【野球】石毛博史(元巨人)、ドラフト外の肖像#1――ドラフトで問題視、野球人生を左右させた伸びない肘 375試合 34勝29敗83S 3.44
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日本プロ野球では1965年にドラフト制度導入後も、ドラフト会議で指名されなかった選手を対象に
スカウトなどの球団関係者が対象選手と直接交渉して入団させる「ドラフト外入団」が認められていた。
本連載ではそんな「ドラフト外」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。
小学5年生ですでに120キロ
石毛博史は1970年7月、3人兄弟の二番目として生まれた。
野球を始めたのは、小学4年生のときだった。
「放課後、野球部が練習しているのを見ていたんです。そうしたら大人の人が近づいて来て、やりたいのって言われたんです。
それでやってみたいと答えました。後からその人が監督だということに気がつきました」
野球の世界では、練習や努力で手に入れられない二つの才能がある。飛び抜けて速い球を投げられること、そして打球を遠くに飛ばすことだ。石毛には前者の才能が備わっていた。
本城小学校野球クラブでは小学5年生から試合に出場。
小学校を卒業する頃には、軟式ボールで120キロほどの速球を投げる右腕投手として近隣で名前を知られる存在となっていた。
しかし、銚子第五中学に進んだ石毛は早々に躓いた。
「ぼくの中学には二つの小学校から一人ずつピッチャーが入って来る。そのピッチャー二人が毎日500球ぐらいバッティングピッチャーとして投げさせられるんです。
それがその中学の伝統だったみたいで」
中学1年生の夏になった頃だった。監督から「お前、肘伸びるか」と訊ねられた。石毛が右腕を動かしてみると、真っ直ぐに伸びない。
「野球肘でした。遊離軟骨が関節のどっかに挟まってしまって伸びなくなっていたんです。
痛みはあったんです。(遊離軟骨が)変なところに挟まってしまうと、動かせないぐらい痛くて、衣服のボタンもはめられない、髭剃りも出来ない」
野球肘は肘の外側で骨同士が摩擦を起こし、骨、軟骨が剥がれる症状である。また、肘の内側、後方で靱帯、腱、軟骨が損傷することもある。成長期の過剰な投げ込みで起きるとされている。
「(医師からは)手術を薦められましたが、当時は内視鏡手術がなかった。
(肘にメスを入れて)切ると野球選手生命が終わるというのが、子ども心ながらにあって、そのまま様子を見ることにしました。半年ぐらいはノースロー、投球禁止でした」
投球を再開したのは、中学2年生になってからだ。安静にしていたことが良かったのだろう、投げても痛みは出なかった。
石毛は右腕を出して、軽く動かした。
「今も肘が伸びないんです。ネズミが大きくて動けなかったんでしょう。そのまま(肘などの躯が)成長してしまったので、ずっと曲がったまま。
人から見ると異常なんでしょうけれど、自分の中では正常。曲がったまんまがぼくの正常なんです」
剥がれた軟骨――ネズミは肘のどこか、痛みの出ない場所に落ち着いた。関節部分に軟骨が挟まっているため、肘は伸びないが、日常生活、投球に支障はなかった。
この伸びない肘が彼の人生を左右することになる。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180814-00010001-baseballc-base
8/14(火) 8:04配信
https://www.youtube.com/watch?v=bBUU_m5dDig&t=10s
1992 石毛博史 5 150km超
https://www.youtube.com/watch?v=7G98eKBnpuc&t=13s
1995 石毛博史
https://i.ytimg.com/vi/QbJpINMKrL0/hqdefault.jpg
https://image.middle-edge.jp/medium/cfce0e33-6cb3-4c74-b44c-2cae28b9bbaa.jpg
http://npb.jp/bis/players/31633868.html
成績 ドラフト候補になるも、肘が問題視
石毛が中学3年生の夏、銚子第五中学は県大会で3位となっている。
運動具店に勤務する人間が当時、一般的ではなかったスピードガンを持ち込んだところ、球速が135キロ出ていたという。
そんな彼の元には千葉県内の柏にある野球の強豪校である私立高校から誘いが届いていた。
また銚子は野球の盛んな街であり、銚子商業があった。
銚子商業は74年夏の甲子園で優勝、読売ジャイアンツの篠塚和典、中日ドラゴンズの宇野勝などのプロ野球選手を輩出している。
ところが、石毛が選んだのは、市立銚子という公立高校だった。
「地元を離れるのが嫌だったんですよ。当時、越境で(他の地区の高校に)行っている奴とかあまりいなくて。だから私立高校には断りを入れました。
銚子商業は自分の実力ではなかなか背番号は取れないという話も聞いていました。
それで受験勉強を頑張って、普通に受験して市立銚子に入りました」
市立銚子で石毛は早くから注目される存在となった。
「高校1年生の春の新人戦で144(キロ)とか投げて、銚子になんかすごいのがいるぞって、千葉の新聞には出してくれました」
高校1年生から、読売ジャイアンツの千葉県担当スカウトである城之内邦雄が練習試合を見に来ている。
しかし、甲子園には縁がなかった。高校2年生の夏の千葉県大会で準決勝まで進んだのが最高の成績だった。
それでもドラフトが近づくと、9球団が実家へ挨拶に来たという。
「関東では5本の指に入ると言われていたんですけれど、実績がないんですね。ぼくは小学生から高校まで全国大会というのに行ったことがないんです」
そこで右肘が問題視された。
9球団のうち、7球団が投手ではなく野手として獲得を検討していた。
石毛には高校通算36本の本塁打の長打力があった。
石毛は投手をやりたい、と野手での獲得を打診してきた球団に断りを入れている。
「あとは、在京のセリーグでやりたいと言っていました。
市立銚子に行ったのと同じ理由で、両親の近くにいたいという内弁慶なところがあったんですよ。
地元が近いほうが、親が応援に来やすいとか、そんなことも考えていましたね。在京セリーグで、ピッチャーとして獲って欲しいと強く言っていました」
大学からの誘いもあった。
しかし、中学1年生のとき、投げ込みで肘を痛めたことが頭をよぎった。
「また酷使されて潰されてしまうと考えていたんです。ドラフト掛からなかったらどうしょうということで、住友金属鹿島から内定を貰いました。
在京セリーグからドラフトが掛かれば、そっちに行ってもいいよっていう話だったんです」
在京のセントラルリーグで投手として獲得してくれる球団――それはジャイアンツしかなかった。
2回目は、8月15日更新予定です。
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石毛 博史(いしげ・ひろし)
1970年7月13日、千葉県出身。市立銚子高校で甲子園出場は叶わず。卒業後は社会人野球の住友金属鹿島に内定していたが一転、88年オフにドラフト外で読売ジャイアンツに入団する。
藤田元司監督の下で92年に52試合に登板、5勝3敗16セーブ、防御率1.32の好成績を残しリリーフとして地位を確立する。
長嶋茂雄監督が就任した93年には30セーブを挙げ、最優秀救援投手のタイトルを獲得した。
95年以降は思うような結果が残せず、97年にトレードで近鉄バファローズへ移籍。
先発転向するも、その後は再びリリーフとして2001年のリーグ優勝に貢献した。
03年からは阪神タイガースでプレーし、05年に現役引退。
関西独立リーグの大阪ゴールドビリケーンズ投手コーチなどを経て、現在は富山県の『バンディッツヤング』という少年野球チームで指導を行っている。 抑えのくせにメンタルが弱いことのほうが問題だったと思う 石毛って83セーブしかしてないのか
カープの中崎でもあれで100セーブしてるのにw 昔神戸の馬券売場ですれ違ったわ
なんかバカデカイなと思って見上げたら
石毛だった 野球に人生を捧げた殉教者だよな。
国技である野球ってのはそれほどまでに魅力があるんだよ。
甲子園だってそうだよな、人生賭けるほどのものってこと。
こんな素晴らしい人がいるだなんて本当に野球って素晴らしいスポーツだと思うわ。 橋本ー石毛
勝利の方程式
西山とかいうのもリリーフでいたな 石毛って痔って聞いたことある
そんで、調子のいい時と悪い時の差が激しいって聞いた ピッチャー石毛のアナウンスで、阪珍ファンとかが大喜びして
いたあの劇場王の石毛か ノーコンのイメージしかないが、それは肘と関係ないでしょ? 30セーブとかしてるんだけどな。
でも大魔神や高津みたいな化け物クローザー全盛期で目立たなかったな。 日本テレビで放送してたミユキ野球教室にドラフト注目選手とやらで特集されていたが、見事指名漏れで赤っ恥という石毛の微笑ましいエピソードも今だと育成で指名となるので恥かかなくてすむ。 巨人 石毛 西山
阪神 猪俣 仲田
ヤク 平本
西武 前田 大沼
福岡 新垣
オリ 川口 石毛ってプロ野球に何人かいるよな
誰が誰だか分からない 登板数の割にイメージ薄い人
阪神でいうと田村勤みたいな 石毛劇場
四球死球でランナーをためてから何とか抑えるというギリギリのピッチングで巨人ファンをヤキモキさせたね コントロールがイマイチで見ててドキドキハラハラするリリーフエースだった
球は速かったね >>9
そう。ピッチャーはメンタルが重要だ。
頭を使って工夫したり、ピンチになると覚醒して一番いい球を放れるようになるのは
全てメンタルが源だ。
このメンタルが腐ると、ずっと2軍にいるハンカチみたいになげやりで適当になる。 >「ぼくの中学には二つの小学校から一人ずつピッチャーが入って来る。そのピッチャー二人が毎日500球ぐらいバッティングピッチャーとして投げさせられるんです。
それがその中学の伝統だったみたいで」
銚子第五中学最低だな 地元でもない少年野球チームのコーチしてんのか
あんなもの謝礼金三万円くらいだろうに大丈夫なのか? >>17
昭和天皇のために魚雷操縦して敵艦に体当たりして無駄死にした奴とか
麻原のために地下鉄にサリン撒いて死刑になった奴とかな。
さぞ、素晴らしい人生ですね。 石毛がアナウンスされると相手チームファンから拍手されてたな 9回ピッチャー石毛ってアナウンスされたら相手チームからも歓声が上がる大人気選手だったんだろ ガラスのハートで抑えをやらされた悲運
できっこないのに ピンチになると顔面蒼白だった
メンタル弱いとリリーフは厳しいね >>24
これこれ
あの頃の巨人はおもろかった
笑いを分かっとると飲み屋のオヤジが言ってた 四点リードから出てきて三点取られてギリギリセーブしてるイメージしかない
なんでこいつ出すんだろうって思ってたわ >>5 >>7
そっちの石毛も千葉だから
石毛姓は千葉県に多い名前なんだろうな 最後に阪神行ったから関西圏での仕事に就けるんだろうなあ こいつのせいで巨人ファンの父親が夕食時キレていた印象しかないw 確かこの人炎上イメージだがこれでもパーフェクトゲームとバックスクリーン3連発浴びて有名な人。
運がいい。 それなりに活躍出来たからまあいいだろ
マウンドに上がれない奴の方が圧倒的に多いし 登板してきたら暗黒時代の阪神ファンからも歓喜の声が沸き上がった あまり打ち込まれた印象がない。
大体自滅。
でもかなりの確率で劇場で収まってた。 ネズミ除去は関節が変形してからでは遅い
さっさと取り除けば良かったのに 長嶋の90年代の監督の時はリリーフが不安定な年がほとんどだった 長島に潰されたんか?
まぁやきうって90年代でも投手まだ潰してたからな ケツ毛劇場懐かしいな
ピッチャー交代のお知らせで、ケツ毛がコールされると敵チームのファンから拍手が起きてたよな >>80
そんなの今では珍しいことではないのに、あの頃は大騒ぎしてたよな >>26
ノーコンは頭を使わない投手に多い。制球は日々の頭を使った練習に尽きる 毎日500球投げさせるって
完全に児童虐待だな
肘曲がったままって大野倫かよ、石毛 現在試合中の投球数しかカウントしないっていうのはいいすぎだが
練習の投球数は関係ないみたいな風潮はいまもある 1年だけ防御率1.32
他は当番が多い年も3くらい
抑えの投手だと2.5を超えると打たれるイメージになるね >>1
>野球の世界では、練習や努力で手に入れられない二つの才能がある。飛び抜けて速い球を投げられること、そして打球を遠くに飛ばすことだ。
飛び抜けて速く走ることは努力で手に入るのか? >>11
> 石毛って83セーブしかしてないのか
> カープの中崎でもあれで100セーブしてるのにw
お前知らないの?
巨人は通算100セーブ達成した投手1人もいないし、
石毛の93年30セーブが2007年に上原が32セーブで更新するまで
球団記録だったんだぞ。
巨人投手の通算セーブ *=現役
1位 93 角、クルーン
3位 81 *西村健
4位 80 石毛
5位 73 *澤村
6位 58 鹿取
7位 56 槙原 >>86
野球の世界では、って書いてあるから塁間27mを速く走るなら努力で改善可能 中学時代にはすでに県内ではちょっとは名の知れた選手でした。
その中学時代にケンコー(県立広島工業高校)の監督に
「うちに来なさい」と言われましてね。
当時の広島の高校野球といえば、ケンコー。 もうケンコーで野球できることがうれしくてね。
しかし、試験は不合格。
そもそも、公立高校にはスポーツ推薦なんか無かったんですが、名前さえ書けば合格だと思ってました(笑)
県庁の職員だった父親は、僕がケンコーで野球やることを嬉しくて同僚に話してたらしく、
ショックで寝込んでしまいました。
(※地方の場合、中学の卒業式後に公立高校の合格発表が行われる。)
他に高校は受験してませんでしたし、すでに卒業式も終わってるので、もう働こうと思ってました。
そんな時に、中学の監督から紹介されたのが、島根県にある江の川高校でした。
続く・・・・ 世の中には使いすぎると曲がったまま伸びなくなるものが二つある、肘とチンコだ >>89
努力すれば飛び抜けて速く走ることができるようになるの? 150キロを越すストレート
140キロのフォークを擁して打たれるリリーフ
今のリリーフは石毛がいっぱいいるようなもの >>93
だよな
飛び抜けて速く走ることも努力だけでは手に入らない才能の一つ >>58
近鉄時代に先発で
5者連続だったかもしれない >>89
いや普通に肩と足とボールと遠くに飛ばす力は天性のものだっていわれて
ドラフトではそれを重視して取るから
なんで二つやねん >野球の世界では、練習や努力で手に入れられない二つの才能がある。
上手いこと言おうとして失敗してるだけだよなコレ
学校の先生がこういうコト言った直後に生徒が突っ込むと不機嫌になるw >>55
千葉の銚子から匝瑳辺りに石毛姓は多いと聞いた。それと広島にいる丸って姓は房総というか市原から下に多い 石毛は1〜2年しか抑え投手としての安定感は保たなかった希ガス。
>>29
一番最初は背番号93だった希ガス。 打者として評価されてたってのが意外だな
全然そんなイメージがない 出身高校が同じなので
西武にいた石毛と親戚なのかと思ってた事があるわw 顔パンパンで汗ダラダラの沢村と違い
涼し気な顔して淡々と投げてたよな。
でも、打たれるw 当時、柏に野球強豪の私立なんかなかったよな
柏市と合併した沼南町の二松学舎沼南のことか? 甲子園で炎上してたイメージしかない
サヨナラワイルドピッチとかw 1994年、優勝して最優秀救援まで獲ったのに
最初の交渉でダウン査定食らって怒ってた時はワロタw >>112
しかし、甲子園には縁がなかった。高校2年生の夏の千葉県大会で準決勝まで進んだのが最高の成績だった。
ちゃんと読めよバーーーーーカwww. 西山って通算12セーブしかしてないんだな
石毛より活躍したイメージあるけど主にセットアッパーだったのか >>116
リリーフとしてそんなイメージはさすがに無いw
リリーフとして凄かったのは1995年後半から出てきた時だけ
1996年は最初から抑えだったが、1イニングもロクに抑えられず
マウンド上で泣きそうな顔して首を傾げる連続だった
あとは主に中継ぎやって年に2回くらい先発で凄い好投するだけ 藤田監督の最後の年に抑えに定着して
その年は鉄壁の抑えだったんだけど
年を追うごとにおかしくなっていった。
ファンやマスコミにつぶされた部分はあったと思う。 >>9>>36
「僕はメンタルなんて関係ないと思っているんですよ。
不安に思うなどそもそも一流選手には存在しない感情です。
僕は技術さえあれば絶対に打たれないと思っています。
技術を高めれば、メンタルなんて絶対に関係ない。
そう思っています。」
・・・菅野 智之(巨人軍投手、2017年沢村賞、最多勝、最優秀防御率) >>124
ソイツこそメンタルに問題ありそうだよな
基本凄い投手だし神ピッチもするけど
ここぞの試合で本当に勝負弱い >>87
巨人はいい抑えがいつもいなかった印象だな
単年で上原、石毛、河原が上手く行ったくらい
あとはクルーンの強奪 >>123
1992年、出始めの時は素晴らしかったよな
あの当時は「ピッチャー石毛!」でよっしゃ勝ちだあああああとなった >>30
スゲー懐かしい面子だな
ノーコンつながり? >>126
そうかな
菅野の場合は調子がおかしくなるとしばらく続いて
修正したら戻るからメンタルより技術の問題だと思うけど >>31
西武の石毛がバッターで有名
この巨人ピッチャーはノーコンで有名
顔が神田正輝似で男前 中1で春に入って夏にはもう肘がおかしくなってるってそんなのが伝統としてずっと続いてるのが許されてたってメチャクチャな時代だな
虐待だろ >>32
田村勤は印象深いよ
スピードガンには出てないけどスゲー速かった
そもそも1年でほぼぶっ壊れたし 勝利の方程式とか言われてたけど、
見ていて安心できたのは圧倒的に橋本だったな リリーフで使うより先発起用が適性だった
その実力がなかったのならしょうがないけど >>135
たしかに印象深い
新人王でもおかしくない成績だったのにな
新人のくせにまるでベテランのような表情で淡々と投げてた >>1
いいフォームだけど今はゴロゴロいるんだよなこのレベル 肘が曲がってたからストレートがスライドするんだよな 当時の巨人は押さえを軽視してたからな。
チョッと打たれただけで直ぐ抑え失格の烙印を押されて可哀想だったわ。 >>30
西山はノーコンというよりは
150キロ超える棒球を気持ち良いくらいに右中間左中間にかっ飛ばされてるイメージw 巨人てこういうよくわからん怪我持った選手連れてくるよな
最近じゃ辻内、桜井、村田透とか元々肘肩に怪我があるからどこの球団も指名を見送ってるのに治る見込みもないのにポンポン入れたがる
菅野も最初から怪我持ちだったと思う。元々160キロ投げられる選手が怪我で今の感じ ある首位打者の選手と話す機会があったが、石毛や西山は球は速いけど大したことない桑田の方が凄いと言ってたな
単純なスピードはそんなに無いが、球のキレが全然違うそうだ 巨人って一昔前は近鉄とよくトレードしてて使えなくなった選手を近鉄送りにしてたな >>148
>桑田の方が凄いと言ってたな
俺も言ってたわ 石毛とか西山とか三沢とか
子供ながらなんで出すんだ?っていつも思ってた
あと巨人はなんで盗塁しないんだ?とも思ってた たしか母校の銚子五中は廃校になってて市立銚子も先行きが怪しい位の少子化&財政難なんだろ
野球好きな地域だけどセンスある子供はみんな銚子から出ていっちゃうみたいだが >>148
当時は150キロ出すノーコンより
140で切れとコントロールいい投手の方が上というのが常識だった
だから外国人投手は日本の投手より球は速いけど緻密なコントロールがないから
日本の投手の方が優秀という評価
それが今じゃあ日本も昔の外国人投手みたいな投手ばかりになった
時代の流れだね >>87
角、鹿取のダブルストップが両方ともサイドスローだし左右の違いもあってすげーカッコよくて印象すごかったけど短かったのか
印象ってすげーな 鹿取は巨人にいた頃は今でいうセットアッパーだった気がする >>115
俺が本当に凄いと思ってるピッチャーの一人です >>143
あの当時は先発完投の投手こそ一流でリリーフは格落ち投手のすることみたいな風潮だった
藤田監督も先発重視だったけど、就任当時は桑田をリリーフに回そうとしていたんだよね
ガリクソンの故障でその案は立ち消えになったけど >>148
それは今の時代でもそう
スピードはあってもそうでも無いピッチャーは多い
西山は155出てたけど大した球では無かった
それよりもあの投げ方がすぐ壊れそうでいつもヒヤヒヤしたわ
石毛は球質は良かったけどそもそもコントロールが悪すぎ
桑田は148のキレのある球でコースにビシビシ決めるんだから打たれるわけがない ピッチャー石毛がコールされるとスタンドが敵軍の歓声と自軍の溜め息に支配される迷リリーフだったな 写真を一切修正しない下着ブランド「エアリー」は、無理したくない女性たちの心をわかっている
http://www.ne.spembroke.com/201808214_2_8.jpg 出てくると相手から歓声なんて又吉みたいだな。
阪神では03年の優勝に地味に貢献してたけど。 小学生に毎日500球投げさせるとか
そんなもん毎年毎年1人残らずぶっ壊れてたろうに
何も疑問に思わず「うちではずっとこうしてるから」って墨守してたのか
犬畜生でももう少し頭良いだろ プロ野球選手の末路は恐ろしいと解っているだけに、
高校球児とやらが増えないのは当然とも言えるよな。
金は人を狂わす現実もあるしで。 原の相互交換みたいな面してイケメンだから獲得したんだろ きちがい中学だな。
今でもどこかでこんなことやってる中学ありそうだw 堀内か誰か解説者が言ってたな
あれだけの球威があってシュートも使えたらバッターには脅威なのに
肘が曲がってるから投げられないって 巨人から近鉄ってキツいな、人気も待遇も正反対だし。
定岡が嫌ったのも無理はない。
あれだけ巨人にこだわった大森が近鉄にトレードされたのは笑った。 冷や汗たらして顔面蒼白になりながら
四球連発してピンチを広げてたイメージしかない 500球投げさせるとか
アホ過ぎだろ
傷害罪レベルだろ >>148
西山は典型的なアーム投げと言われてたな
スナップを効かせられないしほぼサイドスローだから球も伸びない
当時の150はかなり速かったけど終速が大したことないから打ち頃だったとも 他球団で賞味期限切れたリリーフ集めだしたりしたのは98あたりからか? 基本的にボール2からスタート
そして、ベンチキョロキョロ見る 小学5年生ですでに120キロ
スゲー肥満児だったのかと思った 石毛知らねーとかゆとりか?
今で言うところの澤村のポジション
よく打たれるのが特徴 >>125
阪神戦のイメージで書いたんだが
そもそも高校時代なんか知らんわw 当時150kmは中々出なかった
今のガンで計ったら155kmとかいってそう そんな奴でも銚子商業でレギュラー取れないと思うのかよ >>1
中日戦で延長かなんかで5イニング投げてしかも0に抑えてたよなw >>174
ノムケンに150kmをグラスラかまされてたなあ
速けりゃいいってもんじゃないと考えさせられたわ 石毛って近鉄移籍後も相変わらずのノーコンだった記憶
阪神時代はプチ活躍してた 石毛、西山、河原
相手球団ファンから歓声起こるクローザー >>188
結構息は長かったよな石毛
あんなんでもプロ野球選手としては十分に成功したんだよなあ 石毛の後継者沢村が現れて良かったなw
当時ヨイヨイの婆さんですら
石毛はダメだ!こいつ出たらダメなんだよー!!ってTVの前で絶叫してたからなw 藤田が小便チビる思いして軌道に乗せたのに、長嶋がダメにした。 石毛活躍したのはそんな短期間だったか
その割には記憶に残ってるな 短期間だが橋本、石毛が勝利の方程式だった時期もあったな >>196
っていうか勝利の方程式ってその二人のことを言ったのが始まりだし 神田正輝のように整っているけどちょっと地味って顔だったね >>53
西山、て球速やフォームは”大物感”だけはあったな >>53
活躍してたシーズンもあったがそれ以上に炎上してたイメージ
最後はサイドスローだったな >>191
まあ、コイツと西山は、誰が見ても
ダメPだったもんなぁww 懐かしいな
アンチ巨人だったけど、好きな選手だった 大砲取る前にリリーフ取りまくったほうが勝てそうだがしないのか?w ヤクルト古田に何回も痛打されてたな
ナチュラルなノーコンタイプというよりは
打たれるのに怯えてボール球連発してた印象あるけど 巨人時代の炎上と2003年の優勝時の渋い活躍で阪神ファンにも印象に残る選手だった。 >>86
そんな事ないだろ、要は背筋力と肩を鍛えれば
良いのだよ。
現に、自分はチームで一番腕力が無かった
が、背筋力と肩がかなり強かったので、ビシビシ
速球を投げてたよ。 この人のフォークは独特なんだよね
縦スラの握りで縦スラの投げ方で縦スラの変化をするフォークなんだよね 抑えの石毛西山て機能していたっけ?
すぐにノーコン発動していた印象ばかりだ >>82
確かにノーコンPは頭悪そうなイメージあるな ネットがない時代で途中経過目当てで巨人の試合ばかり見ていたから、
この頃の巨人は石毛だけでなく後ろの投手がよくやられるなと思って見てた >>208
草野球レベルの話なんか誰もしてないと思うわwww 織田がいきなりキャッチャーにさせられたのはホントになんだったんだろう 三本柱、
香田、木村、松谷、ケアリー、谷口、門奈、西山、石毛 劇場が有名だが、
広島の前田智徳のエラー挽回HR、ベンチで号泣の時の投手でもある 近鉄にトレードになった時吉岡はやったるでーってテンション上げたのに
石毛は何で俺やねんってやる気なくしたらしい
移籍後の活躍見たら精神論も大事やなあと思う こいつの時もそうだったけど、巨人の抑えはチームの出したイメージ先行で、チームがこの投手は抑えなんだから、ちゃんとセーブつけるよ!
みたいな感じで無理押しでそのうち大破綻するイメージ
石毛、西山、泡原とか >>124
一球一球、アホみたい考えこんで、二回首降った球を打たれてふて腐れてるエース様は黙ってて >>149
阿波野とか交換できてたぞ
送ったのは大森香田吉岡石毛とか
そこそこ活躍してる
大損だった 出てきたら相手のファンが喜ぶ抑えの走りだったな
それでも今の中日投手陣より役に立ちそう 投げ込みはしたくないけどピッチャーやりたい?
あと遊離軟骨が肘に入ってるのに135キロなんて出るもんなのか?
イマイチよくわからん記事だな >>210
フォークなの
スラーブだと本人は言ってた記憶がある ピッチャー石毛とコールされると対戦相手のファンが拍手してたな
実際、ノーコンでよく炎上してたしな 鈴木孝政から高野・石毛・五十嵐と
千葉出身の剛球投手は何故ノーコンばかりなのか 西山と石毛 どっちも糞メタに打たれてたよな 球が速いだけの典型的なアホピッチャー あらためて野球っていろいろ欠陥のあるスポーツだよな
だから普及しないんだろうな >>199
確かに。何なんだろうね
以前、芸スポで石毛の話題がでたとき「絵のヘタな人が描く
4コマとかに出てくるハンサムな人のイメージ」と書き込む
人がいて笑ってしまった思い出がある そもそも時間制のスポーツの方が根本的に欠陥あるだろ
勝負決めるのに時間制ってw なんだかんだ言って、プロでは成功したわけで
中身の濃いプロ野球人生を送れて良かったんじゃないの いつの間にか阪神に行ってた。
球が遅くなってフォームも小さくなって、巨人時代の荒々しいイメージとは全然違ってた。 木田と同じ位の実績なのに差がついたな
ていうか木田は何で日ハムで偉くなってんだ カウントがノーストライクツーボールとかになると、冷や冷やして
見ていられなかったわ 観戦者年齢構成
浦和レッズ 千葉ロッテ
18歳以下 2.1% 6.2% 19歳以下
19〜29歳 10.6% 26.1% 20〜29歳
30〜39歳 15.7% 37.7% 30〜39歳
40〜49歳 38.1% 23.2% 40〜49歳
50〜59歳 23.5% 6.2% 50〜59歳
60歳以上 10.1% 0.7% 60歳以上
サッカー
40代・50代がメイン、子供はいないが60以上の爺婆はチラホラ
野球
20代・30代がメイン、60以上の爺婆はいないが子供はチラホラ 「ピッチャー石毛」
巨人ファン「あああ(悲鳴)」
相手ファン「おおお(歓声)」 銚子商業 自分の実力では背番号取れない・・w
これ有名だったw これでも救援のタイトル持ってるんだよな
数こなしてたからか? ドラフト外といえば中二の発想なんだけど、22歳以上はドラフト外って事にしたら何か問題あるの? >>246
昔、選手のまわり含めて金ばら撒いて囲い込んでドラフト外で獲得、ってのが横行した
一応それを防ぐためにってことで
でも逆指名でも紳士協定破って裏金払いまくってたけどね、巨人は >>247
栄養費のことからわかるように、どこの球団も叩けばホコリがでてくるんだよね… >>248
アンチは都合の悪いことからは目を背けるからね 残念なほどコントロールが悪かったな。肘じゃなくメンタルが弱いんだろうな >>245
チーム自体の調子が良くて必ずしも鉄壁の抑えが必要なくても最後のイニングに出続ければ自然にセーブポイント、救援勝利が積み重なっていってたから >>247
それを一番悪用してたのは、実は西武なんだがな 動揺が顔に出ないタイプだから四球連発しても平然としてた
頼もしいのか頼もしくないのかわからん 内薗に多少期待してしまった巨人ファン多かったはずw 昔は球団職員にしてからドラフトで獲るとかあったな
それも禁止になったけど >>264
阿波野とかも近鉄、巨人、横浜と在籍球団全部で経験してるな
横浜とか38年ぶり優勝だったからレア度考えても凄い >>219
吉岡は巨人残ってても出番無く終わってただろうからな >>260
150キロ近いストレートに鋭いフォーク
コントロールは御察し下さい >柏にある野球の強豪校である私立高校から誘い
どこだ?二松沼南か柏日体か?
両校とも強豪じゃないぞ 石毛&吉岡⇔石井浩でのトレードだったね
おまけ扱いだった吉岡が一番大活躍したんだからわからんもんだね 沼南は当時柏じゃないな
ってことは日体か
石毛の時代は東海浦安と拓大紅陵以外の私立はゴミ同然だったからな >>271
おまけ扱いが最大の活躍したといえば湯舟、山崎、北川と酒井、平下、面出トレードだな
野村から捕手失格の烙印押されて構想外れてた北川のシンデレラストーリー >>271
おまけのわけがないだろ
石毛におまけつけた程度で曰く付きとはいえ石井と釣り合うわけがない 爆散炎上守護神なイメージだけど生涯成績は結構見れるまとまった数字なんだな >>271
オマケじゃないでしょ
近鉄は最初から吉岡欲しかった >>265
阿波野をドラフトで指名したのもその3球団 吉岡はイースタンでタイトルも獲ってたし
他球団からトレードで欲しいという話も多かったらしい。
オリックス仰木監督が豊田泰光に「吉岡が欲しい」という話をして
豊田が長嶋監督にその話を伝えたら「絶対に出さない」と答えたので
豊田は雑誌の連載で
「長嶋は使わないくせに、他人が欲しいというと惜しくなって出さないんだよな」とぼやいてた。 藤井寺球場近くのファミマでこの人を見て握手してもらった!今となっては色々と良い思い出!近鉄バファローズも藤井寺球場も亡くなったし。 何かの雑誌で見たが 「大魔神」 っ仇名は、本来は巨人の石毛に称された言葉だったらしい
横浜の佐々木が 「”ハマの”大魔神」 と呼ばれていたののそのせいだって
95年以降ぐらいの印象だけど、抑えるときはキッチリ抑えるが、狂った様に失点してた場面が多かったイメージしかない
友達が 「大当たり多過ぎ・・・ 設定の狂ったCR機(パチンコ台)か? 」 と評していたのを覚えてる >>270
柏市の甲子園出場高は公立
元木種田にボコられた市立柏はずっと県内中堅
柏陵は選手権8強まで勝ったけど、あの年だけの突然変異で普段は弱小
日体柏・流経柏はたまに県上位に来るけど名門では無いな
あとは芝浦工大とか麗澤とかはコールド回避が目標 >>25
関西独立リーグでコーチやっている
結構長いはず >>101
石毛、向後、名雪とか銚子独特の名字がある プロのスカウトって節穴か
プロ野球経験して1年中選手見てりゃ
どうゆう選手がプロで活躍できるかわかりそうなもんだけど
160キロでてもあかんやつはあかんやろ >>110
同意
柏日体、流経柏、芝浦工大柏は強くなかったしね 登場すると相手チームから拍手が起こるクローザーだったな(´・ω・`) >>291
スカウトなんて数字見て行けそうとかそんな
判断する奴ばっかりだろ
ハンカチを過大評価する馬鹿もたくさんいたしな >>40
昭和天皇の為?w
実際は天コロとか言ってたのにアホかお前 >>222
香田と吉岡は活躍したな
三澤も中継ぎでそこそこ投げてたし成功の部類だろ
失敗は大森と小野 ∩,,∩
ヤダァ(`д´(` )ヒィたん一緒に寝るでち
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゙̄|
| | ̄ ̄ ̄ ̄| |
| | @ @| |
| |@ @ | |
| |____| |
|__________| >>82
ノーコン豪速球投手は頭悪そう
制球力ある変化球投手は頭よさそう
ブンブン振り回すホームランか三振かの打者は頭悪そう
しっかりミートして打率残す打者は頭よさそう 昨日ちょうど松沼兄弟にちなんでドラフト外選手に
ついて調べてたんでタイムリーな記事だったわ >>37,>>59
近鉄では防御率5.04で3勝もしてる
あの年はスーパーラビットのせいで野球が破綻
してたからなあ
しかし阪神では防御率3.26とまあまあな数字で
1勝して優勝に貢献した
野村時代に阪神に在籍しなくて良かったよ
絶対ネチネチで潰されてた >>74
1991年に抑え要らず野球が破綻し1992年に抑えに
抜擢され防御率1.32の好成績を残した
藤田監督続投だったら斎藤雅樹みたいに開花した
かも知れないけど不幸にも長嶋茂雄に監督が交代
してしまい翌年こそ30セーブを記録したものの年々
投球は不安定に
そして1996年オフに吉岡雄二と共に石井浩郎との
交換で近鉄にトレードされた >>156
昔の抑えは3イニング投げるから今の抑えより
登板試合数が少ない
王「ピッチャー鹿取!」は異常だけど >>178
もう完全に終わってた金石昭人を・・・と思って調べたら
シャブ野村も獲得してたんだね
結局抑え不在の穴を埋めるために槙原寛己を抑えに
回すという荒療治に >>305
金石は自由契約になったのをテスト入団だからまあ上手くいけば儲けもの
野村貴仁は1996年日シリで松井を完全に抑え込んだピッチングに長嶋監督が惚れ込んで
「ウチにもああいうファイトあるサウスポーが欲しい!」と便利屋で使い勝手の良かった木田を出してまで獲得した
オリの希望はとにかく木田一本槍だった >>219,>>266
清原和博のFAの話だって耳に入ってるだろうしね
相手が落合博満ならもうちょっと待てば完全に衰える
だろうけど清原じゃね
近鉄で佐々木恭介の指導を受けたことで大砲として
開花したから吉岡雄二としてはラッキーだった >>271
吉岡は何でも欲しがるセゲヲちゃんじゃなかったら
主砲候補
大田泰示と思ってくれれば分かりやすい 吉岡って1996年春キャンプの時は長嶋監督に期待されて
一気に注目されてたんだよあ。本人も嬉しそうにしてたんだが
開幕のサードは新外国人マント。これが大失敗でいよいよ出番が来るかと思えば、起用されたのは一茂
要するに長嶋監督が早々に飽きてたw >>306
明石家サンタで大放談した後に木田の放出が
決まった時は爆笑したわ ラリアットがナチュラルアックスボンバーになるんだね 石毛ってドラフト外だったのか
他球団のスカウトの眼力がなっちゃないな明きめくらか >>101
銚子近辺に銚子という苗字は多くないの?
以前大洋にいたよね >>313
むしろドラフト外制度利用して西武とかえげつない囲い込み指名してたし 石毛がピッチャーゴロを取ってファーストに暴投しかけたら
解説の坂東が「石毛は何処に投げてもボールですね」 巨人の中継ぎ・抑え
石毛、條辺、真田、岡田
そういえば、西村ってどうした? 昔の銚子は野球強かったのにな
市立も商業もいまはダメ >>319
西村はまだ現役
柏田、南、三浦貴、木村、野村、平松とかもいたな 銚子出身のプロ野球選手
石毛 宏典 1956/09/22 市立銚子 1980年 1位 1981年 西武 内野手
土屋 正勝 1956/11/06 銚子商業 1974年 1位 1975年 中日 投手
篠塚 利夫 1957/07/16 銚子商業 1975年 1位 1976年 巨人 内野手
遠藤 伸久 1957/11/05 市立銚子 ドラフト外 1976年 阪神 投手
宇野 勝 1958/05/30 銚子商業 1976年 3位 1977年 中日 内野手
尾上 旭 1959/04/22 銚子商業 1981年 1位 1982年 中日 内野手
銚子 利夫 1961/08/24 市立銚子 1983年 1位 1984年 大洋 内野手
大川 隆 1967/08/02 銚子商業 1985年 3位 1986年 大洋 内野手
片平 哲也 1967/10/03 銚子商業 1985年 2位 1986年 中日 投手〜外野手
八木 政義 1969/04/14 銚子商業 1987年 3位 1988年 阪急 投手
石毛 博史 1970/07/13 市立銚子 ドラフト外 1989年 巨人 投手
長谷川昌幸 1977/07/16 市立銚子 1995年 1位 1996年 広島 投手
窪田 淳 1978/02/20 市立銚子 1999年 6位 2000年 阪神 投手
澤井 良輔 1978/03/09 銚子商業 1995年 1位 1996年 ロッテ 内野手 >千葉県内の柏にある野球の強豪校である私立高校
どこ?
専大松戸? 槇原と一緒でピンチになると目が泳いでた印象があるな 92年の88.1回で123奪三振てリリーフ専門にしても異常だな
藤川みたいな三振取りまくるピッチャーだったのね > 「ぼくの中学には二つの小学校から一人ずつピッチャーが入って来る。そのピッチャー二人が毎日500球ぐらいバッティングピッチャーとして投げさせられるんです。
過去のセクハラやパワハラが問題になるんだから、こんな虐待もちゃんと告発されるべき
この中学の野球部の指導者はきっちり追及されるべきだ >>327
石毛の時代の芝浦はメンバー9人に足りなくて棄権するような超絶弱小校だったよ
おそらく当時新設校だった流経大柏か柏日体だろうね 通算防御率が3.44ってけっこういいじゃん
いつも炎上してたイメージだから意外 石毛の後だっけ?
泡原とか言うのが投げてたな
スポーツニュースや新聞見ると
何故か河原になってた、毎回
何で毎回間違えるのか謎だった 懐かしい。
9回に登板、1人目でフォアボール。
ストライク入らず、満塁に。
打たれてサヨナラ負け。
そんなイメージ。 >>287
つくだろw
セーブのルールを調べた方がいいぞw 良い選手は悪い時のことばかり覚えられてる
半端な選手は良い時のことばかり覚えられてる >>339
場合による
無走者で出てきたらつかない >>303
引退してから何かの雑誌でインタビュー受けて、「長嶋監督が抑えだけでなく、セットアッパーで使ったり、出番だと思っても出番が無くて、調整が難しくなって成績不安定になった」と言っていた。
その前にまともにストライク入らないし、ランナー溜めて逆転打打たれまくってたから、使い方が難しくなったんだけど。 >>341
自分で追い込まれたって、3連続ホームラン食らったら負けの状況を守り切ればセーブだろ?
勝利打点のありどころで勝利投手が変わるだけで。 >>339
抑えだから回頭のランナー無しで出てくるからそのケースはありえない >>344
基本的には
必須条件
先発ではない
勝利試合の最後に投げてる
勝ち投手ではない
かつ以下のいずれか
3点差以内で1イニング以上
3イニング以上
打者二人に本塁打を打たれたら同点か逆転される場面で登板 >>300
遠藤登場で後楽園球場が大歓声の思い出
石毛は四球、遠藤は本塁打をよくくれた
斉藤明夫の後、佐々木入団まで本当にピッチャーがいなくなってたな 今の時代だったらとんでもない球を投げてただろうな。
それくらい素質はよかった。
球質は良かったよ。
西山は確かに150超えててもコンコン打たれてたけど
石毛はストライクが入れば打たれるボールじゃなかった。
ズドーンと来るボールだからね。 >>50
ミセリとか河原でも大盛り上がりだったよね
2ちゃんで
あと阪神にサヨナラ負けで優勝とか
なんだかんだ巨人は愛されとるw 條辺を酷使で潰さず上手く育てられたら石毛より上だっただろう >>341
何点差ついてても3イニング以上最後までリード保ったまま投げ切ればセーブつく
>>345
抑えでもランナーがいる状態で登板することあるだろw
大丈夫か?
5点リードしてる状態で9回2アウト満塁から登板しても
1アウト取るだけでセーブつくんだよ 劇場型の元祖みたいな選手だよな
石毛がでてくると逆転できそうだと思ってチャンネルが変えられなかった >>350
長嶋が高卒2〜3年目くらいの條辺を酷使しまくったんだよな 槙原なんかさらに古い時代で155kmとか放ってたけど
スピードガンでてるころは打たれたな。
145kmくらいにおちついた時の槙原はちょっと打てなかった
スライダーは滑るし高めの真っ直ぐも空振りまくり。 石毛は出てきて初球とかは凄いボールなげて
相手バッターもびっくりしてるくらいだった。
でも抑えるとは限らない、かわいげのあるピッチャーだった。
アンチ巨人にとっては好感度は高いw >>354
元審判のひとが槇原は球もスタミナも素晴らしいのに考えが足りない、無能だとか書いていたな
批判というより歯がゆくて仕方ないという感じだった
逆に桑田は頭が良くて驚いたと。阪神の江夏が球が見えづらいように計算してロジンバックを置いていたけど
桑田はルーキーの時からそれをやっていたらしい ドカベンに出てくる石毛は
石毛博史がモデルとなっている こいつ出てきたら相手観客席から拍手されたってホントかよ >>329
1992年出始めの時は素晴らしかった
中盤以降抑えに定着したが、出てくれば「よし今日は勝ちだな!」と思えるストッパーだった
まさか後年相手から歓迎されるような抑えになるとは思わなかったw 1992年くらいだと、まだまだ抑えは今のような1イニング限定起用でもなかった
早ければ7回、8回とか8回途中あたりからピンチになったら出てきて火消しする本当の意味でのストッパー >>362
98年の佐々木とか1イニングしか投げないのにとか言って批判されてたな >>363
さすがに年俸5億とか貰いすぎって言われてたな
3点差の1イニングなら佐々木じゃなくても務まるとか
相手からすると、佐々木が出てきた時の諦めと絶望感って凄かったんだが 「1イニングなら毎日でも大丈夫」と言う佐々木と
たまには回跨ぎもしてほしいという投手コーチで対立してた覚えがある 記憶に残る選手だったよね
嫌いじゃないし変に親しみも感じる 1997、1998年くらいの佐々木が出てきた時の絶望感 いつも泣きそうな顔して投げてたな
ものすごくよく覚えてる >>363
98年の無敵状態の佐々木に負けを付けたのが阪神矢野
実は翌日の試合でも同じような試合展開で矢野にまわり権藤は内心で「これはまずい」と思ったらしい
矢野は嫌な打者だったと。結果はいい当たりだったが進藤のファインプレーでなんとかアウトに。
あそこで抜けていたら佐々木も精神的にやられていたかもしれないと権藤は語った >>347
古葉監督になってスカウトの能力が急上昇したんだよ
1987年で一気に投手陣が底上げされた
盛田幸妃、岡本透、野村弘樹、田辺学 >>323
澤井 良輔いたな 当時よくファッション雑誌にのってたわ >>365
権藤監督は何故か8回二死から投入してた >>348
解説者も「打ち崩すのは難しいですけど、立ってるだけでランナー2人くらいは出ますから」とか言ってたなw
確かに調子良くストライクゾーンに入る日は打たれる感じしなかった >>200
アーム式でダイナミックに見えただけやね >>344
自分が出た場面が条件だからセーブはつかないぞ >>367
今じゃ名捕手扱いだけど谷繁が佐々木のフォーク獲れないから佐々木出るたびに代えられてたな >>376
だから球が全部最初から丸見えだから
全然怖くなんだよね >>378
近藤昭仁監督が秋元宏作を重用するから恨んでたけど
佐々木主浩から直接「お前フォーク獲れないじゃん」と
言われたんで尻に火がついた >>371
福留と甲子園を沸かせたスラッガーだったんだけどな
浦和球場でよく連れションした >>359
みんな喜んでたよ。四球連発して最後は打たれてくれるイメージ。
抑えてた時の印象はない >>351
抑えでもランナーがいる状態で登板することあるだろw
ランナーいる場面で出てきたらそいつクローザーでないだろ
そもそも>>51みたいなケースはクローザーならありえない場面と言ってるのに マウンド上がって最初からセットポジションで投げなきゃいけない環境とか投手からすりゃ嫌だろうけどね >>385
それは今のクローザーな
90年代くらいまではクローザーでもイニングまたぎは当たり前
2イニング以上も普通に投げてた
散々このスレでも書かれてるだろ 西武の石毛きた!
…と思ったら、あまり知らない方の石毛だったw 石毛博史、ドラフト外の肖像#2 両親の薦める社会人野球を断って……ドラガイから巨人のストッパーへ
ドラフト会議当日に1本の電話
1988年11月24日、ホテルグランドパレスでドラフト会議が開かれた。
石毛は日本テレビ系の『ミユキ野球教室』という番組の密着取材を受けている。
「テレビカメラが教室に入って、授業を受けている様子とか全部撮ってました」
指名が入れば授業を受けている石毛に連絡が入ることになっていた。
ジャイアンツは津久井高校の川崎憲次郎を1位指名。
川崎にはヤクルトスワローズも指名しており、抽選となった。
スワローズが当たり籤を引き、ジャイアンツは『外れ1位』として北海道拓殖銀行の左腕、吉田修司を指名した。
続く2位で高知商業の右腕投手、岡幸俊を指名。
しかし、スワローズ、広島東洋カープ、ロッテ・オリオンズ、ダイエー・ホークスと競合。
くじ引きで、またもスワローズが交渉権を獲得した。
『外れ2位』として大阪ガスの右腕、松谷竜二郎を指名した。3位に金足農業高校の投手、佐川潔を選んでいる。
ここからジャイアンツは指名を野手に代えた。
4位で三菱自動車川崎の四條稔、5位で三菱自動車水島の前田隆、最後の6位に札幌第一高校の高梨芳昌を指名した。
この年のドラフト会議は6位まで。石毛の名前が呼ばれることはなかった。
指名されなかったことがわかったときは、教室でいたたまれない気持ちでしたか、と話を振ると石毛は「まあまあ、なんか」と口を濁した。
その日の夜のことだ。
「城之内さんから電話があって、6位までに掛けられなかったけど、ドラフト外ということで巨人に来ないかって」
石毛は即答せず「1週間ほど時間を頂けますか」と返事をした。
両親は住友金属への就職を薦めた。
「野球が終わってからでも生活が安定している住友金属に行って欲しい。
父親は、俺の子なんだから、そこまで出来るとは思っていないと。
社会人で3年間やって、それでももう一度ドラフトに掛けてくれるんだったら、行きなさい、みたいな感じでした。チャンスはもう一回あるよって」
しかし、石毛にとってプロ野球選手になることは子どもの頃からの夢だった。その夢に手が届くところまで来たのだ。3年後にドラフトで指名されるとは限らない。
「ドラフト外であっても好きな球団から指名が掛かった。できれば早くから環境の良いところで野球をやりたい」
電話で城之内に入団の意思を伝えると、スカウト部長を伴って銚子にやってきた。
「ドラフト3位の佐川とぼく、どっちを3位にするかということだったと説明を受けました。肘のこともあり3位には掛けられなかった。3位と同等の契約をしましょうと」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180815-00010001-baseballc-base リリーフとして才能開花、宮田コーチとの出会い
年が明けた89年、石毛は背番号「93」という大きな数字の背番号を背負って二軍キャンプに参加した。
ブルペンでプロの投手の投球を見たが、圧倒的な差を感じることはなかったという。
「感触的にはこの人たちには負けないと思いましたね。その自信は何なのかは分からないですけれどね」
しかし、1年目は二軍戦にさえ起用されなかった。
「それがチームの方針なんですね。1年目はバッティングピッチャーと(筋肉)トレーニング」
二軍のイースタンリーグの試合に帯同し、スコアブックを付けるのも大切な仕事だった。
「1年間やりましたね。いい球だけれど、ボール1個分、中に入った。それを待たれて打たれた、とか、そういう駆け引きを勉強していましたね」
ドラフト上位指名の選手のように一挙手一投足を追いかけられることもなく、石毛は幸福で充実した無名時代を過ごすことが出来たのだ。
プロ2年目、90年シーズンからイースタンリーグで先発起用されるようになった。
しかし、ここで石毛は右肘と向き合うことになる。
「1回から7回、8回まで全力で投げていました。そうすると、炎症が出て来る。痛みはないんですが、しっくりこない。思った通りの動きが出来ない」
しばらく休むと炎症は収まった。ただし、回復に時間が掛かるため、先発ローテーションを守ることは不可能だった。
そんな石毛に救いの手を差し伸べたのが、二軍のピッチングコーチだった宮田征典だった。
「宮田さんが『お前、絶対にリリーフの方が向いているから』って」
不思議であるが、短いイニングであれば、毎日投げても肘に炎症が出なかった。
「リリーフの英才教育というか、抑えとはこういうものだということを宮田さんから教えて頂きました」
宮田は1939年に群馬県前橋市で生まれた。前橋高校から日本大学を経て、62年にジャイアンツに入った。
監督の川上哲治により救援投手として起用され、ジャイアンツの九連覇時代の初期を支えた。
『8時半の男』という渾名は広く知られることになった。現在のクローザー、セットアッパーの走りである。
宮田は「感情を出すな」と教えた。
「リーグ戦なので、結果に一喜一憂していると相手に見られる。弱い部分を見透かされる。
だから鉄仮面のように、勝っても負けても同じ表情でマウンドから降りてこい。淡々と毎日投げることがリリーバーの仕事なんだって言われました」
89年シーズン終了後、救援を務めていた鹿取義隆と角三男が移籍したことも、宮田の頭にあっただろう。若く、連投の効く救援投手が必要とされていたのだ ストッパーなのに出てくると相手ファンが喜ぶ稀有な人w 嬉しくて仕方がなかった初登板
翌91年シーズン前、石毛は一軍キャンプに呼ばれている。背番号は「59」に代わった。
キャンプの後のオープン戦も無難に抑え、開幕を一軍で迎えることになった。
4月18日、ジャイアンツは東京ドームに大洋ホエールズを迎えた。
先発はジャイアンツが香田勲男、ホエールズが中山裕章で始まった。
香田の立ち上がりは良かった。3回まで無失点。
しかし、4回に走者を二人置いて本塁打を浴びて逆転された。さらに5回にも本塁打を浴びてマウンドを降りた。
そして6回から石毛がマウンドに上がることになった。
「負けていて、敗戦処理なんですけれど、初登板の場面を(監督だった)藤田(元司)さんが作ってくださった。
もうブルペンで震えちゃって、ブルペンからベンチ裏まで行くのに、結構距離があるんですよ。歩いて行く途中、どうしょう、どうしょうってなっていました」
ところが、ベンチからグラウンドに足を踏み入れた途端、すっと緊張が解けたのが自分でも分かった。
「うわーっ、こんなところで投げられるって、逆に楽しくなっちゃって。
ランナーズハイじゃないですけれど、緊張していたのが、振り切っちゃったんでしょうね。
(観客席の)声援も聞こえるし、顔も見える。不思議な感覚でしたね。負けているんだけれど、マウンドに立てることが嬉しくて仕方がなかった」
このシーズンは23試合に登板し、0勝1敗1セーブ、防御率3.03という記録だった。 石毛さん、プロで16年やれたのか
拓大紅稜の高橋や和田、市船の伏島なんかがプロ入りした世代だ、懐かしい
翌年は、成東の押尾、八千代松陰の度会、市船の大野
度会の息子が甲子園出てるんだもんな、時間経つのが怖いくらい早いわ >>394
話の筋を考えたらある程度なおるというレベルの話をしてるわけではないと想うよ リリーフのくせにピンチでテンパって顔真っ赤にする石毛西山は最高だったわ >>394
もともと低いレベルの人が努力である程度なおるという話なら球を速く投げる能力にも遠くに飛ばす能力にも言える 調子がいい時の石の様なストレートとスライダーのコンビネーションは素晴らしかったよ。
まぁノーコンだとばれてからそのストレートが振ってもらえなくなったんだけどw >>390
高校時代の酷使のせいでプロ入り後は長いイニング
が投げられなくなった板東英二みたいだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています