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【高校野球】プロ選手たちの証言。高校野球での「水を飲むな」の境界線は松坂世代?
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0001鉄チーズ烏 ★
垢版 |
2018/08/02(木) 07:20:34.01ID:CAP_USER9
 テレビをつければ「危険な暑さが続きます」と警告され、インターネットでも「○日連続の猛暑日」だと教えてくれる。やれ「観測史上初」だの「熱中症で搬送されたのは○人」だのと聞きながら、白球を追っていた元球児や野球好きのオヤジはこう思うのである。

 「俺たちのころはこんなに暑くはなかったよな」。

 「でも水、飲んじゃいけなかったんだよな」と。

 そう。昭和の野球部員は全員丸刈りで、練習中に水など飲めず、そして理由などなくとも殴られた。現在は丸刈り(それでも強制したらアウト)を除けば、命令した指導者は即刻追放される。もちろん、いずれも間違っていると気づいたから正された。

■根本は旧日本軍の体質では。

 なぜ水は飲めなかったのか。今の球児にとっては、そもそも意味がわからないことだろう。その根本にあるのは旧日本軍の体質だと思う。

 指導者は上官。その命令は絶対服従だというつくられた威厳。そして甲子園に行くのは厳しい。そこで勝つのはもっと厳しい。だから練習も厳しくあるべきだ。1000本ノックに耐えるのと、のどの渇きに耐えるのは同質なのだ。甲子園に行きたいよな? そのためにはどんな苦労もいとわないんだろう? 

 じゃあ耐えろ……。

 当時の指導者も、水を飲まなければ野球がうまくなるとはさすがに思っていなかったはずだ。だが、忍耐力は土壇場で必ず役に立つ。この「教義」が確立されていたからこそ、強い、弱いにかかわらず本気の指導者は例外なく水を飲むことを許さなかった。

 昭和の道ばたには今では信じられないほど、たばこの吸い殻が捨てられていた。特定の誰かが悪いのではなく、マナーや常識は時代とともに改善されるものだ。「水を飲むな」から「水を飲め」へと野球部の常識も180度変わった。そのプロセスを証言とともにたどっていく。

 以下、年代を比較しやすいように3年生の夏が何回大会だったかを記す。

■田んぼの水、ピンクい井戸水……。

 「練習で飲んでよかったのは昼食のときだけでした。というても、遅かったら夜の11時までやるんですよ? だからファウルボールがグラウンドの外に出るでしょ? 脇には吉野川の支流が流れているんです。取りにいってそれを飲んでましたね。でも海が近いから塩っぽいんですわ。それどころか田んぼに張ってある消毒した水まで口にしてました。それに比べて甲子園の楽だったこと……。ベンチに麦茶が置いてあって、飲み放題でした。だから延長18回なんて楽なもんでした」

 まずは板東英二氏(徳島商、第40回大会)。タイブレーク制へと変わる前の引き分け再試合制は、導入のきっかけとなったのも適用第1号となったのもこの人の力投だった。

 「俺はピンクい井戸水を飲んでたなあ」

 こちらは山崎武司氏(愛工大名電、第68回大会)だ。ちなみに「ピンクい」は書き間違えではなく、名古屋独特の言い回しだ。「青い」「赤い」と同じで「ピンクい」。したがって「緑い」とも言う。いや、そんなことはどうでもいい。ピンクの水って飲んで大丈夫なのか? 今も元気なので人体に重大な影響はないのだろうが……。

 恐らくはグラウンドに散水するための井戸だと思われる。当時の多数派は「練習では飲むな、試合は飲んでよし」だったが、山崎氏と同学年の中日・奈良原浩内野守備走塁コーチ(帝京)は、東京都大会でも飲めなかったという。

 「甲子園に出たら飲んでよかったんだよね。でも都大会は神宮でもあるでしょ? するとベンチ裏に水を飲む機械があるんだよ。監督の目を盗んでそれを飲んでたなあ」

>>2以降に続きます

8/2(木) 7:01配信 Number Web
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180802-00831492-number-base
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