マスメディアが数々のアイドルを生み出した昭和の時代が終わり、平成となって30年。その間にはメディアの構造も、アイドルのあり方も大きく変わった。そして平成の時代もまた終わろうとしている今、アイドル/タレント研究の第一人者に、アイドルという概念の変容について詳細に分析してもらった。

■「アイドル冬の時代」は本当だったのか?

「昭和」や「平成」という元号自体に世の中を変える力はない。だが不思議なことに、昭和から平成への移行は、さまざまな社会の変化と重なっていた。それは、アイドルについても例外ではない。いや、アイドルほどその変化が顕著だったものも少ないだろう。元号が変わることも決定したいま、アイドルがこの30年ほどでどう変わったのか、振り返ってみたい。

昭和のアイドルは、一心同体と言ってもいいほどテレビと密接な関係にあった。

1970年代の「花の中3トリオ」(森昌子、桜田淳子、山口百恵)、ピンク・レディー、キャンディーズ、新御三家(野口五郎、西城秀樹、郷ひろみ)、80年代前半の松田聖子、そして小泉今日子や中森明菜らの「花の82年組」、たのきんトリオ(田原俊彦、近藤真彦、野村義男)といったアイドルは、「スター誕生!」(日本テレビ)、「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)、「ザ・ベストテン」(TBSテレビ)などの音楽番組の存在抜きに人気を獲得することは難しかっただろう。

ところが80年代の後半になると、状況は一変する。昭和から平成の変わり目に「夜のヒットスタジオ」や「ザ・ベストテン」が相次いで終了。それとともに、アイドル歌手のメディア露出は目に見えて減ることとなった。

「アイドル冬の時代」。ここから90年代後半にモーニング娘。が登場するまでの間をそう呼ぶことがある。ただしそれは、テレビ中心の昭和のアイドル、しかも女性アイドル歌手を暗黙の基準にしている。実際は、その間何も動きがなかったわけではない。今から見れば、むしろそれは男女問わずアイドルが新たな自分たちの活動スタイルを模索し、その結果活躍の場を広げた時代であった。その意味では、「アイドル冬の時代」というフレーズを鵜呑みにすることはできない。

では、平成の初めに何があったのか??前述の音楽番組終了のあおりをまともに受けたのが、SMAPであった。すぐ上の先輩で爆発的ブームを巻き起こした光GENJIがぎりぎり昭和に間に合ったのに対し、SMAPのCDデビューは91(平成3)年。つまり、主要な音楽番組がすでに終了した後だった。

光GENJIがその名の通り「光源氏」を連想させる王子様的アイドルだったように、昭和アイドルは虚構のなかで輝く存在だった。遡れば山口百恵、松田聖子や中森明菜もそうだった。彼らや彼女たちは、楽曲という「作品」のなかで自分の役柄を演じることをアイデンティティにしていた。そんなアイドル歌手にとって、音楽番組の終了は虚構の世界を演じる場そのものの喪失をも意味していた。

代わって平成アイドルにとって重要になったもの、それはドキュメンタリー性であった。SMAPの新しさのひとつは、アイドルがドキュメンタリー性を担った点にあった。

確かに歌、芝居、コントで演じる彼らの魅力も大きかった。だが、木村拓哉がトーク番組で恋愛や性についてアイドルらしからぬ率直さで発言するなど、SMAPのメンバーは「素」の部分を出すことをためらわなかった。従来のジャニーズのイメージを覆すその姿は、世間に新鮮な印象を与えた。

そのスタンスは、グループとしても一貫していた。メンバーの脱退や不祥事、東日本大震災発生に際し「SMAP×SMAP」(フジテレビ)の生放送で真情を吐露する姿もまた、ドキュメンタリー性を色濃く帯びたものであった。

■モーニング娘。が継承したもの/革新したもの

ドキュメンタリー性は、「アイドル冬の時代」を終わらせたとされるモーニング娘。にとっても不可欠な要素だった。

オーディション番組「ASAYAN」(テレビ東京)の出身という点では、彼女たちは昭和の「スター誕生!」出身アイドルと同じである。ただ、モーニング娘。の初期メンバーはオーディションに落選した人たちだった。彼女たちがインディーズから出発してCDを5万枚手売りする様子は、同番組内でも放送された。すなわち、「メジャーデビューへの道」がドキュメンタリーとして伝えられたのである。

またそれ以後のモーニング娘。にも、頻繁なメンバーの増減というかたちでドキュメンタリー要素は受け継がれた。モーニング娘。では、グループの人数は固定されず、メンバーの卒業・脱退と加入がその時々の事情に応じて繰り返されることになった。

https://toyokeizai.net/articles/-/214814