前回のソチ五輪、スノーボード女子パラレル大回転で銀メダリストに輝いたが、
2位で終わったその瞬間から、彼女の平昌五輪への勝負は始まった。 平昌での結果は、5位。頂点はおろか、表彰台にも登壇できなかった。

 「20年の競技人生で、こんなに調子が悪かったことがないぐらい。
よりによってどうして金メダルを目指したこの五輪直前になってしまうんだろうって。でも、起きたことは全部必然と思ってきた。
だから後悔はまったくないです」

 今シーズンのレースでは二桁順位や予選敗退が続いた。

◆ソチから変わったルールが逆風に。

 平昌五輪では、それぞれ1度の滑走で勝負する「シングルフォーマット」が採用された。
竹内が銀メダルを取った前回のソチ五輪は2度の滑走で勝敗を決めたが、昨年の10月に今回の規定となった。

 若手など、一か八かで大胆勝負をしかける選手にはわかりやすいルール。
ただ、実力者であればあるほど、「リラン(Re-run)」と呼ばれる2本目では、1本目から修正してより良いタイムを出すことができる。
竹内ら何人かの選手は「リラン」を希望していたが、結局多数決で今規定に決まった。

 平昌のレースでは、赤と青、2つのコースの優劣が顕著に出ていた。竹内が敗れた準々決勝のレース以前の戦績は、赤コースを滑った選手が17勝で、
青コースの選手が2勝。青コースは途中、緩斜面に入っていくルートの雪が酷く荒れていて、そこでスピードが出ずに敗れる選手が続出していたのだった。

 直前のレースでタイムが良かった選手がコースを選択できるルールで、竹内は準々決勝は青コースに回ってしまった。
もちろんそれだけが敗れた理由ではなかったが、見ている側には悔いが残る結果だった。

◆銀メダルを取って引退していたら……。

 「もちろんアスリートである以上、勝たない限り誰も納得しないし、できない。そこに言い訳もお涙ちょうだいもないです。
金メダルを取れなかった悔しさは、一生消えないと思います。

 でももし、ソチで銀メダルを取った時点で引退していたら、私は競技人生の有り難さや、何よりオリンピック自体をもっと甘く見ていたと思うんです。
今回、初めて金メダルというブレない目標を定めて4年間やってきたけど、それがどれだけ難しいことかもあらためてわかった。

 「メダルを取れた人と、取れなかった人。その差はすごく大きい。もちろん私が今回メダルを取っていても、今話したことは理解すべきだし、
その感覚は誰もが持っていないといけないことなのかもしれない。でも私は今回の立場になって、やっぱり深く気づけたのかなと。
自分のこれまでを、初めて自分でリスペクトしようかなと思います」

 「オリンピックは、ある意味中毒になるようなところです。出るとまた次、となり、永久に出ていたくなる。
同時に、4年間また歩み続ける難しさも一番理解できた今大会でした。割合で言うと、次のオリンピックはもう目指さないだろうなという考えの方が高い」

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