【野球】古木克明、ドラフト1位の肖像#1――大砲として類い稀な才能、一気に評価を上げた甲子園 [無断転載禁止]©2ch.net
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かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。
華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。
その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。
小学校時代にすでに大器の片りん
野球の裏側には理不尽さがぺったりと貼りついている。
打者がバットの芯にボールを当てて飛ばしたとしても、その先に野手が待ち構えていることがある。一方、当たりそこねの、緩い球が野手の間に落ちて安打となる、なんてこともある。そのため熟練の打者になるとわざと芯を外し、野手のいない場所に球を落とすこともあるという。
そうした野手の配置に頓着しない種類の打者も存在する。それは外野手の頭を軽々と越えていくホームランバッターである。彼らのバットから放たれたボールは、優雅な放物線を描いて、ゆっくりとスタンドに消えていく。こうしたホームランを量産できるのは、プロの中でもごく一握りの男たちに過ぎない。そして彼らは球を遠くに飛ばすことに強い美学とこだわりを持っていることが多い。
古木克明はその一人だった。
1980年11月10日、三重県松阪市で古木は生まれている。二人きょうだいで、妹が一人いる。
「子どもの頃から躯は人一倍でかかったです。小学校の入学式のとき141センチあったはずです。もう頭一つ、いや二つぐらい飛び抜けている感じで。太っちょでいじめられっ子。泣き虫でしたね」
野球を始めたのは父親の影響だった。
「田舎だったので、庭や広場で親父とキャッチボールをしてました。最初は楽しいんですけれど、ぼくは10球ぐらい投げたら満足してしまう。でも親父はやめさせてくれないから、楽しくなくなってしまう」
父親は古木をまず「ジュニアホークス松阪」というボーイズリーグに入団させた。ただこのチームの主体は中学生で、小学生の選手は少なかった。そこで1年ほど経った後、リトルリーグの「松阪リトルリーグ」に移ることになった。
この頃から古木は潜在能力の高さを示し始めていた。
「自分で言うのもなんですけれど、小学4年生の中でぼくは桁が外れていたんですよ。
(投げる)球も速いし、打球もガンガン飛ばすし。4年生たちの中でやらせていると危ないからって、小学6年生のAチームに入れられました」
古木の長距離打者としての基礎を作ったのは父親だった。父親は古木が小学校に上がる時期に建築士として独立していた。
時間の自由が利くこともあったろう、自宅にバッティングゲージを設置、毎日夕食後の7時から2時間程度の練習に付き合った。
「親父はすごく勉強家で、ティーバッティングをして、常に打球が45度の角度に上がるように意識させたんです。
建築士だったので、そういうのが得意だったんです。45度を測って、そこに印をつけてボールを当てる」
ボールを遠くに飛ばすためには、厳密にはバットの芯ではなく、少し上に当てる必要がある。古木の父親はその当てる場所を息子に意識させたのだ。
やがて強打者、古木の名前は近県で知られるようになった。
「小学4年、5年、6年でホームラン66本。もちろん練習試合を含めてです。万博記念公園内の球場に少年グラウンドがあるんです。
西日本大会という大会で、そこのセンターのバックスクリーンを越えたことがありました」
すごく飛ばす選手がいると話題になったみたいですと古木は他人事のように笑った。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170919-00010001-baseballc-base
9/19(火) 10:00配信
https://amd.c.yimg.jp/im_siggj0hAVpWg5Ko16cIQoVA8Wg---x400-y226-q90-exp3h-pril/amd/20170919-00010001-baseballc-000-1-view.jpg
https://www.nikkansports.com/battle/news/img/f-bb-2011-1010-0001-ns300.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/softbankhawksmatome/imgs/a/0/a0090002.jpg
http://npb.jp/bis/players/01003888.html
成績
https://www.youtube.com/watch?v=cqPRSnP3HK8
古木エラー
https://www.youtube.com/watch?v=y9nwTZKe968
古木あーっと ホームランを打てるかが分かる
古木はシニアリーグを経て、愛知県の豊田大谷高校に進学した。
入学当初は出場機会は与えられなかったが、夏が終わり新チームになると古木は主力として起用されるようになった。
「1年生の秋、県大会を勝ち抜いて東海大会まで行ったんです。
そのときレフトにガーンってホームランを打って、(翌春の選抜)甲子園には行けなかったんですけれど、それで注目される選手になったんです」
それからしばらくは自分の中では一番凄かった時期がやってきたんです、と古木は身を乗り出した。
「ホームランを打てるかどうか分かるんです。だから仲の良い奴に、次の打席ホームランを打ってくるわって言って、カチーンと打ってました。
2打席連続というのは少なかったのですが、とにかく毎試合ホームランを打っているような感じでしたね」
好調を保ったまま、高校2年生の夏になり、愛知県大会を迎えた。
「初めての地方大会だったので、すごく緊張していて、結果が思うように出なかったんです。
準決勝ぐらいから調子が上がってきたという感じで、結果としてはホームランを打って甲子園に出ることが出来ました」
甲子園で初戦の相手は長崎県代表の長崎南山高校だった。古木は三番サードとして先発出場している。
「憧れていた舞台だったので、最初はガッチガチでした。すごい展開が早かった。気がついたときは6回ぐらいまで行っていたんです」
古木がはっきりと覚えているのは、第4打席目の三振である。
「ボールが来たときに行けると思って振ったら、(ボールが)親指に当たった。痛いけど恥ずかしいから、必死で我慢してました」
そして、1対3で先行された9回表、ランナーを一塁に置いて古木に打席が回ってくる。
「第5打席目にホームランを打つんですけれど、そのとき初めてようやく地に足が着いたような感じでした」
古木の打った球は一直線にレフトスタンドに吸い込まれて行った。
打った瞬間にホームランと分かる強い打球だった。同点ホームランである。
このホームランにより試合は延長戦に入った。そして12回表、ランナーを一人置いて古木に7回目の打席が回ってきた――。
2ボール2ストライクから古木は軽くバットを振ったように見えた。打球はふわりとレフト方向に高くあがった。
平凡なレフトフライかと思われたボールは風に乗って、どんどん伸びて行く。そしてポール際ぎりぎりに入った。
逆転ホームランである。試合はこのまま豊田大谷が勝利した。1試合2本塁打はPL学園の福留孝介以来だった。 隠し球に象徴される古木らしさ
豊田大谷は続く2回戦で山梨県代表の甲府工業と対戦している。
1回表、甲府工業が2点を先制。その裏、三番に座っていた古木が二死から二塁打を打っている。
試合の流れを考えれば、豊田大谷はここで1点返したい場面だった。
四番打者がバッターボックスに入ったのを見て古木は二塁ベースから離れた。
すると甲府工業の二塁手がすっと近づき、グラブで古木の躯に触れた。
その瞬間、塁審が「アウト」と叫んで手を挙げた。隠し球である。
試合後、古木は「小さいころからボールから目を離すなと言われていた。相手がうまいとはいえ、自分は実行できなかった」と報道陣に後悔の言葉を語っている。
豊田大谷は1回の拙攻もあり、試合の流れを最後まで掴むことができず2対4で敗れた。
長距離打者としての類い稀な才能と、どこかすっぽりと欠けた部分。その後の古木を象徴するかのような試合だった。
古木克明(ふるき・かつあき)
1980年11月10日、三重県出身。豊田大谷高校2、3年時に夏の甲子園に出場(3年時はベスト4)。
左の強打者としてドラフト候補にリストアップされ、1998年度ドラフト会議にて横浜ベイスターズから1位指名を受けて入団。
03年には、自己最多の22本塁打をマークした。
08年にオリックス・バファローズへ移籍し、09年シーズン終了後に現役引退。引退後は格闘家に転身し、注目を集めた。
その後、再度球界復帰を目指して13年に米独立リーグのハワイ・スターズに入団(1年のみプレー後に引退)。
2014年1月にプロアスリートとしては初となる復興支援活動を伴う一般社団法人スポーツFプロジェクト(SFP)を設立。
事業の傍ら、2014年4月から事業構想大学院大学の大学院生としてアスリートのセカンドキャリアの研究し、MPD(事業構想修士)を取得するなど活動の幅を広げている。 アメリカの人気スポーツ世論調査(ワシントン・ポスト)
https://www.washingtonpost.com/politics/polling/basketball-football-baseball-soccer/2017/09/06/b6643ab4-930b-11e7-8482-8dc9a7af29f9_page.html
観戦するのが最も好きなスポーツ
37% アメフト
11% バスケ
10% 野球
*8% サッカー
*4% アイスホッケー
*4% モータースポーツ
*2% ゴルフ
*2% テニス
*2% 体操
*1% UFC / 総合格闘技
*1% ボクシング
*1% 水泳
0.5% 競馬
*4% その他のスポーツ
12% 観戦しない、好きではない
*2% 意見なし チャレンジ精神は認めたい
しかしヤニカスじゃなぁ。。。 まあ悪いやつではなさそうというか
馬鹿なのはよくわかる 古木や大森とか高校大学で凄くてもいまいちプロで活躍出来ないのいるよな。
筒香もそんな気配を漂わせていたが開花したな。 プロ野球の選手になりたいです
でも、大洋には入りたくありません そのフィジカルエリートがボビー弟に格闘技で手加減された上にあっさり負けたんだよな 松坂世代って古木だけじゃなく、PLの古畑とか九州学院の吉本(ダイエードラフト1位)
とか強力打者がいたイメージだが… >>17
捏造は良くない
大洋とロッテには入りたくないだから 打率.208
本塁打22本
打点37打点
これ以上に気持ち悪い成績残すひと出てくるかね チャンスで弱く守備が酷い
ソロばかり打っていたイメージ >>19
地味に和田率いる浜田も豊田大谷と接戦演じてるんですがそれは… 古木のホームランの弾道は好きだったよ
ライナーで一直線でスタンドに突き刺さる
しかも、大物投手ばかりから打ってた
ハマの3、4番は、村田、古木で15年安泰、そう思っていた時期が俺にもありました >>28
島根がそこまで躍進するのは稀
その前は谷繁がいた江の川まで遡る 古木が雑魚に見えるほどの強打者がいたんだよな
吉見と言う投手がね。
打者に転向させていれば糸井より活躍していたのに
コーチが雑魚だった 昔、自営業やってた家の祖母の店にサイン飾ってたけどベイ出された辺りには無くなってたな 古木を5年程度かけてじっくり熟成させていたらどうなった?
ムリに上に上げて使ってダメになったイメージ この試合覚えてるわ
たしか最後、古木が見送り三振したろ? 村田、古木、ピッチャーデニー、そして大ちゃん
クソ弱かったけどあの頃が一番楽しかった 甲子園での送りバントでダメだとわかった
監督のサインなんだろうけどやらせたらダメ 古木サードと比べたら、セカンド村田の安心感といったら >>37
あの人は同じ富山県民と結婚したほうがいい感じだな 2003年5月28日
金城
鈴木尚 T.ウッズ
内川 村田
古木 川村 コックス
中村 >>22
大松が違った意味で気持ち悪い成績残してた ホームランバッターでも、
あまり真芯過ぎると力を伝えきる前にボールがバットから離れてしまって飛距離が出なくなるから、
わざとタイミング外して打っているってのを聞いたことあるが シニアで注目されてたやつがなんで豊田大谷なんかに行ったのだろう
当時の豊田大谷なんて甲子園に届かない出場ゼロ高校だったでしょうに >>18
やって気づいたけど苦しいのと痛いのは全く別だったって言ってて笑った
あいつ馬鹿だけど面白いわ >>44
森中がホームラン打った日よな
俺見に行ってたんだけどこんな酷い守備陣だったのかw まぁ、一本も打てずに去っていくのも多い世界だからな
古木はマシな方だろう >>3
長崎南山戦の同点本塁打は、ライトスタンドだね。
左打者の甲子園での本塁打で、
沢井、瀬間仲、大谷と並んで、「これはものが違う」と思わせた、
打った瞬間に分かる大本塁打。 今や草野球の助っ人で自分のTシャツを売りさばく日々 古木は当たれば飛ぶけどとにかく守備が駄目っていうイメージが有った ドトールコーヒーは悪の結社、創価学会の
一員だ
集団ストーカーを行なってる
エクセルシオールカフェ、星乃珈琲はドトールグループだ
エクセルシオールカフェ赤羽東口店(現在ドトールグループ サンメリー赤羽店)閉店は証拠隠滅
ドトールも創価も法的措置を取らないのは
事実だからです
当時のドトールコーヒー社長 17年4月左遷サンメリー社長へ
とうきょうときたくあかばねは
そうかのまち
わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。
(新約聖書 『ルカによる福音書』22章32節から)
転載可 ハガキだか手紙で石井琢朗を石井豚朗と書いた古木さん バッティングの練習しかさせなかったのが親父の
失敗だったな
最低限の守備力があればここまで短い選手生命
になることもなかっただろうに >>15
乙女は守備範囲は狭いけど捕れる球は華麗に
捌くからなあ
古木は捕球すら満足に出来ん >>22
これで打点が77くらいあれば夢があるんだけどなあ 古木最後は4三振で終わったんだっけな甲子園
でそれ以降豊田大谷は甲子園に一度も出られないとは 古木は典型的な努力をしていれば、、、と思う選手だったなw
せめて守備がもう少しまともなレベルだったら
もう少しプロでチャンス与えられてただろうし ベンチ裏で唐揚げ
ベンチでタバコ
この差は大きかった >>53
出身地に三重高校っていうまあまあ野球強い私立高校もあったのにホント不思議 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています