2017年にJ1横浜F・マリノスからJ1ジュビロ磐田に移籍した元日本代表MF中村俊輔は、新天地で10番を背負い卓越したスキルを見せるなど、39歳となった今も健在ぶりを誇示している。欧州リーグで8シーズンを過ごした天才レフティーの目には、「日本人選手に足りないもの」が映っているという。自身の経験談を交えながら持論を展開した。

 中村は2002年8月に横浜FMからイタリア1部レッジーナへ移籍し、初年度から10番を背負ってプレー。2005年8月にスコットランド1部セルティックに活躍の場を移すと、6つのタイトルに加え、年間最優秀選手賞(2006-2007)も獲得。その後、2009年夏にスペイン1部エスパニョールに移籍し、2010年2月に古巣の横浜FMへ復帰を果たした。

 イタリア、スコットランド、スペインを渡り歩いた中村は、日本凱旋から今季で8シーズン目を迎えている。海外リーグもよく知る中村は、日本との違いについて口を開いた。

「レッジーナでは3連敗して外出すると、『何負けてるんだよ!』って普通にファンから小突かれますからね」

 笑いながら冗談交じりに3シーズン在籍したレッジーナ時代を振り返った中村は、当時を回想しつつ、さらにイタリアでのエピソードについて次のように明かす。

時に批判も「点を決めればヒーロー」の世界

「スーパーマーケットでもサポーターに詰め寄られたこともあったし、車のタイヤを一個取られた選手もいました。確か4連敗した後だったかな。怒ったサポーターが練習中のグラウンドに乱入して、『お前ら、やる気あるのか!』って抗議するぐらいですからね」

 カルチョ(サッカー)の国と呼ばれるイタリアのセリエAは、かつて“世界最強リーグ”とも称され、サッカー界の中心にあった。サッカー文化が根付いた環境のなか、中村はレッジーナの10番として、時には批判を浴びながら観客を魅了するプレーで着実に評価を高め、自らの地位を確立してきた過去がある。

「ただその代わり、点を決めればヒーロー。サッカーを大きく扱う新聞が4、5紙あって、サッカー選手のステータスも高い。ヨーロッパだとサッカー選手の存在価値は全般的に高いですからね。そういう意味で、周囲からのプレッシャーが日本と海外では全く違いました」

 事実、中村は華麗なプレーと卓越したテクニック、そして武器であるFKで目の肥えたイタリア人を魅了し、現地で「東洋のバッジョ」と呼ばれた。今年10月14日のJ1リーグ第29節、敵地清水エスパルス戦(3-0)で中村が右コーナーキックから直接ゴールを決めた際には、現地メディアが伝えるなど、今でも「NAKAMURA」の衝撃は色褪せていない。

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