【サッカー】日本サッカー史に残る湘南フジタ再会の夜の人間模様 [無断転載禁止]©2ch.net
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湘南ベルマーレにとって、2日の横浜FC戦は絶対に負けられない…いや、負けたくない試合だった。クラブと日本サッカー史に残る1日だったのだから…。
この日の試合は「フジタスペシャルデー」と銘打たれた。前身の藤和不動産サッカー部からの親会社であり、フジタ工業サッカー部を経てベルマーレ平塚に改称し、Jリーグに参入後もクラブを運営しながら、99年に撤退したフジタが、18年ぶりに袖スポンサーとして復帰。そのことを記念した試合だった。
フジタの奥村洋治社長は、JFLに参戦して優勝、Jリーグ参入を決めた93年の復刻版ユニホームを着てあいさつした。
奥村社長 (湘南とフジタは)泣き別れた兄弟みたいなもの。スポンサーに復帰することによって、また堂々とベルマーレを応援できることは、フジタの社員にとっては本当に大感激。どんなことがあってもJ1に昇格していただきたい。フジタはベルマーレを大変、誇りに思っております。これからもベルマーレを強く熱く応援していきたい。
奥村社長の言葉の端々に、フジタと湘南の栄光と転落の歴史への複雑な思いがにじんだ。栃木県社会人4部から始まり日本サッカーリーグ3回、天皇杯2回優勝を果たした名門フジタは、ベルマーレ平塚としてJリーグに参入した94年に天皇杯、翌95年にアジア・カップウィナーズ杯(現アジア・チャンピオンズリーグ)を制した。98年にはFW呂比須ワグナー(現J1アルビレックス新潟監督)、MF中田英寿、GK小島伸幸が日本代表、DF洪明甫が韓国代表としてW杯フランス大会に出場した。
ところが、同年秋にフジタはベルマーレ平塚にクラブ運営から撤退すると通告。クラブは存続の危機に立たされた。予算の大幅縮小により、主力選手の放出を余儀なくされて迎えた99年6月、フジタは運営からの撤退を正式に表明。チームも第1ステージ3勝、第2ステージ1勝に終わりJ2降格が決定した。
フジタが撤退を正式表明する前年の98年には、横浜フリューゲルスが横浜マリノスに吸収合併されることが発表され、99年元日の天皇杯優勝をもって横浜フリューゲルスは消滅していた。
ベルマーレ平塚は親会社を持たない市民クラブ・湘南ベルマーレとして再出発できたが、経営は決して楽ではない。反町康治監督(現松本山雅監督)が率いた09年に3位で昇格を決めるまでJ1に復帰できない時代が10年も続いた。
1度はクラブを危機に追い込む撤退を決断した当時の親会社を再びスポンサーに−という発想に抵抗はなかったのだろうか? 16年8月にフジタにスポンサーの打診をした“仕掛け人”湘南の水谷尚人社長は、ピッチを見詰めながら笑顔で、こう言った。
水谷社長 18年は前身の藤和不動産サッカー部から数えて、クラブ創立50周年。その中、フジタ時代のOB、社員の方が、うちの試合を見に行きにくいという話を聞いて、残念に思ったのが始まりでした。フジタさんからは、サポーター感情も考え『戻ることが出来るんでしょうか?』というお話もありましたが『ぜひ戻ってください』と言ったんです。人間、いい時も悪い時もあるじゃないですか? ベルマーレ平塚時代と同じ、左袖にフジタが入るのは、あるべき一番美しい姿。戻ってきてくれたことが本当にうれしい。
02年からクラブに関わる水谷社長より以前から働く社員の喜びは、ひとしおだ。ベルマーレ平塚時代の96年に入社した遠藤さちえさんに話を聞いた。
−「フジタスペシャルデー」を振り返って
遠藤さん 1日が終わって、99年からの出来事が走馬灯のように思い出されて、まさかこんな日がくるとは…と信じられないような気持ちでした。
−フジタ撤退で、クラブは危機に立たされた
遠藤さん クラブの存続危機とともに、多くの選手を放出せざるを得ない状況だったため、J2降格の危機も迎えていました。まさに「寝ても覚めても」という感じで、何をしていても、寝ている時にも夢をみるくらい、どうしたらクラブが存続できるのかをずっと考えていました。フロントスタッフも一気に少なくなった中で、これまでにはない責任感が生まれた時期でもあった。スタッフも選手も全員が必死で、歯を食いしばって何とかするんだという情熱に満ちていました。その経験は、私個人にとってもクラブにとっても本当に大きなものでした。 −1度は撤退したフジタのスポンサー復帰に複雑な感情は抱かない?
遠藤さん 全くありません。それは私たちスタッフだけでなく、サポーターの方々も全くないと思います。フジタの皆さんはサポーターに感謝の気持ちを伝え、またサポーターもフジタに対して感謝の気持ちを伝えた…そんなシーンを幾度となく見て、両者の愛情の深さに驚き、こういうことこそがスポーツの価値なのではないかと感じました。
真壁潔会長は、18年のクラブ創立50周年に向けた思いを語った。99年に平塚商工会議所青年部のメンバーとして存続検討委員会に名を連ねて市民クラブへの移行を手がけ、00年に取締役、04年に社長、14年から会長を務める人物だ。
真壁会長 古前田充さん(フジタ時代の90年から95年まで監督。現苫小牧駒大サッカー部監督)、(古前田監督時代のヘッドコーチの)ニカノール、植木繁晴さん(96年から98年まで監督、現上武大サッカー部監督)をはじめ、関わった人たちが集まる場を、来年は作りたいね。
◇ ◇
横浜FC戦は、MF藤田征也(30)が1得点1アシストと全得点に絡む活躍を見せた。「フジタスペシャルデー」に藤田が爆発…出来過ぎた展開だったが、勝利を目前とした後半ロスタイム5分に失点し2−2ドロー。皮肉な結果だったかもしれない…でも、紆余(うよ)曲折あって、18年ぶりに再会した恋人同士の再出発としては、記憶に残るのではないか。来年の創部50周年にハッピーエンド=J1で戦えばいいのだから。【村上幸将】
https://www.nikkansports.com/soccer/news/1882996.html 野口、テル、小島、坂田、名良橋、中田、反町、ベッチーニョ、呂比須 >フジタは運営からの撤退を正式に表明。
>チームも第1ステージ3勝、第2ステージ1勝に終わりJ2降格が決定した。
サッカーは本当にプロ化して良かったね実業団時代とかならこれでチームは廃部で消滅だよ
それでも残り続けるのはサッカークラブ単体で存在してるからスポンサーならまだ別に探せばいい
そうやって下部で細々とでも生きてればまた復活の時も来るだろう、そしてまたフジタ復帰、ドラマだね
そう言えば東芝のバスケだってプロ化してなかったら廃部だったかもね、今の東芝の惨状から見ても 筋を通して撤退したフジタ
秘密裏に動いて合併を事後報告で押し切ったANA 藤和不動産時代にはセルジオ越後もプレーしていたっけな >>6
東芝のバスケは元DeNAの池田が買収しようとしてるのでやばい
交渉が暗礁に乗り上げてるらしいが
税制優遇のないバスケに焼き豚経営者が絡んだら
チャンピオンチームですら二年もたずに潰れる Jリーグバブル崩壊ってマスコミが煽ってた時期だな
もう20年ちかくも経ったのか そんなフジタの夜を1人でぶち壊したレアンドロ・ドミンゲス
いやあJ1でも反則級なのにJ2で抑えるのは無理ですな >>14
サンキュー坂田はフリューゲルスの下部だよねって田坂の間違いかw
名塚は井原を超えるCBになると思ってたんだけどなー ベルマーレと言えば名良橋と岩本(輝)の超攻撃特化型サイドバック 一時期、小島・名良橋・名塚・田坂・テル・野口の6人が日本代表だった時がある。 低迷期に中田が湘南のスポンサーになって古巣に恩返ししたのは見直した ドトールコーヒーは悪の結社、創価学会の
一員だ
集団ストーカーを行なってる
エクセルシオールカフェ赤羽東口店(現在ドトールグループ サンメリー赤羽店)閉店は証拠隠滅
ドトールも創価も法的措置を取らないのは
事実だからです
当時のドトールコーヒー社長 17年4月左遷サンメリー社長へ
とうきょうときたくあかばねは
そうかのまち
わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。
(新約聖書 『ルカによる福音書』22章32節から) 前社長が、香港でバリキャリだったのに河野太郎に電話一本で呼び出された話が笑える
「ベルマーレ潰れるんだけど、潰すわけにいかないから、明日来て。お前社長な」wwww >>2
藤田征也は札幌の宝
そろそろコンサドーレに戻ってこい! >>22
この話は笑っちゃうけど河野太郎がどんだけベルマーレ潰したくなかったかよくわかる話だわ 野口っていたな。チームですごく点を取っていたのに、なかなか代表に呼ばれなかった。 >>7
結局はそこに行き着くよな。
何も残せなかったけど、負債だけはフジタが引き取ったんじゃなかったかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています