春場所前の貴乃花一門の激励会が3日、大阪市内で行われる予定だったが、急きょ、貴乃花部屋のみの激励会として行われた。
恒例となっている一門の連合稽古も行われず、孤立している様子がうかがえる。
 貴乃花親方は、このままではいけない、なんとかしなければ大相撲に将来がない、と思っていることだけは間違いない。

貴乃花親方が初めて自分色を強く打ち出したのは引退して半年後の2003年6月1日、
両国国技館で超満員の観客1万1000人観客を集めて行われた引退相撲だった。

 力士にとって引退相撲は、言葉が悪いが、最後の稼ぎ場だ。マゲにハサミを入れるだけでご祝儀が10万円とも、20万円ともいわれるだけに
、断髪式では実に多くの後援者が土俵に上る。関脇水戸泉のときは470人、横綱大乃国のときも453人がハサミを入れた。

 ところが、貴乃花親方は「双葉山の引退相撲でハサミを入れたのはたった10人だった。自分のときも、本当にお世話になった人だけにお願いしたい」と主張。
実父で師匠の二子山親方(元大関貴ノ花)に関係する後援者はことごとくリストから外し、
森喜朗・前総理をはじめ、自分に近い人ばかり50人に絞った。大乃国の9分の1だ。まさに異例だった。

こうした思い切った手法が改革派のイメージを育てていったが、実態はどうか。初場所終了直後後の部屋のブログで貴乃花親方はこう訴えた。

 「(大相撲を次世代に残すために)改革するのではないのです。古き良きものを残すために、時代に順応させながら残すのです。
(中略)協会全体が一つの家族になるべきです」

 これはもう保守そのものだ。それもガッチガチの。解任前の貴乃花親方は鏡山親方(元関脇多賀竜)と並んで最古参理事だった。
年齢は若いが、いわば理事会の重鎮だ。にもかかわらず、在任中の8年間、理事会ではこれといった新提案はおろか、発言すらもほとんどしなかったという。
つまり、首脳の方針をひたすら黙認してきたのだ。

 今回の理事選で“神風”を吹かすことができなかったのは、こうした実体を多くの親方たちに見透かされたから、という声も多い。

https://www.zakzak.co.jp/spo/news/180306/spo1803060008-n2.html
https://www.zakzak.co.jp/spo/news/180306/spo1803060008-n1.html