城島はTOKIO誕生の背景を説明した。「もともとTOKIOというのが、1988年か89年ぐらいに山口達也とわたくし城島が出会いまして、
それぞれギターとベースをやっていたということもあって『バンドやろうじゃないか』ということがあって。
そこからメンバー全員が集まってきて、下手くそなのに原宿の小さいスタジオを自分達でとって、
ああでもない、こうでもないと言ってやってた時代がありました」。

 そう説明した上で「(TOKIOは)音楽がベースにあるのは間違いない」とし「今白紙だと。正直断腸の思いです」と述べた。

 最近はロックフェスなどにも出演し、ロックバンドとしての存在感を示してきた彼ら。
NHK紅白歌合戦は昨年、ジャニーズでは最多出場だったSMAPを抜き、24回目を記録した。
その紅白でのリハーサル。昨年は彼れらのステージに、マーシャルアンプが置かれていた。

 遠目だったためモデルまでは正しく確認はできなかったが、
長瀬智也が使用していたギターはギブソン、リーダーの城島茂はポールリードスミス、山口達也はフェンダーのベースだった思われる。
また、城島が使っていたアンプはマーシャルのJCM900、山口はアンペグのSVT-2PRO、長瀬はマーシャルのJCM2000だった。

 長瀬が使用していたギターは特注だったのか、珍しいカラーが施されていた。その長瀬は先日、ファン向け有料サイトを通じて、
「自分たちが精魂込めて作った楽曲も、ベースの音がなくなったら曲ではなくなってしまいます」と、
山口が奏でるベースがなければバンド活動はできないという趣旨を綴っていた。

会見でその真意を言及されると
「僕らは23年間、バンドでやってきましたから、やはり、一つの音が無くなってしまうということはそういう事なんだと思います。
TOKIOの楽曲は、彼が演奏する音がないと全く形にはならない」と述べた。

 音楽の根幹を支えるのはドラムとベースのリズム隊だ。そのリズム隊がしっかりしてこそ、ギターなどが映えてくる。
城島曰くTOKIOのスタートが“山口のベース”“城島のギター”であり、その2人が飛行機の両翼を担い23年間やり続けてきたことは、
片翼を失うと言っても過言ではなく、

長瀬が言う「ベースの音がなくなったら曲ではなくなってしまいます」というのは、決して大げさではない。
そのバンドが奏でる音楽そのものの性格を変えてしまう可能性もある。先のようにロックフェスに出演するなど、
ライブバンドとしての輪郭もはっきりと出てきているなら、なお一層だろう。

 「サポートを入れたらどうか」という声も聞かれるが、確かにサポートを入れることで補える、
あるいはバンドそのもののサウンド力向上も期待されるが、ツアーのおおよそが初日よりも最終日の方が総合的に“良い”と言われるように、
音が馴染むまでには時間がかかる。TOKIOとして23年の長い年月をかけて築き上げたバンドの個性や一体感は一朝一夕では作れない。

 バンド・TOKIOとして見た場合、今回の不祥事は計り知れないダメージと言える。
それ以上に被害者並びにその家族が受けた精神的苦痛は大きい。山口の進退はメンバー預かりになっているが、
“音”という観点で見た場合、活動継続となってもバンドとしては岐路に立っている。

http://news.livedoor.com/article/detail/14671896/