった。 複数の高校を指揮して優勝経験のある監督て
木内くらいかと思ったら
原貢という巨人の菅野のおじいちゃん当たる人が、東海大相模と三池高校を優勝させていた。 木内さん 桑田清原 ダルビッシュに勝って優勝してるんだね
すごいな >>28
漫画みたいな事あるんだな
ドカベンで山田太郎が里中と弁慶高校を訪ねたことあったような感じ 東北の思いとか余計なもの背負わなくていいのにな
北海道が優勝したのもそういう変なこと考えなかったからだろう そう言い残すと新たなる素材探しの旅のため空港へと向かうのであった 東北高校の方が戦力上だったのに常総が勝ったんだよな
あの試合はまさに木内マジック 東北勢の初優勝は遠くない。
そう言われ続けて軽く30年は経ってるような気がするが。大越の頃から言われてるんだから。
てか近い将来、選手保護を目的に大会の在り方が変わったら未来永劫東北勢の優勝はなくなるよ。 >>28
あの試合は俺の中ではベスト試合だったな。
逆転して石田が涙ぐんでいたのが印象的だった。
その後石田は早稲田に進学して、桑田はその石田からの連絡で
大学進学を撤回して巨人入りしたんだよな。
誰からも学ぼうとする桑田の行動力はこのころから秀でていたと思った。 >>119
どちらも選抜だけど上甲(宇和島東&済美)も。 >>8
調べたら石田や吉田の世代が入部してきた時、
木内さんは「公立校でこれだけのメンバーが揃ったのは奇跡」とまで思ってたんだな 例えば選挙期間って偏向放送したら犯罪に近いよな
確か公平に放送しないといけないと決まっているはず
高校野球もプロじゃないからこそ偏向なんかせず公平に放送しないといけないんじゃないのか
高校生相手にすることではない >>127
そんな桑田をつき動かしてるのは、
野球で成り上がりたいという上昇志向。
それはプロなら必要なことなんだけど、
その先には、勝つためには手段を選ばず
自分さえ良ければって発想があるから
一目置かれてもいまいち仲間からの人望がないんだよね。それはプロでもそうだった。 知ってる人多いけど木内さんはムチャクチャ厳しいからな
しかも理不尽系
甲子園で負けて選手が泣きながら砂集めてるとこへ
「砂なんか捨てろ!来年も来るんだ!」
3年生ドン引き 取手2よりも岩倉がPLに勝った時のが番狂わせだった記憶 俺が常総の試合見に行った時、木内さんはすでに引退しててスタンドで観戦してた。
まず応援団の人と談笑。笑い声が広範囲に響く。
その後投球練習を受けていたキャッチャーに対し、フェンス越しに
「1球ごとにいい球だとか言わないとダメ!じゃないとピッチャーは乗ってこないの!」って
教育されてた >>120
甲子園球場と同じ大きさ向きで設計したグランドを作らせる金満野球の親玉 >>140
常総学院は当時開校したばかりでお金がなかった。
木内監督が理事長に対して「練習場が充実してたら常総に移籍するけど、無理だろ?だから俺は行かねえ」
っていったんだが、理事長が本当に甲子園と同じ大きさの練習場作っちゃった
学校は倒産寸前までいったらしいが、それで木内監督は常総学院に移籍したんだよ この監督PLとの練習試合でフルボッコされた後に、桑田が取手二校は雑魚(こんなニュアンス)、と言ってたぞと嘘ついて選手にやる気出させたんだよな
ほんと策士だわ >>126
東北勢が優勝するのはいいけど、大阪第二代表の八戸や聖光や育英は勘弁してほしいわ 常総移って間もない87年が一番印象深い。
この時はPLに負けて準優勝だがイメージとしてはこっちのが今回に近い
島田直也のときだ。仁志が1年
伊良部以下名投手が多かった >>145
おぼえてるおぼえてる
2回戦が行き縄水産の上原
3回戦が尽誠学園の伊良部 (たしかここ昨日の第4試合と、翌日の第一試合で連戦だったw)
準々決勝が中京の誰だったか、野中だったかな?
準決勝が東亜学園の川島だったかな?
そして決勝がPLで野村、岩崎
この辺はみんなプロ入りしたんじゃなかったか?
島田のラッキーボーイぶりが凄かった 東北勢の悲願を春と夏の2度にわたり阻止してるのが常総 大量失点はたいてい慎重になって四球からだからな
回が進むとだんだん大胆になるから普通に抑えるようになるんだけど
3回まで我慢できたら展開は違っていただろうね >>31
>>117
木内のスレって、いつもタイトルの出だしで訃報かと思わせられるよな >>144
全国から選手かき集めてる桐蔭は良いのか? >>146
中京の投手は、木村(のちに巨人)やね(当時は下級生で控え)
仁志がランニング本塁打を打ったはず ダルビッシュの東北に勝った時は明らかに監督の差だと思った。 >>46
これな
野球はほんと選手もそうだけど指導者や監督の裾野が広いよな
すぐにでもNPBで監督できそうなアマチュアがわんさといる
それが甲子園なんかのアマチュアの高いレベルを支えてるよね
サッカーとかじゃ聞かない話 序盤で点差も空いているのにランナーが出ると判を押したようにバントバント
これで勝てるわけがない 木内監督全試合見たってお元気な事で何より
吉田は平常心じゃなかった上に大事なとこで味方の凡ミスがあったしな
鉄壁の守備力があればもっといい勝負になったかもね 単に吉田くん疲れてたんでしょう
大阪桐蔭は、ほぼ高校日本代表みたいな、そこまでいかないまでも、そんな感じだったし >>159
勿来の関を越えさせないという強い意志があったんだなw >>159
あれ?初の夏で立浪率いるPLと決勝でやってなかった? >>161
初優勝は取出二で別の茨城の高校 相手も桑田清原のほうね 二年生ん時 >>160
東北高校が相手のときはあのダルビッシュがいて予想不利だったんだよ >>28
この桑田が取手二高を訪ねて選手の家に泊まった話好き >>161
87年の常総の夏初出場の決勝で立浪のPLとやってる
その時は準優勝 >>145 >>137
それ3年が梅野しかいないときで梅野には認めてただろ 砂の話は、93年の選抜のときじゃないのかな
夏があるじゃないか、といって、実際夏は優勝候補で甲子園に戻ってきた
ただベスト4で負けたが >>161
>>166
そうなのか 俺が間違ってたな ただ二回の優勝はともに相手は東北勢 それが言いたかった 俺がおぼえてる決勝
春、夏、順不同
PL 5−2 常総
常総 8−7 仙台育英
常総 4−2 東北(ダルビッシュ)
智弁和歌山 7−5? 常総 >>154
同じ箇所を2回ケガしたら自動的に学生コーチに配置転換とか、1学年丸ごとカットとか思い出代打一切やらないとか、教育で野球やる人じゃないけどな。
とにかく信賞必罰が徹底してる。
練習の時もノックはコーチにやらせて、自分はグランドの見える室内から拡声器で煽りまくるしw
それで選手も「うるせージジイ」「死ねジジイ」といいながらノック受けてるw 84 夏 取手二8-4PL
87 夏 PL 5-2常総
94 春 智弁和 忘れた 常総
01 春 常総 7-6仙台育
03 夏 常総 4-2東北 >>176
9-7じゃなかったっけ。
その前の金子誠世代が常総史上最強と呼ばれたが、結局優勝出来なくて、木内はA級のエース1人よりB級投手複数人立てる方針に変えたね。 大阪桐蔭と甲子園決勝で戦うチームはなんで軒並みガイジ采配の迷将やらかすんだ?
特に2014三重はガイジ采配やらかさなきゃ大阪桐蔭に初めて決勝で勝てたろ
あと西谷監督は「決勝は負けられない戦い」と本気で勝つつもりできてるのに対し
相手は決勝で戦えることだけに満足しきってるからこんな結果になってると思う >>96
持丸は常総の実績から専大松戸の監督になったけれど勝負勘が無いんだろうね
>>75
教え子のセカンド佐々木は常総の監督、サードの小菅が土浦日大の監督とは茨城は常総野球だ >>174 そうなのかあ〜
微妙になってきたな。結局、練習量が鬼なのですね。 >>138
取手ニや伊野商は今も語り継がれてるが岩倉は空気だねw
エースの山口は阪神で内野手やってたっけ。たしか春の選抜は取手ニにも勝ってるが夏は東東京大会で負けた。 >>181
持丸は公立時代からドラフト級エースのスカウトありきでチーム作るからね。
持丸門下生の方が木内門下生よりプロ入り投手は多いぐらいじゃないかな。
大学経由も含めたら専大松戸だけですでに3人プロに投手を送り込んでるし。
木内は手持ちの駒を駆使して勝つことに喜びを見出すタイプ。だから背番号とポジションが違うのが当たり前だった。
>>182
常総は全体練習はむしろ短いみたいよ。
木内は自分の意図を理解するセンスのない奴にいくら言っても時間の無駄だと思ってるくさいしw
とにかく勝つ為の駒として使えるかそうでないかで判断するのが木内。努力だの礼儀だのはどうでもいいw
ユーモアのある語り口だから好々爺と勘違いされてることが多いけど、甲子園の勝利インタビューでも「AよりBの方が人間的に上だから替えました」とか教育配慮ゼロの発言を平気でしてたよw >>183
岩倉に勝ってたら夏の決勝は史上初の夏春夏の3連覇がかかって盛り上がっただろうな。
春は準決勝で都城にも苦戦。パタっと打てなくなったのは何故だったんだろう。 この人に比べると池田の蔦は、清原さえ抑えたら勝てるとか余裕ぶっこいて
桑田に完封&ホームラン打たれて虐殺されたんだよなあ
あの人は名将とはいえないね >>186
岩倉は秋の明治神宮大会も優勝してた。
山口はスライダーが決め球で
打てなかったというか打たされてた記憶がある。
打線は水物やね。
伊野商、渡辺智は、ここ一番に力入れる
プロ向きのクレバーな豪腕Pで
取手二は明るいヤンキーの兄ちゃんの華やかなチーム
だから岩倉もひょうきん族って言われてたけど、
目立たなかった。 >>188
金足農業の吉田ってナベトミの再来て感じ。
伊野商もナベトミのワンマンチームって感じだし、KK特に清原とそれ以外のバッターではストレートのスピードが10キロ以上違ったし。
ほとんどストレートだけで清原から3三振取るんだから今見ても才能がヤバいのは十分伝わってくる。
https://youtu.be/f3DlzElNfl0 取手二高の宿舎での取材で全員茨城弁でしゃべっててホントに地元茨城の田舎の兄ちゃんたちが
野球エリートPLに学園を倒したんだなーって面白かった当時小学生だったけど 2011年までやってたってたってことは80歳までやってたってこと?
すごいなあ >>189
渡辺智は肩か肘か腰かどっか壊してたから
無理できなかったためにメリハリつけざるを得なかった。
>>186
PLは前年の秋季大阪大会の決勝でも
府立三国ヶ丘で進学校相手に桑田が投げて
1-0で辛勝してる。
あの打線でも打てないときは打てない。 >>191
72歳の時にダルビッシュの東北に決勝で勝って全国制覇して引退したんだよ。
それで当時の茨城では木内に次ぐ監督と見られてた持丸を公立から引き抜いて後釜に据えたんだけど、甲子園には出られても初戦敗退が続いたから、4年ぐらいで追われるように辞任したんだよね。
それで木内が期間限定を条件に復帰したけど、ブランク前ほどのキレはなかった。
結局、木内の下で20年以上常総のコーチやってた取手二高全国制覇メンバーの佐々木が監督になって今に至る。
常総はだいたい3年に1度は甲子園ベスト8進出が監督のノルマみたいだから、佐々木監督も来年の春夏で結果出せないと肩叩きに遭うんじゃね? やっぱ木内監督や玉国監督がいないと甲子園面白さ減るわ >>185 そうなのか。
人間性とか関係ないからね〜
神様とかいないよね。 >>104
しかも当時2年生の桑田が決勝で対戦した際にナインがガヤガヤとお祭りを楽しむように戦っているのが不思議で仕方なく思い、
その年の国体終わりに自費で取手二まで出向いたエピが好き。
そして練習風景や部の文化に触れ、精鋭エリート軍隊方式だけが強くなる手段じゃないと感銘を受けたやつ。
取手二の当時のレギュラーメンバーが桑田を接待したそうだけど、
俺らあんな野球リームーと散々茶化された異文化交流。 >>16
大越の居た時代の仙台育英が帝京に破れた1989の決勝もなかなかだったような記憶。
あのとき白河関超え掴んだって思ったけどなー ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています