【訃報】元西武の片平晋作氏が膵臓がんで死去 68歳 世界の王ばり1本足打法で活躍[18/01/22]
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元西武の片平晋作氏が膵臓がんで死去 68歳
2018年1月22日18時36分 日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201801220000538.html
片平晋作氏(2011年6月12日撮影)
https://www.nikkansports.com/baseball/news/img/201801220000538-w500_0.jpg
大洋時代の片平晋作氏(1987年4月29日撮影)
https://www.nikkansports.com/baseball/news/img/201801220000538-w500_1.jpg
プロ野球の西武の内野手などとして活躍した片平晋作(かたひら・しんさく)氏が22日午前9時58分、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった。68歳だった。西武球団が発表した。
片平氏は東農大から71年ドラフト4位で南海に入団。1本足打法で知られるようになった。82年には西武に移籍して一塁手として活躍し、82、83年の連続日本一に貢献。89年に大洋で現役を引退した。
引退後は西武の1軍打撃コーチ、2軍監督などを務めた。
世界の王ばり1本足打法で活躍/片平晋作さん略歴
2018年1月22日18時48分 日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201801220000571.html
プロ野球の西武の内野手などとして活躍した片平晋作(かたひら・しんさく)氏が22日午前9時58分、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった。68歳だった。西武球団が発表した。
◆片平晋作(かたひら・しんさく)1949年(昭24)8月5日、大阪府生まれ。上宮から東農大を経て1971年ドラフト4位で南海に入団。王貞治氏と似た1本足打法で活躍し79年には自身初めて規定打席に到達し、リーグ5位となる打率3割2分9厘、80年には21本塁打をマークした。82年に西武にトレード移籍。同年、翌83年の連続日本一に貢献した。87年に大洋にトレード移籍し89年に引退した。プロ18年間で1503試合に出場し1181安打、打率2割7分4厘、176安打、601打点。引退後、90年から西武で打撃コーチ、2軍監督、編成部長など歴任した。13年からは女子プロ野球リーグでアストライアの監督や、同リーグの特命コーチを務めた。 最近良くメガキュアって目にするから物は試しだし買ってみた!
3日ぐらい使ったけど確かに自然な白さになっていくの実感できた!
口の中も常にスッキリしてていい感じ!ちょっと高級だけど買ってみて正解だった! >>502
クビじゃなくてトレード。
当時の西武の監督の広岡が「南海でふやけた片平や黒田が、このチームで役に立つのか?」
みたいな嫌味を言っていたが(トレードは根本さん主導)、二人とも初優勝に大きく貢献した。
広岡はマスコミを使って選手を発奮させるタイプ? 長年に渡っての食生活でそういう仕様になっているんじゃないのかね
逆に向こうの人がヘルシーとか言って和食ばかり食べているとどこかに弊害が現れてるのかもしれないし 日本人は飢餓に耐える前提の体質だから逆に栄養状態が良くなると糖尿になりやすいって聞いたよ 日本人が肉や脂や砂糖などを大量に摂取して日本酒以外の酒を飲みだしてまだ200年くらいだから内臓が適応し切れてないんだろ。
藤原道長は平安時代に糖尿に悩まされていたそうだけど。 タブランはアップショーもバナザードも
追放したゴミ。 >>303
ファミスタでしか知らんかったけど
パッケージにシールを貼っただけの87と元祖で成績同じか! >>580
文化、文政の頃にはもう
肉をバンバン食べて
ビールやワインを飲んでたわけかw 大阪球場のボックス席で南海の片平や柏原を応援してたのが
子供の頃の思い出だ 1983年西武‐巨人の日本シリーズは巨人3勝2敗で王手をかけて
第6戦も巨人が中畑のタイムリーで9回にひっくり返して
あと2アウトで巨人が優勝だった
ここから山崎、片平、鈴木、石毛の4連打で西武が同点、
金森がサヨナラ安打
第7戦も西武が僅差で逆転勝ち
片平さんが凡退していたら巨人が日本一だったかも >>583
山くじら料理の両国ももんじやが享保に創業だから、
その頃には実は肉はバンバン食ってたかもなあ。 初めてみたときはすでに大洋の背番号2番だったので そのイメージしかない
安らかにお眠りください 徳川綱吉|加来耕三の東京歴史探訪|東京新聞ほっとWeb
http://hotweb.tokyo-np.co.jp/history/201406.html
> とはいえ、綱吉にも立派な言い分がありました。
>「犬を食する蛮行は、人間として許せぬ」
> というのも、その一つ。確かに「生類憐みの令」が発せられるまで、日本人は食犬の習慣をもっていました。これがピタリと止んだのは、綱吉のおかげといっていいでしょう。 >>587
南海、西武時代も、背番号何番だったか覚えていないや
最後まで1番は付けなかった気が?
ご本人は付けたかったのかな?
恐れ多いと遠慮してたかもしれないけど >>590
南海時代 22→25
西武時代 4
大洋時代 2
西武コーチ・二軍監督時代 72 >>555
6 石毛 監督
7 金森 コーチ
5 秋山 監督
3 清原 監獄
9 片平 二軍監督 コーチ
8 田尾 監督
4 辻 監督
2 伊東 監督
P 久信 監督
東尾 監督
工藤 監督
郭 コーチ
以前どこぞのスレでこんなふうに書かれてしまったのは見た覚えがある。 >>591
あ〜!西武時代はなんとなく4番だったような記憶があったんですよ
教えてくれて、どうもありがとさんです >>593
東尾も賭けマージャンで捕まったことあるな >>37
ただキャラの苗字が一緒なだけで全く関係ないだろw >>592
大リーグボール二号を打った時の
花形満 最近良くメガキュアって目にするから物は試しだし買ってみた!
3日ぐらい使ったけど確かに自然な白さになっていくの実感できた!
口の中も常にスッキリしてていい感じ!ちょっと高級だけど買ってみて正解だった! メガキュアには凄い感謝しちゃってます!だって速攻で歯を白くしてくれちゃうんだもん >>583
江戸時代は肉食もごく一部の層や、
庶民やたまにご馳走で食べるだけで、
日常食ではないだろう。
洋酒なんかもっとレアだろう。
肉食が一般的なら、当時の日本人の身体があんなに小さいわけない。 >>565
大酒飲みの吉本芸人が何人か膵炎になっているが、
膵臓を痛める主因は暴飲暴食だろう。
戦後の経済成長で、アルコールとタバコが割安になり消費量がやたら増えたからな。 >>585
勝負を焦った藤田と、7戦まで見越した我慢の投手起用をした広岡の差だな。 >>580
白人でも、WW2の食糧難の時代に幼少期を過ごした世代は、
少ない栄養をフルに消化する高燃費体質なので糖尿病が多い。 あの頃で三球団渡り歩いたというと、
江夏のようなトラブルメイカーや、
太田幸司のような期待外れロマン枠なんだけど、
ブレイザーに干された以外はどこでも主軸で活躍したのも凄い。
二軍監督をやったということは、
人望や面倒見の良さも買われたはずだし。 >>20
何故か強打者イメージがあるのはそのせいか 最近良くメガキュアって目にするから物は試しだし買ってみた!
3日ぐらい使ったけど確かに自然な白さになっていくの実感できた!
口の中も常にスッキリしてていい感じ!ちょっと高級だけど買ってみて正解だった! メガキュアには凄い感謝しちゃってます!だって速攻で歯を白くしてくれちゃうんだもん 82年の日本シリーズ第六戦、田淵に代わり守備固めに入った片平が、鈴木(孝)から美しい放物線でバックスクリーンに飛び込むホームラン。続く5番テリーはライナーでバックスクリーン上部を直撃する1発わ放つ。
テレビだがリアルタイムで見ていた。 >>595
現行犯ではないので逮捕はされていない
摘発されたマンション麻雀の顧客リストに東尾の名前があったから事情聴取→書類送検(略式起訴) >>281
それめっちゃ覚えてるわwww
namcoの小冊子というか、ログインかベーマガのパソコン雑誌のが初出じゃなかった? >>507
西武百貨店大安売りのテーマか
懐かしいな >>604
勝負を焦ったというか西本を胴上げ投手にさせたかったのかね >>507
それは西武ライオンズ球団歌の「地平を駈ける獅子を見た」
>>140のは西武ライオンズ旧応援歌の「若き獅子たち」
ちなみに現応援歌は「吠えろライオンズ」
なお地平を駆ける獅子を見たは作詞・阿久悠、作曲・小林亜星、歌・シゲルマツザキ
という当時としては超豪華な組み合わせだったという >>619
あのシリーズは江川が不調で角もケガしてたから
最後はそれまで調子のよかった西本に頼りたかったんだと思う >>607
高橋博・阪本・富田・高橋直・高橋里・加藤英・江本・東田・福士・米田・小山
3球団は昔から取り立てて珍しくない >>621
それにしても他に選択肢は無かったのかねと
今みたいに投手分業制が確立されてない、ならではな試合展開ではあったけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています