浜省  風に吹かれて  きしむベッド  Jboyは尾崎豊
広島出身ということもあり、大の広島カープファン。ステージ上でカープの帽子、ユニフォームを羽織ったことがある。現役時代の高橋慶彦とは、非常に仲が良かった。他にも前田智徳や西山秀二からサイン入りバットをプレゼントされている。
1974年に、吉田拓郎の全国ツアーのバック・バンドでドラマーを務めたのは、「広島フォーク村」の先輩でもある拓郎から誘われたためだが、そのとき浜田は自分のドラムセットを持っていなかった。広島の友達から借りたら、
そのドラムはアマチュア時代の拓郎が使っていたドラムだった。本人曰く「当時の広島にはドラムはそんなに沢山なかった」という[47]。
尾崎豊や福山雅治、桜井和寿(Mr.Children)など浜田に影響を受けたと言う後輩アーティスト[48][49]に会う時は、彼らの曲を事前にちゃんと聴いて、暖かいアドバイスを贈っている[50]。言葉は「どんな事があっても歌い続けることだよ」
という内容のようである。
中村あゆみは、浜田に一番影響を受け人間的にもとても尊敬していると話している[51][52]。
1988年渚園での野外ライブにもゲストとして参加している。『HOT SUMMER NIGHT』をデュエットした。
事務所の後輩であるスピッツとも交流があり、1995年のシングル「我が心のマリア/恋は魔法さ」で共演している。まだほとんど売れていなかったメ
ジャー・デビュー時からスピッツの音楽性を高く評価しており、「ロビンソン」で彼らがブレイクしたときには「自分のことのように嬉しい」と述べている。初期の作品はほとんど歌えるそうで、
「ヒバリのこころ」「魔女旅に出る」「ウサギのバイク」などがお気に入りだという[53]。
俳優の時任三郎とは1980年代からの交友があり、1985年に「WALKING IN THE RAIN」という楽曲を提供している。